閑話 1936年末のカナリス提督の想い
閑話で、カナリス提督視点の話になります。
カナリス提督は、色々と現状について考えざるを得なかった。
内々から手を回し煽ったのもあるが、ここまでの事態になるとは完全に想定外だった。
だが、今更、引き返せない状況にあると受け止めざるを得ない。
自分としては、中国国民党政府に加担して、日本政府とドイツ政府の連携、具体的には防共協定締結から日独伊三国軍事同盟への流れを阻止し更には中国国民党政府を媒介として、ドイツ政府と米ソ両国政府との連携を図ろう、と考えていたのだが。
微妙に描いていた思惑とは食い違う事態が起きつつある。
中国国民党政府に寄り添う態度をドイツ政府が執ったことから、中国国民党政府内では、自分から言わせれば過激派の主張である、
「台湾、琉球(沖縄)、朝鮮は中国固有の領土だ。日本は即刻、中国に無償返還して然るべきだ」
という過激すぎる主張が異様な程に高まりつつある。
更にドイツ政府、軍から中国国民党政府支援の為に派遣された面々までが、それに感化されたことから、その影響を受けたドイツ政府、軍内でも、
「中国国民党過激派の主張は正しい」
という声が高まってしまった。
自分としては、日中の対立を煽ること、中国国民党政府にある程度の肩入れをすることまでは考えていたが、此処までの事態が起きるとは完全に想定外だった。
その結果として、英仏米等の政府上層部では、中国国民党政府(の過激派)の声は余りではないか、それこそ、このまま放置していては、自分達の権益がある上海や香港等への本格的な軍事攻撃を、中国国民党政府は行うのではないか、と懸念する声が、まだ内々といって良いレベルだが広まりつつあるらしい。
そして、中国国民党政府が、そこまでのことをやるならば、まだ(相対的だが)理性的行動を執る日本政府に加担した方がマシではないか、という声が、英仏米等の政府上層部内では起きつつあるとか。
確かに、そう言った声が挙がってもおかしくない状況だ、と自分も考えざるを得ないが。
今更、中国国民党政府との連携に、自分が反対するようなことはできない。
何しろ、中国国民党政府が、実際に上海や香港に攻撃を掛けている訳では無いのだ。
あくまでも懸念される状況なのに、中国国民党政府との連携に積極的だった自分が、中国国民党政府との連携反対に転じてしまっては、周囲からの信用を失うことになるだろう。
コレは当面は静観するしかないだろうな。
そう考える一方、中国国民党政府支援に赴いたドイツ軍幹部の面々について、カナリス提督は深い満足を覚えざるを得なかった。
(転生に気付いた)自分が、陸軍内部の有力者と親交を深めてきた甲斐があって、ゼークト将軍等と肝胆相照らす仲になった結果として、優秀な軍人を中国へ派遣することが出来た。
その結果、ルントシュテット将軍を現場の総司令官として、更にグデーリアン将軍をドイツ軍事顧問団の協力に因って編制される、中国国民党政府軍初の装甲師団長にすることができている、といっても過言ではない状況にある。
更に言えば、西安事件の結果として、T-26戦車やBT-5戦車、BA-6装甲車を、この装甲師団は装備することが出来た。
この装甲師団ならば、それこそ日本の2個師団とも互角以上に戦えるだろう。
更に言えば、指揮官が指揮官なのだ。
史実のノルマンディー上陸作戦時に、ルントシュテット将軍が夢見た上陸部隊を撃滅する作戦を、この部隊ならば遂行することも可能なのではないか。
そこまでカナリス提督は考えていたが、来年、更にもう一手を打つことを決めた。
ドイツの機密が漏れるのを防ぎ、日本に打撃を与える名案と、この時のカナリス提督は考えていたのだが、想わぬ誤算が引き起こされることになる。
次話から第3章となり、日中戦争が本格化する前段階、1937年7月末時点の話になります。
そして、史実通りに近衛文麿内閣が日本では成立しており、そういったことが後々で影響を及ぼすことになります。
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