第2章―5
実はそういった裏事情があるのだが、この時の米内洋六大尉は全く気付かない事態だった。
この為に、米内大尉は憂いを単に深めるだけで、物思いに耽ることになった。
「本当に今年の3月に起きたドイツ軍のラインラント進駐事件は衝撃だったな。一部の先走った新聞報道等では、欧州で独仏戦争が起きるやも、と煽るような話まで出た程だ。だが、結果的には英仏が自重して、欧州で戦争は起きなかった。だが、結果的に日本にとっては悪いことになった。ヒトラー総統率いるドイツ政府は、このことで自信を深めたのか、再軍備に必要な資源を確保するために、大規模な軍事顧問団の派遣等、中国国民党政府に対する支援を公然と行うようになった」
それ以上は言葉にせず、米内大尉は、自らが現時点、1936年12月の時点で把握している情報を改めて脳内で整理した。
中国国民党政府は、将来の対日戦争に備えて、ドイツの軍事顧問団の協力を得て、着々と陸空軍戦力を中核とする軍拡を進めている。
その規模だが、空軍戦力は数十機どころか、どう少なく見積もっても百機以上の数に達するとか。
更には戦車部隊を中核とする装甲師団までも編制する勢いだとか。
我が大日本帝国陸軍には、装甲師団というか、大規模な機械化部隊を編制しようという機運は皆無だ。
第1混成旅団として、実験部隊に近い性格の諸兵科連合の機械化部隊を編制してはいるが、今年3月のタウラン事件で不手際があり、機械化部隊は日本には不要だ、として解体論が出ているという噂を(自分は)聞いているのが現実だが、ドイツの中国国民党政府に対する援助の態度を見る限り、疑問を覚えてならない。
本職で無い海軍軍人が何を言う、と言われそうだが。
先の(第一次)世界大戦で、戦車や自動車を装備した部隊が、特に西部戦線において大活躍したという事実、戦訓があるではないか。
そうしたことからすれば、日本でも大規模な機械化部隊を、何れは保有すべきではないだろうか。
米内大尉は、そんなことまで脳裏に浮かんでならなかった。
ともかく、こういった現状から、陸軍(の一部)が画策している様々な中国国内への工作、特に活発なのがいわゆる華北分離工作、については、上手く行っていないという噂が、自分達が聞き耳を澄ませているのもあるが、聞こえてくるのが現実だ。
実際問題として、中国国民党内にしても、完全に強硬派で一本化されている訳では無く、ある程度は日本と宥和的な対応をすべきではないか、という汪兆銘等の穏健派も少数ながら存在しているのだが。
ドイツの大規模な軍事支援があることから、蒋介石らの強硬派の声が、中国国民党内では圧倒的に強いのが現実らしい。
更に言えば、こういったドイツの大規模な軍事支援があることが、様々な中国国内への工作を妨害しているようなのだ。
ドイツの大規模な支援を背景にして、まずは中国本土から、更には満蒙からも、何れは朝鮮や台湾、琉球(沖縄)からも日本を放逐しよう、それらは我が中国の固有の歴史的領土なのだ、そう叫ぶ中国国内の愛国者の声は高まる一方になっており、そうした声に背を推されて、万里の長城以南の中国本土においては、日本人や親日主義者の中国人に対する襲撃事件さえも頻発するようになっている。
こうした状況となっては、陸軍(の一部)等が、中国国内に下手に工作を仕掛けても、それに応じる者が少なくなるのは当然のことになってくる。
米内大尉は考えた。
欧州でも一騒動起きているようだから、そちらにドイツ政府が注意を向けてくれれば良いのだが、どうも期待薄のようだ、とも聞いている。
ドイツ政府は再軍備を重視する余り、中国国民党支援を積極的に行う方向のようだな。
この当時の中国国民党強硬派の主張ですが、小説上のウソ描写では無く、史実でも、朝鮮や台湾、沖縄は中国固有の領土だ、日本は無償返還せよ、と叫んでいたとか。
そうしたことが、史実で「暴支膺懲」論を、日本陸軍等が叫んだ背景にあります。
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