第12章―3
実際、詳しくは遥か後で記述するが。
この1940年4月当時、日本政府及び軍としては、当時のソ連政府及び軍内部で起こっていたいわゆる「大粛清」によって、満蒙へのソ連軍の大規模な攻勢を行うのが不可能な現状に一息吐いている現状があった。
ソ連軍、特に陸空軍は、単独で日本陸軍が対処するには、余りにも強大な存在としか、言いようが無かった。
とはいえ、満蒙地域を日本政府、軍が事実上の勢力圏として確保するとなると、ソ連陸空軍の脅威を直視するしかない現実がある。
「大粛清」によって、大量の士官等が、当時のソ連陸空軍が失われており、又、ソ連陸空軍の主力は、どうのこうの言っても、欧州方面に向けられている現実があったので、相対的に日本陸軍は、其処まで深刻にはソ連陸空軍の脅威を痛感せずに済んではいたが。
それでも、満蒙地域を専守防衛によって、日本陸軍が防衛しようとするならば、最低でも16個師団は必要である、と日本の陸軍参謀本部は様々な情報を集めた末に判断しており、又、日本海軍軍令部も同意しているのが、この当時の現実だった。
更に言えば、この日本陸軍の16個師団という数字にしても、日ソ両陸軍、及び空軍(陸軍航空隊)の質が、基本的に同等であるのが大前提として、産出された数字だった。
だからこそ、盧溝橋事件から第二次上海事変へと、更には日中戦争へと流れて行った(この世界の)歴史の流れから言って、日本陸軍は質的強化に狂奔する事態が起きることになった。
それこそ戦車一つにしても、銃殺された東条英機中将やそのシンパにしてみれば、
「戦車は歩兵が火炎瓶1個で容易に壊せる代物だ。費用対効果からして、戦車等は不要」
と喚くことになるが。
第二次上海事変において、ソ連製戦車を装備し、ドイツ陸軍から派遣された軍事顧問団による指導によって編制された中国国民党軍の装甲師団に、実際に蹂躙された面々等にしてみれば、
「今後の戦争に際して、戦車は必要不可欠だ。更に言えば、それなり以上の質量が必要だ」
と喚く事態が引き起こされることになる。
そういった背景から、日本陸軍の質的向上が懸命に図られる事態が引き起こされている。
そして、その為に必要な様々な費用等の事情から、万里の長城以南から完全に日本陸海軍は撤退して、満蒙地域の防衛を主任務とする事態が、日本陸軍には起きていた。
更に言えば、こういった日本軍の完全守勢態勢が、中国本土における国民党軍と共産党軍の内戦を、事実上は再開させる事態を引き起こしていた。
日本軍という共通の敵がいたから、中国国民党と中国共産党は手を組めたのであって、本来的な思想等からすれば、中国国民党と中国共産党は宿敵関係と言って良い。
そして、日中戦争の結果、万里の長城以南、本来の中国本土から日本軍が完全撤退し、更にはその後に起きた中国国民党政府の暴走の結果として、上海を始めとする欧米諸国の租界が閉鎖される事態までが事実上は起きたことから、中国本土内に敵はいなくなったとして、小規模ながら、中国国民党と中国共産党の内戦が再開される事態が起きていた。
(ここで租界の閉鎖が、事実上と言っている理由だが。
中国国民党政府は、公式には租界を保護していたからである。
だが、現実には中国国民党政府に、租界が完全無視され、租界内の住民の安全が確保されない状況があっては、租界は事実上は閉鎖される事態が起きるのが当然だった)
ともかく、このことも日本陸軍の再編制を援ける事態を引き起こしていた。
中国国民党も中国共産党も、お互いをまずは叩き潰した上で、日本軍には対処すると言う態度を内外に示しており、日本軍の再編制を放置する事態を引き起こしていた。
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