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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

睡蓮鉢に眠る夜の魚

作者: 風連

ウシガエルを知ってるだろうか。

食べる為に輸入されてきた、蛙だ。

そのままズバリ、食用ガエルとも呼ばれる、大人の手のひらより大きくなる蛙だ。

外来種の被害が叫ばれてるこの頃は、飼うことは、できないはずだが、オタマジャクシで見つけると捕ってみたくなる、魅力的な大きさなのだ。

開国した日本は、その後長い間あらゆる物を、海外から輸入したが、その一部は生き物だった。

食べる為、毛皮を取る為が、逃げて野に放たれれば、繁殖してしまう。

そんな昭和の中頃、俺は小学生時代を過ごしていた。

通学路の途中に、なんの為に掘られたのか、近所に柵もないデカい穴があった。

瓦が乗ったヘイのすぐ下に、ポッカリと直径も深さも3メートルほどの穴が開いている。

ヘイは資材を置く場所を2つに分けていて、なんでそんな仕切りがあるのか、掘りでもないそんな穴があるのか、俺が親に聞いても、わからないままだった。

5月、つばめが飛びまわり、子育てしてる頃、梅雨が始まる。

アジサイにカタツムリがノソノソ歩き、捕まえては、学校まで連れてきて、教室で誰のカタツムリが1番デカいか競ったりした。

水槽でカタツムリを飼うと、蓋をしても、夜のうちに脱走してしまうことが多かった。

教室の後ろには、カタツムリやザリガニの水槽が、並べられていて、ドジョウも泳いでいた。

梅雨の晴れ間、あの工場の前を通ると、いつの間にかあの穴は、黒々した池になっているのに気づいた。

すり鉢状の穴の黒い水に空の雲が白く映っていた。

今年は雨が少なくて、穴の下の方にしか池は出来ていなかった。

ヘイは穴の脇で、終わっていて、そこから工場の車が出入りしていた。

アメンボがスイスイ泳ぐだけだったが、その日、デカいオタマジャクシが、ウジャウジャわいているのを見つけた。

早速、俺は家から網を取ってきて、水のある場所まで降りて、何匹かすくってきた。

瓶に入れたが、デカい。

黒々とし、尾の近くは茶の斑点が見えた。

オタマジャクシは、狭い瓶の中で、ウネウネと泳いで、体から泡を出してる。

家の縁側の側に、睡蓮鉢すいれんばちがあった。

大人でも動かせないような、デカく重いそれは、母親の趣味だったのだ。

春になると上蓋代わりの板が重しの石ごとのぞかれ、綺麗な井戸水で満たされる。

うちの田んぼのわきの沼から、睡蓮を取ってきては、そこに浮かべるのだ。

頼まれてボウフラ除けに、メダカを捕ってくるのも、上手くなった。

その頃は、学校でも家でも、蚊をわかせないことを教えられていた。

日本脳炎と言う病気に感染するというのだ。

どこそこの小学生が、縞蚊しまがに刺されて、日本脳炎になって寝たきりになったらしいと、うわさしたものだ。

実際、ヤブ蚊が多かった時代だ。

道に出来た水たまりは、砂で埋められ、防火用水には蓋がされ、雨上がりには、バケツの尻に水が溜まってないか、調べたりもした。

町内あげて、どぶさらいもした。

あの竹やぶに縞蚊がいたと言えば、そこを伐採もした。

筍もろくろく取れない細竹の林があちこちにあったのだ。

日射病と言うのもあった。

毎年、夏休みのしおりにその対策なんかが、載っていたが、今でいう熱中症にあたるのだろう。

その年、記録的な暑さになったのは、この後からだった。

何気なく、瓶のオタマジャクシを睡蓮鉢にいれておいたのだ。

すぐに浮かべてある睡蓮の葉陰にツイとひっこんだ。

日差しは高く、トンビがその中をまわっている。

雲は白さを増し、梅雨が明け始めたことを知らせていた。

学校では、ヘチマやひょうたん、ヒマワリなんかが植えられ、夏休みの観察用に個人個人の名札のついた鉢が、校舎の脇にズラリと並び出した。

朝顔が嫌いだったっけ。

花は好きでも嫌いでもなかったが、観察に早起きしなければ、ならなかったからだ。

ラジオ体操も嫌だった。

それでも今のように家族揃って出かけることの少ない時代では、行くしかなく、毎朝起こされて、行かされていたものだ。

つゆ草の青が際立つ田んぼの脇を登校し、誰とはいわず、指先をつゆ草で青く染め、学校に向かった。

今朝は、終わりかけのつゆ草を探したり、指を染める事はしなかった。

昨日、親に見つかった、あのオタマジャクシの瓶をかかえていたからだ。

畑で何かしていた隣のおじさんに、何処で捕まえたか、聞かれ教えてやった。

デカいオタマだな、と褒められたから、気分は良くなったが、昨日は最悪だった。

睡蓮の大きな葉があるから、見つからないと思っていたのだが、たまたま新しい睡蓮に入れ替える日だったのだ。

間が悪かった。

風鈴だの朝顔市だの夏のすだれだの、こまめに季節の風物詩を楽しむ母親だったのだ。

オタマジャクシは、デカかった。

母親の悲鳴に新聞紙を広げて、足の爪切りをしていた父親もノッソリと、縁側におりてきた。

「ウシガエルのオタマじゃないか。

こんなもの、噛みつきゃしないだろう。」

葉の縁が茶色くなった睡蓮を抱えて、母親は頭を振った。

「気持ち悪いのよ。

全然、可愛くない。」

ビックリだ。

蛙の子供に可愛さを求めるなんて。

確かに、このオタマは、悪そうな顔をして見えたが。

兄も姉もゾロゾロと、下駄を引っ掛けて、沓脱くつぬぎ石からおりてきた。

「わー、気持ち悪いわ。」

嬉しそうに気持ち悪いを連発する。

我が姉は気持ち悪いと可愛いの差がない変な女だった。

キャッキャッと、気持ち悪がる。

兄は一言も発しない。

武史たけしか、これ。」

縁側に突っ立ったまま、父親にうんと頷く。

「男って、嫌だ〜。」

嬉しそうな姉がチャチャを入れる。

「明日、学校に持って行きなさい。」

睡蓮を抱えてる母親は不満そうな顔をしたが、父親の決定には逆らわなかった。

「新しい睡蓮は、オタマがいなくなったら、飾ると良いし、それまでバケツだな。」

姉と兄をすり抜けて、新聞紙のとこに爪切りの続きをしに行く父親だった。

しばらく、睡蓮鉢を見てから、兄も姉もいなくなった。

母親は、手に持っていた睡蓮を鉢に再び入れると、ジロリとこちらを見てから、台所の方に行ってしまった。

くしゃくしゃな睡蓮の葉を直して、陰を作ってやると、その下にオタマジャクシ達は、集まって来た。

日差しは傾き、夕陽が雲を染めだしていた。

その日の夕飯の時、父親に念をおされ、ご飯をほうばったまま、うなずくしかなかった。

飼ってみたかった。

あんな大きなオタジャクシから、どんな蛙がそだつのだろうか。

ツンとした姉や馬鹿にした目で見る兄は味方になってくれそうもないし、そもそも何時もは助け舟を出してくれる母親が、あのオタマジャクシをきらっていたのだ。

瓶に詰めてオタマを持っていると、登校中の男子は寄ってきたが、女子からは何故だか、きらわれた。

可愛いの定義から外れていたのだろう。

それでもクラスに行くと、ワーワーと人気になった。

朝の会で、先生の許可も取り、一応ドジョウの水槽にオタマは収まった。

プカプカ浮く水草の下に群れを作っている。

迷惑そうなドジョウをよそに、新参者のオタマは、休み時間のヒーローだった。

下から覗くと、白い腹がヌメッとしていて、蛙の腹を連想する。

家から削った鰹節を持ってきていたので、昼休みにパラパラと水槽に落としてやった。

そこに生き物係の結城ゆうき新谷あらやがやってきた。

女のくせに、ザリガニ釣りの上手い結城ゆうき尚子なおこは、腰に手を当てて、俺を睨んでいた。

「持ってきたのは、木島きじま君だろうけど、クラスの生き物係は、私達なんだからさ。」

新谷あらや丈治じょうじがうんうんとうなずいていて、滑稽だ。

「デカいから、腹減ってるかもって、思っただけだよ。」

俺は、削り節の入った缶を、結城に押し付けた。

水面をユラユラしていた削り節が、下に沈み始めると、オタマジャクシ達は、パクパクと食べ始めた。

3人でそれを見ていると、他の男子も集まってきた。

デカいから、喰うのも早い。

結城が、パラパラと削り節を入れると、それもあっと言う間に食べてしまったのだった。

「お腹、空いてたんだよ、多分。」

皆でオタマを、ただ見ていた。

それからは、餌に糸ミミズを取ってきて水槽に入れたり、給食の余りなんかもやっていた。

やがて、後ろ足が生えてきた。

適当な石を探して、陸をつくる。

結城も、文句を言わず、一緒に水槽の中に、陸を作った。

1匹の後ろ足が生えると、アレヨアレヨと、次々と、足が出た。

翌日には、前足らしきものが、でてき始めたから、皆、水槽に群がったのだった。

オタマジャクシの顔は、まん丸から突っ張っていって、蛙の顔になりつつあった。

黒い身体も色を変えだしていた。

それにしても、デカい。

アマガエルより、子供のくせにデカいのだ。

蛙になったら、生き餌がいる。

先生が、近くの沼に放す事を提案してきた。

生きた虫を捕まえるのは、問題ないが、夏休みが迫ってる。

その日の放課後クラスの皆で、半分蛙、半分オタマを、沼に放した。

ついでに、ドジョウも帰してやった。

カタツムリは逃げ出し、ザリガニは脱皮の失敗で死んでしまったから、教室の後ろの水槽は、水草がプカプカ浮いているだけになった。

次の日俺は、率先して、水槽の掃除をした。

結城と新谷と3人で、ヌルヌルしたガラスをきれいにした。

水草は、中庭の池に返した。

元々そこから借りたのだった。

オタマジャクシを、育てるのに夢中だったが、早い梅雨明けから、雨がふらなかった。

あの穴もすっかり乾いている。

いつもなら、淵まで黒々と水を貯めていたのだ。

暑い夏休みがやって来た。

暑さの中、砂利を運んだダンプが走り、ロードローラーが、ならしていく。

通学路はあっと言う間に、アスファルトの道に変身していた。

あちこちで、道路工事が一斉に始まり、落ち着かない夏休みになったのだった。

いつの間にか、工場が無くなり、団地が建つことになったのは、8月のお盆の頃だった。

俺があの穴に行った時は、瓦の乗ったヘイも無くなり、穴も消えていた。

もっとデカく深い穴が、掘られていて、立入禁止の看板が、杭とバラ線の中に立てられていた。

俺がションボリしながら、家に向かっていると、隣のおじさんが、手を振ってきた。

すごく機嫌が良い。

勝手に、ペラペラ話していたが、俺の耳には入ってこなかった。

けげんな顔をして聞いてきたので、さっき見て来た穴の話をした。

「そうか、あの穴、無くなったか。

雨が少なくて、良い事もあったしな。

まあまあ、家に帰ったら、うまいもんがあるから、早く帰りな。」

訳のわからない事を言って、ご機嫌に帰って行く後ろ姿を見送った。

この夏は本当に雨がすくない。

夕立も無く、蛙やセミが鳴かないのだ。

雨が降らず、毎日雨乞いをしているってのが、ニュースになり、水道の水が規制されていたが、井戸のある我が家は、困らなかった。

都会の砂漠化か、なんて、大げさな見出しが新聞を飾っていた。

ここらは、井戸を使ってる家が多かったし、それぞれため池や沼を持っていたので、畑も無事だったが、やはり天の雨にはかなわないと、母親が愚痴っていた。

家にかえると、ちゃぶ台の上の大鉢に、見たことのない煮物が乗っていた。

甘辛い匂いがする。

今日の晩御飯のオカズは、隣のうちからもらったと、姉が言った。

「旨いぞ、食え、食え。」

大鉢の肉で、酒を呑んでる父親が、盛んに皆に進めた。

ネギが入っていた。

俺はネギが、大嫌いなのだ。

玉ねぎは平気なのだが、長ネギのヌルヌルも匂いも大嫌いだった。

フン、と、言う顔をして、ネギと肉を兄が食べている。

俺の前には、鯖の缶詰が、缶のまま出てきた。

後は昨夜のヒジキの炊いたのと漬物だ。

俺はホッとして、ご飯を食べる事が出来た。

母親も旨い旨いと、ネギと肉を食べている。

それにしても、山盛りだった。

「明日も食べるから。」

ほとんど話さない兄が、珍しく上機嫌なのだ。

「はいはい。

明日の分、寄せておきましょうね。」

母親が鍋に取り分けて、台所に持って行ったので、半分ぐらいになったが、その煮物はまだまだ大鉢を埋めていた。

さすがに、皆お腹いっぱいになったらしい。

その頃、冷蔵庫なんて代物はまだ我が家には無くて、鍋を縛ると、井戸の中に吊るしたのだった。

そこが1番、涼しい場所だったからだ。

空が曇り、ゴロゴロと雷が鳴った。

久々の夕立だ。

母親に言われて慌てて、井戸に蓋をしにく兄を初めて見た。

よっぽど、旨かったのだろう。

父親は、長々と大鉢をつつきながら、酒を呑んでいた。

叩きつけるような豪雨が、屋根を打つ。

睡蓮鉢の睡蓮が、雨で歪み高く水を弾いていた。

雨は、一気にそこいらを水浸しにした。

雨は低い場所に流れて行き、庭の下駄がプカプカ浮いていた。

俺は、父親のデカいコウモリ傘を肩に広げて担ぐと、近くの小川を、見に行った。

そこに、隣のおじさんがいた。

網戸を川に渡している。

この川は、俺とおじさんの家を過ぎると、地下に潜り、下から土手を過ぎてデカい川に流れていくようになっているのだ。

おじさんは、その境目に網戸を斜めに固定していた。

見てると、フナやザリガニが、急な増水に流されて、網戸の上で跳ねている。

「どうだ。

頭、良いだろう。」

カッパを着て、網を手にしながら、こっちを見てニヤニヤしている。

横のバケツには、こうして捕った獲物がウジャウジャうごめいていた。

蛙もいたが、バケツから跳ねてにげている。

「蛙、逃げてるよ。

捕まえようか。」

おじさんは、手を振って、いらないと知らせてきた。

「蛙は、旨いのを喰ったから、そんなザコはほっておけ。

ホラ、鯉だぞ。」

小ぶりの鯉が、網戸で跳ねた。

バケツが満杯に、なったので、おじさんは網戸を抱えて帰って行った。

黒い鯉が3匹、フナは数えきれなかった。

ザリガニや蛙は、小川の急流に投げ捨てられて、穴の中に吸い込まれて行った。

雨は夕立らしく、カラリと晴れた。

セミや蛙が一斉に鳴き出した。

コウモリ傘をたたみ、俺も家に帰った。

うんと涼しくなったのが、わかる。

天の雨は凄いな、と思っていると、母親に傘を取られた。

「宿題してるわよ、お兄ちゃんもお姉ちゃんも。」

「俺、絵日記しか、もう宿題ない。」

「じゃ、それしちゃいなさい。」

その絵日記が嫌いだった。

まだ、酒を呑み呑み、大鉢の肉をつついてる、父親のいるちゃぶ台に、クレヨンと日記帳を持って行った。

沓脱ぎ石の上にコウモリ傘が広げられていて、ガンガン当たる西陽の強さで湯気を上げていた。

片側だけ下げたすだれにも、西陽が当たっている。

庭の水たまり以外、夕立の後はなかった。

睡蓮もあれだけ雨に叩かれたのに、ケロッとしている。

父親は、すでに真っ赤だが、まだまだ酒を呑むらしい。

俺は、ちゃぶ台の前に座って、絵日記を、書く。

上半分が絵を書く場所で、下半分には、縦線が引かれていて、右端に、《月日》が、印刷されていた。

俺は、黒いクレヨンで線をたくさん書いた。

で、下には、今日の日付と夕立がふった、と、書いた。

覗き込んでいた、父親が笑いを始めた。

「凄いぞ、芸術的だな、夕立だ。

うんうん、これは、夕立だな。」

俺の下手くそな絵日記で、また酒を呑んでいた。

俺は真っ赤になって、日記をちゃぶ台の下に隠した。

父親は、酔っ払って上機嫌だったが、こうなると、他の家族は寄りつかなくなる。

口をきかない兄は、酒を呑む親を嫌っていたし、姉はもとより父親が好きではないらしいのだ。

母親は、呼ばれた時だけ、やって来ていた。

酒の肴の煮物はまだあったし、酒の瓶にもまだ酒は入っていたから、俺は父親と2人きりだった。

夕闇が少しずつ、迫ってきていた。

「夜、便所に行くだろう。」

酔っ払いの話は後先がなく、難解だ。

「皆、行くだろう。」

うんとうなずく。

ちゃぶ台の下の絵日記が気になり、上の空だったが、返事をしないと先に進まないから、とにかくうなずく。

「あの、睡蓮鉢な、夜、魚が寝に来るのを知ってるか。」

俺は顔を上げて、父親と睡蓮鉢を交互に見た。

「本当に。」

「本当さな。

ただし、寝に来るんだから、静かに見なくちゃいけない。」

俺は睡蓮鉢を、不思議な気持ちでジッと見つめた。

今思えば、酔っ払いの戯言ざれごとだったのだが、あの睡蓮鉢には、子ども心を騒がす何かがあった。

「最初は、睡蓮にくっついてきたんだが、ホラ秋から冬は、水をはらないだろう。

魚は水がなくちゃ、な。」

父親は、手酌で注いだ酒をグビリと呑んだ。

乱切りのネギを箸で寄せ、左手を皿代わりに、汁を受けながら、口に放り込む。

ペロリと手皿を舐めてから、話を続けた。

「で、水が張ってある時だけ、寝に来るようになったんだ。

沼で睡蓮を取ってくると、それがわかるから、やって来て、寝てるんだよ。」

俺はうなずくのも、忘れてポカーンと、父親の話を聞いていた。

その頃には、大鉢の肉もあらかた消えていた。

そこに母親が、漬物の新しいのを持って現れた。

「おやおや、たいそうな酒豪だこと。」

ちゃぶ台の、漬物に早速箸を伸ばしながら、真っ赤になってる父親の機嫌はかなり良い。

「とうぶん、蛙は食べたくないわね。」

俺は、耳をぶん殴られた気分だった。

父親のように、真っ赤になってるのがわかった。

「に、しても、隣の親父は、なかなかだな。

ネズミ捕りで、ウシガエルを10匹も、捕るなんて、俺には考えつかん。」

母親も、コロコロと笑う。

「それはそれ。

さばくのが嫌だから、こうして煮物にしてきてくれたのが1番。」

父親と母親は、俺の動揺には気がついていなかった。

「蛙の肉もこれだけ厚いと、喰いがいが、あっていいな。」

大鉢の中をさらうと、満足そうに酒を流し込んでいる。

俺は日記帳とクレヨンの箱をつかんだ。

子どもながら、ここにはいたくなかったが、行く場所が、おもいつかない。

今、夜の魚のように、寝に行く場所が、欲しかった。

睡蓮鉢をジッと見ながら、熱くなった耳は、音を消し、頭をクラクラさせている。

俺の事を思い出したように、母親が手を伸ばしてきた。

額に冷たい手が心地良い。

「あんた、熱があるよ。

頭、痛いんじゃないのかい。」

ガンガンする耳には、ウシガエルの鳴き声が、住み着いているようだった。

返事も出来ない俺を、父親と母親が交互に手を当て、熱を測っていたようだが、記憶はないのだった。

俺は、夏風邪をひいていた。

それからしばらく、布団の中で暮らした。

昼間、寝ているので、病人は夜、寝ない。

蚊帳を吊るし、開け放された縁側の先に、あの睡蓮鉢が、見える。

明日は、2学期が始まるが、俺はまだ床を離れられないでいた。

睡蓮鉢が、波打ち、しぶきが上がった。

蛙が飛び込んだのだろうか。

フラフラする身体を押して、そっと息を殺して、のぞいてみたが何も見えなかった。

蚊帳をめくり、布団の中に入った。

熱は下がったり上がったりを繰り返し、俺が学校に行けたのは、それから1週間後だった。

教室の後ろの棚の水槽には、紅い金魚と黒い出目金が、泳いでいた。

もう1つの水槽には、鈴虫が7匹入っていて、時々鳴いていた。

もう誰もオタマの話はしない。

俺も、オタマの事は言わない。

隣のおじさんやうちの家族が食べてしまったかもしれないのだ。

先生は、無理しないようにと、俺の頭を撫でてくれた。

誰にも何も言えない俺は、訳もなく泣いてしまった。

先生が、新学期に長く休んだせいだね、と、優しかったのを、覚えている。

俺のオタマは、喰われたわけじゃない。

きっと、夜の魚になったんだ。

俺は、泣きながら、両手で拳を作り、涙をぬぐったのだった。

今は、ここまで。

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