第21章–1 1941年春のそれぞれの想い
事実上の第3部の始まりで、1941年4月頃が舞台になります。
「米内藤子と小林アンナ」の外伝について、話中では描かれなかった事情等が、この章では描かれます。
又、カナリス提督のこの頃の考えも、この章の末尾で描かれる予定で、全5話の予定です。
「撮りますよ。笑顔でお願いします」
米内藤子の眼前で、写真館の主は声を挙げていて、藤子の異母弟の米内正は懸命に笑顔になって。
最終的にだが、正は何とか小学校の入学記念写真を撮影できた。
「お疲れ様です。それでは、4枚を作りますね」
「有難うございます。ところで、記念写真代が3枚のようですが」
「この程度はサービスですよ。ご両親が揃って、欧州に赴かれていて、(異父)兄が海軍兵学校生で。更に入学式が観られない両親や(異父)兄に記念写真を送る、と言われては。色々と自分は考えざるを得ないのですよ。1枚は自分の志としてサービスさせて下さいよ」
米内藤子の眼前で、藤子の母方祖母の小林はるは、更に写真館の主とやり取りをしていた。
「この写真館は、それこそ明治維新頃に、亡くなった自分の親父が、若かりし頃に一念発起して始めた、横須賀屈指の古い写真館ですよ。そして、親父に言わせれば、鳥羽・伏見の戦いの余波から生じた戊辰戦争、西南戦争を頂点とする士族の反乱鎮圧、日清日露戦争等の歴史を、結果的に写してきた写真館だ。息子のお前も、歴史を写していくのだ、と自分の親父に散々に言われて、結果的に後を継ぎましたがね」
写真館の主は、小林はると更なる会話を交わした。
「ここ横須賀は、それこそ小栗上野介殿の御言葉あって幕末に製鉄所が造られて、更には造船所が造られた末に、鎮守府が置かれた土地です。
東郷平八郎元帥が日本海海戦後に、
『この横須賀造船所無くして、日本海海戦の勝利は無かった。小栗上野介殿の先見の明には、この東郷は心から感謝せざるを得ない』
と述懐されたと言われますが。
本当に先を読むというか、見据えるのは難しいですね。
まさか、(第二次)世界大戦とは言え、御両親が欧州に赴かれる子どもがいて、更にその記念写真を自分が撮る事態が起きるとは。
自分が子どもの頃には、全く思いも寄らない事態ですよ」
完全にごま塩頭というよりも、白髪頭に成っている写真館の主は、話す内に色々と想いがあふれ出さざるを得なかったのか、涙を零しながら、言っていた。
更に言えば、その言葉を聞いて、小林はるも涙を零し出した。
それを傍で聞いている米内藤子も、考えざるを得なかった。
明日、私も高等女学校に入学し、この写真館で記念写真を撮ることにもなっている。
更には、両親と義兄では無かった許嫁に送り、手元にも残す為に、4枚の記念写真を撮るのだが。
近所にも両親が出征した家があり、私達と似たことをしたと聞いている。
こんなことになると、それこそ数年前でさえ、どれだけの人が考えていただろうか。
日本が大戦争になった場合、女性までもが出征する等、誰も考えていなかった気が私はしてならない。
だが、今や既婚女性が出征するのが、表面上はおかしくない、という事態になっているのだ。
(勿論、少し裏に回れば、既婚女性は家庭を護るべきだ、という声が、日本国民の間で、それなりにあるどころか、極めて高いのが現実なのだが。
「御国の為に、既婚女性と言えど、積極的に志願して出征すべき」
と日本政府が吹聴しては。
表立って、既婚女性は家庭を護るべきだ、とは口に出せず。
「政府が言う通りだ。御国の為に、既婚女性と言えども積極的に出征すべきだ」
と日本国民の殆どが声を挙げるのが、何とも言えない現実だった)
藤子は、(異母)弟の正が、写真が現像等されるのを待つのに疲れるというより飽きて、
「早く家に帰ろう、お姉ちゃん」
というのを宥めながら、つらつらと考えざるを得なかった。
本当に正の母親の久子は、何時になったら、子どもらの下に還ってくるのだろう。
今年中に還ってきて欲しいが、色々と耳を澄ませる限りは難しそうだ。
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