第14章―1 英仏両国を中心とする対独戦の今後の方策
新章の始まりになります。
(史実よりは遥かにマシと言われそうだが)1940年5月末、ベルギーに展開している英仏白連合軍は、ドイツ軍の猛攻によって徐々に戦線を後退させており、戦線崩壊が間近になりつつある現実があった。
(史実に近い対仏作戦、いわゆるマンシュタインプランが、この世界でも採用された結果として)アルデンヌの森方面を中心とする西方攻勢を、ドイツ軍は発動していたのだ。
(更にこれ又、史実とほぼ同様に)英仏両国を中心とする連合軍は、このドイツ軍による対オランダ、ベルギー、仏に対する西方攻勢に対して、ディール計画に基づく対応を行っていたのだ。
このことは史実とほぼ同様に、回転ドアのような事態を引き起こし、ドイツ軍によるアルデンヌの森方面に対する攻勢を、結果的に英仏両国軍は容易にしてしまうことになり、英仏両国軍の主力がベルギー国内に孤立する事態を引き起こしたのだ。
猶、メタい話にどうしてもなってしまうが、日本海兵隊や(通称)イスラエル師団のユダヤ人部隊等が奮戦したことから、史実よりは明るい戦況、ドイツ軍の進軍が遅滞している現状ではあった。
とはいえ、1940年5月末の時点で、ドイツ軍が本格的に仏本国内へ、具体的には仏の首都パリに対する大攻勢を展開しようとした場合、それに対応する筈の仏陸軍は主力がベルギー国内で拘束されて、孤立化して無力化もしつつある現状から、そういったドイツ軍の攻勢には対処できない、と英仏両国軍の最上層部は判断しつつあるのが現実だった。
その一方で、(この世界では)5月24日の時点で、ドイツ軍の先鋒部隊である第2装甲師団からなる第19装甲軍団はドーバー海峡にたどり着くことが出来たが、それこそ地獄を見る羽目になった。
「弟子があれだけ頑張っているのを、眼前で見せられては、師匠も前に出ざるを得まい」
そう英海軍最上層部は主張して、本国艦隊を英仏両国陸軍の仏本国への撤退作戦に出撃させたのだ。
そして、英海軍の主力戦艦、約10隻を中心とする艦砲射撃が、第19装甲軍団に浴びせられた。
その結果、グデーリアン将軍率いる第19装甲軍団は、それこそタコつぼを何とか掘った中で16インチ砲弾や15インチ砲弾の雨を浴びることになり、
「第19装甲軍団は、今や1個装甲連隊の戦力になりました」
という電文を、第19装甲軍団司令部はドイツ陸軍総司令部等に打つ事態が引き起こされた。
この戦闘の結果、無謀な突進を上層部の命令を無視して行ったことを主な理由として、グデーリアン将軍は第19装甲軍団司令官から罷免されることになり、予備役編入処分まで受けることになった。
それこそ今こそ戦機であると主張して、グデーリアン将軍は、いわゆるドーバー海峡への突進を第19装甲軍団を率いて強行したのだが、この主張はそれこそドイツ陸軍最上層部どころか、ヒトラー総統さえも反対する代物だったからだ。
ドイツ陸軍最上層部は、歩兵等の到着を待って協働して進撃することを主張しており、ヒトラー総統もドイツ陸軍最上層部を支持していた。
実際にグデーリアン将軍の主張については、この時のフランス陸軍は、ドイツ軍のドーバー海峡への突進によって完全に混乱しており、艦砲射撃さえ無ければ、この時のグデーリアン将軍の判断は、極めて正しかったのだ、という主張が根強くなされてはいるが。
これについては、ドイツ海軍がノルウェー侵攻作戦により事実上は解散状態にあった以上、ドイツ陸軍が英仏海峡の沿岸部に単に突進すると言うのは、英仏日海軍の艦砲射撃の好餌になりに行くようなモノで、何故にグデーリアン将軍には、それが分からなかったのか、という再批判が浴びせられているのが現状である。
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