第12章―5
話が余りにも先走っていくことになりかねないので、1940年4月の、いわゆる第二次世界大戦におけるドイツ軍のフランス本土侵攻作戦が、実際に発動される直前の状況までに絞るが。
色々と不十分な点がお互いに指摘される現実があり、更に言えば、その不十分な点について、お互いに否定できない、と多くの面々が肯定しているという現実までが加味されるのだが。
ともかく日本陸軍としてみれば、満蒙方面の防衛に手一杯で、欧州方面への対処は海軍に一任する、と言っても過言ではない状況が起きていた。
そうしたことから、英仏両国を中心とする欧州方面への日本軍派遣要請については、日本海軍がほぼ対処せざるを得ない状況と言って良く、例えば、欧州への日本航空隊(空軍)の派遣要請に対しては、ほぼ日本海軍基地航空隊が対応する事態が引き起こされていた。
これについて、英仏両国等は日本陸軍も派遣して欲しい、と不満等を日本政府に対して、全く零さなかった訳ではない。
だが、1940年4月のこの頃は、独とソ連は独ソ不可侵条約を象徴とする半同盟関係にある、と世界中の国々の政府から見られている現実があった。
(尚、実際には、そんなことは無かったのが、後世の資料研究等によって判明している。
だが、それは後知恵にも程がある事であり、この当時の世界中の国々の政府は、独ソは半同盟関係にあり、何れは独ソ同盟を締結するのではないか、と観測している状況にあったのだ)
こうしたことから、日本政府が満蒙の防衛の為に、日本陸軍を割く訳にはいかないとの主張。
更に言えば、万が一の日ソ戦争勃発となった暁には、ソ連空軍による帝都東京を始めとする日本本土空襲に対処する必要が、日本陸軍航空隊にはある。
等の日本政府、陸海軍の主張を、英仏両国政府等は無下に否定できないのが現実だった。
その為に、欧州方面に赴いている日本軍の部隊は、海軍のみと言っても過言では無かったのだ。
だが、これはこれで、日本政府、陸海軍の頭を痛めることになった。
欧州方面に展開している日本軍部隊だが、地上部隊、陸軍が極めて乏しくなり、補充に困難をきたす事態が引き起こされることになったのだ。
そうは言っても、地上部隊、陸軍については、英仏両国と言う存在があるので、実戦において多大な問題が生じることは基本的に無かったのだが。
今回のオランダ救援については、色々な意味で問題があるとしか、日本政府、陸海軍にしてみれば、問題があるとしか言いようが無かった。
そんなことから、取りあえずと言っては、言葉が悪いが、米内洋六少佐率いる海兵大隊1個をオランダにまずは派遣して、再編制が完了した部隊を順次、オランダに送り込み、1940年5月末までに1個海兵師団をオランダに展開させよう、というのが当初の方策というのが、日本政府、陸海軍の考えだった。
だが、米内少佐を大隊長とする1個海兵大隊を、オランダに派遣するという事態は、想わぬ波紋を様々に引き起こす事態となった。
まずは、英軍の外人部隊扱いになっているユダヤ人部隊である。
ユダヤ人部隊は、海軍は持っておらず、空軍はまだまだ錬成途上で実戦投入は極めて困難だったが、陸軍は、それまで士官や下士官を、英国等で務めていた面々が志願してきたこと等から、2個師団が編制されて、実戦投入が可能と周囲からも見られつつある状況にあった。
更に言えば、既述だが、オランダというより、アムステルダムはユダヤ人の多くにしてみれば、特別な街という意識があった。
こうした背景があったことから、ユダヤ人部隊は、オランダに自分達を派遣して、ドイツ軍の侵攻に対処すべきだ、と周囲に対して声高に訴える事態が起きたのだ。
色々とツッコミが入りそうですが。
この当時、史実でも独ソ不可侵条約が締結されており、ポーランドが分割された史実があります。
そして、史実でも反共主義者を貫いたチャーチル元英首相が、独打倒の為なら、とソ連、スターリンと手を組んだという史実があります。
そんな感じで一時的な妥協から手を組むと言うのは、史実でも多発しています。
そうしたことから、この世界でも独ソは手を組んで同盟して戦うと危惧される事態が起きています。
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