8
「帰る前に一度山によろうか」
僕はそう言った。
「わかった」
そして僕は一つを除きこの事件の謎を解いた。解いてしまった。
知ってしまった。知るという事は不可逆の行為である。知った人間は知らない人間に戻る事は出来ない。忘れたとしても記憶というものは喪失するものではなく思い出せないだけなのだ。
後悔はない。知るべくして知った。最後の謎を解くためには必要だったから。
始まりはただの違和感だった。
ただ解いた、と断言できるほど全てがわかったわけじゃない。
そうなのだろうな、という予感と納得を得てしまった。その瞬間に僕の中で決定的な否定でもされなければそうなってしまったのだ。
そんなことで、と言われるかもしれないが、僕は探偵でも警察でもない。ただの一般人であり証拠というものは要らない。別に僕は告発しようとしているわけでもないのだから。
必要なのは答え合わせをする勇気なのだ。
山は夕日を受けて赤くなっている。紅葉のように見えて、この暑さが幻覚のようにすら思えた。
けど内に入ってしまえば木々は夕日を遮り、じっとりとした夏の暑さを直視させてくる。
「あの木。よく待ち合わせの目印に使ったっけ。デカいから」
「見つけたのは涼子だったか」
僕の後ろに続いている鋼牙に言葉を投げかける。懐かしい言葉が返ってくる。
涼子がいた記憶はこの山に多く残っている。
だからこそ僕はここに行くことを選んだ。
「鋼牙。もし、この事件をミステリー小説みたいに解釈するなら謎は何になると思う。不謹慎だなんて怒るなよ? 必要な事なんだよきっと」
「何故、加藤さんは殺したのか、か?」
「そうだね。何故加藤さんは殺人を犯したのか、それは確かに謎だ。でもそれは根幹に当たる所であるしそういうのは自白じゃないとわからないだろう。でも僕たちはそれを解き明かそうとしているわけじゃない」
山の斜面を歩きながら僕たちは会話をしている。
僕が先行してる今鋼牙の顔は見えない。
振り返らずに後ろに言葉を投げかけて、話を続ける。
「僕が最初に思ったのは、何故涼子はそんなところにいたのか、だった。ここは確かに僕らの遊び場だ。けどあの日は大雨だったんだ。行くはずがない。山は危険なことは爺さんによく聞かされていた。雨の山なんて特にだ」
山のぬかるみを進みながら言うセリフではないが。心の中でその言葉を付け加えた。
雨の痕跡はこの山にまだ残っている。用心して近寄るべきではないのだ。
だけどこの山じゃなきゃいけない。
「次に思ったのは、そもそも何故犯人は銃を盗んだのだろう、だった。加藤さんが銃を盗んだのだとしたら……盗みのため? 強盗に使うとしても銃ほど盗みに使うのに不便なものはないだろう。音が出るし、なんせ大きい。しかも出してしまえば警察からの警戒は跳ね上がる。金のため? 猟銃なんて大した金になるとは思えない」
僕は静かに歩みを止めた。
足音が止まったことを鑑みるに鋼牙も僕の後ろで止まっている。
影が二つ見える。僕の影と、鋼牙の影だ。
僕は鋼牙を見るのではなく、そのまま影を見つめて話をつづけた。
「加藤さんが銃を盗んだのだとしたら、涼子がこの山にいたのだとしたら、その二つの仮定を盲目的に信じたのだとしたら確かに彼女がなぜ殺されたのかは確かにわかる。僕らが爺さんに見せてもらったのを覚えてるかい? アレは相当大きい。あの大きさのものを持って山から下りているのを見られたらすぐにバレてしまう。口封じ、というやつかな?」
この理由は二つの謎を放置している。結論から考えてしまっているからだ。
だからなぜ殺されたかの理由を作りあげたいのならこの二つの謎を解こうとするのが一番の近道なのだろう。
でもそれは結論ありきの過程であり、本末転倒でしかない。
結果を決めて過程を考えるのは良いとは思うが、それで考えを固めてしまうのは良くないことだ。
だから僕はそうは思わなかった。
口封じという理由はこの事件では当てはまらないと思った。
この山を捜査していた警察官の足跡はばらけていなかった。すぐに事件現場らしきところを推察できるほどに密集していたのだ。逆に言ってしまえば他の場所は密集していなかったという事でもある。つまり現場はたった一つなのだ。
その時点で僕は口封じという理由は無理があるという結論を導き出した。
猟銃を使ったこともない素人が、女子とはいえ元気いっぱいの歳である若人を、一撃で?
気付かれていなかったら動きもしないだろうし、撃てるだろう。雨が隠してくれるとは言え気付かれない距離で確実に逃げる事も出来ない致命傷を?
無理だ。銃というものはそんな都合よく出来ていない。素人が使うなら銃よりもそこらへんの太い枝で殴った方が隠密性、確実性共に上だろう。一発外してしまえば雨なら他の人間には気づかれはしないだろうが、被害者が気付かないはずがない。逃げられてしまう。
「涼子は口封じで殺された。そう僕が言えば満足かい? 鋼牙」
「なんの、ことだ?」
後ろで彼は全く予想していなかったという声を出した。そりゃそうだろう。僕でさえこんなことを言う事になるなんて思いもしなかったんだ。
そして決して僕は振り返らない。
「吞み込めないなら質問を変えよう。僕はこれからどうなるんだ?」
「……」
彼は答えなかった。彼の表情をうかがい知る事は出来ない。何故なら彼の表情を見ないために僕は前を向いている、振り返らない。ただ二つの影を見つめている。
夕陽が横から僕らを照らす。夏は太陽を憎みそうになるくらいは暑いというのに夕陽は何故か嫌いになれないのは何故なのだろうか。
いや、夕陽もひっくるめて太陽ですらも嫌いになれないんだろう。僕は。
真上に輝く太陽が暑さの矢を降り注いでも、そのたった一日前に見た綺麗な夕日もまた太陽なのだから。
「はっきり言おう。僕は死にたくない。抵抗だってするさ。話し合いで止まってくれるなら万々歳なんだが」
「何を言いたいんだ? はっきり言ってくれ」
「君だろう? 涼子を殺したのは」
鋼牙が息を飲むが聞こえた。
僕の言葉をきっかけに僕らの遊び場だった山が張り詰めた鉄の糸のような空気が広がる。
僕は怖気づかないようにゆっくりと肺に空気を入れて膨らませ、ゆっくりと咀嚼するように吐いた。
「証拠は、あるのか?」
「はっきり言うよ。無い。僕は今でもそうじゃなかったら良いなと思ってるし、何も証拠がない。だから聞いているんだろう? 僕のこの確信を否定してくれたって良いんだ」
「いつ、そう思った?」
「いつなんてはっきり言えないかな。今日君にあった時からずっと違和感はあったんだ。そしてふと納得を得た。だからいつ気付いたかなんてのは、無いかな」
「何故……何故そう思ったか聞かせてくれるか?」
そうか。わかった。そうぼやくように言って鋼牙の方へ振り返った。
目の前に銃口がある。銃口の奥には弾が入っており、そのたまには火薬が入っているのだろう。つまりは実弾という事だ。
鋼牙のからっていた長い鞄の口が開き、くしゃくしゃになって落ちている。やっぱりあの中に入っていたのか。
猟銃を突き付けられた僕は悲しめばいいのか、怖がればいいのかわからなかった。そしてどちらもしなかった。
だからじっとりと汗をかき、瞳孔がぶれ、手が震えている鋼牙の事をゆっくりと見つめた。
「最初に気付いたのはなんで涼子が山にいたか、だったよ。ずっと考えてたんだ、なんでなんだろうって。ねぇ、鋼牙。僕のせいだったんだろう?」
「……」
腕を切り落とされたような苦悶をこらえた顔を彼はした。正解なのだ。
あぁ、やっぱり正解だったんだね。泣きそうになったけれど僕は我慢して続けた。
「僕の誕生日。僕に連絡を取らずに集まれる口実には最適だね。大雨なんだから山なんてよしときゃいいのに」
「俺が無理を言ったんだ。すぐに集まりたいからって。迷子になるより知っている場所で集まった方が早いって」
「そっか」
やっぱりそうだったのかぁ。
誕生日プレゼントを選ぶのに僕は邪魔だもんな。邪魔、なんて言い方は無いかもしれないが真実僕は邪魔だったのだろう。
「僕らは爺さんが猟銃を持っていることを知ってる。そして最近爺さんはFPSにはまってるから盗みにも入りやすい。だからだろ?」
「それだけじゃない。銃が欲しかった。一瞬で殺せる銃が欲しかったんだ」
「一瞬が、大事だったんだ」
「苦しまないだろう?」
彼はそう言って持っている銃を見た。
僕は何だか懺悔をされているように思えて無性に悲しくなった。
そんな顔はしないでほしかった。
「君はコンビニで加藤さんが仕事だったのか聞いただろう?」
「あぁ、だが怪しくないだろ。少なくとも俺はそう思っていた」
「違うんだよ。それ自体は怪しくない。加藤さんが遅番の次の日は一日寝ているって情報の方があまりに都合が良すぎる。彼が犯人だとすると犯行が可能っていう情報だ。彼以外が犯人だと仮定するなら彼はその一日家で寝てくれるんだ。アリバイも作りようがない。都合が良すぎるんだよ、そしてそれを僕に与えたのは君なんだ。だからどうしても君が怪しいんだよ」
「騙そうとしていること自体がバレたのか」
「ちなみにどうやって加藤さんが遅番の後は一日寝てるって知ったんだい?」
「叔父さんに呼ばれた帰りにコンビニに行くことがあるって言っただろう。加藤さんとはよく話したんだ。その時にな」
「そういうことか。全員を騙そうとしていると考えずに僕を騙そうとしていると考えると、全てに納得がいった。」
だから。だからこそ僕はここに来た。
彼が僕を騙そうとしているのならば、彼が僕に殺意を感じているのならば。
山に行かねばならなかった。
「僕を殺す為、いや僕を殺す時間を確保するためなんだろ? 加藤さんを犯人に仕立て上げたのは」
「あぁ。そうだ、そうだよ。俺が色々やったのは全てはお前を殺す時間稼ぎの為だ」
彼が警察へ加藤さんを犯人にするためにどのような事をしたのかは知らない。だが実際彼が捕まっていることを見るに効果はあったのだろう。だがそれも時間の問題だ。僕がわかる事が警察に分からないはずもない。
僕の家に来たのは僕を心配していたわけでも母さんから電話を受けたわけでもなく、僕が引きこもっていたもんだから焦っていたんだろう。子供の小細工が大人によって解き明かされるよりも早く僕を殺す為に。
「聞かせてくれよ。僕はどうやってやったか、誰がやったかはわかった。でも何故やったかだけはわからないんだ。君は何故涼子を殺し、僕を殺そうとしているんだい」
「わかった。全部話すよ」
彼は猟銃を落とした。そしてそのまま腰を落として胡坐をかいた。下がぬかるみであるというのに。
一瞬驚いた。その紙一枚分の空白の後穏やかな笑いが口角を上げたのだ。
勿論僕も胡坐をかいた。ようやく僕はいつもの彼が見れたようで。
ずっと感じていた彼への違和感は今消え去った。
「夏休みの始まり、鹿の死体を見たよな。俺はアレを見て怖くなった。死体とかそう言う事じゃないぜ。人生は長いだろ? 事故とか病気とか……殺されたりとかなければ。でもアレはゴールだった。ゴールが見えて、あぁ随分遠いんだなとも思った。でも長いってことは、それだけ変わるって事なんだって。変わり果てた姿もアレだった。俺たちだってもうすぐ受験だよ。そっから先はどうなるんだろうって、仲良いままでいれんのかなって。お前らと遊んでめっちゃ楽しかった。それに誓って嘘はない。でも終わりはある。疎遠になるとか、何かがきっかけで仲が悪くなるとか。変わるのが怖かった。たまらなく怖くて」
僕は今ようやく彼が怖がっていたことを知った。
そして共感した。僕も怖いと思っている事だったからだ。
何事も変わってしまう事は止められない。諸行無常なのだから。
明日が来る限り変化してしまう。昨日の方が良くたって戻る事は出来ない。
明日は今日とは違うって事で、今日は昨日に戻れないって事なんだ。
でも僕が少し前向きに生きていたのはあの日涼子の話を聞いていたからだろうか。
「だから、ここで終わった方が幸せなんじゃないかって思った。今ここで終わってしまえば、僕らはこのまま終われるんだって。バカな事だってわかってたさ。わかってたんだけど……やったんだな、俺って」
「なら僕を殺して君も死ぬつもりだったのかい?」
「うん」
「変わるのが怖いと言う君自身が何もかも変えてどうするよ」
それは何も考えず気が付けば口に出していた。感じていたことが言葉になって零れてしまったのだろう。
そう言うと彼は何も話せなくなってしまった。
きっと気付いていなかったんだ。
自殺するというのは本気だったんだろうなぁと思った。唯一無二の人間、さらに友達という者を殺したのだ。
そうするしかないんだ、と思った。僕も涼子も殺した彼は自殺しなければならないのだと、もし生きたとしても僕と涼子は呪いとして彼の両肩にへばりつくのだろう。例え僕も涼子も呪ってなくとも。
彼が彼自身を呪うのだろう。
「自殺なんてするなよ」
「う、ん」
僕は彼に生き続けろ、と言った。
それは決して優しくないと思う。少なくとも彼にとっては。残酷ともいえるだろう。でも僕は言う権利があると思っていた。
だから彼にこの言葉を言うために、ここに来て僕は話をしている。
「自首……するかい?」
一瞬だけ、間があった。
彼は一息大きく吸い込んだ。そして力尽きるように大きく、大きく吐いた。
そのため息はとても多くの感情が宿っていたのだろう。僕には彼の気持ちはわからない。僕は彼でないし、彼は僕でない。
だけど予想する事は出来る。これから生きていくこと、自殺することを諦める事。
目的を達成せずに止めるという事はただ彼女を殺しただけになってしまう事。そして長く背負い続ける事。
その全てを飲み込む感情はきっと言葉に出来ないだろう。
「うん」
「そっか。じゃあ、色々、ほんと色々終わったら一緒に涼子の墓参りに行こう」
僕の言葉に鋼牙は絶句している。
目をぱちぱちとさせて開いた口を何度も閉めようとして失敗している。その姿はまるで死にかけの金魚みたいで。
あぁ滑稽だ。僕はけらけらと笑う。いや、大笑いしているのかもしれない。自分がどういう顔をしているかわからなかった。
涙が目からあふれる。笑い泣きというやつは初めてで新鮮だ。
「涼子が死んで以来一番笑ったよ」
「俺が行っても、いいのかな。それに道也も?」
「なんだよ、僕ら友達だろ?」
「でもおれは」
「三人で爺さんとゲームで遊んだのは楽しかったな。涼子の奴が自由研究に俺らを使い始めた時は疲れたけどなんだかんだ楽しかったな」
「……おう」
「あの頃に戻れはしないさ、でもあの頃があったのは事実だろう? 嘘にも何にもならない、変わることはない。いつか例え僕とお前が疎遠になったとしても僕ら三人が友達だったのは変えようがない事実なのさ。友達だったんなら墓参り行くくらいしないと怒られるぜ。少なくとも僕はそう思ってる」
「そうかなぁ……そうなのかなぁ」
「だから全部終わらせて来なよ。待ってるから」
「うん」
鋼牙はうつむいた。
僕は顔を上げる。気が付けば夕日は小さくなってしまい空はオレンジから紫に変わっていっている。日が暮れるのだ。
あぁ、もう帰らなければ。ただでさえ僕は母さんに心配をかけているんだから。
けれど横にいる友達も見捨てることなどできない。見捨てるには楽しい思い出が多すぎた。
風が頬を撫でて通り過ぎていった。風というのは線で表されることが多いが、まさしく世界に線が描かれたようで。
そして確かに冷たかった。僕は決して涼しいと感じはしなかった。冷たいなと感じた。
つまりそれは、それは、秋なのだと思った。これは秋の風なのだ。スマホを開きカレンダーを見る。
いつの間にか夏至を過ぎていたらしい、まだ暑く夏の青い匂いがこんなにも満ちているというのに夏は終わろうとしているのだ。
僕はそれに寂しさを感じればいいのか、嬉しさを感じればいいのかわからなかった。
「夏ももう終わるのか」