第07話 これからは、私の名前で呼んでください
彼女の態度はますます気まずくなっていた。避けられるたびに妙な気持ちになり、それが罪悪感につながった。
席に座った後、昼休みが始まるまで教室でじっとしていた。今の彼女の態度では、一緒に昼食を誘う方法が分からなかった。可能性が多すぎる。
そして、その時――頭の中でシミュレーションが始まった。
そこでは、俺は彼女の前に立っていた。彼女は椅子に座ったままだ。
〈第一の可能性〉
「一緒にご飯を食べに行かない?」
彼女は顔を横に振り、何度も否定する。
「いや、行かない。行きたくないから、しつこくしないで」
俺からすれば、ツンデレっぽくも見えるが、間違いなく諦めるだろう。
〈第二の可能性〉
今度は、自信満々の笑顔で近づこうとするが……
「川城さん、一緒にご飯を食べな——」
「白鳥!一緒に食べない?」
俺が言い終わる前に、クラスの女子が先に声をかけた。
「うん、もちろん!今行くね!」
最近の彼女の人気ぶりを考えれば、これはかなり高い確率だ。
〈第三の可能性〉
何も言わずに近づく。
「川城さん、一緒にご飯を食べない?」
すると、彼女はただ右を向いて、「ふん、話しかけないで」とでも言うように視線をそらす。
……こうして、シミュレーションは終わった。しかし、本当の反応はまだ分からない。試す前から諦めるのはありえない。
それでも……どうすればいい?
結局、やることに決めた。昼休みになり、彼女が一人になるのを待った。
俺は歩み寄った。しかし、ちょうど近づいたところで、教室の入り口からクラスメイトの声が聞こえた。
「白鳥、一緒にご飯食べない?」
彼女は気だるそうに俺を見てから、もう一人の女子に視線を戻した。
「ごめん、もう予定があるの。また今度ね。」
この可能性は考えていなかった。まったく予想外だった。だが、それでもこのチャンスを無駄にはしない。
今度こそ、最初のシミュレーションのように近づいた。だが、彼女はまっすぐ俺の顔を見つめてきた。これは、もしかすると「はい」と言ってくれる可能性が高いのでは——そう思ったが…。
「外で一緒に食べない?」
「やだ。そんな時間ないし。」
彼女はぷいっと右を向いて、頬を膨らませた。
ふざけているのかもしれない。でも、「いや」と言われて、あの仕草を見たら、それ以上何も言えなかった。
「そうか。じゃあ、一人で食べてくるよ。」
俺は軽く言い放ち、その場を離れようとした。少し距離を置いたほうがいいかもしれない。
——そう思った瞬間、彼女が突然ガタッと席を立った。
「待って!ちょっと待ちなさいよ!」
焦ったように言う彼女の顔は、少し赤くなっていた。
俺は戸惑いながら彼女を見つめた。何だ、この突然の反応は? それに、さっきまでとは違う、少し変わった拗ね方をしているような……。
彼女は小さく息をつき、少し視線をそらしながら続けた。
「……しょうがないな。一緒に食べてあげる。」
まるでツンデレのような口ぶりだった。
俺は思わず笑ってしまった。恥ずかしそうな表情を浮かべながらも、どこか「もっと誘ってほしい」と言いたげな彼女の姿が、何だか可愛らしく見えた。
彼女はこちらに歩み寄り、一瞬だけためらったあと、自分の弁当を手に取った。そして、俺たちは教室を出た。
外を歩きながら、ずっと気になっていたことを聞くことにした。
「ところで、今日はどうしたんだ? 何か俺に怒ってることがあるなら、言ってくれよ。」
「怒ってるような、怒ってないような……。うまく言えないけど、何かが気になってるのは確かみたい。」
俺には彼女の答えがよく分からなかった。つまり、理由が二つあるってことか? それがかえって疑問を増やすだけだった。
「いい場所を見つけたら、ちゃんと教えてくれよ。」
そう言うと、彼女は少し間を置いてからうなずいた。
いくつかの場所を探した後、結局、中庭の木の下で食べるのが一番いいと判断した。ちょうどこの時間は暑いし、日陰なら少しは涼しいはずだ。
その木の下にはベンチがあって、まさに理想的だった。それに、人もほとんどいない。
俺たちは迷うことなくそこへ向かった。彼女が弁当箱を包んでいたハンカチをほどくのを見ながら、タイミングを見計らってさっきの質問を再開しようとした。
だが、彼女のほうが先に口を開いた。
「えっとね……まず、一つ目の理由をどう説明しようか……」
そう言いながら、彼女は指先をいじりつつ、それをじっと見つめていた。
「実は……まだあなたに名前で呼ばれたことがないの。それがね……私だけが名前で呼んでるっていうのが、ちょっと気まずいというか……。」
彼女はそう続けた。
俺は思わずクスッと笑ってしまった。「それだけ?」と言わんばかりに。すると、彼女はムッとした表情で眉をひそめた。
「ごめん、ごめん。つい笑っちゃった。でも、そういうことなら、俺も呼ぶようにするよ。なんとなく、気持ちは分かる気がするし。」
そう言うと、彼女は期待に満ちた笑顔を見せた。そして、俺が彼女の名前を口にするのをじっと待っていた。
だが、いざ呼ぼうとすると——声が出ない。
簡単だと思っていたのに……なんで言えないんだ?
彼女は変わらず俺を見つめ、名前が呼ばれるのを待っている。しかし、妙に気恥ずかしくて、なかなか言い出せない。
「し、し……」
「『し』? それ、私の名前じゃないよ。私の名前は白鳥。」
彼女は呆れたように笑いながら言った。俺はまだ名前を言おうと頑張っていた。
でも、ようやく理解した。
彼女はずっと俺の名前を呼んでいたんだ。ならば、俺も同じように呼ぶのは何もおかしくない。
そして、ついにその言葉が口をついて出た。
「……白鳥さん。」
まるで消え入りそうな弱々しい声で、しかも少し頬を染めながら。
しかし、彼女は不満そうに言い放った。
「違う、そうじゃなくて! 呼び捨てで言ってほしいの!」
まるで先ほどのが何の意味もなかったかのように。
なら、もう一度やるしかない。
俺は疲れたように息をつき、今度こそ思い切って呼んだ。
「白鳥、白鳥、白鳥……」
「ちょ、やめてよ! そんなに何回も言わなくていいから!」
彼女は顔を真っ赤にしながら俺を制した。
「でも……これからはそう呼んでね。できるでしょ?」
彼女は優しい表情で俺の目を見つめた。
返事に迷ったが、もう言ってしまった。すでに彼女の名前を呼んでしまったのだ。だから、俺はただ静かにうなずいた。
「そういえば……私を避けてた理由、もう一つあったんじゃなかった?」
「もう一つの理由?」
彼女は困惑した顔で俺を見つめた。まるで何の話をしているのか分からないとでも言うように。
……もしかして、本当にそれだけだったのか?
それでも、俺は試しにもう一度聞いてみた。もしかしたら、とぼけているだけかもしれない。
「ほら……さっき『怒ってるような、怒ってないような』って言っただろ?」
彼女は少し考え込んだ。話すべきかどうか迷っているような、そんな表情だった。
やがて、ふっと微笑み——
「えへへ……忘れちゃった。」
そう言って笑った。
結局、俺の疑問は宙に浮いたままだった。だが、彼女が忘れてしまったのなら、俺も深く考えないほうがいいだろう。
俺は安堵の息をついた。少なくとも、またいつもの関係に戻れた気がする。
彼女は、俺の知っている白鳥に戻ったようだった。
……と言っても、まだ三日目だ。学校で話し始めたのは昨日からだし、彼女のことを本当に分かっているわけじゃない。それも、学校で一緒にいるのは二日目にすぎないのだけれど。




