第17章―3
こういった辺りのこの当時の現実だが。
英仏日を中心とする連合軍は、独軍に対する攻勢防御を基本として、1941年春を期しての反攻態勢構築に奔走していたのだ。
実際問題として、連合軍の基本構想からすれば、極めて真っ当な方策だった。
確かにベネルクス三国全てに加え、仏本土の大半も連合軍は失陥している。
だが、その一方で、仏本土及びベネルクス三国では、独軍の占領下にある状況に、住民の多くが反感を抱きつつあり、連合軍がストや破壊工作等を住民に使嗾すれば、それに加担する住民が徐々に増えつつあるのが現実だったのだ。
そういった状況を活用することで、1941年春を期して仏本土及びベネルクス三国を、独軍、政府の占領下から解放しよう、と連合軍は考えるようになっていた。
だが、このことは独軍、政府の焦燥感を募らせる事態も引き起こしていた。
このままでいては、独の勝利は無く、連合軍の勝利と言う事態が起きるだろう。
それ故に連合軍に大打撃を、独軍は与えるように努めるべきであり、それによって、連合軍との講和を図ろうという、(実はカナリス提督も賛同して根回しに奔走していたのだが)、いわゆる一撃講和論が、独軍や政府内で起きる事態を引き起こしていたのだ。
この際、英本土を中心とする航空撃滅戦に勝利を収めることで、イングランド以南の制空権を確保し、その上でノルマンディー、ブルターニュ半島橋頭堡への大攻勢を発動することで、フランス本土をドイツの制圧下におくのだ。
そうすれば、第二次世界大戦を終結させるとなると、フランス本土への大規模な上陸作戦が必要不可欠だ、と英仏日等の連合国は考えることになるだろう。
その結果、長期戦を戦う位ならば、それなりに穏当な条件での講和に応ずべきだ、という主張が英仏日等の連合国内で起きるだろう。
そういった考え、第二次世界大戦が長期化して、自分の国が疲弊しきる位ならば、早期講和を図るべきだ、という声が挙がるだろう、という考えが、独政府、軍内部で急激に起きつつあったのだ。
ある意味では、戦争の長期化を図ることで、戦争の短期終結を図るという、ある意味では矛盾した方策と言えるかもしれない。
だが、米国がレンドリース法を制定することで、事実上は英仏日等の連合国側に立ちつつあること。
更にはソ連政府、軍の動向を何処まで信用できるのか、と言う問題があること。
そして、西部戦線で地上軍が拘束されている状況下で、対ソ戦を独側から引き起こす、開戦するのは無理があると言う現実論等から。
独政府、軍内部では、一撃講和に伴う早期講和論が、それなり以上に力を持ちつつあった。
(更に言えば、現在の戦況と史実の戦況を比較したカナリス提督は、最早、一撃講和に伴う早期講和論を成功させるしか、独の未来は無い可能性が高い、とまで考えるようになっていて、積極的に一撃講和に伴う早期講和論を、周囲に働きかける事態が起きていたのだ)
だが、これは所詮は願望に基づく希望的観測としか、言いようが無かった。
そもそも論になるが、それでは早期講和するとして、どのような条件で講和するのか、ということになると、一撃講和に伴う早期講和論者の内部分裂が起きる惨状だった。
ある者は現状を基本線とする停戦からの講和を主張する一方で、別の者はそんな講和条件を、優位に立ちつつある英仏日等の連合国が受け入れる訳が無いとして、それなりの譲歩を示した上での講和を主張するという有様だったのだ。
(尚、カナリス提督自身は譲歩した上での講和論を唱えていた)
だが、表面上は勝ち続けている以上、そんな講和が出来るか、というのがヒトラー総統以下の主張であり、講和は遠いのが現実だった。
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