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第22話 心のささやき

 私美慧さんと一緒に、誰もいない通りを歩き始めた。街灯の明かりだけが、こうした場所を照らしていた。


 美慧さんは一言も発さなかったが、私何事もなかったかのように振る舞った。まるで、自分にそう思い込ませることで、彼女が舞さんとのことに気づいていないと信じ込もうとするかのように。


 思い出すたびに、心臓が激しく鼓動した。残念ながら、それは顔の反応にも表れてしまっていた。


 胸に手を当て、無意識にシャツを握ってしまう。それなら、気づかれるのも当然だった。


 隣を歩いていた彼女は、それに気づいたようだった。眉をひそめたのが、ちらりと目を向けたときに見えた。それでも私は、見なかったふりをした。


 私たちはしばらくの間、完全な沈黙の中を歩いた。ただ、足音だけが響いていた。


 私は歩く速度を少し上げた。彼女の不機嫌そうな顔を見たくなかったし、冷静さを保つためでもあった。しかし、シャツをそっと引かれる感触で、足を止めざるを得なかった。


 彼女は指先で私のシャツを掴んでいたが、その手には微かな力が込められていた。俯いた彼女の顔には、わずかに赤みが差していた。


「―……お願い、置いていかないで」


 それはただの頼みごとではなかった。小さく震えている彼女の姿は、まるで怯えているかのようだった。なぜ……?


 その不安そうな様子に、私少しでも安心させようと、小さく微笑んで頷いた。


「わかった、一緒に行こう」


 彼女は私の手を見つめたあと、戸惑いながらもそっと握った。震えはまだ残っていた。


「……いいよね?少なくとも、今日だけは」


 いつものように俺に寄り添うことはせず、ただ、緩く俺の手を握るだけだった。


 俺は頷いた。しかし、こんな彼女の姿は今まで見たことがなかった。まるで、別人のようだった。


 歩き続けても、彼女の手の震えは止まらなかった。それが、だんだんと俺の胸を締め付けた。


 もう我慢できなかった。もしこれが舞さんのことに関係しているのなら、理由を知る必要があった。


 深く息を吸い込み、俺は問いかけた。


「どうかした?時々、不機嫌そうだったり、逆にすごく控えめだったりするけど……」


 俺の言葉を聞いた途端、彼女は驚いたように反応した。まるで否定しようとしたかのように。しかし、すぐに諦めたような表情になり、恥ずかしそうに俺を見つめた。


「……いいよ、私も聞きたいことがあるの」


 その声はあまりにも小さく、かろうじて聞き取れる程度だった。


「いいよ、どんな質問?」


 私迷わずそう答えた。


 彼女は少し顔を揺らし、不安そうな表情を見せたあと、真剣な眼差しで俺を見つめた。


「―……光舞さんとあなたは、どんな関係なの?」


 慎重に問いかけられたその言葉に、特に動揺することもなかった。むしろ、こういった質問がくることは予想していたし、すでに返答も決めていた。


 それでも、あえて驚いたふりをしてみせる。


 そして、ぎこちなくも微笑みながら答えた。


「ただの友達で、クラスメートだよ」


 言い終わる前に、彼女は苛立ったように声を上げた。


「―………嘘をつかないで、高宮くん!私……私、見たのよ!二人がキスしてるところを!」


 やはり、最初からそうだと思っていた。しかし、予想とは違い、彼女の反応は意外なものだった。


 彼女を落ち着かせようとしたが、今の様子では難しそうだったので、素直に答えることにした。


「勘違いしてるよ、美慧さん。キスをしたのは彼女の方だ。俺は…そのつもりはなかった」


 まるで慰めるように、淡々と事実を伝えた。


 彼女はさらに驚いたように目を見開き、動きを止めた。そして、何かを思い出したかのように考え込む。


 そう、俺は一度も受け入れるような素振りをしたことがなかったのだ。


 彼女の表情が揺らいだ。先ほどまで浮かべていた涙の気配が、少しずつ消えていくのが分かった。


 彼女が何かを言おうとする前に、俺は決断した。


 どうせもう、舞さんとのことを見られてしまったのなら、いっそ事情を説明しておいた方がいいだろう。


「何があったのか話すよ。でも、舞さんには絶対言わないって約束して」


 彼女は真剣な表情で頷いた。


(ごめん、舞さん……)


「舞さんは観覧車の中で俺に告白した。でも、俺はまだ返事をしていない。考えさせてほしいって伝えて、答えはもう少し待ってもらうことにした」


 俺の言葉を聞いた後、彼女は一瞬動きを止めた。


 その表情は、最近の彼女とはどこか違っていた。


 少しホッとしたものの、彼女のこの反応が気になってしまう。


「話してくれてありがとう。それと……続ける前に、最後にもう一つだけ聞いてもいい?」


「うん、いいよ……」


 彼女は深く息を吸い込み、少し緊張した様子で口を開いた。


「……高宮くん、好きな人っているの?その…恋愛的な意味で」


 指先をもじもじと弄びながら、恥ずかしそうに言葉を紡ぐ。


 一瞬、何と答えればいいのか分からなくなった。だが、この質問を無視するわけにもいかない。


「……いるよ。だけど、自分の気持ちにまだ確信が持てないんだ」


「……そっか。その人が誰か、教えてくれる?」


 迷った。しかし、どうしても言う気にはなれなかった。そもそも、自分でもまだはっきりしていないのだから。


「ごめん、それは言えない。別に、美慧さんを信頼してないわけじゃない。ただ」


「―……そっか。じゃあ、どんな人なのかだけでも教えてくれる?」


 俺は少し考え込んだ。どう説明すればいいのか、正直迷う。


「そうだな…明るくて、でも時々ちょっと恥ずかしがり屋で…すごく魅力的な子だよ。普段は社交的で、それに……俺たちの部活のメンバーの一人なんだ」


 美慧さんの頬が一瞬赤く染まった。しかし、すぐに元の表情に戻る。


「……そっか。教えてくれてありがとう、高宮くん。じゃあ、そろそろ家まで歩こうか」


 そう言って歩き始めた彼女を見ながら、ふと俺も聞いてみたくなった。


「美慧さんはどう?好きな人っている?」


 彼女は驚いたようだった。しかし、その後、どこか懐かしそうな微笑みを浮かべた。


「……その人はね、私のすぐ隣にいるよ」


 声が小さくて、よく聞き取れなかった。


「ごめん、よく聞こえなかった。もう一回言ってもらえる?」


 彼女は俺の方を見て、無邪気な笑顔を浮かべた。


「……なんでもない。忘れて、ね?」


 結局、聞き逃してしまった。もし最初にちゃんと聞き取れていたら。


 そんな少し気まずい空気のまま、俺たちは再び沈黙に包まれた。

 そして、彼女の家に到着するまで、ただ静かに歩き続けた。


 目の前に広がるのは、温かみのある光が漏れる、モダンな家だった。


 美慧さんは玄関の前で立ち止まり、ふと俺に微笑んだ。


「送ってくれてありがとう、圭くん」


 そう言うと、そっと近づいてきて――俺の頬に軽く口づけを落とした。


「……また明日ね、圭くん」


 それだけじゃなかった。


 頬にキスされたことよりも、彼女が俺の名前を呼んだことに驚いていた。


 どうして?


「―……ああ。また明日、美慧さん。おやすみ」


 彼女はこくりと頷き、そのまま家の中へ入っていった。俺も自分の家へ向かって歩き出す。


 ◇


 美慧さんは家に入るなり、玄関のドアに背を預けるようにしてもたれかかった。


 顔を赤らめ、深く息を吐くと、ふっと微笑む。


「もしかして、私のこと―……好きなのかも。名前を言ってくれなかったけど、あれはきっと…そういうことだよね」


 ◆


 一方、俺は帰り道を歩きながら、恥ずかしさと混乱のあまり、頭の中で無数の疑問が渦巻いていた。


 もし俺の頭がコンピューターだったら、今頃オーバーヒートして爆発していただろう。


 まず第一に――舞さんが俺に告白してくれた。


「俺みたいなやつのどこがいいんだ……?」


 考えれば考えるほど、答えが見つからない。


 このままじゃ、悩みすぎて死んでしまいそうだ。


 ……いっそ本人に聞いてみるべきか?


 それに、あのキス――舞さんは、俺の初めての相手になったわけだけど。


 なぜ彼女はあんなことをしたんだ?


 衝動的にしたようには見えなかったし、そもそも謝るそぶりすらなかった。


「それにしても、すごく気持ちよかったし……またしてもいいかも……。舞さん、可愛すぎて死ぬかと思った……」


 その瞬間、再び心臓が跳ね上がる。


 だが、それだけではない。


 美慧さん――なぜ頬にキスを?

 なぜ俺の好きな人について聞いた?


 今日の女の子たちは、なんだかみんな様子がおかしかった。


 そんなことを考えながら、冷たい夜道をしばらく歩き続け、ようやく家にたどり着いた。


 今日はまた、白鳥と二人きりの夜だ。


 ……頼むから、他の子たちみたいなことは起こらないでほしい。


 でないと、俺の理性が崩壊しそうだ。


「ただいま」


 靴を脱ぎながら、家の奥から白鳥の足音がこちらへ向かってくるのが聞こえた。


 顔を上げた瞬間――俺は息を呑んだ。


 彼女は、まるで普段の彼女とは別人のように、無邪気な表情を浮かべながら、淡いピンクのネグリジェを身にまとっていた。


「おかえりなさい、圭くん。無事に帰ってきてくれてよかった…」


 その言葉を聞いた途端、ふと疑問が浮かんだ。


「そういえば、白鳥は時間旅行者だよな? だったら、神様のことも知ってるのか?」


 彼女は少し考え込んだあと、曖昧な表情で答えた。


「神にもいろいろいるけど…もし"万物を創った存在"のことを言ってるなら……知らないわ」


 まるであまり興味がないかのような口調だった。


 だが、そのあと、急に明るい声で続ける。


「それより、お風呂に入ってきて! もうすぐ夕食ができるわよ!」


「え、ちょっと待て。白鳥、お前…料理できるのか?」


 彼女の顔は誇らしげで、自信に満ちていた。


「楽しみにしてて、きっと驚くから」


 その言葉に少し不安を覚えたが、今日はもう不思議な出来事は終わりそうだった。


 スリッパを履いた後、自分の部屋へ向かい、熱いお風呂でリラックスすることにした。


 今日あったことを少しでも忘れられればいいのに……そう思いながらも、なかなか頭から離れなかった。


 気持ちを落ち着かせた後、楽な服に着替え、白鳥に言われた通り階下へ向かった。


 彼女はすでに夕食を準備し、テーブルに並べていた。鼻歌を歌いながら、どこか楽しそうだった。


 メイン料理は天ぷらのようだ。副菜もいくつか並べられている。さて、どんな味なのか試してみよう。


 白鳥も席に着き、まだエプロンをつけたままの様子だった。


「いただきます」


 二人で手を合わせ、食事を始めた。


 目の前のエビ天が美味しそうだったので、タレにつけて白いご飯と一緒に口へ運んだ。


 ……美味い。完璧な味だ。


 思わず味わいながら食べ進めると、ふと視線を感じた。


 顔を上げると、白鳥が肘をついてこちらをじっと見ていた。両手で頬を支えながら、甘い笑みを浮かべている。


「だから言ったでしょ? 美味しいって」


 慌てて口の中のものを飲み込み、答えた。


「まあ、確かに美味しい」


「褒めてくれてありがとう」 白鳥はいたずらっぽく微笑んだ。


 その後は静かに食事を続け、やがて食べ終わった。


 白鳥が料理を作ってくれたので、せめて皿洗いは自分がやろうと思ったが……彼女は手伝うと言って譲らなかった。


 最終的に根負けし、一緒に洗うことになった。


 白鳥は楽しそうに鼻歌を歌いながら、皿をすすいでいた。


「それで? 舞さんとのキス、どんな感じだった?」


「!? なんで知ってるの!?」


「どうしてって……みんな見てたわよ。すごく盛り上がってたし。でも、結果的には良かったわね」


「良かった? それってどういう意味だ?」


 白鳥はふと真剣な表情になり、言葉を紡いだ。


「ここで、あなたの死を回避できた。それだけで十分よ」

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