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あの日

作者: 竹取 裕基

人生には、多くの岐路がある。枝分かれしたその道を右に行くか、左に行くかでその先に見えてくる風景も違って見えるものだ。

 私は、あの日の事を思い出す。

 あの紙切れが、私の人生を永遠に変えた。

 年末に買った宝くじで七億円に当選したのである。

 新聞で何度も確かめたが、当選は間違いなかった。くじを持つ手が震えていたのを思い出す。

 その様子を見た妻も、一人娘の(せり)()も狂喜した。

「もっと大きな家が欲しいな」

「パパ。プラダのバッグが欲しい。車も欲しいよ」

 妻や娘がそう話しているのを聞きながら私は宝くじを見つめていた。

 翌日。

「え! 本田君、本気なの?」

「はい。もう決めた事ですから」

「決めたって、君。ちゃんと奥さんとも相談したの?」

「ええ、まあ」

「再就職先あるの? 大丈夫かい? 知らないよ?」

 社長に辞表を出した翌日、社を去った。

 五五歳の私がいきなり辞表を提出した時の社長の驚きが少し滑稽に思えたぐらいで、さほどの感慨はなかった。

 会社の門を出る時、もっと感動するかと思ったが全くそんな事はなかった。

 ここでは、ただの歯車にしか過ぎなかった。妻と娘を養うために、菓子の製造ラインで黙々と働いているうちに人生の大半を浪費していた。

 こんな毎日で人生を終わりたくはない、そんな気持ちがずっとあった。

 辞表を出した翌日、大学生の娘と、パートの妻を連れて、パリに行った。

「これが凱旋門ね……」

 興奮する妻と娘をサンジェルマン大通りに連れて行くと、あっという間に五百万ほど買い物をしてしまった。持ち切れぬほどのグッチ、プラダ、エルメスなどを日本に送った。

 一流ホテルのスィートルーム。テレビでは見た事があったが、実際に泊まってみると確かに凄かった。人生でこのような贅沢を体験した事がなかったのだ。

 コロナ禍とは言え、陽気なパリのテラスで昼間からワインを楽しみ、街を散策する。人生最高の日々が始まったのだ!

「パパ、大好き!」

「あなたって最高ね!」

 妻や娘が私を称賛する声が心地よく感じられた。

 パリを堪能しながら、私は人生の喜びを初めて知った。

 帰国して、すぐに車を買った。若い頃から憧れていた赤のポルシェだ。ポルシェを駆って不動産屋に行き、今住んでいるマンションを三千万で売ると、私は七里ヶ浜の小高い丘の一軒家を一億円で購入した。もちろん現金払いだ。妻もパートを辞め、娘には都内のマンションを購入しそこから通学させた。リビングのソファーからは相模湾の青い海が見える。夕方になると、金色に染まった海が幻想的な美しさで迫ってくるのだ。

「この金をもっと増やそう」

 私は妻に提案した。

「そんな事できるの?」

「俺に任せとけ」

「心配だわ」

「でもこのままじゃいつかなくなる。投資で増やすんだ」

 心配する妻を押し切って私は株式投資に五億円使った。IT関連株、自動車関連、インターネット通信関連など、この先伸びそうだと思った銘柄を研究し、そして投資したのである。

 日夜二台のパソコンとにらめっこして売買を繰り返した。当初、損失が大きく三億円ほど失い、妻の絶叫する声が響き渡ったが、半年後には損失を取り戻し、一年後には逆に四億円ほど増え、含み益で十億ほどになった。宝くじの七億円よりも三億増えたのだ。

「あなたってやっぱり天才ね」「パパは凄いわ!」妻や娘の称賛する声を聞いて私は得意になった。

「これも俺の才能だよ」

 私はリビングで海を眺めながら言った。

その頃、彩香と言う愛人ができた。中高年の私には幼すぎる女子大生だ。だが私は若い彩香に夢中になった。

 妻に内緒で逢瀬を楽しんだりして、じつに楽しい日々を送っていた。妻も愛していたが彩香も好きだった。

 ところが、ある日突然、対向車線をはみ出し突っ込んできた車と事故を起こしたのだ!

 助手席の彩香は病院に運ばれ、私も左足を強打したが命には別条なかった。だが怪しんだ妻が私のスマホを勝手に見て、不倫が明らかになった。

「最低ね。あなたとはもう暮らせない」

「私も嫌だ」

妻や最愛の娘まで私を非難した。

 離婚届を突きつけられ、離婚した。そして、当然のように十億は折半され、そこに慰謝料としてさらに二億追加された。それでも三億残っていた。

「今回はひどい目にあったけど、奥さんと別れてくれてよかった」

 彩香は退院するなりそう言ってくれた。

 ところがある日。彩香のスマホを覗いたところ、若い男がいることが発覚したのだ!

「彩香! 男がいたのか!」

彩香に問い詰めると、「私がオジサンに本気になると思っていたの?」と冷笑しながら答えた。

彩香とも別れた。

それからは、一気に運が尽きたように人生の坂道を転がり落ちていった。まもなく株で大穴を開け、邸宅も失い、十二億円の負債を背負った私は夜逃げした。

 私は大阪の釜ヶ崎に流れ、浮浪者(ホームレス)になった。妻や娘とも音信不通になった。

 あの日。宝くじに当たったのが全ての間違いだった。

 路上から雑踏を眺めながらそう思った。


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