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エクストラ1:新しく、そして未知なる世界

 その日は、まるで何千年もの時が過ぎ去ったかのように感じられた。

 あるいは、世界そのものが静止してしまったかのような感覚だった。


 何かが変わったようには見えなかった。

 いや、むしろすべてが以前と同じだった。同じ部屋、同じ空気。

 ただ一つ違うのは、今の俺が一人で、ベッドに横たわっているということだった。

 記憶の中では、そこには白鳥がいたはずなのに。


 ここまで来ると、すべてが夢だったのではないかと思えてくる。

 胸の奥にぽっかりと穴が空いたような虚無感――

 すべてがただの夢だったのだと、そう信じかけた、その時。


 ふいに、彼女が以前言っていた言葉を思い出した。


『新しい変化はあるけど、少なくとも記憶は失わないわ。

 ただ……また、再会しなきゃいけないけどね』


 ――そうだ。確かに、彼女はそう言っていた。

 なら、俺がやるべきことは一つだけだ。

 もう一度、彼女と再会すること。


 その言葉を胸に、俺は気持ちを立て直した。


 携帯電話は引き出しの上に置かれていた。

 耳慣れない電子音のアラームが鳴っていたおかげで、すぐに気づく。


 手に取って止めると、表示されていた日付を見て息を呑んだ。

 ――記憶している日より、一日進んでいる。


 頭に手を置き、すべてが元通りだという可能性を否定するように、軽く首を振る。


 今は考えても仕方がない。

 そう自分に言い聞かせ、少し眠気の残る体で階段を下りた。

 歩きながら目をこすり、無理やり意識を覚まそうとする。


 まるで、深い眠りから目覚めた直後のようだった。


 ふと、白鳥の部屋の前を通りかかる。

 だが、中に人の気配はない。

 まるで、彼女という存在が最初からこの家にいなかったかのように。


 俺はそのままリビングを抜け、キッチンへ向かった。

 そこから、誰かが料理をしている気配がしたからだ。


 静かに近づくと、見慣れた横顔が目に入った。


 ――母さんだ。


 まるで特別な日でも迎えたかのように、どこか嬉しそうな表情で朝食を用意している。

 その顔は、やけに晴れやかだった。


 俺に気づいた母さんは、少し驚いたように目を見開き、すぐに穏やかな笑みを浮かべた。


「おはよう、圭……どうしたの?」


「おはよう、母さん……何かあった?」


「えへへ……覚えてないの?

 今日は、初めて彼女とデートする日でしょう。

 長い友達期間を経て、ついにそこまで進んだんだもの」


 随分と楽しそうに話す母さん。

 けれど、俺には何のことだかさっぱり分からなかった。


 それでも、知っているふりをして軽く頷く。

 頭の中では、相手が誰なのかを必死に考え続けていた。


 身支度を整え、家の外へ出る。

 そして、顔を上げた瞬間――そこに、彼女はいた。


 艶のある黒髪。

 白い肌。

 そして、蜂蜜のようにも見える柔らかな茶色の瞳。


 ――母さんが言っていたのは、彼女のことなのか?


「圭くん、おはよう」


 そう言って、彼女は満面の笑みを浮かべながら髪を耳にかけた。


「……あ、光さん。おはよう」


 その瞬間、彼女の表情が微妙に変わる。

 そして、わざとらしく咳払いをして、俺をたしなめるように言った。


「圭くん、私たち付き合ってるんだよ?

 名前で呼んでいいって言ったでしょ。

 まさか……忘れちゃったの?」


 ――この世界、どうなってるんだ。


 俺の知っている世界とは、あまりにも違う。

 まさか、この世界の俺は……光と付き合っているなんて。


 白鳥と出会う前だったなら、もしかしたら、こういう未来もあったのかもしれない。

 だが、現実はそうではなかった。


 今の俺にできることは一つだけ。

 事情を知らないふりをして、適切なタイミングが来るまでやり過ごすことだ。


「ごめん。そういうわけじゃないんだ。ちょっと変な夢を見ただけで」


 そう言うと、彼女は再び微笑んだ。

 だがその笑みには、ほんのわずかな好奇心が混じっているように見えた。


「そっか、夢だったんだね。

 このまま話してたら遅れちゃうよ。ほら、行こ!」


 そう言って、彼女は俺の手を取り、そのまま引っ張るようにして学校へ向かい始めた。


 一緒に歩きながら、俺はこの世界の違和感に気づく。

 本来なら空き地だった場所に、一軒の家が建っている。

 そんな小さな違いが、いくつも存在していた。


 だが、今はそれどころじゃない。


 大事なのは、白鳥を見つけることだ。

 以前のように、この近くにいる可能性もある。

 もっとも、あの時は放課後だったが。


 一方で、光さんはやけに嬉しそうに俺に寄り添ってくる。

 正直、どうしてこうなったのか分からない。


 ――聞いてみるべきか?


 ……いや、やめておこう。

 変に探りを入れれば、不自然に思われる。

 それに、今の彼女を傷つけたくもない。


 少なくとも、今は。


 ◇◆◇◆


 しばらく歩いて、ようやく校門が見えてきた。

 相変わらず光さんは俺のすぐそばを離れなかったが、幸いなことに、周囲の視線はそれほど多くない。


 人が増えてくるにつれ、彼女は少しずつ距離を取る。

 やがて、手を離した。

 目の前には、生徒の群れができている。


 それからは、ただ隣同士で歩くだけになった。

 だが、彼女はどこか不満そうだった。

 本当は、まだ手を繋いでいたかったのだろう。


 ――前の俺と、どんな関係を築いてきたんだ?


 そんなことを考えていると、不意に、見覚えのある髪色が視界を横切った。


 すぐ隣を通り過ぎたその少女は、こちらを見ることもなく、そのまま前へ進んでいく。


 制服姿。

 間違いなく、見知った姿。


 横顔を確認した瞬間、確信した。


 ――白鳥だ。


 だが、彼女は俺の存在など最初からないかのように、完全に無視していた。

 まるで、俺が誰なのか知らないかのように。


 声をかけようとした。

 けれど、今はやめておいた方がいい。


 周囲には、彼女に向けられた無数の視線が集まっていた。

 まるで、見る者すべての心を奪ってしまったかのように。


 本人はそれを意に介する様子もなく、

 まるで高嶺の花のように、近寄りがたい雰囲気を纏っている。


 今は別のタイミングを待とう。

 この状況、この視線の中では、明らかに不適切だ。


 それにしても――

 彼女の雰囲気は、俺の知っている白鳥とは大きく違っていた。


 今の彼女は、自信に満ち、揺るぎない。

 以前のような、親しみやすい明るさは感じられない。


 記憶を失っているのか、

 それとも……何かが変わってしまったのか。


 しばらくして、俺は自分の教室へ向かった。

 光さんと並んで、二人揃って教室に入る。


 まだ、この状況に慣れるのは難しい。

 当然だ――今日は、彼女と過ごす最初の日なのだから。


 教室の中央あたりの席に向かおうとしたが、そこにはすでに誰かが座っていた。


 ――あれ?


 どうやら、俺の席も以前とは違うらしい。

 だとしたら……今の俺の席は、どこなんだ?


 そう思っていると、光さんの方から視線を感じた。

 彼女は何も言わず、ただ目で隣を示している。


 正直、すぐには理解できなかったが、

 その視線の意味は一つしかない。


 ――あそこが、俺の席なんだろう。


 彼女の席は、教室の一番後ろ。

 窓際の二席だった。


 二つの机は、やけに近い。

 まるで、同じ教科書を共有する前提で並べられているかのようだ。


 ……付き合っている、という設定なら、確かに納得はできる。

 それでも、どうしてこうなったのかは、未だに分からないが。


「今日の圭くん、ちょっと変だよ。何かあった?」


 心配そうな声で、彼女は身を乗り出し、俺の額に手を当てた。

 熱でもあるのか確かめているらしい。


 残念ながら、体調は至って普通だ。

 この微妙な空気から、うまく抜け出す方法を考えなければならない。


「大丈夫。まだ頭が完全に起きてないだけだと思う。心配かけてごめん」


 そう言ったものの、彼女の視線は完全には晴れなかった。

 それでも、しばらくしてから小さく頷く。


「……分かった。圭くんの言うこと、信じるね。

 あ、そうだ。今日のお昼、いつもの場所に行くんだよね?」


 ――いつもの場所?


 どこだ、それは。

 だが、ここで否定するわけにもいかない。


 彼女を傷つけないためにも、今は合わせるしかなかった。


 授業が終わると、俺は白鳥を探すことにした。


 光さんには気づかれないよう、

 何も言わずに教室を出る。


 白鳥は、俺と同じクラスではない。

 少なくとも、この世界では。


 どこにいるのかも分からないまま、

 俺は校内を歩き回り始めた。


 この並行世界で、

 たとえ俺のことを覚えていなかったとしても――


 今の俺の願いは一つだけだ。

 もう一度、彼女に会うこと。

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