第13章―11
この多くのユダヤ人を含むオランダからの難民を護っての、日本海兵隊と(通称)イスラエル師団の仏本国への撤退作戦は、それこそ様々な協力があって為された奇跡と言って良かった。
撤退作戦が始まる直前、日本海兵隊の残部になる2個旅団が、急きょ到着することで、何とか1個師団態勢を執ることが出来たのも幸いした。
(細かいことを言えば、一部の部隊については完全補充が完結していたとは言い難い状況だったが、背に腹は代えられない、として、英本土で補充再編制に務めていた部隊全てが、急きょアントウェルペンに揚陸されることで、1個師団が再編制されることになった。
更に言えば、一部の難民は空荷になった輸送船に載せられて、英本土へ逃れることもできた)
そうしたことから、日本海兵師団とイスラエル師団は、仏第一軽機甲師団とも共闘することで、3個師団態勢を執ることが何とか可能になり、ドイツ軍の執拗な追撃に対処することが出来たのだ。
実際問題として、オランダにおいては、それなりの事前準備が出来ており、陣地の構築等も、ある程度に過ぎないと喝破されるだろうが、そこそこ予め行っていたので、日本海兵隊やイスラエル師団は優勢裡に侵攻して来たドイツ軍と戦えていたのだが。
こういった難民を庇護しながらの撤退作戦となると、どうしても兵力差が出ることになり、少々の装備の優越等では、ドイツ軍の攻勢を凌げなくなるのは止むを得ない、としか言いようが無かった。
だが、日本海軍は総力を挙げて、この撤退作戦を成功させようと努めることになった。
何故なら、後述するが、このユダヤ人を大量に含む難民を、無事に避難させることは多大な外交的な効果が見込まれる、と吉田茂外相が提言しており、その提言に米内光政首相や堀悌吉海相以下の内閣の面々も賛同する裏事情があったからである。
その為に敢えて海岸沿いの撤退路が選択されることになった。
この撤退路を選択することは、オランダ本国から仏本国を目指すとなると、やや遠回りになるのは自明の理だったが、それ以上の利点がある、と日本海兵隊等は判断したからである。
その利点は何かというと。
「撃て」
古賀峯一中将自ら、号令を発する事態が起きていた。
「流石に36サンチ砲が相手では、ドイツ陸軍の重砲も撃ち返してきませんな」
鈴木義尾少将は独り言を呟き、その言葉に古賀中将以下の周囲にいる面々も無言で肯いた。
金剛級戦艦4隻が、ドイツ陸軍相手の艦砲射撃に投入されていた。
(尚、細かいことを言えば、妙高級重巡洋艦や他の軽巡洋艦や駆逐艦も、ドイツ陸軍相手の艦砲射撃任務に、適宜、投入される事態が起きている。
これは、ドイツ海空軍の襲撃を、日本艦隊としても警戒せざるを得ず、艦砲射撃任務に専念させることはできない、という事情からだった。
更に言えば、ドイツ政府、軍内部で、ヒトラー総統自ら、
「ドイツ海軍は事実上は解散だ」
と叫んだ、という情報が、この当時の英仏日政府、軍最上層部には届いていたが。
それが真実か否か、確認できない状況にある以上は、ドイツ海軍の襲撃を、日本艦隊としては警戒せざるを得なかったのだ)
そして、金剛級戦艦4隻の主砲、36サンチ砲32門の威力だが、それこそ一斉射撃だけで20トン余りの砲弾が、一度に降り注ぐ事態を引き起こすのだ。
更に水上偵察機による空中からの観測射撃が行われるとあっては、幾らドイツ陸軍とはいえ、この艦砲射撃が浴びせられる範囲に侵入しての攻撃を行なうのを躊躇わざるを得ない。
更に言えば、それこそ師団装備の火砲どころか、軍装備の重砲でさえも、マトモに対砲兵戦を挑んだ場合に勝算が立つのか、と言えばとても立たないのが現実だった。
実際には砲身命数の関係等もあり、金剛級戦艦4隻が主砲の一斉射撃を行うことは、ほぼ無かったのですが、実際にそれに相対するドイツ軍にしてみれば、金剛級戦艦4隻の主砲の射程距離内に入りたがらないのも当然の気がします。
ご感想等をお待ちしています。