第17章―5
そういった背景はあったが。
とはいえ戦争の現実からして、他の戦線(?)等への対応をしつつ、バトルオブブリテンの準備が進められていくのは、止むを得ないこととしか言いようが無いのが現実だった。
具体的に言えば、ノルマンディー、ブルターニュ半島橋頭堡に仏軍を主力とする英仏日等の連合国軍を押し込めるように航空作戦を展開する一方、又、ノルウェー方面を中心とするドイツ本土への空襲阻止をする為の電探等を駆使した防空網の構築に、ドイツ軍は空軍を中心として奔走せざるを得なかった。
更に言えば、それだけでは済まないのが、戦場の現実でもある。
例えば、英仏日等の連合国海軍が、地上部隊支援の為に艦砲射撃を行っているならば、それを阻止する為の航空攻撃をドイツ空軍は行わざるを得ないのだ。
他にも、ノルウェー方面に展開している陸軍部隊への物資輸送を支援せざるを得ず、それに対する英空軍を中心とする妨害航空作戦阻止を、ドイツ軍は行わざるを得ない。
そんな感じで、ドイツ軍にしてみれば、当初の予定以外の行動を行わねばならないのが現実だった。
そして、こういった予定外の行動については、大したことが無い、と強がれ続ければよいのだが。
そうは言っても、塵も積もれば山となると言う感じで、大したことでは済まない事態となる。
更に言えば、それへの対処の為に、英本土に対する航空撃滅戦を展開するのが遅延するのが、止むを得ないことでは済まないこととはいえ、ドイツ軍に必然的に起きるのも当然のことだったのだ。
そして、付け加えるならば、英本土に対する航空撃滅戦を展開するための飛行場を、北フランスに新たに建設して、又、これに対する空襲を警戒して、対処する為の電探を中心とする防空網(言うまでも無いことだが、敵機の攻撃に備えた高射砲や高射機関銃陣地までも併せて建設する必要がある)までも構築するとなると、一日、二日で出来るような代物では無く、それこそ週間単位で構築する現実が起きるのは止むを得ないこととしか、言いようが無かった。
(何しろ、第二次世界大戦前のフランス軍が、対英本土に対する航空撃滅戦を事前計画準備して、その為に必要な飛行場から電探網、更には高射砲陣地等を構築する必要があっただろうか。
ドイツ軍に肩入れする一部の面々からは、
「この当時のフランス軍は、完全に歴史的経緯を無視して平和ボケしており、対英戦の準備をしていなかったとは、本当に軍人失格だ」
と言われているが、難癖にも程がある主張としか思えない)
そんなこんなのことから、ヒトラー総統やその周囲からは、
「一刻も早く、英本土に対する航空撃滅戦を展開せよ」
という命令が下るモノの、1940年8月以降にならないと、本格的な英本土に対する航空撃滅戦を展開できない事態が起きるのは、(後知恵が入るが)止むを得ないこととしか、言いようが無かったのだ。
(尚、後世でこの英本土に対する航空撃滅戦の展開が遅延したことが、ドイツの最終的敗北を招いたのだ等の批判が大量に起きることにもなったが、更なる再批判として、そう言った批判は現場を知らない批判で、妄想の批判だ、と言われることとなり、大激論が交わされることになった)
ともかく、1940年8月初頭時点で、戦闘機と爆撃機を全て合わせた数字になるが、約2000機のドイツ空軍機が北フランスに集結して、英本土に対する航空撃滅戦を展開しようとしていた。
その一方、米国からのレンドリースが事実上は間に合ったこと等から、1000機を超える英仏日等の連合国の軍用機が、ドイツ空軍を迎え撃つ事態が起きたのだ。
ドイツ軍にしてみれば、もう少し早く行うべきだったと悔いる事態だった。
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