男性部門 2位:烏ノ介
男性部門 2位:烏ノ介(得票数15票)
彼の周囲には人が絶えません。
本人が望む、望まざるにかかわらず、人を引き寄せる空気を纏っているのでしょう。
彼は、あの年頃にありがちな孤独を気取っている訳ではありません。だからと言って、彼自身が周囲の人間に執着している素振りを見せる事もありません。
しかし自ら距離を置くわけでなく、自ら近寄る事もなく、安定した自然な距離を保っています。ああ見えて、人付き合いに関する鋭敏な感覚を持ち合わせているようです――彼のお父上に見習わせたいですね。
彼と同じ青髪と赤い瞳を思い出し、思わず笑みを零してしまいました。
さて現在、彼には常に行動を共にしている相棒がいます。賽ノ地へやってくる前から長い間、共に戦ってきたようですが、彼らの過去を知る者はほとんどいません。
それでも、彼の右目と右腕が失われた理由はあの相棒にあるという確信があります。何しろ彼らの魂の一端を握るのは真逆の性質なのですから。
何故、彼が右腕と右目を失くすに至ったのか。それでもなお、それら奪った相棒と未だ行動を共にしているのか……これらに関しては、これから調べねばならないでしょうが、あまり時間をかけていると報告が遅いとお叱りを受けてしまうかもしれませんね。
中庭に面した部屋の文机で江戸への報告の作成にさらさらと筆を走らせていると、ばさばさ、と音がして一話の烏が庭に舞い降りました。
そして、かぁ、と鳴き声を一つ。
「おやおや」
どうやら、買い物を頼んだはずの葉が賽ノ河原で道草を食っているようです。
仕方がありません。
書き物を途中でやめ、筆を休めました。
首を傾げる烏を呼んで指に止まらせ軽く撫でると、ぐるぐると喉を鳴らして喜びます。この喜び方はは鳥も獣も人も同じなのでしょうか。
褒めてやってから烏を逃し、私は立ち上がりました。
「さて、行きますか」
葉が一人で道草を食っているだけならよいのですが、どうにも折の悪い事に、河原には彼の相棒もいるのです。放っておいてもいいのですが、顔を合わせてしまえばどちらかが――おそらくは葉が命を落とすことになるでしょう。
そうなるには、まだ早いのです。
懐から扇子を取り出し、口元を押さえました。最初は表情と言葉を隠すために敢えて行っていた仕草が、いつしかただの癖になってしまいました。
詰め所を出た私は思考的にも物理的にも多少の寄り道をしながら、賽の河原へと向かいます。
我々の生業は、羅刹族と呼ばれる種族を狩る事です。人を傷つける野蛮な羅刹族から人族の生活を守る。それが『羅刹狩り』と呼ばれる私たちの目指すところです。
「この生活も、あと半年ほどでしょうか」
しかしながら現在、人族と羅刹族の間には、和平が結ばれようとしています。現在の江戸将軍が羅刹族との和平を推し進めている為です。
羅刹族にすべてを奪われ、その恨みから羅刹狩りに身を投じた葉のような組員は納得しないでしょう。
彼女は羅刹族により故郷を追われ、羅刹狩りとなった女性です。そのため、何より羅刹族を憎み、恨み、羅刹族を殲滅する事だけを目的としています。戦いの間にその感情を抑えきれず、恨み言を漏らしているのも知っています。
もう少し他所に目を向けてもいいと思うのですが、まだまだ若い彼女には早いかもしれませんし、何より、私の口からそれを告げる気もありません。彼女自身が、自ら気付くべきです。
しかしながら、これは大きな時代の流れです。もはや止められるものではありません。
止められるとすれば第三の種族の暗躍が必要でしょうが、彼らにも様々に事情があります。江戸将軍が思わぬ行動力と手腕を発揮して事態を動かしてしまったお蔭で、あと半年という短い期間では、彼らにも何も出来ないと見ていいでしょう。
おそらく半年後、我々のような羅刹狩りは職を失います。
その後に待つ物語は――
いえ、今、語る事はよしましょう。それはまた、ずっと先のお話です。
賽の河原に到着すると、先ほど別れたばかりの葉と、派手な色の上着を翻した少年が開校したところでした。こっそりと土手から見下ろしていると、予想通りに彼の相棒と葉が争い始めました。
本当に、血の気が多くて困ったものです。年頃の女性の慎みと言うものをもう少し覚えた方がいいかもしれません。
葉に向かって刀をつきつけた向日葵色の上着を翻す少年――あれは彼の相棒です。細かい来歴は分かっていませんが、あの戦いぶりを見るに、普段は自らに枷をかけているようにも見えますね。
愛用の細槍を手にした葉も頑張ってはいますが、今の実力では体力で押し切られるのは時間の問題でしょう。
「刀を相手にその距離では折角の槍の間合いが殺されますよ」
葉もまだまだ修行が必要ですね。
伸びしろがあるという事で手を打ちましょうか。
そろそろ止めようか、と思ったところで二人は距離を置きました。
「……おや?」
葉が少年に向かって呪詛の言葉を叩きつけ、少年がぴたりと動きを止めました。
少年の飴色の瞳が中空を見つめ、全身から力が抜けていきます。
そして、少年の瞳の焦点が合わぬままその全身から放たれた闘気は――まぎれもなく、戦闘種族のものでした。
さてさて、これはどう報告したものでしょう。
詰所に戻った私は、先ほどまでの報告書の続きを書くために筆をとったまま、先ほどの出来事を思い出して困り果てていました。
彼がこの辺境の地で少しずつ培っている人とのつながり。
そして何より、彼の相棒――右腕と右目を奪った相手であり、内に戦闘種族を飼う少年。
「……ありのままを書くしかないのでしょうね」
彼の相棒の豹変ぶりを見て、私は彼が右腕と右目を失った理由を推察する事が出来ました。普段は奥底に潜んでいる戦闘種族の本能が表に現れるとき、彼の相棒は獣と化します。
おそらくその獣が欲するのは、純粋な戦闘力。
そしてその獣の標的となり得るほどの力を彼が蓄えているのも事実です。
思わず唇の端があがってしまいます――困ったものです。
「これは、因果でしょうか」
赤い瞳に秘められた宿世の階に導かれ、逃れえぬ道を進む事でしょう。青の痣に課せられた業を背負い、歩み続ける事でしょう。
そして血に刻まれた欲求は、あの戦闘種族の少年のようにいつか牙をむくでしょう。
ヒト族の中に紛れられぬ自らの血に気付いた時、彼は呪うのでしょうか。受け入れるのでしょうか。それとも、もっと異なる反応を見せてくださるのでしょうか。
結局、散々迷った挙句に事実だけを書き連ねた報告書を作成し、墨をよく乾かしてから小さく丸め、黒塗りの筒に詰めました。指先ほどの太さのそれを烏の足に結び付けると、空に放ちます。
暗闇の中に細長い繊月が浮いているのが見えました。
月の光の、白。
ある時は冷たく青白い光にも見えるのに、またある時は橙色の柔らかな光を零します。
また、新月から天満月まで、様々な顔を見せます。
不思議なものですね。
私はそこで、障子戸を閉じました。ぱたん、と閉じると、部屋には静寂が訪れます。うすぼんやりとした行燈の光だけが残り、影を落としました。
「我々は、救世の菩薩ではありませんからね」
この世が人の世であると、誰が決めたのでしょうか。人あらざるものが暗躍し造り上げたこの世は、本当に人の世と呼べるのでしょうか。
乱世が近づいています。
それでもあと少しだけ、物語の始まりを先に延ばすことは出来るでしょうか。
その時、部屋の戸を軽く叩く音がしました。
「烏ノ介様、お呼びでしょうか」
聞こえてきたのは、葉の声です。
そうでした、忘れていました。昼間の敗戦――負けと言うより、私が中断しなければ死んでいただろう戦いについて、お小言を言うつもりで呼び出したのでした。
それを察してか、葉の声も心なしか強張っています。
その声音に、私は思わず笑みを零していました。あまりに、私の性根から離れた穏やかな日常がこれほど近くにある事に驚きすら感じます。
そうですね。
あと半年。物語が始まるまでの短い時間、我々も少し穏やかな日々を過ごす事が出来るでしょうか。
「入りなさい」
そう答えて、彼女が恐る恐る部屋の戸を開くのを待ちました。