第17章―6
こういった事情が絡み合った末に、1940年8月に入ってから、この世界のバトルオブブリテン、英本土に対する航空撃滅戦を、ドイツ空軍は展開することになった。
とはいえ、史実以上に苦戦を強いられる事態が生じるのは、これまでに描いてきた事情から、ほぼ必然としか言いようが無かったのだ。
メタい話をせざるを得ないが、史実と異なり、フランスやベネルクス三国の軍人が抗戦を続けており、更に言えば、その国の軍人、特に空軍の操縦士等は、米国等から提供された戦闘機等に搭乗して、ドイツ空軍の空襲に積極的に立ち向かう事態が起きているのだ。
そして、空中で戦うのに必要不可欠な戦闘機等についても、米国等から積極的に(この世界では)提供されている現実があり、
「戦闘機よりも操縦士の確保が、遥かに大変だ」
と(陰ではあったが)英空軍等の内部で言われる現実があっては。
ドイツ空軍が、英本土に対する航空撃滅戦に苦戦を強いられる事態になるのは当然としか、どうにも言いようが無かったのだ。
とはいえ、ドイツ空軍にしても、この当時の空軍としては、質的には世界で最高峰を争う存在なのは間違いない、と言う評価を後世で多くの研究者から受けるのも当然な程の計画を立案し、断行してはいた。
だから、ドイツ空軍による英本土に対する航空撃滅戦について、ドイツ空軍が敗北したのは、文字通りに運が悪かっただけだ、と強弁する者が21世紀になっても、それなりにいる事態が起きたのだ。
さて、ドイツ空軍が、英本土に対する航空撃滅戦で、基本的に執った作戦をこの際に述べるならば。
ある意味では、真っ当極まりない代物だった。
まずは、英本土、特に英仏海峡沿岸に面した英国の電探基地を潰し、それによって、英本土に展開している英空軍等の航空隊の目を潰す事態を引き起こす。
続けて、英本土、特に南部の英空軍等が展開している航空基地に対して反復空襲を行うことで、航空基地の様々な能力(航空基地を使用不能にしたり、そこに展開している航空機を撃滅したりする)を奪い、それによって、英本土に対する航空撃滅戦を成功裏に終わらせようと、ドイツ空軍は考えていた。
だが、問題はそれに使用されるドイツ軍の戦力が、相対的なことだが、英仏日等の連合国軍に対して乏しいことだった。
幾ら戦術的に正しい方策でも、戦力差があっては、その差を覆すのが極めて困難になるのは、当然のこととしか言いようが無い事態が生じるのは当然のことだった。
更に既述だが、この当時のドイツ空軍の主力単座戦闘機であるBf109について、航続距離(時間)が絶対的に不足しているという現実があった。
それこそ、口の悪いドイツ空軍の操縦士に言わせれば、
「ドーバー海峡を渡った直後でも、すぐに5分も全力空戦したら、速やかにフランスの基地に帰る必要がある、ロンドン空襲とか、絶対に不可能な片道飛行だ。何でこんなに航続距離(時間)が無いのか」
と嘆かせるのが、この当時のBf109の現実だったのだ。
何故にそうなったのか、というと。
それこそノルマンディー、ブルターニュ半島橋頭堡からの送り狼を、ドイツ空軍の戦闘機乗りは、(史実と異なり)常に警戒する必要があったからだ。
それこそ英本土で空襲を行なえば、フランスの基地に帰還しようとする軍用機を、ノルマンディー、ブルターニュ半島橋頭堡からの軍用機が攻撃してくる事態が多発したのだ。
その際の危険を考えれば、ドイツ空軍の戦闘機乗りは、燃料に余裕がある状況下で、英本土から帰還せざるを得ない。
だが、こうしたことは、ドイツ空軍の爆撃機乗りにしてみれば、どうにも納得できない事態なのも当然のことで、苦戦が引き起こされたのだ。
後で描きますが、この世界のドイツ空軍はカナリス提督の示唆もアリ、落下式増槽をBf109に装備していますが、実はこれはこれで問題を引き起こすことになります。
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