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エクストラ6: 修復される現在

 最後の日がやってきた。

 これから先のすべてを決める日――とはいえ、正直なところ、まだ自分の中で明確な答えは出ていなかった。


 家を出ると、いつものように玄関先で待っていた光舞さんのもとへ向かう。

 住宅街はまだ静かで、遠くから自転車の走る音が聞こえ、いくつかの家からは朝食の匂いが漂っていた。


 彼女の笑顔は、いつも通り眩しかった。

 大切な人を待つ者だけが持つ、あの優しさと温もりを感じさせる表情。


「おはよう、圭くん」


 そう言って、少し甘えた声で近づき、自然な仕草で俺の左腕にしがみつく。


 朝から不安にさせるわけにはいかない。

 そう思い、俺も笑顔で応えた。


「おはよう、光舞さん。今日はずいぶん機嫌がよさそうだね」


「ふふふ……そんなに分かりやすい?」


 あまりにも愛情深く接してくれる彼女に、ほんの一瞬、付き合えている自分は幸せ者だと思ってしまった。

 ――けれど、それも長くは続かない。


 もうすぐ、すべてに区切りをつけなければならないことを、俺は分かっていた。


 手放したくない。

 それでも、他に選択肢があるようには思えなかった。少なくとも、今の俺には見えなかった。


「そういえば、光舞さん……君に話がある人がいるらしいんだ。時間あるかって聞かれてさ」


 彼女は少し考えるように、俺の言葉を吟味した。


「へぇ〜? それって男の子? それとも女の子?」


 遅刻しないよう、歩きながら学校へ向かう。


「女の子だよ。それに……どうやら、かなり人気があるらしい」


 その言葉を聞いた瞬間、彼女の柔らかな笑みが、好奇心を帯びたものへと変わった。


「まあ……悪い話じゃないならいいけど。さ、行こ。今日は香織が先に行っちゃったから、一緒じゃないの」


 一人だった理由には薄々気づいていた。

 もしかすると、彼女のほうが先に行くのかとも思っていたが。


 それでも、そう言うなら問題はない。

 むしろ、俺と二人きりで歩くことに、少し安心しているようにも見えた。


 こうして、いつもと変わらない登校の朝が始まった。

 ――すべてが決まる、その日の朝が。


 他愛のない会話を続けているうちに、気づけばもう校門の前。

 生徒たちが慌ただしく校舎へと吸い込まれていく。


「すみません……えっと、光舞さん。少しだけ、お話してもいいですか?」


 背後からかけられた声に、俺たちは同時に振り返った。


 そこにいたのは、川城白鳥。

 穏やかな表情と、柔らかな口調でこちらへ歩み寄ってくる。


「あ、白鳥さん。おはようございます。もちろんです。圭くん、先に行ってて。すぐ追いつくから」


「圭くんも一緒に来てもらうわ」


 白鳥はそう言って、迷いなく俺の手首を取った。


 その瞬間、光舞さんの肩がわずかに震える。

 俺と白鳥の距離感を見て、困惑したような視線を向けてきた。


「……二人とも、いつから?」


「それは……ちゃんと説明できる。説明するから」


 できるだけ冷静を保ちながら、そう答える。


 彼女の表情は、次第に翳っていった。

 まるで、すでに答えに気づいていながら、それを認めたくないかのように。


 それでも――

 自分の考えが間違っていることを願うように、彼女はゆっくりと小さく頷いた。


 今日は、授業どころではなさそうだった。


 結局、俺たちは校舎の脇へと移動した。人通りの少ない、少し離れた場所。

 白鳥は、すべてを打ち明ける覚悟ができているように見えた。


 その場に着くと、光舞さんは切なそうな視線で俺を見つめ――

 それでもすぐに、不安を隠すような、震えた笑顔を浮かべた。


「ねえ、圭くん……やっぱり、私たちの間で何か起きてるんだよね?」


「どう説明すればいいのか分からない。これから話すことは、現実味がなくて、混乱させると思う……それでも、信じてほしい」


 驚いたように俺を見る光舞さん。そのすぐ後ろで、白鳥が黙って小さく頷いたのが分かった。


 一瞬、彼女の体が強張ったように見えたが、次第に呼吸は落ち着いていく。

 胸を締めつけていた疑念が、ほんの少しだけ和らいだようだった。


「……それで? 二人は、何を私に言いたいの?」


 そう言って、ほっとしたように息を吐く。


 白鳥と視線を交わす。

 言葉にしなくても伝わる、不安と覚悟。

 それでも、ここまで来た以上、引き返すことはできなかった。


「俺と白鳥は、この世界の人間じゃない。

 ここによく似た、別の世界から来たんだ」


 光舞さんは目を見開いた。

 だがすぐに、その表情は警戒するようなものへと変わる。


「……冗談でしょ? そんな話、信じられるわけない」


 当然の反応だった。


「ねえ、圭くん……だったら、どうしてあなただけは、最初からそんなに落ち着いてたの?

 彼女に聞いた時、驚かなかったでしょ?」


 もっともな疑問だった。

 けれど、俺にははっきりとした理由がある。


 俺は――

 時空の歪みから、彼女が現れる瞬間を、この目で見てしまったのだから。


「……それは聞かないで。俺には、直接見てしまったものがある」


「え……? じゃあ……二人とも、タイムトラベラーってわけじゃないの?」


 彼女の理解は、思った以上に早かった。


「違う。正確には……俺の意識を、この世界に連れてきたのが白鳥なんだ」


 その言葉に、光舞さんは大きく目を見開き、呆然としたまま一歩こちらへ踏み出した。


「……じゃあ、この世界の圭くんは?

 私が知ってる圭くんは、どこへ行ったの?」


「……彼は、俺がいた世界へ送られた」


 そう告げた瞬間、光舞さんは俺のシャツの襟を強く掴んだ。

 堪えていた感情が溢れ出すように、涙が次々とこぼれ落ちる。


「お願い……連れて行って。

 私……あの人がいないなら、もう……もう……」


 言葉は途中で途切れ、嗚咽に変わった。


「……うわぁぁ……」


 胸に顔を埋めて泣きじゃくる彼女を前に、俺と白鳥は、言葉もなく視線を交わした。


「白鳥……彼女のために、何かできることはないのか?」


 白鳥は迷っていた。

 方法があることは分かっている。

 けれど、それを選ばせていいのか、判断がつかなかったのだろう。


「白鳥……頼む。きっと、それが一番だ。

 結局、俺は……彼女が愛した圭じゃない」


 声を落として、そう続ける。


 数秒の沈黙の後、白鳥は決断した。

 真剣で、それでいて優しさを湛えた表情のまま、光舞さんのもとへ歩み寄り、そっと肩に手を置く。


「……それが本当に、あなたの望みなら。

 ただし、方法は圭くんと同じ。魂の入れ替えになるけど……それでも、覚悟はある?」


「…………はい」


 震える声で、光舞さんは頷いた。


「それしかないなら……受け入れます。

 でも、家族の魂も一緒に連れていきたい。

 あっちの“私”に、迷惑をかけたくないから……」


 制服の袖で涙を拭い、彼女は顔を上げる。


 その瞳には、悲しみだけではなく――

 愛した人と再び出会えるかもしれないという、かすかな希望の光が宿っていた。


 もしかしたら……

 白鳥と出会わなければ、

 彼女が愛した圭は――俺だったのかもしれない。


「分かった。あなたがそれを望むなら、そうしよう。

 ただし、その前に女神マリーと話をさせて。いい?」


「……女神、マリー?」


 案の定、光舞さんはその名前を知らなかった。

 無理もない。正直に言えば、俺自身も彼女のことを深く理解しているわけじゃない。


 白鳥は二人の横に立つと、静かに目を閉じ、小さな声で何かを呟き始めた。

 その言葉は、俺たちの知るどんな言語にも属していないように聞こえる。


 ――そういえば。

 これで、俺の知っている光舞さんに、また会えるってことなんだよな。


 それを良いことと捉えるべきなのか、悪いことなのか。

 正直、自分でも分からなかった。

 きっと彼女は、今起きていることのすべてを理解できるわけじゃない。


 それでも……

 このまま曖昧な状態を続けるよりは、ずっといい。

 もし今ここで解決しなければ、この世界だけじゃなく、他の世界にまで何が起こるのか分からなかった。


 しばらくして、白鳥はゆっくりと目を開き、真剣な表情でこちらを見る。


「……了承はもらえた。

 でも同時に、これは最初から決まっていたことだとも言ってた」


「決まっていた……? それって、どういう意味だ?」


「近いうちに、避けられない出来事が起こるらしい。

 すでにすべては、書かれている……そんな言い方だった」


 まるで夢の中の話を聞いているみたいだった。

 それ以上、うまく表現できる言葉が見つからない。


 それでも、もう引き返せない。

 もしすべてが運命なら……受け入れるしかない。


 俺の気持ちが変わっていないことを察したのか、白鳥はそっと光舞さんの手を取った。


「……それじゃあ、さっきお願いされたことを始めるね」


 二人は同時に目を閉じる。

 まるで一点に意識を集中させるかのように、眩しい光が二人を包み込んだ。


 音は、何も聞こえなかった。

 それなのに、空気が歪むような圧迫感があり、目に見えない何かが身体から離れていくのを感じる。

 やがて、柔らかな風がその場を通り抜けた。


 やがて光は静かに消え、目の前の少女が、ゆっくりと瞼を開く。


 少しぼんやりとした視線で白鳥を見つめ――そして、俺を見た。


「……圭くん?

 ……だよね?」


 ぎゅっと俺の手を握りしめ、今度は白鳥へと視線を向ける。


「圭くんと……白鳥ちゃん、だよね?」


 不安そうな瞳。

 まるで、この瞬間が本当に現実なのか、確かめようとしているみたいだった。


 それでも、ひとつだけは確信できた。

 俺の名前を呼んだ――それだけで、彼女が“俺の知っている光舞さん”だと分かった。


 俺たちは小さく頷き、微笑む。

 言葉にしなくても、この再会が特別なものだと伝えるように。


 光舞さんは希望に満ちた表情を浮かべながら、周囲を見渡した。

 授業前の静かな校舎の脇。

 今いる場所に、少し驚いているようだった。


 次の瞬間、彼女は何も言わずに、俺たち二人を同時に抱きしめた。


「……もう二度と会えないと思ってた。

 圭くん、最近ずっと変だったし……白鳥ちゃんは消えちゃうし。

 彼女のこと、全然覚えてなかったでしょ?

 それが、ずっと気になってて……」


 声を震わせながら、涙を流す。


「また会えて……本当に、よかった……」


 その涙の真っ直ぐさに、胸が締めつけられた。

 白鳥は、まるで昔からの親友のように、優しく微笑んでいる。


 二人とも、幸せそうだ。


 ――きっと、ここからが新しい始まりなんだろう。

 この新しい世界で、新しい物語が始まる。


 ただひとつだけ。

 魂の入れ替えによって、どんな代償が生まれるのか――それが、少しだけ気がかりだった。


 今は、聞かないでおこう。

 この時間を壊すには、あまりにも眩しすぎる。


 ……きっと、その答えは、後で分かる。


 つづく。

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