アルシェ
「……?!」
一体何が起きたのか全く理解できず、私は完全に混乱状態に陥る。
しかし次の瞬間、一つの事実に気が付いた。
「――同じ盗賊科として、俺の女に手を出すってことは」
真上……すぐ傍で聞こえる、聞き慣れた声。
「宣戦布告ってことか? ザコのくせに」
私は呆気にとられた。
目前に見えたのは、アルシェの顔。
私は彼に抱きかかえられた状態で……先ほど落下したはずの階段の真上、天井付近の張りの上にいたのだ。
「なっ、お前……!」
きょろきょろしていた先ほどの泥棒は、声を追って頭上高くにいる私たちを見つけると、目を見開いた。
「残念だったな。この子もお宝も、俺が頂戴していく」
そう言うと、アルシェは小声で「これで合ってた?」と私の胸辺りを顎で指し示す。
ぱっと見てみれば、首飾りが元通り、私の首に下がっていた。
「そう、これ……」
「良かった」
アルシェはにこりと笑うと、もう一度階下の彼に叫ぶ。
「ついでに彼女の顔に傷を付けた罰として、君のケチな財産も頂いていくよ」
「なん……あれっ?!」
彼が腰の辺りをパンパンと叩き、財布がないと真っ青になると、周りで見ていた生徒たちが一斉に歓声を上げた。
「ヒュー!」
「やるぅ、カッコイイ!」
「あれアルシェ様じゃない?!」
「いいもん見たなー」
アルシェは「酔うから目をつぶって」と私に囁くと、私を抱いたまま再び大ジャンプをしていく。
ほうき以外での空中移動に慣れない私は、恐怖のあまり、思わず固く目をつぶって彼にしがみついた。
しばらくは周りのざわめきと、風を切っていく音が聞こえていたけど、間もなく静寂が訪れる。
「お待たせしました、お姫様」
そっと恐る恐る目を開くと、私たちは人がまばらな中庭のベンチに座っていた。
私はアルシェの手を借りながら彼を降り、ようやく自分の足で地面を踏む。
「顔、これで冷やして」
「これ……どうしたの?」
「ここに来る途中、医務室から持ってきた」
「嘘でしょ……」
私は手渡された冷たいタオルを眺めながら、呆然と彼の顔を眺めた。
朗らかに笑う彼の横に、力なく座り込む。
「……アルシェって、本当に優秀な生徒だったんだね」
今まで、その華やかな容姿以外で、盗賊科らしいところなんて見たことが無かった。
紳士で優しかった普段の姿からは想像もつかなかった、先ほどの挑戦的な顔を思い出す。
「でも、どうしてあそこに?」
「たまたまだよ。フライト・チェイスをしてる生徒がいるって騒いでいるのを聞いて」
アルシェは肩をすくめた。
「最初は稼ぎになるかと思って追い掛けてみたんだけど、まさかレインが絡んでいるとはね」
彼はため息をついて、私を見つめた。
「まったく……無茶するよ。特徴だけ覚えておいてくれれば、次からは俺が取り返してあげるから」
もう追い掛けちゃダメだよ、と囁くアルシェに、私はドキドキしてしまった。
不本意だけど、これでドキドキするなって方が無理だ。
「……ありがとう」
「どういたしまして。レインの為なら、喜んで」
やっとの思いで言えたお礼にも、アルシェはさらりと応えて笑ってくれる。
……わかってる。
いつだって、彼は私に誠実で、優しかった。
「あの、アルシェ……」
「ん? なに?」
「あの……」
「?」
「……ハロウィン、行くよ。魔女は全員参加みたいだし」
どうして、「一緒に行こう」の一言すら素直に言えないんだろう。
自己嫌悪で俯いてしまったけれど、アルシェはそんなのお構い無しに喜んでくれた。
「レインの衣装、すごい楽しみ!」
「普通の着てくし……」
「露出高めだったらどうしよう」
「聞きなさいってば!」
ある意味、ハロウィンパーティーはチャンスかもしれない。
私は意地を張りながらも、笑っているアルシェを、もっと喜ばせてあげたいと思った。
***
「あぁ、どうしよう!」
「それで良いじゃない。めっちゃゴージャスだよ?」
次の休日、私はルナと共に、ハロウィン用のドレスを買いにやってきていた。
二人して狭いフィッティングルームに入り、用意した数着の暗色のドレスを次々に着ていく。
「でも……これはちょっと……」
「いんだよぉ! ハロウィンだもん」
隣でスリットが大きく入ったドレスを試着するルナは、ぽんと私の肩を叩いた。
私たち魔女は、魔法使いと違って影の存在。
普段正装は黒のロングドレスで、素肌を晒すのは良しとされない。
ストイックで、ミステリアス――それが、魔女の位置付けだった。
そんな中で唯一、露出や派手な衣装を許されているのがハロウィン。
もちろん黒や紺やボルドーなど、暗色ベースのものを着用するのがルールではあったけれど。
「……うわっ」
「それいい! すごくいいよ!!」
新たに取り掛かったドレスを着て、私は呻き声をあげる。
背中がたっぷりと開いた、マーメードラインのドレス。
「こんな開いてるとは思わなかった」
「胸開きより、背中開きの方がセクシーだね」
「そうかな?」
「色も合ってるよ、レインにぴったり」
確かに、ダークパープルとさりげないラインストーンが、私の顔立ちには良く合っている。
私は悩んだ末に、これにすることにした。
「レイン、とうとう恋したでしょ!」
「え? なんで?!」
「いつもレインはオシャレだけど……、今回は特別、誰かの為に選んでるってカンジだった」
「……」
鋭い指摘に、思わず言葉に詰まってしまう。
「やっとアルシェに本気になった?」
「……ねぇ、ルナ」
「なぁに?」
「実は、相談したいことがあるの」
私がうつむいて呟くと、ルナは私の悩みの重さを推し量ってくれたようだった。
「移動しよっか? 隣のカフェとかどう?」
「うん、ありがとう」
ドレスを購入した後、私たちはほうきに乗って、屋外のカフェに立ち寄った。
大木の頂上付近の枝をベンチに加工し、テーブルを取り付けた空中カフェ。
私たちは席に着くと、ノンアルコールのカクテルを注文した。
「それで、どうしたの?」
ルナは、真面目な表情で、私に問い掛けてくる。
それもそうだ、私が他人に自分の話をすることなんて、滅多に無いもの。
私は数秒沈黙した後、意を決して口を開いた。
今まで誰にも話していなかった悩み……私がいまだに彼を受け入れられない理由を、話すために。
「アルシェのことなんだけど……実はね……」
木漏れ日がキラキラ光る午後。
大木上のカフェは、同じくらいの年頃の人達で賑わっている。
「うん」
「どうしても……疑っちゃうことがあって」
「疑うって?」
私はそわそわと、テーブルに置いた手を何度も組み直した。
不安を口にするのは怖い。
悪い予想ですら、すべてが真実のように思えてしまうから……
「彼は、盗賊科の中でも、トレジャーハンターのコースを志望してるんだよね」
「そうなんだ。確かに、山賊って顔じゃ無いもんね」
「うん……でも……」
私は、大きく息を吐いた。
「トレジャーハンターって、駆け引きが一番大切だって聞いたことがあって」
「まぁ、そうなるよね? 高値の秘宝とか追い掛けるんでしょ?」
「そう」
「それが、どうしてレインの悩みのタネになるのよ?」
じれったそうにルナが眉をしかめる。
私は自分の考えを、ぽつりぽつりと話し始めた。
「うちの学校って、2年生になってから、実技が始まるじゃない?」
「うん」
「その頃からなの……。アルシェが、私にアピールし始めてきたのは」
「……?」
「恋愛以上に、駆け引きの実践が身につく方法ってある?」
「!」
ルナは驚愕の目で、私を見つめてきた。
「駆け引きの練習で、レインを堕とそうとしてるってこと?!」
「確証は無いけど……。しかもアルシェって、学年トップの優秀な人でしょ。もし実践するなら、一番難易度の高い相手を選ぶはず」
私はストローで、グラスをかき回した。
「もし、一番手強い相手を探していたのなら……」
「間違いなく、魔女科を選ぶわね」
飲み込みの早いルナは、顔をしかめたまま頷いた。
私たち魔女は、在学生の中でも、最も真面目でとっつきにくい女子だとされている。
それは性格云々ではなく、魔女として、すべてを他人に明かしてはならないという風習からくるもの。
「そうでしょ? で、魔女科に狙いを付けたんだとしたら……」
「どうせなら、やっぱり優秀な魔女を選ぶ!」
「優秀かどうかは知らないけど……。成績の上位争いをしてる中で、一番愛想が悪いのは、私だから」
そこで、私たちは見つめ合ったまま、一瞬沈黙した。
「……ヘビーな話ね。待って、もう一つ注文する」
ルナはウェイターを呼んで、今度はパフェを頼んだ。
「ちなみにレインはさ、どう思ってるの? 本当のところは」
「最初は、罠に決まってるって思ってて……」
――でも、断り切れなくて。
「離れなきゃって、わかってた。本気にするだけ、ムダだって」
「うん、うん」
「でも……完璧過ぎて」
「完璧過ぎるって?」
「今までアルシェは、すごく誠実だったんだ……嘘だったとしても」
例えばそれが、アルシェにとって「偽りの愛」だったとしても。
やっぱり大切にされれば嬉しいし、笑い掛けてもらえれば、心は温かくなる。
ルナがよく言ってくれるように、私は顔立ちこそ華やかなものの、性格は若干ネガティブで、人付き合いは得意な方ではなかった。
今までデートに誘ってくれた男の子は数多くいたものの、大抵すぐに見放されてしまう。
素直じゃないし、用心深くて、無愛想。
私を深く知って、女として好きになってくれる人なんて、この世の中にはいるのだろうか……?
そう自信を失くしかけていた私にとって、アルシェが差し伸べてくれた手は、とても輝かしいものに思えたのだ。
「ハロウィンがね、勝負になるんじゃないかと思うの」
先ほど買ったドレスが入った紙袋を指でなぞりながら、私はため息をついた。
「もし、本当にアルシェが嘘をついているのなら……」
考えるだけで、胸が締め付けられてくる。
「彼が望んだように、ドレスアップした私が現れたら……きっとゲームは終わり」
「そんな!」
「その可能性があるってわかっててパーティーで待ち合わせるのは、バカ過ぎると思う?」
私は、ルナを真っ直ぐに見つめた。
彼女は視線を揺らし、俯き、考え込む。
「……ううん。信じるのは尊いことだって、ママがいつも言ってた」
「……」
「てゆーか、そんなことになったら、一族代々黒魔術かけてやんない?!」
ルナの提案に、思わず吹き出す。
少しだけ、心が軽くなった。
「ありがとう、聞いてくれて。私……行ってみる」
「あんまり悲観しちゃダメだよ? そうと決まったわけじゃないんだから」
私は頷きながら、力無く微笑んだ。
失うのが怖くて、今まで一度も本人に確認しなかったこと。
それがきっと、もうすぐ、すべてが明らかになってしまう。