第14章―8
だが、そういったユダヤ人難民から、ユダヤ人部隊への志願者が、それなり以上の数、数千人単位で出ることになったのは、オランダ、ベルギーからの避難行動において、それなり以上の犠牲者が出たというのも、反面的な現実からだった。
既述だが、このユダヤ人難民の避難行動だが、どうのこうの言っても、徒歩での避難が基本になるのは止むを得ないことだったのだ。
そして、老人や幼児が疲労等から動けなくなり、その場に置き去りにされる事態が多発したのだ。
こういった事態に対して、日本海兵隊やユダヤ人部隊が、完全に手をこまねいて、何もしなかったことは決してない。
むしろこのような老人や幼児を、一部の部隊は積極的に救おうとさえしているのだ。
だが、幼児はともかく、殆どの老人がこういった救いの手を拒む事態が起きたのだ。
(実際に、米内洋六少佐が体験した現実の一つを、この際に描くならば)
「乗り心地は悪いですが、私どものトラックに乗って、一休みした上で、数時間後に歩かれては」
「有難うございます。御気持ちだけで充分です。むしろ、私を殺して楽にして下さい」
「そんな」
「ユダヤ教において自殺はタブーです。その一方で、このままでは、ドイツ兵に嬲り殺されるでしょう。それを避けるとなると、楽に殺して頂けませんか」
「そんなことはできません」
「できなかったら、他のユダヤ人難民が逃れることが困難になり、多くのユダヤ人が殺戮されます。他のユダヤ人を救うためにも、私を殺して楽にして下さい」
そんな会話を交わした末に、米内少佐は、そのユダヤ人の老人を安楽死させることになった。
そして、こういった体験をしたのは、米内少佐だけでは無かった。
多くの日本海兵隊の隊員が、又、ユダヤ人部隊の多くが、似たような事態を体験することになった。
こういった体験、事態について、老人達の希望を拒んで、何としても老人達を逃れさせるべきだった、と言われる方がそれなりどころでは無くおられるのが、現実ではある。
だが、日本海兵隊やユダヤ人部隊にしても、そう余裕は無く、米内少佐と同様の行動を行った面々も、それなりどころでは無く出ることになった。
そうした様々なことが組み合わさった末、数千人単位とされる難民が、この逃避行の中で命を失う事態が起きることになった。
(尚、一部の者は、追撃を行ってきたドイツ軍の手に掛かって、命を落とすことになった)
更にこうしたことが起これば、遺された遺族等が、復仇の想いからユダヤ人部隊に志願することが稀どころでは無く、こうしたことが、ユダヤ人部隊の補充再編制を比較的容易に進めることになったのだ。
だが、その一方で、辛うじて逃れてきた難民が、それこそ他人の土地を占有して、仮の住まいにずっと住み続けると言うのも、色々と困難なのが現実でもあった。
それに、こうした仮の住まい、難民キャンプがドイツ空軍の空襲にさらされる危険もある。
その為にオランダやベルギー、フランスの国籍を持った難民は、更にフランスから離れたい、とその中の多くが望む一方、フランス国内からも、流石に声高には言われないが、フランス国民の多くから、国内からの退去を求められる事態が起きた。
何しろ全てを合わせれば、10万人を越える難民が発生していて、フランス国内にいるのだ。
それに対して人道的支援を行うべきだ、と一部の人は言うだろうが、それこそフランスの国土の広範な地域が、ドイツ軍の進軍に怯え、対処しようとしている中で、難民を支援する余力が、フランス政府にある訳が無いし、フランス国民から、難民より自分達を救援せよ、と叫ぶ現実があるのだ。
こうしたことから、難民の国外移住が検討されることになった。
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