第1章―4
勿論、片や小学6年生の男子、片や小学校入学前の女子である以上、おままごとにも程がある話なのだが、そういったことから、私からすれば、妻の久子が娘の藤子をイジメる事態が避けられる事態が起きているのは、極めて有難いことだった。
私が陸戦隊、具体的には上海特別陸戦隊に単身赴任した場合、娘の藤子を間近に見守ることは出来ず、どうしても妻の久子に因るイジメを懸念せざるを得ないが。
養子の仁は、きっと娘の藤子を護ってくれるだろう。
そんな他所事までが、私の脳内で過ぎったが。
そんな想い、考えを妻に明かせる訳が無い。
私は、それなりに誤魔化すようなことを言って、妻との会話を打ち切った。
そして、そんな会話を交わしたためだろうか。
その夜に妻は私との交わりを求め、私はそれに応えることになった。
妻にしてみれば、私が上海特別陸戦隊の一員として赴くことになっては。
想わぬこと、要するに私が戦死する事態が起きるのでは、という懸念を覚えてならないのだろう。
実際に妻の懸念を、私は考え過ぎにも程がある、と笑い飛ばすこと等は出来なかった。
私自身も心配しすぎかもしれないが、その危険を覚えてならなかったからだ。
さて、一応は小康状態にあると言えるのだが、日本と中国(国民党)政府の関係は、現在、極めてよろしくないとしか言いようが無い。
その原因だが、何処までさかのぼるかに因っても変わってくる話ではあるが、私としては1931年に起きた満州事変が、直近の原因としては極めて大きい気がしてならない。
それ以前から、日本と中国政府というか、日本と中国国民党の関係は宜しくはなかった。
そもそも論をすればだが、中国国民党は、孫文が中核になって作られた政党、政治団体だ。
そして、孫文は大中華主義を唱える、漢民族至上主義者でもあった。
だから、表向きは日本人と孫文は、反欧米主義という一点では共闘できたが。
孫文にしてみれば、日本が中国国内に持つ、いわゆる満蒙特殊利権を筆頭とする様々な利権について、無償で放棄するのが当然だ、という考えを持っていた。
何しろ、日本は東夷の国なのだ。
そんな日本が欧米の一員の如くに振舞って、中国国内に利権を持つ等は断じて許されないことだ、というのが孫文の本音で、更に孫文の思想を受け継いだ中国国民党の本音でもあった。
その一方で、第一次世界大戦の結果として、日本は独が持っていた山東半島を中心とする中国の利権を譲り受けることになった。
更に欧米諸国が第一次世界大戦の結果として内向きになる一方で、日本が第一次世界大戦後に起きた様々な出来事から、国内の損失を中国に侵出することで補おうと行動したことが、更なる問題を日中間に引き起こすことになった。
とはいえ、1920年代末までは、日本は中国国民党を中心とする中国国民の反発について、高を括る事態が続いていた。
それこそアヘン戦争以来、中国国内で排外主義は連綿と続いてきたが、清帝国が崩壊した後、軍閥間の抗争が絶えない状況に中国はあったからだ。
だが、中国国民党が徐々に力を付けることになり、いわゆる北伐によって中国本土を統一する勢いを示しだしたことが、日中間の紛争の種になった。
このまま進めば、中国国民党を中心とする中国政府に因って、日本は満蒙からも追い出されるという懸念が、日本国内の一部では抱かれるようになった。
その結果が満州事変であり、満州国の成立、日本の国際連盟脱退と言う事態だった。
そして、小康状態にあるとはいえど、日中間では様々な事件が絶えなくなっている。
そうしたことからすれば、妻の久子が何か起きるやも、と私の上海への赴任を懸念するのは当然で、私も不安を覚えざるを得なかった。
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