第18章―5
ともかく、そういった背景から、日本陸軍としては、万が一の日ソ開戦の暁には、航空優勢を確保し、ソ連陸軍に対して、空からの痛打を与えることで、ソ連軍の満蒙への侵攻作戦を阻もうと考えていた。
更に、その為に好適な軍用機の開発、選定を図る事態にもなっていた。
さて、1940年10月当時、日本陸軍航空隊で、その任務に充てられる予定だったのは、99式襲撃機だったが、それこそ戦車の進化が急激に進む中、対戦車攻撃に使えるのか、陸軍航空関係者内では批判が高まりつつあった。
何しろ、99式襲撃機に搭載されていたのは、7.7ミリ機関銃3丁(翼内前方2丁、旋回後方1丁)に過ぎず、後は50キロ爆弾4発といったところであり、緩降下爆撃を行なうことで、敵戦車の破壊等を行なうことになっていたが、実際にそう上手く行くのか、と疑問を呈されていたのが現実だった。
そうしたことから、99式双発軽爆撃機(から二式複座戦闘機「屠龍」)が、次の候補として挙がることになっていたが、それこそ第二次世界大戦勃発により、機甲部隊(装甲部隊、戦車部隊)の猛威が改めて世界で印象付けられ、又、銃火力としては、99式襲撃機とほぼ同じだったこともあって、99式双発軽爆撃機では対処できないのではないか、という声が、日本陸軍内部で挙がる事態が起きていたのだ。
(尚、99式双発爆撃機の爆弾搭載量に関しては、双発ということもあって、最大400キロ(後期型では500キロに改善された)というところで、それなりではあったが。
そうは言っても、海軍の99式艦上爆撃機が、単発で250キロの爆弾搭載量を誇っては。
更に97式艦上攻撃機に至っては、単発で800キロの爆弾搭載量を誇っていては。
爆弾搭載量が不足している、更に銃火力も低い、という陸軍内部の批判をかわし切れなかったのだ。
ちなみに、こういった背景があることから、二式複座戦闘機「屠龍」は、(この世界では)双発軽爆撃機としても使用可能なように開発されたこともあって、最大500キロの爆弾を搭載して、日本独自で開発した37ミリ機関砲、ホ203を機首部に搭載した型式が最大生産量を誇る事態が起きた。
更に余談をすれば、「屠龍」に搭載された37ミリ機関砲は、P-39に搭載されたM-4、37ミリ機関砲と同じモノという説が、同口径であることから、後世に広まったが。
実際には誤りであった、と更に訂正される事態が起きることになった)
さて、そういった事情が回り回った末に、日本陸軍が目を付けたのが、当時、米国陸軍が開発していたP-39戦闘機だった。
モーターカノンによって37ミリ機関砲を搭載したP-39戦闘機は、地上攻撃、戦車攻撃にも使えるのではないか、という視点から、日本陸軍に注目される事態が起きたのだ。
更に言えば、単発単座戦闘機でもある。
それこそ敵制空権下であっても、P-39戦闘機ならば、地上攻撃等がそれなりに強行できるのは、とも日本陸軍から考えられたのだ。
とはいえ、日本海軍がB-18を買わされた経緯から言っても、実はそれなりにP-39戦闘機を良いように米陸軍が偽装している可能性を、日本陸軍は否定できなかった。
そんなことが考えられた末に、ブレスト(近郊)で実際に飛行訓練や模擬戦闘を行った上で、P-39戦闘機の導入を、日本陸軍は図ろうとする事態が起きたのだ。
更に最新の欧州での空中戦の戦訓を、この際に学ぼうと言う話まで、日本陸軍内では出る事態が起きた。
そんなこんなの話が積み上がった末に、英空軍も日本陸軍のこういった動きに積極的に協力することになり、具体的にはユダヤ人部隊が様々な協力を、現場で行うことになったのだ。
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