4.このままだとGだそうです
子供と動物に好かれるやつに悪い奴はいないというのが陽英の持論である。
つまり子虎である壱月に好かれている炎はいい奴である。
ーーーーーーー証明完了!
よしじゃあ早速。
【炎、望み通り私と契約しましょう!】
「は?馬鹿じゃないですか?お断りですよ」
…三秒で振られたんですが。
赤子らしく「ふええ」と泣き出してしまった私。
いや、だって泣くよこんなの。さっき手握って「僕のことも候補としてみてね!」とか言ってきたじゃない!!この裏切り者が!!
「あ、いえ、ちが…」
【ううう、もう炎なんて嫌いです。部屋に帰ってやるんですから!!】
ぷい!と顔を背けて乳母の腕をペシペシと叩く。
そのままお部屋でスヤアと安眠した私は…翌日になって、戸惑った表情の乳母に揺り起こされて、困惑することとなる。
「おはようございます。ぬらりひょん様。…あの、乳母が差し出がましい口を叩くのはいかがかと思いますし、秘密の念話でやりとりされたのでしょうから、介入されたくないと思うんですが…」
「あう?」
待って、寝起き早々なんの話?
首をこてんとしたので、なんの話だか伝わってないことは乳母にもわかったらしい。
結論を述べてくれた。
「ーーーーーーーひと晩中、廊下で炎様が正座してらっしゃいます」
…嘘でしょ!?
まあ、乳母がこんなしょうもない嘘をつくはずもなく、慌てて障子を開けて貰えば、顔面蒼白になった炎がいた。
嘘でしょ…ほんとに正座してるんだけど。
陽英がドン引きしている中、青ざめた顔で俯いている炎。
待って、罪悪感すごいんだけど。
「あうあうあうあ?」
じゃなかった。だめだ、私もだいぶ混乱してる。
【どうかされたんですか?】
念話を発した瞬間、弾かれたように顔を上げた炎。
あの、気のせいじゃなきゃ目が赤いような…。
「中に、入ってもよろしいでしょうか…」
消えちゃいそうな声だった。
【どうぞどうぞどうぞ】と恐縮しながら言えば、正座を崩して立ち上がろうとし…崩れ落ちた。
生まれたての子鹿のようだ…。
一晩正座してたらそうなるでしょうよ!!まじでなんでそんなことしてたの!?
【あの、いつもは勝手に入ってきますよね?なんで廊下に正座?】
悲しそうにしている炎さんをみていられなくて聞いてしまう。
炎さんは辛そうな顔で俯きーーー
「昨日、嫌い、と言われてから頭が真っ白になってしまって」
嘘でしょう!?確かに言ったけど!でもそれは炎さんが私の申し出を断ったから反射で言っただけで…。
というかそれだけでこんなに落ち込んでるの?
ほんとに?メンタル弱すぎない?
炎さんは私の表情から困惑を感じ取ったらしい。
弱々しく微笑みーーーーーーー「自分でも変だと思うのですが」とぽそぽそと話し始めた。
「いつもはこんなことないんです。私自身口が悪いですから、陰口を言われようがなんとも思わないのに…昨日のは、本当にだめで…」
大人にここまで落ち込まれるとこっちが焦ってしまう。
【あの、冗談です。炎さんのこと嫌ってません】
ぱああああああああと表情を明るくするものだから、少し可愛いとか思ってしまった。
うう、二十歳くらいに見えるから実年齢より歳上なのに。
「よかったです…」
身体中から安堵がこぼれたんじゃないかってくらい大きなため息をついた炎さんはよろよろと部屋に戻って行った。
…なんだったんだろうね?
陽英はそのあともう一度寝た。赤ん坊は寝るのが仕事なのだ。えっへん。
起きたら寝台の横に炎さんが立っていた。
腕には壱月を抱えている。連れてきてくれたらしい。
陽英が目を覚ましたのを確認し、そっと壱月を寝台に乗せてくれる。
壱月が陽英に寄り添うように寝そべり、ご満悦な笑顔を浮かべた陽英が銀の毛玉をパシパシと叩いたあたりでーーー「コホン」とわざとらしい咳払いが聞こえた。
思わず目を向ければーーーーーーーとっても気まずそうな顔の炎さんがいた。
「あの、今朝のことなのですが…私なりに仮説を立てましたので聞いていただけますでしょうか」
よろしいでございますよ。
返事の代わりにうん、と頷けば「感謝申し上げます」と深々とお辞儀された。
…硬いな!!お前まだ恥ずかしさ残ってるだろ!!
「まず、最初に言わせていただきたいのですが、名付きの契約をさせていただけるのは身に余る光栄でして、今すぐにでもお受けしたい気持ちでいっぱいなのですが…陽英様のお体に何かあったらと思うと、心配で」
ーーーーーーー炎の話をまとめれば、「契約したいけど妖力が流れ込んじゃうから、陽英様のお体が心配。だって僕の妖力すごい多いから☆」とのことだった。
「アウアウアウアウアー!!!」
最初からそう言えやー!という怒りの気持ちは赤ちゃん言葉でも伝わったらしい。
「申し訳ございません…」と肩を萎ませるのでそれ以上は何も言わなかったが。
だってこのお兄さんまだ今朝のショックから抜けきれてないんだもん!丁重に扱わないと泣きそうなんだもん!
【多分大丈夫だと思いますよ?窮奇と契約した時も特に何もなかったですし】
陽英がこういえばーーーーーーー炎はきょときょとと視線を彷徨わせ始めた。
迷ってる、すごい迷ってる。
「ーーーーーーーいやでも万が一のことを考えると。でももし私より先に契約者が現れたら弍の名さえもらえなくなってしまう。今でさえ壱月が憎くてしょうがないのに…」
…時間かかりそうだわこれ。
結局、渋い顔で「せめて3歳になられるまで待ちます」と炎は宣言した。
だけど弍番目の座は譲りたくないらしく、候補者が現れたらなりふり構わず契約したいらしい。
面倒臭いなと正直思った。そんなに迷ってんなら今契約しちゃえばいいのに。平気って本人が言ってんだから。
「陽英様は名付けの契約がいかに危険かわかっていないのです。もし許容量以上の妖力が体に流れ込めば最悪体が破裂するのですよ?」
こんこんと怖い話をされる。
待って、スプラッタ系は苦手なの。
【…危険性は分かりましたけど、多分そんなことになりませんよ?】
陽英なりに炎の中にあるモヤモヤを見て、「これなら余裕で入りそー」と思って言ってるのだが、炎は頑固だった。多分じゃだめらしい。わかったよ、もうそれでいいよ。
「コホン。ーーーそれでは次の話です。今朝の私の失態なのですが…おそらく、陽英様のぬらりひょんとしての能力と関係があります」
陽英は思わず懐疑的な目を向けてしまう。
ぬらりひょんの能力とか言われるより、炎メンタル最弱説の方が陽英にとっては信憑性が高かったのだ。
「そんな目で見なくても!ーーーーーーー本当に普段はあんな風にならないのです。ほら、花も笑ってないで陽英様に言ってくださいよ。今朝の私はおかしかったですよね!?」
必死な炎のことをニコニコと眺めていた乳母の花が「そうですねえ。炎様にあんなお顔ができたのかと花は驚きです。20年お世話してきて仏頂面以外ほぼ見たことがありませんもの」
「…そこまで言えとは言ってませんが。ーーーーーーー陽英様、信じてくださいますか?花も言ってますが、今朝のあれは異常でした。何より陽英様に【嫌ってないよ】と言われた時の幸福感も凄まじくて…これはおかしいと思いました。自分の感情がコントロールできないのです」
相変わらずニコニコとしている花が「恋のようですね」と茶々を入れた。
「揶揄わないでください」と冷ややかな目を向けられてもなんのその。
…やっぱり小さい頃を知ってる相手って、勝てないよね。
「以前友人から聞いたことがあります。九尾の側近ーーーーーーーいわゆる名付きの契約を結んだ妖怪で『九尾様に嫌われたから自殺した者がいる』と。その時はなんて大袈裟なと思ったものですが…王魂を持つ妖怪は『王の資質』と呼ばれる力があるそうです。きっとこれも一つなのでしょう」
陽英はここでようやく「オウキ」が「王魂」であると教わった。
王魂は本来世界に一つしか存在しないものでーーーーーーー今、九尾と陽英が同時に存在してるのは特殊な例らしい。長くは続かないとも。
九尾と対峙した時のゾワっとした感じに納得はいった。文字通り宿敵だったのか。
…というか私ってばそんな大層な魂に転生しちゃったの!?両親を虫畜生にしておいて、親不孝にも程がある。我ながら最低最悪な娘である。恨むぞ白の神様!
「そういうわけですので、発言には気を配ってください。ーーーーーーー私はもう一度『嫌い』と言われたら身を投げるかもしれません」
ーーーーーーー「あなたに嫌われたら死ぬから」とメンヘラ女も真っ青な発言をした炎の表情がどこまでも真剣だったので、陽英は静かに頷くしかなかった。
とりあえず、嫌いはNGワード行きだね!!!
関係性の浅い人に言う分にはそこまでの効果はないらしいと聞いて安心した。発言の自由くらい残しておいてほしい。
でも…陽英は自分の能力について微塵もわかってなかったのだ。
嫌いと言わなければいいんだくらいにしか思ってなかった。
だから、軽率にやらかすわけである。
【いつもの目が笑ってない顔より、慌てたり照れたりしてる今の炎の方が、私好きです】
陽英としては「今の炎の方が印象いいから、そんな畏まらなくていいよ?」くらいのつもりだった。
しかし、炎からしてみるとーーー心臓を鷲掴みにしてそのまま空高くぶん投げられたくらいの衝撃だったらしい。
炎の白い頰が瞬く間に紅潮し、形の良い鼻からは紅い血が流れ出てーーーーー
「し、失礼しまっすッ…!!!」
…鼻血出てたんだけど。
え?急にどうしたの??
【徹夜したから体調悪いのかなあ?】
唇をとがらせながら思考しているとーーーー大人しく寝そべっていたはずの壱月が首に鼻を押し付けていきた。
【くすぐったい…ふふふ】
陽英が拒絶しないことに気を良くした壱月は尻尾を左右に揺らしながら、顔いっぱいを舐め回してきた。
「主は僕のことも好き?」
顔がぼやけるほどに近い。
陽英は頬に触れる壱月の髭がくすぐったくてウニャウニャと笑ってしまう。
【壱月のことも好きだよ。かわいい私の窮奇】
壱月と二人で戯れ合うように遊んでいたらーーーーーいつの間にか戻ってきたらしい炎が壱月の首根っこを掴んで寝台の外へ放り投げていた。
「ーーーぎゃ!!炎さんひどい!!何すんだ!!!」
炎は壱月の抗議もどこ吹く風。
舐め回されていた陽英の顔を柔らかな布で清めると、乳母に指示して持って来させた椅子に平然と腰掛けた。
壱月は放り投げられたのが御立腹だったのか、炎の足首に甘噛みしている。かわいいなおい。
炎の鼻血は大丈夫なのだろうか。まるで何もなかったみたいな顔してるけど。
「私の顔に何か?」
…炎はすまし顔をしていたのだがーーーー目の端が少し赤くて、笑いを必死に堪えなきゃいけなかった。うん、恥ずかしかったのね。了解。
必死に我慢していたのだが、笑いそうになっているのは伝わったらしい。
「大きくなったら覚えていてくださいね?」
…背筋が冷たくなるような笑みを浮かべられて、慌てて首をふる。
なんだか頷いちゃいけない気がしたんだよね。炎は笑みを深めただけだったけど!
「…せっかくの機会ですので九尾や妖の説明もお聞きになりますか?」
「つまらない上に胸糞悪い話も多いので無理にお勧めはしませんが」と毒を吐かれて何故か安心してしまった。
よかった、これでこそ炎って感じがする。ネガティブモードから完全脱却したらしい。
「烏家、九尾家、阿部家が陰陽御三家と呼ばれる一族だという話はしましたね」
うんうん。炎は烏家の嫡男なんだよね。
「家を継がないので名ばかり嫡男ですがね」
家を継がないの理由とかを詳しく教えてほしいのだが、炎は言うつもりがなさそうだった。
「何故そこで不満そうなお顔をされるのですか…。続けます。私たち烏家は烏天狗の一族です。風や火の妖術を得意とします。屋敷までの移動に用いた術もその一つです」
はえええ。瞬間移動してくるのも烏天狗の能力的なやつなのね。すんごい。
「…赤子とはいえ口を開けたままはやめてください。間抜けな顔です」
ーーーーーーー悪かったなブサイクで!生まれつきだよ!!
ムッと唇を尖らせた陽英を見て「ククク」と炎が笑った。
不貞腐れていた陽英は部屋の扉の外で控えている護衛が炎の笑い声を聞いて「明日は槍が降るぞ!」という顔をしていたことには気づかなかった。
「九尾家もその字の通り九尾の一族です。火とまやかしの術を得意とします」
…まやかし?
【幻術ってことですか?幻とか出すの?】
「遠からずというところですかね」と言いながら、陽英の小さな手の平にスッと人差し指を差し込んでくる炎。陽英は反射でその指を握りしめた。
「小さいですねえ」と言った声に毒が含まれていないどころか甘ささえ感じるものだったことに、またもや護衛が「明日は剣も降るぞ!」という顔をしていた。余談である。
「まやかしの説明は難しいのですが…姿を変えたり、魅了を使ったりするのがわかりやすいですね。目が紫で面長の陰陽師に会ったら気をつけてください。九尾家はぬらりひょん様を疎んでいます」
炎の説明で思い出すのは当然九尾のことだ。
面長の美人で瑪瑙のような紫の双眸に溢れんばかりの殺意を讃えていた。
思い出した恐怖でプルプルと震える陽英を見て…ご存知でしたか?と炎が訪ねてくる。
ご存じも何もーーーーーーー
【先日出くわしました。窮奇の母親が殺されて、壱月も殺されかけて…】
怖かったですと続けようとしたら、突然炎が立ち上がった。
びっくりして陽英の体が跳ねる。
数秒の間視線を忙しなく彷徨わせていた炎だったが、深いため息をつくと再び木の椅子に腰掛けた。
頭を抱えているので表情は見えない。が、ひどく狼狽していることだけは伝わってくる。
「…あれに会って、よくぞ、ご無事で」
村で生贄にされかけたことから始まり、一連の出来事を説明した上で「窮奇は殺されてしまいました」と陽英が言っても、炎はちっとも驚いてなかった。
それどころか納得した様子でーーーーーーー
「他の四凶はとっくの昔に九尾に服従しています。窮奇は弱いし阿呆だし逃げ回るしで放置されていましたがーーーーーーー」
ちょっと!「他の四凶」とか気になるワードだけど、まずは窮奇の悪口言うのやめて!うちの子は勇敢で素直ないい子ですよ!!
「ぬらりひょん様についたのであれば殺されても当然です」
世の中の心理のように言い切られ、陽英は固まるしかなかった。
だって、つまり…
【もしかしてこれからも、私の味方をする子はーーーーーーー九尾に殺されるってことですか】
陽英の声は念話の中で震えていた。
否定して欲しかったのだがーーーーーーーあっさりと炎が頷く。
「そうですね。特に名付けまでされた妖怪は間違いなく狙われるでしょう」
なんてこった。
一瞬の邂逅だったけど、九尾はむちゃくちゃ強そうだった。
あんなのに狙われたらひとたまりもないんじゃ…
陽英の表情が強張ったのを炎がじっと見下ろしていた。
二人の視線が交わった時、炎がゆっくりと口を開いた。
「…戦いますか?それとも、尻尾を巻いて逃げますか?」
炎の瞳は厳しかった。
誤魔化すことなど許さないとばかりに陽英を射抜く。
陽英はたじろぎ、瞬きを繰り返す。
それでもーーーーーーー苛烈な青年の眼差しを受けても、そらすことなく、答えた。
【…戦います。私にも引けない理由があるので】
きっぱりと言い切った陽英を見て、炎は意外そうな顔をしていた。
もっと怖がるとか、保留するとか、そういった反応を予想していたらしい。
「…陽英様はお強いですね。あの九尾に会ってもなお戦意を喪失しないとは」
「さすがは王魂を持つ我が主人」とご満悦な感じで言われるが苦笑いしか返せない。
だって、私は引くわけにいかないだけだから。進む以外の選択肢が存在していないだけ。
いくらか炎と話をして、そのまま眠りについてーーーーーーーと平和な日々をひと月ほど過ごしていた時だった。
ある日、夢の中で真っ白な空間にいた。
凄まじく見覚えのある場所に驚き、視線を巡らせーーーーーーー
突然背後から聞こえた声に飛び上がってしまった。
「ーーーーーーーこのままのペースだとお前の両親は●キブリに転生だ。もっと真剣にやれ。死ぬぞ」
ちょ、いきなり背後から話しかけないでください…って、待って、今なんて言った?
「このままだと虫畜生のままだと言ったのです。さっさと大人になりなさい。いつまで赤子をしているつもりですか」
陽英は少しばかりショックを受けた。
窮奇を救って、契約もして、二番目の候補も見つけて…結構頑張ってるつもりだったのに。
やさぐれながら頭の中で言い返す。
無茶言わないでもらえません?いつまで赤子やってるって、人間ってそういうものでーーーーーーー
「甘い、甘すぎます。そんな調子では到底間に合わない。九尾の宣言通り7歳かそこらで捻り潰されて終了です」
…じゃあ、どうすればいいんですか?
確かに陽英だってこのままで九尾に勝てるとは思っていなかった。
赤ちゃんのまま戦う?まだ首も座ってないのに?九尾どころかその辺の子供に蹴られても死にそうだけど。
「…赤子じゃなくなればいいとしか言えません。あとは自力で考えなさい。ーーーーーーーそして、私の言葉を忘れてはいけません。初めに出会った生き物が大きな意味を持ちます。…アレが『最弱』呼ばわりされてるうちは戦いの出発地点にも立てていませんよ」
「もっと真剣に徳を積みなさい」と散々念推され、うなされながら陽英は目覚めた。
【とりあえず、大きくなるかあ】