エクストラ5: 再会
放課後になり、ついにその時が来た。
もう迷いはなかった。舞さんは香織と一緒に先に帰っていった。
香織は一瞬、何かを察したような表情を見せたが、それでも姉を一人にすることはなく、結局そのまま同行した。
そして俺は、唯さんから聞いていた場所へと向かっていた。
この時間帯なら、彼女がいる可能性が高い場所だ。
一歩進むごとに、距離が縮まっていくのを感じる。
そして、ある程度近づいたところで確信した。
思っていたほど男子は多くなかったが、それでも告白の順番を待つように、何人かが列を作っていた。
今回は、その列には並ばなかった。
もし並んでしまったら、きっと彼女と話すことすらできなくなる気がしたからだ。
代わりに、彼女からはっきり見える場所へと移動した。
校舎裏の中庭を見下ろす手すりの近く、少し高くなった場所。
目立つには、十分すぎるほどだった。
大きく息を吸い込み、思いきり声を張り上げた。
「川城白鳥! 少し話せないか!
大事な話がある!」
一瞬で、周囲の視線がこちらに集中した。
驚いた表情の者もいれば、露骨に苛立ちを隠さない者もいる。
割り込む形になったのは分かっていたが、ここまで反感を買うとは思わなかった。
だが――
その中で、ひときわ強く感じた視線があった。
彼女のものだ。
最初は呆然としたような顔をしていたが、やがて、ゆっくりと微笑みが浮かぶ。
「圭くん……待ってたよ。
来るの、ずいぶん遅かったね」
白鳥は、そこにいた男子たちを一切気に留めることなく、その場を離れ、こちらへと駆け寄ってきた。
残された彼らは、状況を理解できずに固まっている。
そして彼女は、迷いなく俺に飛びつくように抱きしめてきた。
まるで、ずっとこの瞬間を待ち続けていたかのように。
「ごめん……いろいろあって、話すタイミングを見つけるのが難しかった」
そう言うと、彼女は俺の目をまっすぐに見つめ、柔らかく微笑んだあと、ゆっくりと目を閉じた。
――キスを待っているのが、はっきりと分かった。
だが、そのキスは訪れなかった。
俺はそっと彼女の肩に手を置き、低く囁いた。
「……まだ話していないことがある。
舞さんのことだ」
一瞬、彼女の表情が変わった。
疑うような視線を向けたかと思うと、次の瞬間、何かに気づいたように小さく息を呑む。
「……話したいことがあるんでしょ?
いいよ。ちゃんと聞く」
「……実は、この世界の俺は、舞さんと付き合っていて──」
「それ以上は言わなくていい」
落ち着いた声で、白鳥は俺の言葉を遮った。
「だいたい分かった。
……彼女とも、ちゃんと話さなきゃいけないね」
俺は静かにうなずき、彼女を抱きしめた。
この再会を、どれだけ待ち望んでいたことか。
それなのに、現実は、二人が思い描いていたものとはまったく違っていた。
白鳥はそっと手を伸ばし、俺の唇の前に指を当てる。
――もう何も言わなくていい、という合図だった。
「……彼女はどこ?
このこと、ちゃんと話さないと」
「もう帰ったよ。
明日話した方がいいと思う。舞さんのためにも……俺たちのためにも」
少しだけ迷ったような表情を見せたあと、白鳥は不安げに、けれど納得したようにうなずいた。
「ねえ……どうして、こんなことになったの?
正直、まだ状況が整理できてない」
そう言って、彼女はどこか誇らしげに微笑み、迷いなく語り始めた。
「私たちはね、メタ時空を越えて、ここに来たの」
――メタ時空。
どこかで聞いたことがある。
確か、何かの本で……。
「覚えてない?
大丈夫、説明してあげる」
白鳥は一度、息を整えた。
それは彼女にとって、ごく当たり前のことを説明する前の仕草だった。
「メタ時空っていうのは、その名の通り、無数の時空を内包する時間領域のこと。
そこには、数え切れないほどの時間軸が存在していて……
その中に、私たちがいた世界も含まれているの」
話が進むにつれ、彼女の表情は次第に引き締まっていった。
「メタ時空があるおかげで、私たちはあらゆる可能性の世界にアクセスできるの。
……すごいと思わない?」
そう言われると、どこか現実味がなくて、正直言って馬鹿げているようにも聞こえた。
ここはSF映画の中じゃない。
これは――現実だ。
それでも……。
もしかすると、どこかに存在する得体の知れない上位の存在から見れば、
俺たち自身が“SFの物語”に過ぎないのかもしれない。
そう考えると、不思議と納得できてしまう。
少なくとも、ここまでの出来事を自分の目で見てきた今となっては。
今、大事なのはただ一つ。
――俺たちは無事だ、ということだ。
「今までに起きたこと、全部が信じられないよ。
まさか、こんなことになるなんて思いもしなかった」
白鳥は誇らしげに微笑み、自然な仕草で俺の背中に腕を回した。
「すごく寂しかったよ。
毎日のように告白されるのを相手にするの、本当に大変だったんだから」
そのとき、はっきりと気づいた。
周囲から向けられる視線が、まったく友好的じゃない。
むしろ、露骨な不満と苛立ちを含んでいた。
数人の男子が、同じ意図を目に宿したまま、徐々に距離を詰めてくる。
――これは、まずい。
深く考える暇もなく、俺は白鳥の手を取った。
強く握り、そのまま彼女が反応する前に走り出す。
「ついて来い、白鳥!」
「えっ――ま、待って、圭くん……!」
汗で少し滑りやすくなっていたが、それでも手を離さなかった。
振り返ることなく走った。
細い路地を抜け、角を曲がり、小道を横切る。
まるで、ただの学生から逃げているとは思えないほど必死に。
追われているのかどうか、気にならなかったわけじゃない。
それでも、二人とも後ろを振り向こうとはしなかった。
ようやく辿り着いたのは、住宅街にひっそりと佇む小さな公園だった。
俺たちは古びた金属製の滑り台の中に潜り込み、しゃがみ込んで息を整える。
そこから、例の男子たちが通り過ぎていくのが見えた。
……やっと、落ち着けた。
顔を見合わせた次の瞬間、
なぜか二人同時に、堪えきれず笑い出してしまった。
「ははは……かなり危なかったな。
正直、追いつかれると思った」
白鳥はさらに身を乗り出し、笑い声を大きくする。
溜め込んでいた緊張と興奮が、一気に弾けたようだった。
「ははは……本当にすごかった。
まさか、あんなことするなんて思わなかったよ。完全に不意打ち」
やがて笑いは落ち着き、彼女は少し柔らかな声で続けた。
「……圭くんに出会えて、本当に良かった。
この世界でも、どんな世界でも……
女神マリーとあの契約をしたこと、後悔してない」
「白鳥……」
俺は、真っ直ぐに彼女を見つめた。
「俺もだ。
時間を越えることになるなんて思ってなかったし、
君みたいな人に出会えるなんて、想像もしてなかった」
少し照れたように笑いながら、正直な気持ちを口にする。
「間違いなく、一番不思議で……
それでいて、一番大切な存在だ」
次の瞬間、彼女は勢いよく近づき、俺の頬に軽くキスをした。
すぐに、顔が真っ赤になる。
「全部から助けてくれたご褒美。
……それと、私を信じてくれたことへのお礼」
「白鳥……」
俺は小さく微笑んだ。
「そのご褒美、ありがたく受け取るよ。
でも――まだ、やることが残ってる」
彼女は迷いなくうなずいた。
俺の言葉の意味を、ちゃんと理解していた。
◇◆◇◆◇
しばらくして、滑り台から出て、特に目的もなく歩き始めた。
公園にはほとんど人がいない。
風に揺れるブランコの軋む音と、住宅街の向こうから聞こえる車の音だけが響いていた。
「今は、どこに住んでるんだ?
よかったら、家まで送るけど」
「ここからそんなに遠くないよ……
今は両親と一緒に住んでる。
でも、できるなら……また、圭くんの家族と暮らしたいな」
その言葉に、ずっと胸の奥に引っかかっていた疑問が浮かび上がる。
「じゃあ……俺のいた時間軸では、
あの人たちはどうなったんだ?
……あの世界で、何が起きた?」
白鳥は少し俯き、考え込むように黙り込んだ。
その目は、彼女自身もすべてを把握しているわけではないことを物語っている。
「……存在はしてたよ。でも、ここみたいな形じゃなかった。
簡単に言えば、あの二人は一緒になってなかったの」
静かに、言葉を選びながら続ける。
「だから、私は生まれなかった。
結果として、“複数の私”が生まれるようなパラドックスも起きなかった」
……なるほど。
それで、いろいろと辻褄が合う。
この世界の時間軸が、どういう仕組みで成り立っているのか。
それなら――
どうして、俺だけが例外だったんだ?
まるで、メタ時空を越えてきたのが、俺の“魂”だけだったみたいだ。
「じゃあ……俺の場合はどうなんだ?
本当に、魂だけが移動した……みたいな感じなのか?」
「ううん、違うよ」
白鳥は肩の力を抜き、どこか気楽そうに笑った。
「似てはいるけど、少し違う。
圭くんの意識、記憶、性格……そういう“中身”が、この世界に流れ込んだの。
正確には、この世界にいる圭くんの身体へ、ね」
一拍置いて、続ける。
「その代わり、こっちの世界の圭くんが持っていた記憶は、
私たちがいた元の世界の圭くんに送られた」
……つまり。
俺の考えは、完全に的外れってわけじゃなかった。
ただ、想像していた以上に、ずっと複雑だっただけだ。
ということは――
今ごろ向こうの世界では、俺自身が、俺の代わりに混乱しているはずだ。
俺の悩みを抱え、俺の立場で、必死にやりくりしながら。
そう思うと、胸の奥に、妙な罪悪感と申し訳なさが湧き上がった。
けれど――
もう、後戻りはできない。
すべては、すでに起きてしまった。
「……なるほど。
じゃあ、これから俺たちは、どうすればいい?」
白鳥は数歩先へ進み、やがて立ち止まった。
そこには、白を基調とした現代的な一軒家が建っていた。
低いフェンスに囲まれ、手入れの行き届いた庭。
静かな住宅街に、しっくりと馴染んでいる。
「特に何かをする必要はないよ」
振り返らず、当たり前のように言う。
「これまで通り、前に進むだけ」
そして、少し間を置いてから、こちらを見た。
「……でも、その前に。
連絡先、教えて。あとで連絡を取れるようにしたいから」
俺は何も言わず、スマホを取り出して彼女に渡した。
本当なら、もっと説明してくれてもよかったはずだ。
それでも彼女は、あえて多くを語らなかった。
意図的なのか――それとも、まだ話せないことがあるのか。
連絡先を登録し終えると、白鳥はスマホを返し、穏やかな笑みを向けた。
「またね、圭くん。
舞ちゃんと、ちゃんと話すの、忘れないで」
俺はうなずき、同じように微笑み返す。
――ようやく、再会できた。
そして、残されたのは一つだけ。
三人で、どう向き合うのか。
どう言葉を選び、どう決断するのか。
これから先、何を選ぶのかは――
俺たち次第だった。




