篭城について
援軍のない篭城は敗北を意味する。なので、援軍の目処が無いのに篭城するのは馬鹿だ。
よく言われていますが、実際のところはどうでしょうか?
少なくとも日本の戦国時代中期以前は誤りです。これは補給というものの重要性の認識の違いだと思われます。では実際、援軍無しに篭城して勝った例はどのようなものがあるでしょうか?
有名なのは、大内氏が攻め、尼子氏が篭城した天文10年(1541年)の(第一次)月山富田城の戦いです。大内氏は補給に苦しみ撤退し、尼子氏の追撃を受け大内氏の嫡男は船が転覆し溺死。大損害を受け敗北します。
また、雪深い地方では冬になるまで持ち堪えられれば敵は撤退したでしょう。また、これは広義な意味での援軍になるかも知れませんが、篭城して敵の兵力を引きつけている間に、敵の敵(味方ではない)が、敵の本国を狙うかも知れません。そうなれば、敵は撤退するでしょう。
つまり援軍が無くて篭城しても、①敵が補給に苦しむ目処が有る。②何らかの自然現象で敵が撤退する可能性が有る。③また、神頼み的に、篭城して粘っていれば敵の方に撤退しなければならない状況が発生する。という事もあります。
①はともかく、補給の概念が重要視されてきた時代でも②や③はいつでも起こりえます。野戦では絶対に勝ち目が無くても、篭城すれば勝てる可能性があるのです。
つまり、実際は、野戦で勝てる見込みが無いのに篭城しないのは馬鹿だ。が正解かと思われます。
ここで有名な桶狭間の戦いを考えていましょう。織田方は尾張を統一したところであり、内外に敵を抱え動かせるのは3千(または5千)ほどといわれており、今川方は2万5千(一説には4万5千)です。軍議を行い家臣達は合戦か篭城か激しく議論しますが、篭城すべしという意見が大勢を占める中、信長は結論を出さず皆に帰って寝る様に言ったと伝えられます。しかし信長は深夜目を覚ますと常識破りの出撃を行い、今川義元の首を取り大勝利します。
では、この時の信長に援軍の可能性はあったでしょうか? 結論から言うと有りません。それどころか、北の斎藤から更に攻められる可能性すらあったかもしれません。ですが、篭城が’常識’であり、出撃は’非常識’でした。
ちなみにヨーロッパの戦いでも籠城側が持ち堪えた戦いは多いそうです。