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人が死んだ。否、殺されたのだという。しかもその殺された人は僕の知ってる人、仲のいい友人なのだ、と。
目の前では線香がさらりとした煙を垂れ流している。どうも僕は目の前の現実をうまく咀嚼できていないような気がする。
人がビンタをされた時衝撃だけを知覚する事しかできないのによく似ている。痛みは後から来るんだ。
現に僕は今悲しみを覚えてられていない。友達が死んだという事も理解している。もう二度と会えないのだという事も理解している。理解しているはずなのに。
理解しているだけなのか?
理解はしていてもそう感じているとは限らないのだと、思う。そうでなければ僕は長く遊んでいた友達が死んだというのに涙の一つも落とせていない人でなしのようではないか。それとも僕は真に薄情な人間なのだろうか。
地上で溺れるかのように僕は泣けばいいのだろうか、それとも殺した犯人に怒りを覚えればいいのだろうか。
悲しみ泣いている周りの人達がすぐ傍にいるはずなのに遠くに感じる。これは疎外感なのだろうか。
いや、周りの人達が遠いのではなく、僕が遠いのだ。まるで僕はこの体にいないみたいに、ふわふわと浮いて遠くの方からこれを見ているような。とても心地よいとは思えない鈍い感覚。
眼球から入る景色はテレビのように、耳から入る励ましの言葉は全て水が滲ませてしまったように。
覚える思考は小説の文字のように。
棺桶の中に体はないのだという。そう教えられた。
体はまだ警察のところにあるのだと。
死んだのだからもうそこに魂はないのだ、と。だから先に葬式をするのだ、そう言っていた。
僕はそれが正しいと思う。死んで体から魂というものが抜けていくのならば、そこにもういないのであれば遺体に拘って葬式をしないのは本末転倒なのではないかと。
でも最後に顔が見れなかったのだけが残念だと思った。
勿論そこに写真はある。僕のスマホの中にだって。僕らは仲が良かったのだから。
でも、最後位見たかった。
あぁ、もうすぐ葬式が終わる、日常に戻る。いや、戻ろうとするが正しいのだろう。僕は葬式が終わろうとも日常に戻れるとは欠片も思わなかったから。
そうしていつか痛みが追ってくるのだと。衝撃しかない僕にはいつか痛みだけの夜が来るのだと。
予感している。断言すらできる。そうあるべきだと信じている。
何故、こうなったのだろうか。そんな事言うのはあまりにも無意味だと、全く無価値だと思う。
でも僕はそう思わずにはいられないし、脳は走馬灯のように記憶を再生し始めた。