無邪気なまでに君は笑う
「あっははははは! ふっ、ひひひひっ! お前っ、ふっ、まじか! 水竜お前、おまっ……あはははははうっわ子供連れの水竜とか!」
俺の前で大笑いしてやがるのはマチノという人間の男だ。黒い髪に黒い目、何故かいつでもエプロン姿の、人間の姿の俺より体が大きい男。本当の姿なら一口で丸飲みできる小ささだってのに。
「竜神様! 竜神様! あちらの大きなものは何ですか! 見てきていいですか!」
俺の隣で宙に浮かぶ水の中に浸かりながら大声を出すのは緑色した牙のある魚、魚竜のガキ。水の中で尾ひれを動かして器用に空を泳いで行きやがる。泳いでいった先は店頭販売してる焼き菓子の店。おい俺返事してねぇしお前は金を持ってないだろ。あと俺は竜神じゃない。
運悪く今日は晴れ。水中じゃ感じることのないカンカン照りの肌を焼く日光に汗は落ちるし周りは煩いし魚竜が珍しいのかざわついてやがるし。この田舎一番の噴水の前、ここで露天商やってるマチノに出会えたのは幸運だったが俺この噴水の水汚ぇから嫌いなんだよ。
正直、鬱陶しい。
「この街全部水で押し流していいか?」
「は? ちょっ、ま、駄目に決まってんじゃん!」
俺の提案は笑顔でマチノに否定された。クソッ、俺が本気出せばそんくらい余裕なんだからな。綺麗な飯が出てくるからここにいるだけで。
「でぇ? 何その子隠し子? 良かったなぁ水竜、お前言動が人間臭すぎてモテないって言ってたろ」
マチノが喧嘩売りながら話を切り替える。俺は喧嘩を売り返しながら答えた。
「水竜と魚竜の見分けもつかねぇのかてめぇは。こいつは今朝拾ったんだよ、街に来るまでに」
「へぇ、お前が。お前みたいな奴が人に毒される様を見るのは楽しいねぇ」
「お前性格悪いな」
「俺は竜と人間の共存を目指してる身なんでぇ。ま、共存ってか人化な。んで、この街の人間側もじわじわ慣れてさぁ、人の姿でもない魚竜ちゃんを受け容れるレベルにまでなってる。面白いだろ」
マチノの視線に促され魚竜の奴に目をやると、通りすがりらしいおばちゃんに小魚を餌付けされていた。まあ焼き菓子なんか水に入れたら不味そうだしな。
この街は俺達水竜が住む湖から一番近い所にある。この辺の水は多少繋がってるから、他の地方より俺達水竜の存在で水は肥えている。で、海も近い。そりゃ魚も美味いだろうよ。
「水竜、お前本当人間臭くなったよな」
嬉しそうに言い、にやりと笑うマチノはただでさえ細い目をさらに細めて、陸の生き物、狐みたいになっていた。露天商なんてしてるわりには日に焼けてない真っ白な肌と黒い髪と目の対比は街によっては嫌われるとかなんとか。正直俺よりこいつの方が人間離れしてやがる。ムカついたから睨んでやったが気にする様子はない。
「誰のせいだ」
「俺のせいだ」
「マチノ、お前な」
「あははは! このまま野生に戻れなくしてやろう。命の心配をする必要もないんだぞ? ほーら、人里に永住したくなったろう」
へらへらと笑うその顔からはそれが本気か嘘かも読み取れねぇ。
永住しろというのはこいつの口癖みたいなもんだ。会う度に言われて正直鬱陶しい。
「お前、何考えてんだよ。俺達竜を定住させてもお前らが困るだけだぞ。田舎町一つならいつでも壊せるんだ」
正直鬱陶しいし、人に慣れた今でも未だにその真意が読み取れないのが悔しい。だから少し脅すと、マチノはあははと声を上げた。
「だから壊すなってぇの! 折角この世界は全知的生物間で言葉が通じるのに、そうやっていがみ合うのは勿体ねぇだろ馬鹿ぁ」
マチノのすぐ後ろで噴水が大きく水を噴出した。水滴がマチノの髪に、俺の顔にかかる。うえ、最悪だ。こんなろくに濾過してない、ここでリサイクルされてるだけの汚ぇ水がかかるなんて。クッソ、腹立つ。目に入ったじゃねえかこの野郎。
目を擦って、ついでに綺麗な水を出してすぐ消してを繰り返して洗う。ああくそ、邪魔しやがってこの噴水が。だからこの街の噴水は嫌いなんだ、いくら水が富んでるからって……。
気付いた時にはマチノの細い目は冷静そのものの色になっていて、俺を見据えていた。
「なあ水竜。竜と人と、他。全部共存できる世界とか素敵じゃね? 理想じゃね? 俺が長年実現できなかったことが今とってもとーってもいいとこまで来てるんだよ。お前が竜神だのと言われて生贄なんて馬鹿みたいなことやってたあの時代じゃ考えられないような奇跡が起きてるんだ。この段階になるのに二百年、クソみたいな時間だろ? ほーら、これだけ待った結果を壊すのは勿体ねぇだろ。俺はこの成長を愛してるんだ」
口調だけはふざけてやがるが、その目も声も真剣そのものだ。なんでそこまで、と言ってやりたくなる謎の執着心。正直気持ち悪い。
「絶対壊すなよ、水竜。今度は殺すぞ」
その上脅し返されて、こいつならきっと何の感慨もなく俺を殺すんだろうなと予想して、呆れた。人間らしいというか、人間離れしているのか、紙一重な奴だマチノは。
マチノ自身から人らしい倫理観を植え付けられた身として言ってやる。
「暴力の上になりたつ平和って正直どうよ」
「結果的に平和ならいいんじゃね?」
「うーわ、最低だな。暴力で抑圧された感情はいつか反逆してくるぞ」
「それも全部俺が潰す。共存の為なら俺悪役だってやってやるぜぇ!」
無茶苦茶なことを言って、へらりと、ガキみてぇにマチノの奴は飛び上がって笑う。今から晩飯食いに行こうだなんて親から言われたガキみてぇに。先を想像してそれが嬉しくてたまらないみたいに。
無邪気に。
「竜神様竜神様! 人間って優しかったんですね! 私初めて知りました!」
話し終わったのか、見飽きたのか、魚竜のガキがこいつはこいつで無邪気に馬鹿みたいな顔引っさげて空中の水の中を泳いで、文字通り飛んできた。そのまま水の塊が俺にぶつかりそうになるから、水の方向を操作して逸らす。マチノの顔面に魚竜が飛び込む形になった。
うおっ、だとかなんとか叫んでマチノがバランスを崩す。魚竜の入ってる水の塊を避難させつつ新しく作った小さな水の塊をマチノの体にぶつけてみる。案の定、堪えきらなくなったマチノは倒れた。背後の噴水の中に。
ざまあ見やがれ。
「お前、馬鹿だろ」
言ってやると、私のせいですか!? なんて魚竜が喚く。いや違う。違うがめんどくせぇので放置すると、落ちた時と負けねぇくらいに音を大きく立ててマチノが飛び起きた。
髪からも服からもぼたぼたと汚ぇ水を落としながら、細い目を見開いて怒ってんのか笑ってんのか解らねぇ気持ち悪い顔をする。たまーに人間共から狐だとか称される奴の顔は、ガキが見たら泣くんじゃねぇかってくらい歪んでやがった。
その状態で奴は、水を吸って重くなった服をぐちゃりと鳴らしながら噴水の外へ一歩踏み出す。おいこら来んな汚いから。俺は後退りして距離を取る。
にぃ、と唇が弧を引いて歪んだ。
「ははは、ふひひ、いひひひひあっはははははは! いいねいいね水竜最高! やっぱ一緒に青春しないと駄目じゃんなぁ、人間と竜って奴は! 青春最高! 戦いのない世の中最高!」
何が楽しいんだこいつ。うわ怖っ。こいつ顔怖っ。何がスイッチだったんだよ怖っ。
隣で魚竜が怯えた顔をしている。そりゃ怯えるわないきなり笑い出したこんな気持ち悪い奴見たら。
ちらりと周りを見たら、ここの住人の目はマチノに向けられていた。緑色の喋る魚が浮かんでても魚竜だからと魚をやり、俺みたいな水を操る人間の姿をした竜がいても受け入れていた人間達は、大分踏み外してはいるがまだ人間の筈のマチノに対して、恐怖と嫌悪を混ぜた目で見ている。
そりゃまあ、そうなるよなぁ。気持ち悪いからなこいつ。
変なスイッチが入ったらしいマチノはケラケラ笑いながら、俺に向けてぐっと親指を立てた。
「よーし水竜! 久しぶりに遊ぶぜ!」
取り繕うことを忘れた凶悪な顔のままそう言い放つマチノの野郎。それはどこまでも無邪気で、気持ち悪ぃ。