第16章―1 米内久子の欧州出征とその他のこと
新章の第16章になります。
この章では、米内久子が主人公的役割を務めることになります。
1940年7月下旬、米内久子は横須賀の小林家を訪問していた。
今月末に日本から欧州へ向かうことが決まり、その前に外出許可が得られたのだ。
久子は迷うことなく、子どもらがいる小林家を、この際に訪問することにした。
本来ならば、故郷にいる両親や兄弟姉妹等にも直に逢って、欧州に赴く旨を伝えるべきなのだろうが、千葉県の館山から岩手の故郷は遠いこと、とても横須賀と岩手と二か所を回る時間は無いことを、表向きの口実にして、久子は岩手の両親等には手紙を出して伝えるだけにしたのだ。
もっともお互いに、本音では分かっていた。
久子の最初の結婚で生じたしこり、2番目の子を死産し、最初の夫が病死したことについて、久子が義両親や実の両親達から、お前に全責任がある、と責められたしこりが、時が流れて、お互いに小さくなったとはいえ、未だに残っていること。
又、子ども達を放り捨てて、海軍補助部隊に志願した久子を、義理を含む親兄弟が内心では非難していること等を、お互いに察していたのだ。
(更に言えば、御国の為に志願した、という久子を、表立って非難できないのが、親兄弟に鬱屈した想いを溜めることになってもいた。
御国の為に女性補助部隊に志願するとは素晴らしい、と称賛されている久子を、子ども達を捨てて、出征するのか等と自分達が非難しては、周囲から非国民等の罵声を浴びることになるのは自明である。
養女の藤子のような推測、カテリーナ・メンデスに対する嫉妬から、久子は女性補助部隊に志願したのでは、とまでの推測を、親兄弟は出来ていなかったが、ともかく子どもを置いて、女性が出征する等は言語道断のことだ、と親兄弟は考えており、久子も親兄弟の考えを察していたので、岩手には行かないことにしたのだ)
さて、小林家でだが。
「お母さん。本当に欧州に行くの」
「ええ。お父さんにも会って来るわ」
「お母さん、欧州で頑張ってね」
早苗や正は、久々に会う母の久子と気安く会話を、まずは交わした。
更には、
「台所にあるのは、好きに使って良いよ」
「有難うございます。子ども達に、自分の料理の味を味わって貰ってから、出征したくて」
「お母さん、私も手伝うわ」
藤子の祖母になる小林はるに断りを入れ、久子と藤子は、心尽くしの手料理を共に作り、母子5人で食べることにした。
そして、久子や早苗、正は美味しいと言って食べたのだが。
末っ子の松江は微妙な表情を浮かべながら、食べることになった。
乳離れしてすぐに小林家に預けられたと言っても良い松江にしてみれば、いつも食べ慣れている小林家の料理に比べて、久子の料理の味は濃すぎて、美味しく感じられなかったのだ。
早苗や正は、母の手料理の味に満足して、松江の表情に気付かなかったが、久子と藤子は気づいた。
料理を済ませた後、はるが気を利かせて、片づけは私がやるよ、というのを断り、久子と藤子は二人で洗い物をしたのだが、その際に二人は。
「松江の顔を久々に見て、食事をしたのだけど、自業自得とはいえ、哀しくなったわ。母の私の料理が美味しくないのね。松江は」
「うん、認めたくないけど、そうだと思う」
久子がそう言うのに、藤子は相槌を打った。
「早く戦争を終えて、家族揃って暮らせるようになって、松江に私の料理の味が美味しい、と言って貰えるようにならないとね」
「うん、私もそう思う」
継母子というか、嫁姑というか、そんな仲の二人は、そんな会話を交わした。
そして、一晩を小林家で過ごし、母子5人で眠った翌朝、
「それでは行って来るから」
久子は、そう子ども達に告げて館山に向かい、子ども達4人はそれを見送った。
藤子は、久子のその後姿を生涯、忘れることは無かったのだ。
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