第19章―4
そんな裏事情が、欧州にいる日本海兵隊の面々の間では、ささやかれる事態が引きこされたが。
日本陸軍とて、それなり以上の配慮をせざるを得なかった。
何しろ、日本陸軍の援けを得て編制、拡大された日本海兵隊が、英仏の師団より明らかに弱兵揃いという評判が、欧米諸国の国民の間で流れるようなことになっては、国辱モノである。
更に言えば、そのような評判が流布するようになっては、ソ連政府が日本軍は弱体極まりない存在であると判断して、ソ連軍が満州に雪崩れ込む事態が、現実に起きかねない。
そうしたことからすれば、日本陸軍としても、日本海兵隊の為にそれなりの協力を惜しまない事態が引き起こされることになった。
(更に言えば、日本陸軍上層部としては、表立って言い難かったが、欧州戦線でそれなり以上に、日本海兵隊が血を流せば、それだけ奮闘したとして、様々な兵器等のレンドリースが米国政府から日本軍に提供されるだろう、更には英仏等の欧州諸国も、そうすべきだ、と米国政府に対して、働き掛けてくれるだろう、という考えがあったのだ)
そうしたことから、日本陸軍は、それなり以上の将官を始めとする士官や下士官を大量に派遣して、日本海兵隊の強化を図ってくれることになった。
(最も、この辺りは現場レベルでは、様々に揉める事態が起きてもいた。
陸軍の徴兵担当者にしてみれば、欧州戦線への派兵の為に、海兵隊、要は海軍に優秀な人材、徴兵された面々を取られるのは、事情が分かるからこそ、却って腹立たしいことに他ならなかったのだ。
だから、現場では、それなりどころではなく揉めた末に、海兵隊は兵を確保することになった)
更に言えば、これ以前から、戦車部隊の指揮官がいなかったといえる海兵隊支援の為に、池田末男少佐が海兵隊の戦車部隊の指揮を派遣されて執る等、全く陸軍から海兵隊に士官等の派遣を行なっていなかった訳ではない。
だが、これ以降は完全に陸軍から海兵隊に有用な人材が派遣されるのが稀どころか、当たり前になったと言われても過言では無くなり、実際に海兵隊4個師団の内3個師団の師団長が、陸軍出身者で占められる事態が引き起こされることになるのだ。
例えば、第2海兵師団長は、桜井省三少将が務めることになった。
又、第3海兵師団長は、根本博少将が、第4海兵師団長は、栗林忠道少将が務めることになった。
実際に後知恵が混じるが、日本陸軍としても、それなり以上に優秀な将官を、欧州に派遣して、日本陸海軍の精華を示そうとしたのは、こういった将官を派遣したことからして、間違いないと言える。
だが、ここまでの配慮(?)をされると、日本海軍側も、それなり以上の人材を、海兵隊の欧州派遣軍司令官として派遣せざるを得なくなるのが当然だった。
そういったことから、欧州に派遣されることになったのが。
「私は陸のことは、サッパリ分かりませんが」
「そうは言っても、君は元を糺せば米沢藩士の子だろう。つまり、戦国時代に数々の栄光に輝く上杉謙信公の家臣の末裔ではないか。更に言えば、米沢海軍と言う言葉があるように、米沢藩は尚武の気風を明治維新後も保ち、山下源太郎大将を始めとする名提督を輩出している。そうしたことからすれば、妥当な人事と考えるが」
南雲忠一中将と、堀悌吉海相はやり取りをすることになった。
南雲中将はひねくれた考えをせざるを得なかった。
今や海軍は条約派の天下なのだ。
艦隊派で名を馳せた自分を、欧州に追いやることで、艦隊派の凋落を海軍内外に更に知らせる気だ。
だが、自分に断る権限は無い。
「分かりました。陸のことは分かりませんが、欧州に自分は赴きます」
南雲中将は、そう言わざるを得なかった。
この辺り、完全な門外漢の筈なのに、第一航空艦隊司令長官に南雲忠一提督が任命された、という史実が背景にあったりします。
(そして、史実ではそれなり以上の戦果を南雲提督は挙げています)
後、陸軍から派遣された師団長が豪華過ぎ、と言われそうですが、この辺りは陸軍の配慮があったということで緩く見て下さい。
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