5話 トオルと国王
そこからしばらく、俺と国王は沢山の懐かしい話をした。
俺がこの世界に転移してきたのは今からちょうど10年前。齢17の時だ。
驚いたことに、その時以降俺の容姿に殆ど変化はなく27歳を超えた感覚は全くない。
俺然り勇者然り、この世界では魔力を持つ者の成長速度は一般市民と比較して極端に遅い。
現に目の前にいる国王陛下も、見た目は御老人だが300年を超える歴史を持つこのグリシア王国を建国当時から支えてきた偉大な人物なのだ。
「お主たち勇者パーティーの一行はわしにとっては家族のようなものでな、またこうして言葉を交わす機会を得られたことが心から嬉しいよ。特にトオルと勇者。二人は血こそ繋がっていないが、本当の息子としてずっと大事に思っていた。二人とも別々の理由で身寄りのない子供だった」
「・・・感謝しております」
ここに来てもう数十分以上経つというのに、一向に話が進まない。時間は十分にあるし問題はないのだが、このまま話を合わせていたら俺達の要求が有耶無耶にされたまま終わりそうだ。国王との再会は素直に嬉しいが、向こうのペースに完全に飲まれる前に本題をけしかけよう。
「ああ、楽しいのう。勇者のあの子からは掻い摘んでしか聞いてなくての。トオル。魔神王討伐の冒険談、お主の口から聞かせてはくれんか」
「あの、国王陛下――」
「トオル、頼む。もう少しでいいから親子の会話をしたい」
くそう。さっきからこればっかりだ。
話題をすり替えようとしても直ぐに遮られてしまう。そもそも今日は奴隷解放の件に関して話しに来たんだ。どれだけ別の会話で気を紛らわせようと主題は変わらない。国王陛下が何故こうまでして話を引き延ばそうとするのか理解が出来なかった。国王のしたい〝親子の会話〟というのは、全ての要件が片付いたあとではダメなのか。王間に俺を通したということは、奴隷解放について陛下からも何か意見があってのことではないのか。
「そう苛立つでない。久しぶりの再会なのじゃ。もっと笑顔を見せてくれぬか」
「そういうわけにもまいりません。国王陛下。我々の要求への返答、今一度考え直していただけませんでしょうか」
ほぼ強制的に本題をぶつけると、陛下はゆっくりと王座から立ち上がりこちらに向かってきた。
「トオル、わしのことは好きかね?」
「・・・勿論でございます!国王陛下への恩義は語りつくせないほどに感じております」
「好きな人が困っていたら助ける気持ち、お主にはあるかね?」
「はい、あります」
「わしはの、今とっても困っておるんじゃ。お主が奴隷を解放しようとすれば本当に困る。そう言うのを助けようとする気持ちは、あるかね?」
「それは、その」
言い回しがせこい。
「た、確かに国王陛下には大変お世話になりました。本当の父親のよう心からお慕いしております。しかし、それとこれとは別の問題です。奴隷はこの国だけでなくこの世界が抱える大きな問題だ。これだけ多くの国があって奴隷制度を取り入れていない国家は一つも無い。大国であるこのグリシア王国が奴隷制度を撤廃すれば――」
「トオル」
「続けさせてください」
「同じ問題じゃよ。お主は今わしに対して恩を仇で返しておる。そう思わんかね?」
「・・・思いません」
国王陛下からすればそうなるかもしれないが、奴隷制度に関しては倫理的な問題だ。恩とか仇とかそういった話は論点がズレている。ルシアもルルもナナも、彼女たちの奴隷時代の境遇を思うとそう簡単に引き下がれるわけがなかった。
「陛下、私の送った手紙には目を通していただけましたでしょうか」
「もちろん」
「では、同封した魔法道具は」
「ああ、素晴らしい出来じゃったの」
「でしたら何故そこまで奴隷制度に固執するのでしょう。使い魔の力を使えばこの国の貿易の幅も大きく広がる。国の経済だって今よりも遥かに円滑に回るようになるはずです」
俺の提示した案は王国にとってメリットこそあれどデメリットなど全くない。現に俺は使い魔を召喚するための魔法道具は無償で国民に支給するつもりだし、そのことも手紙の中にきちんと記した。これ以上の条件が何処にあるというんだ。
俺がそう訴えると、国王は一呼吸置きわざとらしく考える素振りをして見せた。
「資本じゃよ」
「・・・は?」
「奴隷には紙幣価値がある。多ければ多いほど国家は潤う。手放す理由が何処にあるというのじゃ?」
資本、だと?何だよそれ。本気で奴隷を命として見てねえみたいじゃねえかよ。ふざけんな。
奴隷は人間だぞ。心もある。痛みも感じる。
「陛下はご覧になられたことが無いのですか。この国で、いやこの世界で、奴隷たちがどのような扱いを受けているのか。生まれてすぐにわけも分からないまま奴隷としての人生が決定し、幼いうちから家族と引きはがされ奉公先で物同然の扱いを受ける。法律では最低でも一日に銅貨2枚分の労賃を払わなければならないことになっていますが、実際には殆どの商人は銅貨1枚分の給与すら支払っていない。人として生活するにはあまりにも酷な環境だ」
「・・・無論、見たことがあるよ」
「それらを見て、何も感じられなかったのですか!」
「感じたよ。先日、散歩がてら港町の奴隷船を見に言ったのじゃがの」
言いつつ、国王は徐に天井を見上げた。ゆったりとした動きに思わず目で追う。
「足りんと、感じたよ」
――正気で言ってんのか。この人は。
その言葉を聞いた瞬間感じたのは深い憤り。ここまでの怒りは、この世界に来て今まで感じたことがなかっし、その憤怒を目の前の人物に対して向けることになろうとは夢にも思っていなかった。
言いようのない感情に拳を握り締めていると、国王はそんな俺を気に留めることもなく言葉を続けた。
「次はこちらから質問させてもらおうか。
お主の方こそ何故奴隷解放にそこまで固執するのじゃ?当事者でもないお主が、異世界から来た人間であるお主が、何故そこまで奴隷に感情移入することが出来るのか儂には理解が出来んのじゃよ」
「そ、それは、ただ、奴隷たちの境遇を目の当たりにして、見ていられないと感じたからです」
「ふむなるほど。それであれば尚更分からんの。たったそれだけの理由でこの世界の常識を覆そうとするその心理が」
「たったそれだけの理由?」
「トオルよ。いい加減に目を覚まさんか。お主のそれは単なる自己満足じゃ。魔神王を討伐されて目的を失ったお主が達成欲求を満たしたいがためにこのような無分別な行動に出たんじゃよ。心配するな。お主は奴隷の様な下等な身分の者ではない。途中でパーティーを離脱したとはいえ、この世界を救った英雄の一人じゃ。お主が望みさえすればこちらも相応の身分を用意するし役割だって与えよう。お主が国に戻ってきた際に伝えようと思っていたが、お主と勇者をわしの正式な養子として迎えいれたいと考えておったのじゃ」
「話をすり替えないでください」
これはエゴなんかじゃない。それこそ、エゴだけでここまで来れるわけがないんだ。
「・・・私のいた世界には、奴隷制度などありませんでした。奴隷が居なくとも社会は成立していたし豊かだった」
「本当に豊かだったのかね?」
「も、もちろん」
「お主のいた世界は、すべての国家のすべての国民が豊かな生活を送っていたのかね?」
「・・・それは、ここでは返答しかねますが」
全て。とは言い切れないが、少なくとも俺の住んでいた日本は比較的豊かだった。奴隷などいなくともほとんどの人間がそれなりの生活を送れていた。・・・恐らく。
「そう俯くでない。生活水準に差が出るのは仕方のないことじゃ。誰かの幸せは誰かの不幸の上に成り立っている。それは何処の世界でも変わるまい。この世界ではの、その幸福と不幸の境目がお主の世界のそれより顕著に出ているだけじゃ。
単純で良いと思わんか?奴隷が居れば、それ以外の人間の生活は豊かになる」
納得、出来る訳がなかった。
俺だって、この世の中のすべての人間が平等に幸せな人生を送ることが出来るだなんて端から思っていない。でも、改善の余地は十分すぎるほどにあるんだ。今幸福な者たちがほんの少しずつ我慢をすれば不幸が減る。俺の提示した案を受け入れれば、王国側も最初こそは損害を受けるかもしれないが取り返しはいくらでもつく。だというのに何故その手を動かさない。たったそれだけの努力すら怠っておいて何が国王だ。
「あんたはただ、変わることを恐れてるだけだ」
俺の知っている国王とは全く別の人物と対峙しているみたいだ。
俺の知っている国王陛下は、人の痛みに誰よりも敏感な人だった。
国の最高権力者であるというのに高慢な一面などまるで持たない、不器用ながらも温かさを持った方だった。
「何でそんなに変わっちまったんだよ」
ただただ悲しい。血が滲みそうなほど拳を握り締める俺を一瞥すると国王陛下はゆっくりと言葉を続けた。
「わしも何も、お主の提案全てに反対なわけじゃないのだよ。お主は非常に優秀な魔導士じゃ。それは師であるこのわしが最も理解しておる。そこで提案がある」
「・・・提案、とは?」
「今この国で働いている奴隷たちの労働力を全てお主の使い魔で補い、この国の奴隷たちの価値を資本としての価値に完全移行したい」
「――は?」
「今まで手を焼いていた労働力の問題もこれでさっぱり解決。使い魔を使って経済を回す国。周辺国への良い宣伝にもなるじゃろう」
絶句した。自分のことはそれなりに冷静な人間だと思っていたが、この時ばかりは頭の中が真っ白になった。国王陛下はこちらの要求を受け入れるつもりは全くない。それどころか、奴隷を完全に物資化しようとしている。
「――冗談みたいだ。笑えてきた。魔力を見るかぎり本物なのに」
〝他人としか思えない〟最後の一言だけはぐっと喉奥へ押し込んだ。
怒りというよりは、受け入れがたい感情の方が強かった。目の前にいる国王陛下がニセモノであれば簡単なのに、感じとられる魔力の気配が現実を突きつける。誰かに操られでもしているのだろうかと思ったが、陛下の気配の中に魔術操作の介入は見られなかった。
「トオル、冷静に。相手側の思う壺です」
「ありがとう。大丈夫」
ルシアの言いたいことはすぐに分かった。このまま怒りの感情に呑まれ無礼を働けば、今までの努力が全て水の泡になる。それどころか、奴隷を解放する今後一切のチャンスが失われることになるかもしれない。
「奴隷が神聖な王間で口を開く出ない。穢れるわ」
国王は軽蔑の眼差しとともにルシアをみやった。
「ここらでは見かけない顔立ちだと思えばその髪。その瞳・・・白の民ではないか。
――トオル、お主、魔神族と手を組んでおったのか」
“白の民”。古より伝わる伝説の人族だ。数が少ない代わりその身体には強力な魔力を宿しており、遠い昔魔神族とともに人類を滅亡一歩手前まで追いやったと言う伝承も持つ。
もちろん、ルシアは白の民などではない。そもそも、白の民だなんて空想上の存在だ。国王の口からそのような言葉が出てくるとは思ってもみなかった。
「ルシアは白の民ではございません」
「言葉ではどうとでも言える。白の民を使えている魔導士などと交渉を交わせるわけがなかろう」
そう言うと国王は派手な装飾の着いた短剣を俺に渡した。何のつもりだと上を見上げると、冷酷な視線と目が合う。
「殺せ。ここで我々人間の味方であることを証明することが出来たならお主の奴隷解放の要求、前向きに検討しよう」
「――は?」
「これは最後の機会じゃよトオル。わしをこれ以上失望させんでくれ」
演技たらしい国王の声が空間に響いた。言葉もなく俺達の反応を見つめる周囲の兵士たちの瞳の奥に、無関心の感情を感じ取る。人の命というものはこの王国でこれほど軽々しいものだっただろうかと、過去の自信の記憶との照らし合わせを試みたけれど、なんだかこの状況では思い出の方がずっと嘘のように感じられてきた。勇者が6年前と全く変わっていなかったので、きっと国王陛下や他の近衛兵たちもそうなのだと信じていた。
こういう時、俺は自分の直感に身をゆだねることにしている。
「――お前、誰だ?」
同一人物なわけがない。俺の知っている優しく繊細な国王と、人情味に溢れ国民に慕われていた国王と同一人物なわけがない。
「殺せぬというのか?」
「当たり前だ」
「殺してください、トオル」
短剣を床に叩きつけようとした俺の行動を引き留めるようにしてルシアがゆっくりと立ち上がった。
予測していなかった彼女の反応に喉がきゅっと締まる。
「お願いします」
「何、言ってんだよ」
彼女の手は震えていた。恐怖を感じていることは明白だった。
それを抑え込むように両手を握り締め胸に当てると、ルシアはその小さな唇を開いた。
「――“奴隷解放”。トオルが口にしなければ夢にも思わなかった言葉です。人生に絶望しきっていた私に、トオルが初めて希望を与えてくれた。こんな私にはもったいないような言葉を沢山与えてくれた。これ以上何かを望んではきっと罰が当たってしまいます」
「・・・」
「今目の前に、私達の目指してきたものを掴む機会が転がっている。これを逃してしまったら、一生掴めないかもしれない。私一人の命でそれが叶うというのなら安いものです」
一瞬にして静寂が訪れる。それを突き破るようにして国王が腹を抱えた。
「フハハハハハ!そこの奴隷はそう言っておるぞ。どうする?トオルよ」
「・・・決まってんだろ」
俺は右の手を天井へ向かって掲げ、眼前の国王陛下を思い切り睨みつけた。
「陛下はそんなみっともねえ笑い方をする人じゃねぇ。この偽物が」
右手に意識を集中させ、転移魔法を発動する。
目の前の人物が本物でないという自身の直感を信じて、俺は一度勇者へ頼ろうと撤退を試みた。勇者が本物であるという保証はどこにもないが、これもまた俺の直感だ。昼間の勇者は本物だった。
無詠唱での魔術発動。流石の国王と言えど即座には反応できないだろう。
そう思い転移を待ったが、数秒経っても想像していた感覚は返ってこなかった。
――魔術が使えない?
魔術封鎖空間だと?入ってきたときには魔法の気配など感じなかった。それどころか、今現在だって俺の周囲で魔法が使われている形跡はまるでない。
その瞬間、俺は今自分達が置かれている最悪の状況に気が付いた。これは単なる魔術封鎖空間ではない。
なぜならこの世界に来て今まで、どれだけ強力な術のかかった魔術封鎖空間でも俺の力で壊せないものは無かったのだから。傲慢ではなく、文字通り俺の辞書に脱出不可能の文字は無かったのだ。
「残念じゃよ。トオル」
それでいて、数分前まで感じられていた国王陛下やルシア、ルルの魔力がいつの間にか何も感じられなくなっていた事実に気づく。この不自然な魔力の遮断と無効化を前に、辿り着いた答えは一つだった。
「まさかあれだけ誠実だったお主が勇者パーティーを追放された腹いせに魔神族と手を組み王国転覆を謀るとは」
「冗談」
最初からすべてが狂っていたんだ。この王が奴隷を王間に入れたことも、俺が国王に暴言を吐いた際、これだけいる兵士の中から誰一人として俺を咎める者が居なかったことも。無機質な表情も、動き何もかも。そう、この空間には元から王と俺達しかいなかったのだ。
「本当に、残念じゃ」
「意味わかんねえだろ、こんなの」
俺がいない間に一体何があったって言うんだ。
他人の命を陥れてまで手に入れるような力じゃねえだろうよ。
「魔導士トオル・ヤブキ、その他奴隷3名。国王への反逆の罪により明日正午、斬首刑に処す!」
魔法と似て非なるもの、呪術の存在は。