第1章―5
「外国勤務は初めてのせいか、本当に色々と上海市街に出ると、外国に来たという想いがしてならないな」
「大尉もそうでありますか。私も初めて上海市街を巡察したときは同じ思いがしました」
「君もそうだったのか」
陸戦隊での初めての勤務ということもあり、事実上の私への指導、お目付役として付けられている部下の佐藤一等兵曹と、1935年2月末に上海に赴任してから、初めての1日休暇を取った日、三月上旬の日の夕べに私は語り合っていた。
下士官というのは本当に情報通だ、優秀な部下の下士官とは胸襟を開いた関係に必ずなっておけ、そうすれば、色々な情報が手に入り、必ず勤務の上で役に立つ、そう海軍兵学校の生徒だった頃に、ある教官から私は指導された。
それに今回は、陸戦教程を受講したことがあるとはいえ、初めての陸戦隊での勤務でもあり、それなり以上に緊張感がみなぎる上海での勤務だ。
様々な意味で後ろから弾が飛んでこないように、色々と情報を集めておくにしくはない。
そう上海への赴任前から私は考えていたところ、佐藤一等兵曹という私にとっては、極めて得難い下士官が部下に居たのだ。
佐藤一等兵曹は上海特別陸戦隊に赴任して2年余りが経ち、そろそろ転勤が迫っている身だった。
逆にそうしたことから、上海特別陸戦隊の内外の様々な情報について、忌憚のないことを自分に教えてくれている。
今日、私は敢えて私服に着替えて、上海の街中を佐藤一等兵曹、及び兵2人と共に散策した。
一応は安全とされる界隈のみを、私は歩いたつもりだが、佐藤一等兵曹は上海の街中を初めて歩くのに、自分だけでは不安があるとして、兵2人と共に同行したのだ。
実際、帰営した際、佐藤一等兵曹の判断に感謝したい想いが自分はしていた。
本当に上海市民、中国国民の反日の想いは、それなり以上に強いようで、私がそれなりに上海に長く住んでいたのなら、何となく肌で危険を察して避けられるだろうが、現時点では知らずに私が虎の尾を踏む可能性は、否定できないどころか高く感じる。
散策中、私服を着ていたこともあって、警邏中の中国人警官は無遠慮に私達を睨んでいた。
外見で中国人か、日本人か、そうすぐに分かる筈が無い、と私は高を括っていたが、帰営した後で、佐藤一等兵曹が小声で言ったところを信じれば、私以外の3人は、それなりに民間人の装いに成功していたが、私は見るからに軍人、それも日本海軍士官のような態度で歩いていたとのことだった。
私としては、そんなつもりはないのだが、見る人が見れば、一目瞭然らしい。
更に中国人警官が、そのような態度を執っていれば、周囲の中国人も私達に似たような態度を、自然と執るようになる。
中国人からの私達への仇を見るような態度を見せつけられては、これは警戒が必要だ、と私は考えざるを得ない。
更に言えば、私が見た範囲だが、日本人商人がやっている商店の多くが、賑わいが無くなっており、更に商品が山積みになっているようだ。
「日貨排斥(日本製商品を買うなという)運動は未だに盛んなのか」
私としては、さり気なく佐藤一等兵曹に訊ねかけた。
佐藤一等兵曹は肯いた後で、自分の認識を話しだした。
満州事変から日本の国際連盟脱退に因って、中国人の間では反日の動きが高まっていること、その象徴として、日貨排斥運動が盛んになっており、又聞きだが、中国の学校教育の現場でも、日貨排斥教育が児童生徒に対して行われているらしいこと。
その為に、日本人商人がやっている商店の多くで閑古鳥が鳴く状況に陥っており、閉店に追い込まれる日本人商人が、稀では無いこと。
私は佐藤一等兵曹の話を聞いて、頭を抱え込む思いがしてならなかった。
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