第12章―9
海兵隊と陸軍で違うと言われそうですが。
史実でも名を馳せた人が出ますが、全く無名の人を出す訳にも行かず、それなりの小理屈も立つことから、登場させることにしました。
(尚、大隊長は中佐では、というツッコミが起きそうですが、この世界の日本海兵隊は急拡大を強いられたことから、大隊長は少佐、師団長が少将という事態等が起きていると緩く見て下さい)
そういったドイツ軍のフランス、オランダ、ベルギーへの侵攻作戦だが、詳細を英仏日各国軍上層部が承知していた訳では無い。
だが、そうは言っても、これまでのドイツ軍の作戦、戦術から、それなりに読める人には読める作戦、戦術なのも現実だった。
そういった背景があったことから。
取り敢えずは、最先遣の1個海兵大隊として4月半ばに米内洋六少佐を大隊長とする部隊が、オランダに送り込まれた直後、
「部下だけを危地に送り込めるか」
と放言し、オランダに大川内傳七、第一海兵師団長の司令部も速やかに駆けつけることになった。
更にほぼ同時にオランダに到着したユダヤ人部隊、通称、第一イスラエル(歩兵)師団司令部と、大川内少将は協議を行って、オランダ軍司令部に申し入れを行った。
その主な内容だが。
「第一海兵師団とイスラエル師団は共に、完全自動車化を果たした部隊である。ハーグやロッテルダム周辺に展開して、ドイツ軍の空挺作戦に備えると共に、ドイツ軍の侵攻に対処する予備部隊とされたいか」
内容を知った米内少佐は、そんなことを呟くことになった。
(この頃の英陸軍は(史実でも)完全自動車化を果たしており、ユダヤ人部隊も同様でした。
更に日本海兵隊も英仏の支援を受けたことから、完全自動車化を果たしていたのです)
更に日本海兵隊には朗報が届いていた。
ようやく順調に生産されることになったこと、更に実戦で役立つか否かを陸軍自身も確認したかったことから、兵こそ海兵隊だが、士官は全て、下士官もかなりが陸軍の戦車部隊経験者から編制された第一戦車大隊が、欧州に到着していたのだ。
そして、大川内少将は、その第一戦車大隊長を務める池田末男少佐を少し煽った末に、オランダで最初に編制を完結する海兵旅団の指揮下に入れることに成功した。
(ここで少し裏話をすると。
池田少佐は陸軍から内密裡に、海兵師団一体となって戦えるようになってから、オランダに赴くように、という指示を受けていた。
此れは、こういった派遣部隊が実際には捨て石扱いされることが多いことを、陸軍上層部が懸念したという事情があった。
だが、大川内少将が、
「速やかに影の陸軍部隊と言える第一戦車大隊に先陣の栄誉を与えたいが、それを貴官は拒むのか」
と池田少佐を煽るようなことを言い、之に池田少佐も、
「第一戦車大隊の精強振りを先陣として見せつけましょう」
と想わず答えたことから、第一戦車大隊は最初にオランダで編合される海兵旅団の一員になったのだ。
ちなみに第一戦車大隊は、通称九九式中戦車、正式名称は九七式中戦車改54両から成っていた。
尚、九九式中戦車の主砲は47ミリ46口径へと強化されており、又、車体や砲塔正面の装甲はリベット打ちながら50ミリに強化される等、この頃のドイツの三号戦車や四号戦車と正面から充分に戦える、世界に誇れる日本の新型戦車だった。
(えっと想われそうなので、メタい補足説明を入れると。
この頃の四号戦車の主砲は75ミリ24口径、装甲にしても車体や砲塔正面は30ミリです。
又、三号戦車の主砲は37ミリ46口径、装甲も四号戦車と同様、車体や砲塔正面は30ミリです。
更にそれ以外のドイツ戦車は、それより格落ちとしか言いようが無いのを考えれば、この九九式中戦車は質的にはドイツ戦車より明らかに勝っています)
ともかく、こういった戦車部隊を指揮下におくことで、オランダに展開する日本海兵師団(この時点では旅団)は、極めて有力な予備部隊となることになった。
そして、ドイツ空挺部隊は、こういった日本軍やユダヤ人部隊の情報を詳細には把握することなく、ハーグやロッテルダムに空挺降下作戦を断行することになった。
この話で第12章を終えて、次話から新章となる第13章、オランダへのドイツ軍の侵攻作戦等を描く章になります。
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