魔女の日常
「レイン」
聞き慣れた甘い声に振り返れば、やっぱり思った通りの姿が目に映る。
「今日も綺麗だね。君に会わないと、一日が始まらない」
そして恒例の、“手をとってキス”。
(だから、盗賊科って嫌なのよ……このプレイボーイ!)
いつだって、私の顔色なんてお構い無しに微笑んでくる、金色の髪をしたナイト気取り男。
私は大きくため息をつき、黒いドレスを翻して背を向けた。
『Halloween★High』
「レイン、いつになったら信頼してくれるの? いつだって俺は、君に夢中なのに……」
昼休み、私は相変わらずツンとしたまま、ピザをつついていた。
同席しているのは、学科違いの同級生、アルシェ。
私たちは、世界に誇るこの名門学校で、世界一の教育を受けていた。
「特別」な人生を歩みたいのなら、誰もが入学を切望する……一度は夢見る場所。
その入学時の倍率は、数百万~数億倍とも言われている。
――理由はカンタン。
子どもの頃に絵本で見たような、夢のような職業に、限りなく近付ける唯一無二の学校だからだ。
「レイン、はい、チップだよ」
「えっ?」
チップという言葉に、思わず反応してしまう私……我ながら品が無い。
「稼げそうなエリアを選んで、実習してきたんだ。あの辺りのモンスターは、物持ちがいいからさ」
そう言ってアルシェが掲げた袋には、ぎっしりと宝石やアンティークの武器が詰め込まれている。
軽く5キロありそうかも……
中には一体何カラットあるのかわからない青い石まであって、換金するのがもったいないくらいだ。
「すごい量! 一日でこんなに集めたの? さすがは盗賊科の成績トップね……」
驚き過ぎて、私はうっかり機嫌が悪いのを忘れてしまっていた。
「レインに褒めて欲しくて、頑張っちゃったよ。見直してくれた?」
調子の良いアルシェの言うことは、今いちどこまでがジョークなのかわからない。
私が「はいはい」と受け流すと、彼は悲しそうにテーブルに肘をつき、ぼやいた。
「盗賊としてのキャリアをいくら積んでも、レインの心は奪えないな……」
……そんな目をしたって、私はそう簡単にはダマされないんだから。
アルシェは、盗賊科所属の生徒。
この学校では、男子に最も人気のある学科で、歴史のある海賊・山賊に始まり、最近ではトレジャーハンターなどにも就職先は分岐する。
財宝収集や敵との戦い方はもちろん、駆け引きの仕方や相手を欺くトリック――知性と身体能力を最大限に必要とするジャンルで、私には到底務まりそうもない。
その点に関してはアルシェを尊敬しているし、すごいなぁとは思っていた。
「レイン、ほうきにオプション付けたいって言ってただろう? これを費用にあてて」
「本当?! いいの……?」
「もちろん。君のために集めてきたんだから」
アルシェは微笑んで、さらりと言う。
「ただ、この状態だと重いから、換金してから渡すね」
彼は、盗賊科の中でも特別優秀な生徒だった。
ピアスの多い左耳、派手な装飾を施したファッション、金色の綺麗な髪、美しい顔立ち。
その姿だけを見れば、他の盗賊科の子たちとそんなに変わらない。
でも、アルシェは私が今まで出逢ってきた誰よりも、賢くて隙の無い人だった。
「ねぇ、レイン。ハロウィン楽しみだね」
にこにこと笑いかけてくるアルシェ。
私がどんなにかわいくない対応をしようと、決してヘコたれないから感心する。
「ハロウィンかぁ……アルシェはもう、半年前くらいにはパートナーが決まってるんでしょ?」
ハロウィンパーティーは、学校の名物イベント。
通常の学校で例えれば、ちょっと遅めの学園祭みたいなものだ。
二人以上のグループで参加することが条件だけれど、ここ数十年の習わしで、男女のペアを作ることが暗黙のルールとなっている。
「冗談だろ? レイン以外と行くわけないじゃないか」
「なに勝手になこと言ってんの……よく言うよ、半年前までチャラチャラしてたくせに」
「本当に、レインに出逢うまでの時間はムダだった」
元々あれだけ天下のプレイボーイだったくせに、「ムダだった」は酷い。
少なからず、本気でアルシェに恋をしていたであろう女子たちが、何だか不憫だ。
……まぁ、私には関係ないけど。
「じゃあね、アルシェ。授業始まるから、先行くよ」
「え? ハロウィンの返事は……」
「そんなすぐには出来ないよ」
言いながら、私は宙からほうきを出現させ、腰掛ける。
ようやく出来るようになった、「跨がる」ではなく、女の子らしく「横向きに座る」スタイル。
「またね」
「……放課後、また会いに行くよ」
曖昧に微笑み返すと、私は飛ぶことに集中した。
食堂の丸いエントランスをくぐり抜け、天井の高い廊下を若干スピードを上げて飛行する。
大広間まで来たら、あとは吹き抜けをガンガン上昇していくだけ。
この階段のない校舎の上層部は、私の所属する魔女科の生徒だけが行き交うエリアだ。
ミーハーな魔法使い科の子たちですら、滅多に侵入はしてこられない。
地上100メートルを過ぎると、絨毯に乗ったランプ使いの姿も消え、見渡す限り黒ドレス姿の女子ばかりになった。
「レイン、おっはよー!」
真横から、友達のルナがひょっこり顔を出す。
彼女は器用にほうきの高さを私に合わせると、同じ速度で飛行した。
「さっき見てたよー。相変わらず、お似合いなカレだね!」
「えぇ……」
「えぇ、じゃないし! このゼイタク者! ……でもさすがだなぁ、私だったら緊張しちゃう」
「しないって。そういう奴じゃないもん」
「それはぁ、レインも美人で頭が良いからだよぉ。性格が悪かったら、イジメてやったのに!」
そう言って笑うルナだって、ふわふわのダークブラウンの髪がキュートな魔女だ。
それに比べて、私は何となく陰気臭いし、愛想も良くない。
それでも何故か仲良しの私たちは、地上250メートル地点まで到達すると、揃って校舎の方へ飛んで行った。
「そのドレス新しい? フリルが可愛いね」
席に着いてからルナに話しかけると、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
「レインの、そのラインストーンの入ってるドレスに触発されちゃって。フンパツしちゃったんだ」
「似合ってるよ」
「ありがとう!」
……こんな風に、私も「ありがとう!」なんて屈託のない笑顔で応えることが出来たら。
アルシェは、どんな顔をしてくれるんだろう……
(って、何で私がアルシェのことを!)
私は顔をしかめて、重たく古びた参考書を、デスクの上に開いた。
「先生、ハロウィンって課題あるんですか?」
授業も終盤の頃、後部座席の方に座っていた魔女の一人が手を挙げた。
イベント時っていうのは、大抵の先生が課題を出したがる。
私たちはみんなして、先生の顔を見つめた。
「ご心配は御無用。我が校のハロウィンは、昔からヴァンパイア科と魔女科の生徒が主役と決まっているのですよ」
齢40程に見える(実際はわからない)先生は、真っ赤な口紅を塗った唇を緩ませ、生徒たちを見渡しながら言う。
「主役は、その場を盛り上げる事が務め。ですから、課題は『全員がパーティーに参加する』……といったところかしら?」
それを聞いた途端、大講義室は歓声に包まれた。
湧き上がる周囲の中、一人気分が沈む私。
特別な課題が無いのは嬉しいけれど……参加が義務なら、欠席するわけにはいかない。
そして、参加するなら……アルシェにペアをお願いすることになる。
他に、頼める人なんていないもの。
帰り道、地上でルナと別れた私は、ふわふわと頼りなく飛行した後、地面に足を着いて歩き始めた。
私はアルシェを、嫌いな訳じゃない。でも……
とぼとぼと歩いていると、不意に後ろから、誰かに激しく衝突された。
「いったぁ……!」
その場にうつ伏せに倒れた私は、顔をしかめて体を起こす。
一体誰がと顔を上げれば、面識のない……でも、100パーセント盗賊科であろう容姿の男の子が、ニヤリと笑って立っていた。
「どんくせぇ魔女! お前にコレはもったいねーから、俺が頂いていく」
そう言って彼が掲げた手には、さっきまで私が身に付けていた首飾りが光っていた。
あれは、この学校に入学して間もなく亡くなった、私のおばあちゃんの形見。
代々クリエイター家系だった私の一族の中で、唯一魔女だったおばあちゃん……彼女は私が魔女になることを知ったとき、誰よりも喜んでくれたものだった。
そして、大切にしていた魔女の称号――今となってはアンティークだけれど、それを私へと遺してくれたのだ。
あれだけは、誰にも譲ることは出来ない。
「お願い、返して! 大切なものなの!」
「わかってるさ、だから盗ったんだ」
我が校において、盗賊科に物を奪われるのは日常茶飯事だった。
人を殺めたり、不必要に傷付けることは禁止されているものの、それぞれの実践の練習をすることは規制されていない。
……つまり、ここで取り返さなきゃ、二度と返ってこないということだ。
しかも悪いことに、彼とは全く面識がない。
一度見失ったら、この膨大な生徒数の中で、逃げ回る盗賊科の男を捕まえることなんて絶対に出来ないだろう。
「お願い、形見なの!」
「アンティークか……高く売れそうだ」
首飾りを手の上で眺める彼は、ニヤリと笑うと踵を返した。
「待って! だめ!!」
私はほうきを出現させ、慌てて跨る。
ほうきですぐ後を追い掛けたけど、さすがは盗賊科。
上手く狭い道や段差のある場所を猛スピードで走り進んで行き、なかなか追いつくことが出来ない。
「止まってよ!」
私もかなりのスピードで廊下を突っ切り、角を曲がっていった。
「見て! 魔女が泥棒猫を追いかけてる!」
「速っ、捕まえろー!」
「いや、あの魔女下級生だろ? 難しそうだな」
周りにいた生徒たちが、ざわざわと私たちを好奇心の目で見ている。
普段注目されることが大嫌いな私も、この時ばかりは構わず彼を追いかけた。
「しつこい魔女だな!」
「しつこいわよ! 返すまで絶対追いかけてやるから!」
でも正直、スピードを出し過ぎてかなりバテてきている。
段々と飛行する高さも下がってきていて、他人にぶつかりそうになり、冷や汗が吹き出てきた。
階段に差し掛かると、彼は手すりに飛び乗り、映画のスタントみたく一気に滑り降りていく。
(やばい、逃げられる……!)
私は後先考えずに、ほうきで階段の下へ急降下すると、ぱっと彼の上に舞い降り……ううん、舞い落ちた。
「うぉっ!」
私に乗っかられた彼はバランスを崩し、二人してお団子のように地面に倒れ込む。
魔力はもう限界で、飛べない。
私は振り切られまいと、必死に彼に掴みかかった。
「クソッ! 放せ!!」
振り上げた彼の肘が頬に思い切り当たり、あまりの痛みに思わず手を離してしまう。
「だめ……!」
横目に、彼が立ち上がるのが見えたと思った瞬間、私はまた衝撃に襲われた。
全身が、激しく下から突かれるような感覚。
突然、周囲の景色が目にも止まらない速さでスライドし、私の長い髪がゆっくりと舞い上がった。