9話 記憶
トオル視点です
10年以上も前の話なのに、不思議と印象に残っている記憶がある。俺がこの世界に転移して半年経った頃、昼下がりの睡魔に抗いながら勇者とともに国王陛下の個別授業を受けた時のことだ。
「この世界において、魔術を使うことのできる人間は10万人に一人の確率でしか生まれない。それでいて、攻撃の手段として使えるほどの魔力を持つ人間の割合はもっとずっと少ない。お主達二人が同じ空間にいられるこの状況は、天文学的な確率の奇跡なのじゃよ」
「へぇ」
勇者が至極どうでも良さそうに呟いた。勇者は午後の睡魔に耐えられる気持ちの強さを持っていないし、本人に耐えようという気持ちもないし、戦闘の才能さえあれば座学は必要ないと思っている節があった。国王は最初こそ呆れながら勇者をゆすっていたが、勇者がそう簡単に眠気を撃退できるはずもなく、あっという間に俺と国王陛下の個別授業に切り替わった。
「勇者はいつになったら学習の重要性を分かってくれるのか」
「一度痛い目に合えばいいと思ってます」
「勇者が痛い目に合う・・・か。お主が敵にならん限り、そんなことは起こらんかもしれんなぁ」
国王は困った表情のままこちらを向き直った。
「勇者の理解者であってくれよ。トオル」
「はい」
「そして勇者もまた、お主を理解し支えるのだ」
「・・・」
異世界に転移して半年経った頃の俺は午後の授業になると迷いなく寝始める勇者がずっと苦手だったし、言い方は良くないが、こんなにも頭の悪そうな人間に心を許す未来が全く見えなかった。こいつが転生先の勇者でなければ、俺達は一生関わり合うこともなかったと思う。
「勇者とは仲良くなれそうか。トオル」
俺の心中を察した国王が優しい目で問いかけた。
「考え方が違うんだと思います。良い奴だとは思いますが」
今にもいびきをかき始めそうな勇者を横目に見る。良くもまぁ隣でこんな話を展開されながら眠れるものだと感心した。
「確かに、合理的なお主と直感に生きる勇者とでは噛み合わんこともあるじゃろうな。しかしな、トオルよ。魔法よりも勉学よりももっと重要な学びというのは、一見重要に見えないものの中にこそ隠れているものなのじゃ。勇者はお主にとって最も大切なことをこれから沢山教えてくれる。そしてお主もまた、勇者にとって大切な何かを、お互いの関わりの中で教えていくことになるじゃろう」
この時の俺は、自分から勇者に何か教えることはあるけれど勇者から学ぶものは何も無いだろうと思っていたので、国王陛下の言葉へ素直に頷くことは出来なかった。俺よりもこの世界にずっと長く生きているはずの勇者は、座学から逃げ続けたせいですでに俺よりもずっと知識に乏しかったからだ。
「勇者が寝てしまったから、今日は授業内容を変えようかの。呪術について話そう」
「呪術?」
俺が呪術という言葉を耳にしたのはこの時が初めてだった。国王はこちらをゆっくり見やり、窓の傍にあった椅子を寄せ腰掛けた。
「トオル。異世界人の役割とは何だと思う」
「魔神王を倒すことでしょうか」
国王はにこりと笑ったけれど、その笑い方が不正解の時のものだと気づいた俺は首を傾げた。
「違うのですか?」
「そうかもしれんし、そうでないかもしれん。何故ならお主が異世界としてこの世界にくるまでは、勇者がその役割を担っていると信じられていた」
「勇者に魔神王を倒せるとは思いません」
「今の勇者にはな。しかし数年も経てばおそらく魔神王に匹敵する力を身に付けるじゃろう」
過去魔神王討伐を試みた勇者は何人もいたが、全員魔神王の圧倒的な力により返り討ちにされたと聞いている。
「俺にはそうは思えません。勇者が勤勉だったなら国王陛下のお言葉にも納得がいきますが・・・」
国王は面白そうに笑いながら髭を撫でた。
「お主もそのうち分かるじゃろう。勇者は努力家じゃよ」
口を噤む俺を他所に国王は言葉を続けた。
「少し、視点を変えて話そうかの」
俺は姿勢を正し国王を見上げた。
「これはわしの持論なのじゃが・・・、この宇宙はとてつもなく巨大な大樹のようなもので、一つの幹から派生した無数の枝が、どこまでも分岐し新しい細胞を生成し続ける一つの生命体なのではないかと考えることがある」
「大樹・・・?」
無限の宇宙に浮かんでいる無限の星々を想像していた俺は、国王の言葉に最初は全くピンと来なかった。
「それは無辺際に伸び続ける枝葉かもしれんし、もしかしたら存在可能な質量には限りがあって、飽和状態になると何かしらの剪定が行われるものなのかもしれん。実際のところは誰にも分からん」
「国王陛下の持論が、呪術と関係してくるのでしょうか?」
国王はにこりと口角を上げたを
「異世界人に必ず与えられる特権は2つある。1つ目はお主も知っている魔術の才能とそれに付随する特殊スキルじゃ。魔術というのは自然を利用した超常現象のことを指す。一見この世の理から外れた超越的なものに見えるが、質量の保存法則を覆すことはなく、与えられた秩序の中で現象を操作できるにすぎん。特殊スキルというのは、一定以上の魔力量を持った人間に発現する個性のようなものじゃ。付与されるスキルの内容は、その人間の生まれ持った遺伝情報や思想、性格が色濃く反映される。魔術は異世界人には必ず顕現するが、異世界人だけの特権ではない。数こそ少ないが、この世界にも魔術を持って生まれた人間は複数人存在する。今お主の隣で眠りこけている勇者がその良い例じゃな」
俺は恥も外聞もなく熟睡している勇者を一瞬だけ見た。
「そして2つ目の特権というのは、もう勘づいているじゃろうが呪術じゃ。魔術と違い、呪術は異世界人にしか使うことのできない完全な特権になる。呪いを使うことで、お主達異世界人はこの世の理を完全に無視して情報を書き換えることができるんじゃよ」
俺は国王の言葉に驚いて目を瞬かせた。
「そんな凄いことが出来るんですか。魔術は誰から教えられずとも使えるようになりましたが、呪術というのは今まで感じたこともありません。どうすれば使えるようになるんですか?」
国王は困ったように微笑んだ。
「呪術の使い方は、異世界人にしか分からんよ」
「国王陛下は、呪術を見たことがあるのですか」
「・・・ない」
目を細め窓際を見つめる国王の姿を見て、俺は直感的に〝あるのだな〟と思った。そうであれば教えてくれれば良いのにと思ったが、この時の陛下の反応を見ると何も言えなかった。
「トオルよ」
「はい」
「呪術は使ってはならん。今日はそのことを教えたかった」
「どうしてですか」
異世界人に呪術の力が付与されるのは、呪術に何か特別な役割があるからだろうと想像していた俺は、陛下の言葉にただ疑念を抱いた。〝使うべきだから〟用意されているものではないのか。
「わしはお主に、ただ命を大事にして欲しい。生きることへ執着して欲しい。一人一人の人間が素晴らしく尊い存在で、お主もまたこの世に無二の存在であることを理解して欲しい」
「・・・」
「呪術は使用した人間の天寿を喰らう」
「天寿?」
「神から与えられた運命じゃよ。人は生まれると同時に死ぬ瞬間までも天寿により決定づけられる。どれだけ壮健な大男であったとしても、天寿が20であれば20年しか生きることは出来んし、逆に歩くこともままならない重病人であったとしても、天寿が100であれば必ず100歳になるまで死なん。・・・まあ、病気になるかならないかという身体症状までも、もしかしたら天寿により最初から決まっておるのかもしれんな」
国王はこちらを見て、そして口を開いた。
「魔術では天寿を動かすことは出来ん。魔術による攻撃により死んだ者がいたとすれば、それがその者の天寿であったというだけの話じゃ。天寿の訪れていない人間は、何かしらの作用が働き必ず死を回避することができる。・・・呪術は使った人間の天寿を燃料にこの世の秩序を狼藉する。そして喰らわれる異世界人の天寿は、呪いの作用により生じる蓋然性の揺らぎの大きさに比例するのじゃ。蓋然性は目には見えんからの。術者が想定していたよりも天寿を喰らわれずに済む場合もあれば、〝大したものてない〟と思った呪いがその者の天寿を全て飲み込んでしまうこともある」
「・・・喰われた寿命の長さは術者に分かるのですか?」
国王は首を振った。
「分からん」
「では、元々持っている天寿は?」
また首を振られた。俺は段々とみえてきた呪術の理不尽な構造に眉を顰めた。
「定められた天寿が50だとしたら、例えば17の俺の場合、残り33の寿命からランダムに削られるということでしょうか。まるで賭博だ。天寿が長ければ良いけど」
自分は何となく短命だろうと予想していた俺は、呪術の話を聞いてげんなりした。全く使えそうにない。例えば誰かを守るため呪いを行使したとして、自分に残された寿命の長さが蓋然性を下回っていたらその場で死ぬじゃないか。
「理解が早いのぉ。関心するわい」
「・・・」
国王は笑いながら頷いた。
「自分の天寿も分からない。削られる寿命も分からない。命を大事にしない異世界人は、過去全員呪術によりその天寿を失ってきた」
「・・・魔術を持つ人間は、通常より寿命が長いと聞いています」
「その通りじゃ。現に魔術を使用することのできるわしは今年で484を迎える。お主の天寿は分からんが、事故や病気にならない限りは誰よりも長く生きることができるじゃろう」
「・・・」
「だからといって、呪術を安心して使える理由にはならん」
国王は断固として言い放った。
「無自覚に呪術を発動し命を失った異世界人もいたと聞く。文献に刻まれた呪術の記録はどれも悲惨なものよ。異世界人は非常に珍しいが、この世界の歴史を何千年も遡れば、転移の記録は20を超える。そしてそのほとんどの者は呪術により身を滅ぼした」
「そんな・・・」
「もう一度言う。呪術は使わんでくれ。トオル。わしには秩序だとか蓋然性なんぞどうだって良い。ただ、お主が命を落とすことだけは」
そこまで言って国王は言葉を切った。俺もまた口を閉ざし、そこから先はずっと呪術のことだけを考えていた。
――異世界人がこの世界に転移させられる理由は何だ。そして必ず呪術を付与される理由は。過去魔神王を呪術により倒したという記録がないのは、倒せなかったからなのか?魔神王を殺せば蓋然性に巨大な揺らぎが発生する・・・?魔神王が死ぬことで発生する揺らぎって一体。
呪術の出現が魔神王討伐のためのものでないのなら、異世界人は、俺は何でこの世界に。俺は一刻でも早く前の世界に戻りたいのに。
国王が考え耽る俺を見て笑った。
「優等生じゃの。お主は」
この言葉は俺の心にしばらくの間とどまって、影響した。