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春の陽気に誘われて

 春といえば、湖の温度も僅かに上がる。そして微生物が成長し、それを求めた生き物がやってきて、食事も増える。が、それはつまりこの湖の漁口密度が増え食事回数が増え狩りの際の残骸に排泄物にとが増えるということで、つまり水が汚れる。そう、他所の魚どもや魚竜、水竜の奴が流れ込んでくるこの時期は。

「あーもう、だから春は嫌いなんだ!」

 毎年恒例のことながら、俺は堪らず家である湖から飛び出した。自然の自浄作用に任せて綺麗になるまで帰れるかこんな生き物の温床!

 さて、普段の俺は様々な生き物や言語で水竜と呼ばれる姿だ。どんな姿かと言われたら、巨大なアロワナに手足をつけたようにも、地上で動き回ってる首長系の竜族を水棲にしたようにも見える、らしい。これは俺の知り合いの人間が言っていた話だが。

 で、今湖から飛び出した俺の姿はというと人間に似せたものだったりする。何故かというと、この世の中で今のところ単一種として発達しているのは人間だからだ。土に水に火に金に、様々に系統分けされた竜族は繁栄してはいるが一つの種ではなく、しかも文明なんてものがなくても楽しめるあくまで動物だ。綺麗好きな俺としては、こっちの方が楽しめる。人間の文明は、清潔さを結構重視してくれているから。

 人間の姿になり、湖から完全に体を出すとそこに広がるのはいつもとは少し違う、低い視点での木々だ。いつもの俺は人間に比べ背が高いから気に止めてなかったが、湖の周りは木々で覆われた森になっている。いや、湖を挟んでるのは山って言うんだったか。山々に囲まれた渓谷の湖とその周辺は実りも多いが、俺みたいなもんが住んでるから誰も開拓しない。

 体から鱗を消しさって、あらかじめ用意していた人間の服に着替えた。指の間の水かきも消し忘れていたことに気がついたのですぐに消す。目指すは清潔な場所、つまり人の里!

「竜神様。あ、あの、竜神様!」

 ……ん?

 体表面の水を操って、歩きながら濡れている体を乾かしているとガキの声が聞こえた。くん、と鼻を鳴らすと嗅ぎなれない草と土の匂いに混じって、水の生き物の匂いもする。ばしゃんと水を大きく叩いた音も聞こえる。

 がさがさと草を掻き分けながら歩いてくる気配もするから、仕方がなく待ってやった。声からして、まだ小さい。何かにつっかえたのかころんと眼前に転がり出てきたのは泥の塊……いや、全身泥まみれだが、丸い流線状の体に、太く力強いヒレが何個か生えた牙のある魚が飛び出してきた。まだ子供なのか、その大きさは人の姿の俺が片手で抱えられるくらいだ。

 おいこいつ、小さいが魚竜じゃねーか。俺たち水竜と違って手足もないし肺呼吸も出来ねぇのによく陸に来たな。ああ、短期間なら肺呼吸出来る奴もいるんだったか。正直詳しくない。

 転がって目を回していた魚竜を軽く蹴って目を覚まさせてやる。濡れて地面に転がったから触りたくない。

「竜神じゃねぇ、水竜だ。なんだお前、俺はもう二百年は生贄なんざ頼んじゃいねぇぞ」

 言うと、魚竜の子供は慌てた様子で首を振った。おお、その仕草は水竜と同じか。

「ち、違います違います。私、去年生まれた魚竜の一人です」

「ふーん、で?」

「ええと、私たちの生まれた湖は手狭になったのでこちらに、流れてきました。私一人ですが。それで、お顔だけでもと。同じ竜として」

「ああそう礼儀正しいなお前。お前だけだよ、挨拶してくるの。俺暫くは別にここの主でもないから挨拶も許可もいらねーよ。人里降りるし」

「人里に!?」

 何故か魚竜は驚き、牙のびっしり生えた長細い口を大きく開いた。おお、体が小さいから針みたいな歯で痛そうだ。

「な、なんてことを! そんな危険なことをやってのけるなんて流石竜神様!」

「だから水竜だって。誰にも崇められてもねぇし」

「でも、でも人間って滅茶苦茶な凶暴性を持った生き物で、魚を食べるんでしょう? 魚竜だって食べるんでしょう?」

「……食うか?」

「私はそう聞きました!」

「へぇ。上手いのかな」

「わ、私は美味しくないですよ! まだ子供で小さいですし! 栄養状態悪いですし!」

「てめぇなんか食わねぇよ」

 ホッとした顔の魚竜を見下ろす。泥と葉っぱで汚れてやがるし、というか何の寄生虫とかがいるかも解らねぇ奴を食えるか。しかもこいつ、外から来たんだろ。未知の病原体とか持ってきてねぇだろうな。

「あ、あの、竜神様!」

「俺は水竜だっての」

「水竜様! い、今から湖を留守にされるのですよね? あの、あちらの湖に他に水竜様は」

「ああ、いるぞ」

 ではそちらの方にもご挨拶を、とヒレを動かしてばたばた陸を動く魚竜の尻尾を足で押さえて止める。縋るような目で俺を見上げてきた。ガキだな、小さい。

「今湖にいるのは他所から流れて来やがった奴らだ。この湖の奴らじゃない、お前みたいに。今の時期群がるんだよ、餌は増えるし俺は消えるしで」

「は、はぁ」

「流れてきたなら見てるだろ。水竜で毎年来る馬鹿がいるんだが、あいつ水竜以外なら何でもありの悪食だ。お前食われるぞ」

 ひぃ、と魚竜が悲鳴を上げた。まあ、竜は陸に海に空にと多様化しちまって別生物で、竜だから食べちゃいけねぇって倫理観は特になく、兄弟や同じ水竜じゃない限り平気で食う奴は特別珍しいわけでも悪いわけでもない。ただ、お互い言葉が通じるから嫌だって奴が多いだけ。つまりはただの野生動物だ。むしろ俺みたいに汚いだの何だの言って選り好みしたり巣を捨てる方がどうかしてる。人間の倫理観に触れすぎたな。

「魚竜、お前人の姿とか狼の姿とかなれねぇの」

「え、えっと。無理、かと。まだ生後一年なんですよぉ、水の生き物以外見たことないですもん」

「ふーん。じゃあ人里には逃げられねぇな。泥もいつかは乾燥すんぞ」

「じゃあ、じゃあ私はどうすればいいんですか。食べられたくはないですよ……」

 うわ、そんな声出されても。クソ、倫理観が人間に近くなったのは本当に厄介だ。鬱陶しい。

「なんでお前んな弱いのに俺の前に来るんだよ、ガキのくせに……野生動物なんだから自然に従って食われてろよ」

 絶望した、みたいな目で俺を見る魚竜に向けて俺の操る水を投げ付ける。ひゃあと悲鳴を上げる水竜の泥を溶かして流して、もう一度水を発生させて今度は包み込む。人間一人分くらいの体積の水の塊が出来て、その中に魚竜が浮かぶ形だ。水は酸素を多くしたし、発生消去を繰り返して循環させてるからまあ多分問題はない。

 現状が理解できないのか驚いて目をキョロキョロさせている魚竜に、水の塊をポンポンと叩いて水の中だと理解させる。透明度を上げているし、水面はあまり波打たせないようにしてるからこっち見えてるよな。音はどうだ。

「ふーん、緑色だったんだなお前。綺麗じゃねーか」

 きらきらと、木漏れ日を反射させて輝く薄緑色の鱗を素直に褒める。魚竜は照れ隠しか慌てたように尾を跳ねさせた。水乱すな崩れる。

「音は聞こえてるか。俺の顔、見えてるか?」

「み、見えてます。あの、これは竜神様が」

「竜神じゃなくて水竜だっての。それなら人里も来れるだろ。別に俺人のフリしてねぇし、浮いてろよ隣で」

「え」

「来いよ。人の倫理観植え付けて野生で暮らせなくしてやる。正直めんどくせぇぞ」

 水を動かす。するとその中にいる魚竜も自然と動く。俺の進行方向、人里の方にだ。

「竜神様……! ありがとうございます!」

「おう。竜神じゃなくて水竜な」

「水竜様! 水竜様万歳!」

「お前そのヒレで万歳出来ねぇだろ」

 馬鹿なガキの金切り声を隣で聞きながら、足元に落ちていた木の枝を踏んだ。ガキは嫌いじゃない、が、好きでもない。でも人と触れて感化されまくった感性が鬱陶しく、子供は守らなきゃだなんて言いやがる。ああ鬱陶しい。でも、放っておけない。じゃあ今外の海に放してやる、あの湖から逃がす、それだけでいいじゃねーかと思うんだがそれは無責任だろと俺の知識が物語る。

 ああ、鬱陶しい。でもなぁ、クソッ。

「ああもう、だから春は嫌いなんだ」

 俺と似たような末路を辿る、人間に感化された竜がもう一匹生まれることが嬉しいだなんて思っちまってまあ。

 人間臭くなっちまったよ、俺は。

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