1話 追放
凍結した沈黙が勇者一行を包んだ。その場の誰もが次に発せられる矢吹透の言葉を固唾を飲んで見守っていたのだが、勇者の宣告から十数分たった今も、矢吹透は俯いたまま顔を上げることをしなかった。
否、出来なかった。勇者の口から発せられた遠回しな「戦力外」の通告は、この場においてどんな刃物よりも絶対的な殺傷能力を持っていた。
何故こんなことになってしまったのか。
無意識に噛んだ下唇はわずかに震えていた。悔しさではなく、これはほどんど悲しみによる震えであった。勇者と共に魔神王討伐を命ぜられて以降、自らの心根に深く浸透してきた〝家族〟の語彙が脳内で音を立て崩れてゆく。異世界から転移してきた透は、自身でも自覚できるほど猛烈に、初めてできた仲間との冒険へ陶酔していたのだ。魔神王の討伐などどうだって良かった。ただ自分は、勇者と一緒に冒険をしたかった。
「ごめん」
ありもしない唾液を飲み下したあと透はようやく口を開いた。
舌が妙に乾き呂律が回らない。絶望によるこれらの身体反応を透はよく知っていた。
透の短い謝罪を真正面に受けた勇者が息を呑む。しかし彼は透の謝罪へは敢えて何の反応も示さなかった。
「いつか言われるかなって、思ってたんだけど」
透を含めて合計4人になる勇者パーティー。 突然独り身で異世界に放り込まれてしまった彼は最初の数か月は元の世界に戻ることに頭がいっぱいで、周囲のことなど気に掛けていられなかった。
しかし敬愛する国王の優しさに触れ勇者達と様々な苦境を乗り越えていくうちに、家族に会いたいという願いと同じくらい彼らとの日々を手放したくないという思いも強くなっていった。だというのに。
『トオル。異世界転移者であるお前を強引にパーティーへ引き入れた俺のエゴを許して欲しい。元々この世界の人間でないお前を、他の世界に家族を持つお前を、これ以上無関係な戦争へ巻き込むわけにはいかない。もっと早くに決断するべきだった。・・・俺達の戦力から外れてくれトオル。先に王国へ戻るんだ』
ついさっき、勇者から戦力外の通告を受けてしまった。 魔神王の能力は未知数であり、しかしその圧倒的な魔力量と攻撃性だけは過去の冒険譚から理解していた。勇者達を死なせたくないばかり、国王陛下からの反対を押し切り無理矢理パーティーへ加わったのはむしろ透の方だった。出立直前陛下と結んだ一つの約束が、今になって強烈な縛りとなり透を苦しめる。
勇者達に自分の〝本当のスキル〟を知られるわけにはいかなかった。
「そんな顔するなよ。これから魔神王と戦わなきゃいかないってのに、足枷を背負ったまま挑もうだなんて、世界の運命を託された勇者がしていい判断じゃねえもんな」
続く台詞は存外スラスラと口から滑り出てきた。こんな時、普段以上に饒舌になる自分は透は嫌いだった。気持ちが悪いとさえ思った。
「だからそんな罪悪感でいっぱいっていう顔しないでくれよ。悪いのはお前達じゃなく、弱い俺だ」
「そんなことは無い!お前はよく戦ってくれた!足手まといという理由でパーティーから出て行って欲しいわけじゃない。俺はただ、大事な仲間がこんなことで命を落としてほしくないだけだ!」
「・・・こんなこと?」
「ああ、こんなことだよ。勇者って運命を持っただけで無条件で魔神王討伐に向かわせられて、何度も家族を失いかけた。俺は世界平和よりもずっと、今目の前にいるお前たちの命のほうが大切なんだ!」
透は、少なくとも国王以外の人間の中では自分が一番勇者の性格を深くまで理解しているという自負があった。そのためこの瞬間、透は勇者の吐いた台詞の中に僅かな嘘の臭いを嗅ぎとったが、しかし取るに足りなかった。それ以上に絶対的な本音もまた、彼の台詞の中に拾い出したためである。
透は堪え切れず再び地面を見つめた。視界が回転している。涙ではない。純粋な喪失感だった。
もっと彼と、彼らと沢山冒険をしたかった。未知の洞窟、広大な海、険しい雪山。ここまでの道のりは決して楽なものではなかったが、空の星々ほど絶対的な質量と輝きを持っている。
全て今日で終わりだ。
「それ、俺たち以外の前では絶対言うなよ?勇者様がそんなこと言っちまったら国王様に面目が立たねえよ」
「トオル・・・」
「今までありがとな。今晩中にでもここを出るよ。魔神王討伐、力になれなくてごめん」
矢吹透がそう言うなり勇者一行は全員その場に泣き崩れた。ぷるぷると情けなく震える勇者の涙の要因など、透の与り知る所ではない。 そんな彼らを見た透は、未練たらしく居座るまいと素早く荷物をまとめ、宿屋の扉に手を掛けた。月のない夜だった。
「トオル!」
宿屋を出ると、後を追ってきた勇者が名残惜し気に森の傍までついてくる。何か言いたげな口が薄く開閉し、困ったよう透の顔色を窺っている。
「だから、そんな顔すんなって。お前こそ、俺なんか構ってる暇なんてねえんじゃねえの?魔神王討伐に成功した勇者は過去存在しないんだ。それに・・・お前ルイスとマリアからその、好かれてるだろ?そこらへんも蔑ろにしてると後々怖いぞ。特にマリアは」
「お、お前、気づいてたのか」
「勇者様はモテモテだからな」
「・・・二人とも大事な仲間だ」
勇者の煮え切らない態度が透には気になったが、しかし彼の性分を尊重し敢えて触れることはしなかった。漆黒の夜空をよるべなく見上げる透へ、勇者は決然とした瞳で声かける。
「魔神王は必ず倒す。そしたらまた皆で飲み交わそう。世界に平和が訪れたら今度こそ一緒にお前が元の世界に戻る方法を探すんだ」
一切の曇りのない瞳でそう告げられ、矢吹透は不覚にも目が潤んだ。完全無欠の勇者の立ち振る舞いの頼もしい。
「・・・ありがとう」
最期の会話は短かった。透は森の端で虚しく立ち止まると、勇者からの慈悲を振り払うようほどんど強引にその場で転移魔法を使用し消えた。
この静かな夜は、彼にとって物語の終わりであり始まりだった。
そして 一年後、魔神王を見事討伐した勇者一行のおかげで世界は未来永劫の平和を約束されることとなり、同時に勇者は生ける英雄として王国で大きく称えられた。
ひとまず、勇者の方の物語はこれで大体終わった。
――そして時は更に5年後。
「フッ、フハハハハハ!!!これぞ俺の求めていた生活だ!これが勇者の本来あるべき姿なんだよ。なあ?マスター」
「はい、そうですね」
「高級な酒、美しい女、金銀財宝、権力、名声。この世のすべては俺の物!そう思わないか?マスター」
「ええ、勿論」
「やはりこの世の中は金と権力が物を言う。世界を救うというのは単純で偉大だな」
「勇者様、そんなに度数の高いお酒を飲まれてはお身体に触ります」
平日の真昼間。勇者以外のほとんど全員が労働に勤しんでいる町はずれの酒場で、生ける英雄は呆れるほどの自由を謳歌していた。 そう、これは異世界転移した最強魔導士が様々な苦境に苛まれつつも己の信念を胸にそれらを乗り越えていく成長物語ーー
ではなく。
27歳にもなって未だに「世界は自分を中心に回っている」という天動説を捨てきれない自己中心的勇者による主人公完全奪還物語である。
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まず第一に、俺は生まれ変わっても自分になりたい。逆に俺以外の人間は全員生まれ変わったら俺になりたいと思っているはずだと確信している。勇者の称号を国王から頂戴し魔神王討伐の勅令を受けた時は冷たい汗が流れたが、しかし討伐を終えたからには喉元と肛門を過ぎたハバネロである。
この人生、俺の計算通りに物事の進まなかったことがあるだろうか。
幼いころから無条件に優遇されてきた俺は、魔王討伐達成以降そのもてはやされっぷりに拍車をかけ、今では国の推奨する教育書架の表紙まで堂々と飾るほどになった。あの国王陛下を差し置いてである。
こんなにも外見が優れていて、均整の取れた体躯を生まれ持ち、おまけに性格も素晴らしい。欠点など一つも持ち合わせない英雄が悩みを持つことがあるだろうか。
そう、無いはずなのである。本来はそんなこと有り得ないはずなのである。
俺は強かった。実のところ魔神王も一人で倒すことができた。ただおぞましいことに、俺よりも強い奴がパーティー内に一人いたのである。
『トオル・ヤブキ』
異世界から転移してきた魔導士だ。最強は勇者であるに違いないし、見た目もまあ俺ほどではなったから仕方なしに親友として懐へ受け入れたのだが、とんだ油断だった。あいつはいつもギリギリで戦っていた。だから共に成長して行っていた感覚もあったし、正直仲間意識も少しばかり芽生えていた。だというのに。
冒険終盤、夜風に当たってくると言い危険な森の奥に消えたあいつをこっそりと着けていくと、厄災級の魔物を小指一本で木っ端微塵にするトオルの姿を発見したのだ。
瞬間的に思ったのは、あいつ力隠してやがったのかとかこの俺様でも小指では無理とか口内炎が気になるとかそんなことではなく“俺の楽園が奪われる”だった。
今までは親友の好で目をつむって来たが今回ばかりはそうもいかない。こいつの強さがパーティーメンバーに知れ渡ってみろ。そんなことが起きれば……。
「ルイスもマリアも取り返す余地がなくなっちまうだろうが!!」
ドン。回想へ浸りきっていた俺は、飲み干した果実酒のジョッキをカウンターへ叩きつけた。
「グラスは大事に扱ってくださいませ、勇者様」
そう。ルイスもマリアも端からトオルのクソ野郎に惚れていたのだ。だというのに別れ際に「モテる」などと挑発以外の何物でもない侮辱をくらった俺の気持ち分かるか?あの場に一人しかいなければ危うく悔し涙を流すところだった。
「なあ、貴方なら分かるだろ?マスター」
「存じ上げません」
今世紀最大の屈辱だ。
そして気づいてしまったのだ。冷静に考えて、完全無欠の勇者を差し置いてどこの馬の骨とも知らない異世界人に惚れる女がこの世に存在するとは思えない。何か宇宙的で圧倒的な法則がこの世に働き俺の夢を阻害していない限り、俺が誰かに劣る筈がないのである。あいつは多分贔屓されている。ズルい方法でこの世界の美女たちへ身の丈に合わない魅力を振りまいている。
例え、万が一、億が一、あいつが俺より強かったりしてみろ。それが皆にバレてみろ。 パーティー内での序列が完全に崩れる。そう思った俺は、翌日にはトオルに戦力外通告を下していた。
ただ俺は、全力であの晩をやり直したい。別に追い出したことを後悔しているわけではない。その後にした約束のことを言っているのだ。
“世界に平和が訪れたら、今度こそ一緒にお前が元の世界に戻る方法を探すんだ”
「なぁんであんなこと言っちまったかな~。なあ、マスター?」
「存じ上げません」
6年も前の話だ。なあなあにすることだって出来ないわけではない。 しかしそれは、完璧な勇者である俺様のプライドが許さない。というか世間体が気になる。顔良しスタイル良し性格良しの俺は一度交わした約束は絶対に忘れないのだ。
「なんで俺こんなに完璧なんだろ。なあ、マスター?」
「・・・」
「マスター?」
「おっしゃる通りだと思います」
でもまあ、魔神王を討伐してから5年も会ってないんだ。これからも顔を合わせることはないだろう。万が一会ったとしても、涙を流しながらずっと探していたような口ぶりで話しておけば見事美談に収まる筈だ。とにもかくにも完璧すぎる俺は勇者として最高に贅沢な日々を謳歌していた。
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これはSSS級魔導士トオル・ヤブキと生ける英雄・勇者が運命の再会を果たすほんの数分間前のひと時。
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