第14話 嫉妬
美里さんと別れ、それぞれの家の中間地点で見送った後、家へと向かった。家の近くに来たとき、玄関の前に白鳥が立っているのが見えた。
別に慌てる必要はなかったが、彼女に「美里さんの敗北を慰めに行った」と説明すれば、理解してくれるかもしれない。
だが、確信は持てなかった。彼女には「忘れ物を取りに行く」と言っていたのだから。もし美里さんと一緒にいるところを見られていたら、どんな言い訳をすればいいのだろう。
家へと歩みを進めると、白鳥は突然視線をそらした。やはり、嫌な予感は当たっていた。でも、まだ確かめてもいないのに、どう謝ればいいのか。
何も言わず家に入り、彼女も続いた。しかし、その様子はまるでずっとここで俺の帰りを待っていたかのようだった。
「ただいま」
母さんが迎えに出てきた。
「おかえりなさい、二人とも」
白鳥は何も言わず、靴を脱いでスリッパに履き替えた。俺も同じようにしたが、彼女は相変わらず目を合わせようとしない。
まるで、俺が知っているあの明るい白鳥がいなくなったようだった。女心を理解するのは難しいが、たぶん女性も同じことを思っているのかもしれない。
しばらくして、彼女は自室へ向かい、俺も自分の部屋へ戻った。母さんが「もうすぐ夕飯よ」と声をかけてくれた後のことだった。
やはり、ちゃんと聞かないといけない。
風呂に入りながら、どうやって謝るべきかを真剣に考えた。これは今、真面目に向き合うべき問題だ。
風呂から上がり、部屋着に着替えると、白鳥が浴室へ向かうところだった。その目つきは、やはりさっきと何も変わっていない。
俺は自室で少し執筆をしたり、動画を見たりして、こういうときにどうすればいいか考えた。
しばらくしてから、リビングへ降りた。すると、白鳥がソファに横になりながらテレビを見ていた。しかし、俺の存在に気づくと、明らかに居心地が悪そうに肩をすくめた。
彼女に近づく。今度こそ、ちゃんと聞こう。俺のことを避けていようと関係ない。
リビングには俺たちだけだったので、声を落としてできるだけ近くに寄る。
「白鳥、もしかして俺に怒ってる?」
彼女は一瞬、困惑したような顔をしてから、勢いよく顔をそらした。やっぱり怒ってるな……
「私が怒ってるとでも思ってるの?」
「もし怒ってないなら…… じゃあ、嫉妬してるのか?」
俺の言葉は、まさに核心を突いたようだった。
「だ、誰が嫉妬してるって言うのよ?」
白鳥はツンデレのようにどもりながら反応した。その様子は俺の推測が間違っていないことを示しているようだった。
しばらく沈黙が流れた後、彼女は口を開いた。
「いつもの場所で待ってるから。夕飯のあとね」
それが彼女の最後の言葉だった。その後、俺たちは一言も交わさなかった。
俺は何の話か気になったが、だいたいの予想はついていた。
夕食の時間になり、いつものように母さんの前では明るく振る舞う白鳥。だが、ときどき俺を見つめるその顔には、以前にはなかった寂しさと苛立ちが浮かんでいた。
食事を終えたあと、俺は白鳥の部屋へ向かった。階段を上がる彼女のすぐ後ろを歩く。
彼女は自分の部屋のドアを開け、そのまま中へ入った。俺も続いたが、まだ疑問は残っていた。
前回と同じように、彼女はベッドに腰掛け、俺のほうを見つめた。
その目つきは、やはり怒っているようだった。何がそんなに気に入らないのか、今こそ確かめる時だ。
「それで今なら話してくれる?」
俺が彼女の机の椅子に座ろうとした瞬間、彼女が俺の手を掴み、一気にベッドへと引き寄せた。
彼女はさらに近づいてきた。俺は緊張した。な……なんだよ、いきなり!? それとも、また俺をからかおうとしているのか?
白鳥は恥ずかしそうに、でもどこか誘惑するように、俺の名前を何度も呼び始めた。
以前も似たようなことがあったが、今回は違う。これはただの遊びなのか? それとも……?
俺の心臓はどんどん速くなっていく。もう、覚悟を決めるしかなかった。
俺も同じように彼女の名前を繰り返そうとした。その瞬間、彼女の顔が俺の目の前まで迫り──
だが、突然、俺のスマホが鳴り響いた。
白鳥は驚いたように素早く距離を取り、俺の隣に座りなおした。しかし、俺と目を合わせようとはしなかった。
画面を見ると、発信者は美里さんだった。今このタイミングで?
通話を受けると、彼女の安堵した声が聞こえた。
「よかった、出てくれた! もしもし?」
俺は今日の昼間に彼女へ番号を渡していたが、まさかこんなに早く電話がかかってくるとは思っていなかった。
「うん、どうした?」
「えっと……特に用事はないんだけど…… ただ…あなたの声が聞きたくなって……」
美里さんは少し緊張した様子でそう言った。その言葉に、俺は思わず顔が熱くなるのを感じた。
だが、今の俺にとっては、この電話がまるで救いのように思えた。
白鳥が何をしようとしていたのかはわからない。でも、彼女の表情を見る限り、それは決して冗談ではなかったように思えた。
「ありがとう、美里さん」
彼女がどうしてこんな行動をとったのか分からなかったが、間違いなく俺は助かった。
「ううん、何でもないよ……今、暇じゃない?」
「ごめん、今はちょっと無理。また手が空いたら、こっちから連絡するよ。それでもいい?」
彼女を傷つけたくなかった。結局、勇気を出して俺に電話をくれたんだから、最低限、誠意を見せるべきだ。
それに……色んなタイプの女の子を理解するには、こういう経験も必要なのかもしれない。
そう言うと、電話の向こうから小さな笑い声が聞こえた。
「分かった。じゃあ、連絡待ってるね、タカミヤくん」
そう言って、彼女は電話を切った。
俺はゆっくりと視線を上げ、まだ俺のことを見ようとしない白鳥を見つめた。
「……彼女と一緒にいたんでしょ?」
また少し不機嫌そうな声だった。
やはり、それを疑っていたのか。ならば、もう正直に話すしかない。
「…ああ、嘘をついた。彼女を慰めに行ったんだ。彼女はすべてを失った。もう、彼女の味方は誰もいないんだ」
「そう……。じゃあ、私は?」
彼女は俺の方を向き、潤んだ瞳で睨みつけた。
「私は君のために勝ったんだよ? すごく頑張ったんだよ?」
「私は…君にとって何? 何をくれるの? どうして、こんなことするの?」
胸が締め付けられるようだった。彼女の言うことは正しい。俺は…どうすればよかったんだ?
「じゃあ…何をすればいい? 何でもするよ。君の話をちゃんと聞くから」
俺は自信なさげに答えた。それで十分か分からないが、少しでも気持ちを落ち着かせられればいい。
彼女は伏し目がちになり、小さな声でつぶやいた。
「…キスして」
俺の耳が聞き間違いでなければ、そう言ったはずだ。
「…キス?」
「そう。…どうせ、できないでしょ?」
一瞬、ためらった。確かに、こんなことを言われるとは思っていなかった。
けれど、それが彼女の望みなら… もしかしたら、ただ頬に軽く触れるだけのものかもしれない。
「…分かった。でも、お前からしてくれないか? 俺には、そんな勇気はない」
彼女は静かに頷き、俺に向かってゆっくりと歩み寄った。
そして次の瞬間、俺はベッドに押し倒されていた。
「…え?」
状況がまったく掴めない。
彼女は俺の上にまたがるように座り、じっと俺の目を見つめた。
まだ遊びのつもりなのか…?
しかし──
彼女は俺に口づけた。
唇の感触が伝わる。
不思議な感覚だった。けれど、心地よかった。
心臓が高鳴る。まるで爆発しそうなほど、速く。
そして、彼女の舌が俺の舌に触れた。
絡み合う感覚に、頭が真っ白になる。
やがて、彼女はゆっくりと顔を離した。
俺は何度か瞬きをした。
彼女の笑顔は戻っていた。
けれど……
今の俺は、もう彼女を同じ目で見れなくなっていた。
一体……何が起こったんだ?
どうして、こんなことを……?
何も分からない。
彼女は今、微笑んでいた。まるで、さっきまでの苛立ちが少し和らいだかのように。
「白鳥、お前、まさか俺のこ……」
言葉を飲み込んだ。
まだ確証はない。これは大きなヒントかもしれないが、俺が勝手に決めつけるべきことじゃない。
「これ…私の初めて」
白鳥は頬を赤く染めながら、にっこりと笑った。
これは…確認したと捉えていいのか? いや、まったく分からない。
「こ、こっちも…初めてだ」
彼女は驚いた様子だったが、すぐにまた微笑んだ。
「偶然だね、圭くん」




