第16章―5
そんな裏まであった末に、1940年8月中にフランスのブレスト(細かく言えば、その近郊に設けられた飛行艇基地)に、米内久子らは送り込まれることになった。
言うまでもなく、97式飛行艇に乗り込んで、欧州に赴くことになった結果である。
久子にしてみれば、2月は掛かると考えていた欧州に1週間以下でたどり着けたことに、半分、呆然とする想いさえすることになった。
(尚、こんな強行軍が行われたことから、それなりに97式飛行艇には故障等が起きることになり、久子らはその修理等を行いつつ、欧州に赴くことになったのだ)
更に言えば、そこで日本海軍航空隊は、新型重爆撃機(?)を受け取ることになった。
「これは」
久子を始めとする面々全員が、驚かざるを得なかった。
久子らの目の前にあったのは、米陸軍航空隊の採用しているB-18だった。
久子は懸命に記憶の奥まで探って、自分の知る限りのことを思い起こすことになった。
B-18、安価でそれなりに戦力が調えられる、と言う理由だけから制式採用されたという根強い噂がある米陸軍の重爆撃機だ。
実際に、ほぼ同時に採用された四発重爆撃機のB-17と比較すると、どうにもならない程の性能差があり、安いのだけが取り柄と言われても仕方がないらしい。
(最も平時においては、その安価なことが数を揃えられるという点で、重視されるのも現実なのだが)
「将来、ドイツ本土に対して戦略爆撃を行うことを考えた結果、更にはソ連に対して戦略爆撃を行うこともあるだろうとも考えられた結果として、我が日本海軍も重爆撃機を保有しようということになり、英国に対して重爆撃機の提供を日本は求めたのだが、英空軍からは対独戦に手一杯なことから、日本に提供できる余裕が無い、と言われてしまった。そうしたことから、米国に重爆撃機の提供を求めたところ、B-18が提供された。更に言えば、既に旧式化が進んでいることから、B-23が間もなく日本に提供されることにもなっている。我々は、こういった機体を活用して、更には自国で改造を行うことで、重爆撃機部隊を拡張していくのだ」
上官は、そのように久子らに懸命に説いている。
だが、こういった点では聡明な久子は、上官の言葉に冷めざるを得なかった。
完全に狐と狸の化かし合いになっている気が、自分はしてならない。
(日米どちらが、狐で狸なのかは、敢えて自分は考えないことにするが)
日本海軍の本音としては、将来の万が一の対米戦に備えて重爆撃機保有を策したのだ。
それに対して、米国も自国の利益と日本海軍の本音を天秤にかけた結果、このような機体を日本海軍に提供するという判断を下したのだ。
自分が聞いた噂だと、B-23にしても、米陸軍航空隊のB-24よりも性能が劣っており、それこそB-18と同様に数を揃えるために採用された重爆撃機らしい。
私からすれば、どちらも自国の利益をまずは追及していて、お見事としか言いようが無い話だ。
そんな冷めた考え、想いが、久子には浮かんでならなかった。
(更に言えば、この場に居る日本海軍航空隊の面々の大半が、久子と同じ考え、想いだった)
だが。そんなことを口に出せる訳が、この場に居る面々には無かったのだ。
そんなことから微妙な空気が漂った末に、上官の話は終わることになり、機種転換訓練が順次、行われていくことになった。
(尚、97式飛行艇は仏海軍に買い取られることになっていた。
仏海軍にしてみれば、自国本土の大半が占領された関係から、自国の軍用機確保が困難になっていた。
それを補う為に、米国を始めとして様々な国から軍用機の購入を図っており、日本からは97式飛行艇を購入することになったのだ)
全くの余談ながら、B-18の愛称はボロで、タガログ語で「山刀」との意味だとか。
この世界では、日本海軍航空隊の一部が自嘲して,ボロと呼んだという俗説が広まりそうです。
(ちなみにB-23の愛称はドラゴンだとか)
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