終わらない奇跡
一面オレンジ色に燃えさかる視界の中で、すぐ側にあったのはアルシェの顔。
その美しい顔を見て、私は一瞬死んでしまったのかと思った。
でも……
「――っ」
「動かさないで。一度壁に、強く叩き付けられてる」
「……何で、アルシェが……?」
「……君はバカだよ。5分経っても来なかったら、別の人と行くって言ったのに」
アルシェの瞳には動揺と後悔、自責の念が揺らめいている。
「俺が騙したって……気付いてたんだろ?」
「わかってても……どうにもならないことって、あるでしょう?」
私が力無く答えれば、アルシェは形の良い眉をしかめた。
火の勢いは一層増しているようで、息が苦しい。
「話は後だ。ちょっと痛いかもしれないけど、我慢して」
アルシェは私をぎゅっと抱き締めると、燃えさかる炎の間をくぐり、また飛び越えていく。
もう二度と、会えることも無いと思っていた、アルシェが側にいる。
名前を付け難い想いと、しみる煙のせいで、涙が溢れてきた。
「……今外に出るよ、ちゃんと息をして!」
アルシェに叫ばれ、私は何とか嗚咽をこらえた。
次の瞬間、熱気と焦げ臭さに満ちていた身の回りが一転し、心地良い、無臭の空気が肺に流れ込んできた。
「レイン?」
不安気に、私を覗き込んでくるアルシェ。
「助かったんだね……」
私が呟くと、アルシェはそっと私を抱き寄せた。
前方には、オレンジ色に燃え盛る古城が光を放っている。
私たちは、そこから数十メートル離れた小さな小川のほとりに、二人して腰を下ろしていた。
「助けてくれてありがとう」
私は、抱きしめてくれていたアルシェの体をそっと離し、その瞳を見つめた。
夜の闇の中では、その美しい瞳の色は判別出来ない。
それでも、ここにいるのは、紛れも無くアルシェで――
「……好きになったの。今までのことがすべて、嘘だったとしても」
ハロウィンの夜には、何か奇跡が起きると聞いたことがある。
その奇跡の力を借りたせいか、何のためらいもなく……普段のプライドが嘘だったかのように、すんなりと出てきた告白の言葉。
「アルシェが、ずっと好きだった」
「……」
一瞬何かを言い掛けたアルシェは、再び口をつぐんで、ため息をつく。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「君はバカだけど……俺もバカだ」
出逢ってから初めて、お互いの壁を取り払う。
もう何も、ここに駆け引きは存在しない。
何だか、不思議な感じだった。
「……本当は、俺のリクエスト通りに着飾ったレインを確認したら、すぐに帰るつもりだった」
――やっぱり。
私の予想は、何も間違ってはいなかった。
「でも、ダメだった。諦めた顔で、ずっと待ち続けるレインから目を離せなくて」
「見てたの?」
「あぁ。君がいた反対側の天井近くの梁から、ずっと」
アルシェはうつむき、後を続ける。
「泣き崩れる君を見て……泣かせているのは、紛れも無く俺なのに……」
その辛そうな視線が、私の視線に絡み合う。
「……レインが悲しんでいるのが、本当に苦しくて。ますます、その場から動けずにいた」
夜風が、私たちの間をすり抜けていく。
古城を鎮火しようとする喧噪が、遠くからぼんやりと聞こえてきた。
「あのバカ魔女たちをかばおうと、君が飛び出して行ったときは、本当に心臓が痛くなったよ」
アルシェは顔をしかめる。
「ジャックの火柱に吹き飛ばされたのを見た時は、確実に、一回は心臓が止まったね」
「嘘ばっかり……」
「バカだな。俺が間に合わなかったら、床に叩きつけられて即死だったかもしれないのに」
私たちは一瞬沈黙し、ただ見つめ合った。
アルシェは、消え入りそうな声で呟く。
「あそこでレインが死んだら……俺は、一生自分を呪いながら生きるところだった」
そっと、温かい手が私の頬に触れる。
「……無事で良かった。恋に堕ちたのは、俺の方だったんだ」
今聞こえてきた言葉が、永遠に消えなければいい。
目の前のアルシェの、何もかもを見逃したくないのに、視界がぼやけて邪魔をする。
「もう泣かせたりしないよ。ずっと側にいる。だから……」
アルシェは、私の頬を伝う涙を指ですくうと、はっきりと言った。
「だから……もう一度だけ、俺を信じて」
私は、ただ彼に微笑みかけた。
だって……返事なんて、いらないはずだから。
「今日のレイン、誰よりも綺麗だったよ」
赤い月が、私たちを照らし出す。
私たちの、一点の曇りもない想いを……
***
「やばい! レイン、講義室まで送ってくれない?」
食堂の大きな時計を見たアルシェが、慌てて頼んできた。
「だから、さっき言ったのに。遅刻したらいいじゃない」
「レインと一緒にいたかったんだ、仕方ないだろう?」
「また、そういうことを……」
私は赤面しながら、渋々ほうきを出す。
本当、ケガが治ったばかりなのに、人使いが荒いんだから。
「どーぞ。……100年早いけど」
「レインのその、腰掛ける感じの横座りが、優雅で最高に好きなんだ」
アルシェがにこにこしながら後ろに跨がると、私はほうきを浮かせて飛び立った。
彼の講義室へ向かう為、高度を上げて校舎を飛び越えていく。
「レイン、俺、この髪型好き」
「ちょっと、気が逸れるから触らないでくれる?」
「いい香りもするし! 今度、お揃いの香水買いに行こうか?」
「少しは私の話聞いてよ……」
相変わらず、私たちの関係性はあんまり変わらない。
変わったのは、私の疑念と、彼の罪悪感が消えたことと……
少しだけ、共に過ごす時間とスキンシップが増えたことくらいだ。
「はい、着いたよ」
私が下降していくと、講義室を埋め尽くしている盗賊科の子たちが、すぐにざわつき始めた。
「魔女だ!」
「すっげぇ。アルシェの奴、魔女まで堕としたのかよ……」
魔女科と対照的に、男子の多い盗賊科。
私は注目されて、赤くなってしまった。
「またちょっかい出されないように、俺の彼女だってお披露目しておこうかと思って」
「何それ……」
後ろから囁かれて、私はますます赤くなってしまった。
たまらず下降し、アルシェをほうきから降ろす。
「放課後は、俺から迎えに行くから」
アルシェが人目もはばからず、私の額にキスをすれば、周りから冷やかしの声が上がった。
「もう!」
私が睨みつけても、やっぱりアルシェはにっこり笑っている。
……私は、この笑顔が何より好きだ。
(たまには、反撃してやらなきゃね)
私は彼を睨んだまま、不意にほうきごと近付いていく。
そして――
「!」
そっと、唇にキスをした。
「きゃーー!!」
「うぉっ?!」
「マジか!」
本来なら、決して魔女がし得ない大スキャンダルを目の当たりにし、周りは騒然となった。
アルシェのファンであろう一部の女の子たちなんか、白目を剥きかけている。
「今度は待たせないでよね、ハンターさん?」
驚いて、珍しく頬が赤くなっているアルシェ。
私まで恥ずかしくなってきて、ちょっと顔が熱くなった。
ほうきを上昇させ、微笑んで手を振ると、我に返ったアルシェも慌てて手を振り返してくれる。
「ふふっ。バッカみたい」
彼も、私も。
それでも、満ち溢れてくる幸福感。
校舎を出て思いっきり高度を上げていくと、下には美しく色付いた広葉樹が、絨毯の様に広がっていた。
あの葉が落ちたら、今度はクリスマスの時期がやってくる。
きっとキザなアルシェは、また色々プランを立てるんだろうな……
無意識に、口元が緩んでしまう私。
その頃には、私ももっと優秀な魔女になって、何か美しい魔法を見せてあげられるようになりたい。
ハロウィンに起きた悪夢は、奇跡を呼んで、私に愛をくれた。
きっと私は、一生忘れないだろう。
どうか、いつまでも……
私は冷たく澄んだ空気の中を、スピードを上げて飛んで行った。
fin.
未熟な点も多々あったとは思いますが、最後までお読み下さりありがとうございました!
最後に、オマケで番外編SSがございます。
宜しければお付き合い下さいませ。