第1章―8
中国国民党政府による北伐が成功裏に終わったことは、張学良のいわゆる「易幟」をもたらし、中国本土どころか、満蒙においても排日運動が活発化する原因となった。
こうしたことが、日本の関東軍の暴走を引き起こし、1931年の満州事変勃発から、日本の国際連盟脱退、満州国成立と言う事態を招くのだが。
皮肉にも、この時期の中国国民党政府とドイツのつながりは、一時的に弱まることになった。
その原因だが、1929年の世界大恐慌の発生である。
又、この当時、蒋介石の軍事顧問を務めていたクリーベル中佐が、蒋介石と不仲になった末に、1930年に顧問を解任されたという事情もあった。
そして、これまでにドイツ国内の様々な勢力、軍や財界等が、思い思いに中国国民党と手を組もうとしてきていたことが災いして、一時的に近いが、船頭多くして船山に上る状態に陥ってしまったのだ。
だが、1933年のナチス政権誕生は、そういった状況を改善させた。
ヒトラー総統の部下達を競い合わせる方針から、完全にドイツ政府の対中政策が一本化されたとは言い難かったが、少なくとも挙国一致による戦争経済推進を政策として掲げており、その一点では協調して対中政策が遂行されることになった。
更にドイツ陸軍の大物といえるゼークト将軍やファルケンハウゼン将軍が、蒋介石の軍事顧問として招かれる事態が起きた。
こうしたことから、1934年にハプロという会社が、ドイツにて設立された。
これはドイツ政府のダミー会社といって良く、中国国内にてドイツ企業間の利害調整を行い、中国の国防産業振興、要するに兵器を中国国内で自給できるようにすることを促進するために設立されたのだ。
そして、表面上はハプロと中国国民党政府間の契約、実際にはドイツ政府と中国国民党政府間の対等条約を締結すると言う形で、1934年以降はドイツ製品と中国で産出する軍需資源(タングステンやアンチモン等)を物々交換すること等が行われるようになった。
これはドイツ政府、中国国民党政府双方にとって旨味がある話だった。
まず、ドイツ政府にしてみれば、外貨不足から外国との交易決済(具体的には、主に軍需資源の輸入)に支障が出つつあり、再軍備等を推進するのが徐々に困難になりかねなかったのを、中国との物々交換で補うことが出来るようになったのだ。
中国国民党政府にとっても、旨味がある話だった。
この当時の中国国民党政府にとって、最大の敵は中国共産党で、内戦状態に陥っていた。
その為に中国国民党政府の財政は、火の車状態になっていたのだ。
それで、資金不足で兵器輸入が困難だったのが、物々交換と言う形で兵器が輸入でき、又、積極的なドイツ政府の協力も得られるようになったからだ。
更に、このドイツ政府と中国国民党政府の協力は、他の面でも波及効果を引き起こした。
1934年当時、中国国内の鉄道整備は進むどころか、停滞状態にあった。
1920年に英仏米日各国政府は協定を締結し、中国国内で鉄道を敷設する際には、協定に参加した全ての国の同意を得た上で行うことにしていたのだ。
そして、中国本土の内戦や世界大恐慌の影響もあって、英仏米日は中国国内での鉄道敷設に及び腰になっている現実があった。
だが、中国国内の近代化を進め、軍備強化を行うとなると、その下準備として、中国国内の鉄道整備は必要不可欠と言っても過言では無いことである。
中国国民党政府は中国国内の鉄道整備を進めようとして、それをドイツ政府は借款等で支援するという事態が引き起こされ、中国国内の鉄道整備が急速に進むことになった。
こうした状況に鑑み、ドイツ政府と中国国民党政府は更なる協力を進めている。
この辺りは、私なりに調べた史実に基づいて描いており、架空ではありません。
ですが、1935年初頭以降はカナリス提督の暗躍により、史実とは異なる事態が起きます。
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