第12話 嫉妬と誇り
新しい日が始まり、俺たちは再び学校へと向かっていた。
白鳥に向けられる視線には、そろそろ慣れてもいいはずなのに、それでもまだ落ち着かなかった。
今日は、ついにその日だった。
全校生徒が、「一番美しい女子生徒」に投票する日。
すでに誰に投票するか決めている者もいれば、まだ迷っている者もいる。
だが、ほとんどの生徒は、美慧唯か川城白鳥のどちらかで悩んでいるようだった。
そう考えながら歩いていると、不意に背中に強い衝撃を感じた。
この痛み…なんだか覚えがある。
振り返ると、小さな手が素早く引っ込むのが見えた。
その正体は…香織。
彼女は珍しく、眩しい笑顔を浮かべていた。
「今日はなんでそんなに嬉しそうなんだ?」
俺は不思議に思い、率直に尋ねた。
すると、それに答えるより早く、後ろから声が聞こえてきた。
「おはよう。」
舞だった。
その姿を見た瞬間、背筋に軽く震えが走る。
昨日、俺たちはお互いの名前で呼び合うことにしたんだったな…。
思い出しただけで、なぜか彼女の顔をまともに見られなかった。
俺の様子に気づいたのか、舞も少し表情を変えた。
もしかして、舞も気まずく感じてるのか…?
最初は自然な笑顔だったのに、次第にぎこちなくなっていく。
気づけば、俺たちは二人とも気まずい雰囲気になっていた。
当然、白鳥はすぐに俺たちの様子の変化に気づいた。
「二人の間に何かあったの?」
彼女の声は、何気ない調子ながら、どこか茶化すような響きを含んでいた。
香織はというと、まるで何かを知っているかのように微笑み続けていた。
そうしているうちに、俺たちは次第にこの雰囲気にも慣れていき、いつの間にか普段通りに振る舞うようになった。
白鳥と舞は、髪や肌のケアについて楽しげに話していた。
香織は黙って二人の会話に耳を傾け、ときどき頷きながら、まるで頭の中でメモを取っているかのようだった。
俺はというと、まったく別のことを考えていた。
今、書いている物語のことを。
そんなことを考えながら校舎に到着し、香織を彼女の教室で降ろしたあと、俺たちは自分たちの教室へと向かった。
しかし、教室に入ると、思わぬ光景が目に飛び込んできた。
ほとんどの生徒が立ち上がり、一人の男子生徒を囲んでいた。
彼は教室の前に立ち、手には投票箱を持っている。
俺たち三人は驚きのあまり、思わずそちらに視線を向けた。
だが、番印象的だったのは白鳥の反応だった。
彼女の表情は、瞬のうちに驚きから不満へと変わる。
まるで心の中で「まだこのタイミングじゃないはずなのに… 本当は昼休みに行う予定だったのに」と言っているかのようだった。
彼女が焦るのも無理はない。
予定外の時間に投票が行われることで、正当な票とそうでないものの区別がつきにくくなるからだ。
舞もすぐにそのことに気づいた。
そして、白鳥が「勝負ごとで負けることを嫌う性格」だということを理解した。
正直、俺でも同じ状況なら気が気じゃないだろう。
状況をじっくりと考えたあと、舞は白鳥にそっと歩み寄った。
その瞳には少し迷いがあったが、決意も感じられた。
「圭くんと私で、投票の確認をしようか? それなら、不正は防げると思うけど…どうかな?」
白鳥は一瞬、意識が現実に戻ったように瞬きをした。
だがすぐに、その表情が明るくなっていく。
まるで、一筋の希望を見つけたかのように。
「……本当に? 二人とも、それをやってくれるの?」
舞は優しく微笑みながら、自然な仕草で頷いた。
「もちろん。友達でしょ?」
その言葉を聞いた瞬間――
白鳥は、突然舞に抱きついた。
あまりにも予想外の光景だったので、俺は思わず思った。
(いや…これ、俺だけが見てるんじゃないよな…?)
ともあれ、授業が始まろうとしていた。
次々と生徒が教室に入ってくる中、俺たちはそれぞれの席へと向かった。
◇◆◇◆
授業が終わったあと、俺たちは美慧さんを探すことにした。
彼女の教室に直接行くべきか?
いや、それでも会える可能性は低いだろう。
美慧さんはいつも友人たちに囲まれていて、教室の外にいることが多い。
とはいえ、確認してみる価値はある。そう思い、俺は彼女の教室へと向かった。
廊下を歩いていると、背後から聞き慣れた声が響いた。
「圭くん、待って!」
舞さんだった。
彼女の声は廊下中に響き渡り、周囲の生徒たちの視線を集めた。
なんだろう、この感じ。悪くはない。
だけど、こんなに可愛い子が俺の名前を大きな声で呼ぶなんて…ちょっと恥ずかしい。
そう思いつつも、俺は立ち止まり、舞さんと一緒に美慧さんの教室へ向かうことにした。
彼女は学校中で知られている存在だ。
どこにいるかも、どの教室に行けばいいかも、俺たちは当然のように知っていた。
目指すは2-Cの教室。
迷うことなく向かった。
しかし
そこに辿り着いた瞬間、予想外の光景が目に飛び込んできた。
美慧さんは、数人の女子生徒に囲まれていた。
彼女たちは、普段ならここまで率直に言わないであろう言葉を、次々と彼女に投げかけていた。
「美慧さん、本当に綺麗……!」
「絶対に学校で一番よ!」
「優勝するのはもう決まりね!」
彼女たちの言葉は、外見の美しさを称えるものから、学校内での立場の優位性を認めるものまで様々だった。
そんな賞賛の嵐の中。
美慧さんは教室の前に立ち、どこか落ち着いた表情をしていた。
まるで、これが日常の光景であるかのように。
その時だった。
俺の隣に舞さんが追いつき、立ち止まる。
すると、まるで俺の存在に気づいたかのように、美慧さんが顔を上げた。
驚いたような表情を浮かべる彼女。
そして、その場にいた女子生徒たちの視線が一斉に俺に集まった。
教室内のざわめきが、ピタリと止まる。
美慧さんが、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。
その唇には、どこか挑発的な笑みを浮かべながら。
俺の顔に浮かぶ困惑の色……そして、隣の舞さんも同じ表情をしているのがわかった。
「こんにちは、圭くん」
美慧さんの声は、どこか柔らかく、そしてメロディアスに響いた。
「この教室でも、もう投票が始まっているわ…… というか、すでに全てのクラスでね。私の友人たちを監督役として送っておいたの」
その言葉に、思わず驚く。
しかし、俺が何か言う前に。
舞さんが眉をひそめた。
「……今、圭くんの名前を呼んだ?」
美慧さんは舞さんの方へと視線を向け、無頓着な様子であっさりと答えた。
「ええ、そうよ。何か問題でも? だって……私たち、親しいもの」
そう言うと、突然、俺に抱きついてきた。
その唇には、いたずらっぽい笑みが浮かんでいる。
まるで、「そうよね?」と無言で俺に問いかけているようだった。
どうすればいいんだ……?
体が硬直して、何もできなかった。
方で、舞さんの表情は明らかに険しくなっていく。
理由はよくわからなかったが、その顔には困惑と……それから、嫉妬にも似た感情が混ざっているように見えた。
そして、次の瞬間。
無言のまま、舞さんは俺と美慧さんを引き離した。
強引ではなかったが、確かな力で彼女を押し戻す。
助かった。
俺自身も、やっとのことで反応できそうだったが、どう動くべきか迷っていたところだった。
結果的に、舞さんに助けられる形になったが……彼女の表情は、依然として険しいままだった。
あまりにも不機嫌そうだったので、下手に何か言えば俺まで怒られそうな気がする。
迂闊なことは言わないほうがいい。
「ねぇ、圭くんにそんなことしないでよ」
舞さんの声には、少し怒りが滲んでいた。
「それに、なんで名前で呼ぶの?」
そう言って、今度は俺の方を振り返る。
「圭くん、これはどういうこと?」
「いや……正直、俺にもよくわからない……」
戸惑いながらも、正直に答える。
「昨日、一緒にジュースを買った後、急に呼び始めたんだよ」
できるだけ冷静に説明したつもりだった。
けれど、その直後。
美慧さんが、芝居がかった仕草で胸に手を当て、大げさなため息をついた。
「まぁ、ひどいわ、圭くん!」
いたずらっぽい笑みを浮かべながら、彼女は言う。
「私たち、お互い名前で呼び合うって約束したじゃない。……もう忘れちゃったの?」
挑発してる。
美慧さんの狙いは明らかだった。
そして、案の定。
舞さんはその挑発に乗せられてしまった。
顎がわずかに引き締まり、目が鋭くなる。
「……そんなことを続けるなら、私が直接投票で勝負するわ」
彼女の声は、冗談抜きで本気だった。
「もし私が勝ったら、圭くんをからかうのをやめてもらうから」
「まぁ、まぁ……」
美慧さんは目を細め、楽しそうに微笑む。
「もしかして……私が名前で呼ぶのが、そんなに嫌なの?」
その問いかけには、明らかに含みがあった。
けれど――
舞さんは、一歩も引かないようだった。
舞さんは拳を握りしめた。
「わかった、あなたの挑戦を受けて立つわ。」
「でも…投票はもう始まっているのよ?」美慧さんは、あざとく首をかしげて言った。「結果が出るまで待ってもらわないとね~。」
しかし舞さんは迷わず、彼女の言葉を遮った。
「今日、今日中にやりなさい。結果はそれで決める。」
その確信に満ちた言葉に、美慧さんは一瞬驚いた様子を見せたが、数秒後には自信に満ちた笑顔を浮かべた。
「わかった、受け入れるわ。だから、負ける準備をしておきなさい。」
「それは私のセリフよ。」
二人が火花を散らすような視線を交わす中、俺は小さくため息をついた。
「結局……もう一人の参加者がいたってことか。これがどうなるのか、全くわからないな……。」




