第一章 剣宿し
前回同様、転載作品になります。
興味のほどあれば次回以降もお読みいただければ幸いです。
ある日の早朝、とある村の離れで一人、剣を何度も振り下ろし、剣技の習得に励む少年がいた。
辺りは薄暗く、周囲の木々から弱い朝日がかろうじて見えているだけ。光源はなく日の出を迎える前の僅かな光のみで彼は周囲を認識していた。その光を頼りに目の前の大木に向けて何度も同じ動きで剣を振り下ろしている。
大木に木剣が接触する度、鈍い音が周囲にこだまするが辺りには自然と人気はない。しかし、それは早朝を選んだ理由でもあり、彼にとってはむしろ好都合だった。
昼には皆、仕事が始まることもあり、多くの人々がここら近辺を歩いている。その中で素振りをしては人目に付くのは避けられないだろう。彼はこの自主練を極力、他人に見られたくはなかった。
そんなさ中、急遽少年は振り下ろす剣を止め、持ち手を手前に手繰り寄せる。その後、剣身にそっと手をかざして静かに目を閉じた。
その時間、僅か数秒。一瞬訪れた静寂の後、少年は目を開いて剣を握る右腕に力を込めた。
「剣宿し」
鞘を強く握る中、たった一言口にすると握る手から微量の白い光が漏れだす。
シューー!
光の力は弱く、決して眩しいほどではないが、光の発している手元を明るくするほどの力はあり、今まで見えにくかった剣身の端を少しだけ視界に捉える。
「・・ッ!!」
しかし、その直後、握っていた手が爆発したかのように強制的に離され、放り投げられた剣は数秒後、数メートル先の岩場に衝突した。
カラァン!!
辺り一帯に軽い木の打音が響き渡り、その後、辺りは再び静寂を取り戻す。離れであるため周囲に民家がなかったのが幸いしたのだろう。この音で練習を察知した存在はどうやらいないようだった。
「どうして出来ねーんだよ・・」
放り投げた剣を何言わぬ顔で眺めつつ、少年は独り言をこぼす。
彼の名はアラン。雑に伸びた黒髪は首元まで続いており、亜麻色の上着を白い革のベルトで止めている。得物を下げるため、皮のショルダーを肩から掛けてはいるが、それが収まる杖はない。魔法を使えない彼はそれを用いる自前の杖を持ち歩いてはいなかった。
村及び、アランが過ごす地域全土はアストラル王国と呼ばれ、魔法が国内の共通認知として存在している。その影響もあって、本国は隣国と比べても魔法を用いる人々の割合は全人口に比例して大多数を占めているようだ。
そんなアストラル王国には魔法には取得するために十六歳以下の子供が自主的に通える機関が存在しており、魔法が使えないアランも幼馴染の薦めで一応、所属はしていた。
その機関の名は魔法学会。皆はアカデミーと呼ぶその施設は魔法とそれに伴う派生技能としての剣技習得を目的とした場所で、成人までに自らの指針を決定するためのスキル育成も行っている。王国内の労働者から寄付金を募り、現役の研究者から無償で魔法技術を学べる上、軍備強化の観点から学会は地方各地に置かれ、各地方の魔導士養成機関としても機能している。
そのため、魔法が使えなくとも在学する意味はあるのだが、元素魔法を使えないアランにはその利点を最大限生かすことは困難を極めていた。その困難の一つが先の「剣宿し」という魔法技術である。
「剣宿し」は剣に魔法を構成する素因であるエレメントという光子を剣身に纏わせる魔法操作技術だった。今回は剣でそれを行っているが、エレメントを流す行為自体はエレメント宿し、マナ宿しとも呼ばれ、剣以外の違う材質にもその技術を転用することができる。そのため、一部では魔法を用いる上で「必須級の技術」とまで言われていた。
エレメント宿し自体は、元素魔法を用いる上では特段苦労する技術ではない。鉄鍋に火のエレメントを流して熱することが困難であれば、魔法など用いずに、火打石を用いて火を起こした方が遥かに楽だろう。それでも多くの人々が魔法を用いて調理をしている現状を見ればその習得の容易さは説明するまでもない。
しかし、それは宿す対象が複雑な形をしていない且つ、宿すのが六元素のエレメントの場合に限った話である。
先ほどアランが振り続けていた木剣は学会から支給されたものだ。刃渡りは60センチほどの長剣で目立った装飾はない。だが、材質が鉄ではないため、実物よりは少しだけ軽く、連続で振り回すだけであれば特段目立つような支障はなかった。
だが、魔法を構成する材料となるエレメントは注いだ箇所から周囲に広がる性質を持っている。当てた個所以外のエレメントの多くは剣全体に流れていかずに剣身の途中で空中に離散してしまう。それでは剣全体にエレメントは回らずに注ぐ途中で剣宿しは失敗となってしまう。
もう片方の手を使い、剣身に直接エレメントを注げばいいのでは? そう思うかもしれないが、それは実戦を想定すれば不可能なことが想像できるだろう。
対人、もしくはエレメントを宿した生物と対峙した際、魔導士がもう片方の手を空けている場面はほとんどない。片手には杖、もう片手は詠唱のためのスペル操作、及び片手の魔力が尽きた際に杖を持ち変えるために開けておく必要があり、魔導士は常に両手に魔力を貯めることが求められるのだ。
常時、剣宿しを行うのは主に魔法剣士だが、杖を用いる魔導士であっても短剣などの小型武器であれば、状況に応じて用いる可能性は十分にあり得る。そのため、両手で剣宿しができたとしてもそれを実践で用いる機会はかなり限定されることになる。
その問題には長年、多くの先人が長年、研究を続けたらしい。そうして現在主流となっている対処法が詠唱によって物体の周囲にエレメントを留める膜を生み出すことだった。
エレメントは物質に流す場合、液体のように当てた個所からその周囲へと拡散する性質を持っている。そのため、物質そのものを高濃度の魔力で覆えばエレメントの物質外への流出を阻止することができ、エレメントを剣全体に満遍なく宿すことができるのだ。これを聞いた当時の人々は誰もが畏敬の念に打たれたと聞いている。
だが、それが可能なのは現在でも研究が進んでいる六元素に限った話である。
六元素は王国内で最も用いる人口が多いこともあり、優先的に魔法の研究が進められている。詠唱は未だ研究が続けられている分野であり、特定の語彙の唱和、もしくはスペルという文字記号を空中に描き出すことによりエレメントの性質を変化させることができる魔法に潜む神秘の一つだった。
しかし、厄介なことに六元素の魔法は元素ごとに用いる詠唱が異なり、それぞれの元素を用いる魔術師が研究者を通して、その詠唱の観測データを取りながら今でも研究が続けられている。その結果、今では六元素のみ、剣宿しを可能にする詠唱が発見されていた。
詠唱は語彙を間違えれば不発に終わることや、並べるスペルも数多ある記号の中から順序良く並べなくては一切の変化なしに魔法が消滅することから、その扱いづらさは最上位に位置していた。そのため農業など、魔法以外で生計を立てている人々の中には詠唱なく魔法を用いる者も決して少なくはない。そしてアランも今、そうなる寸前の状況まで来ていた。
「このままじゃ・・」
彼は焦っていた。
というのも、剣宿しは明日、定期開催される魔法試験の事前予告で提示されている要項の一つだ。テストは毎度、所属生徒の前での披露形式で行われ、これが出来なくては全校生徒から悪評が立つことは避けられない。ただでさえ、在学理由に不信感を持つ生徒が多い校内でこれ以上の汚名を被るわけにはいかなかった。
しかし、現状は最悪。六元素を持ちえないアランは剣宿しをするための詠唱を持ち得ていない。唯一、かろうじて使用できる無属性魔法でさえ、エレメントである以上、剣宿しをするにも形状を安定させる詠唱は当然、存在しなかった。先ほどのような不発は今に始まったことではないのだ。
なぜ、誰もが使える無属性魔法を先行して研究をしてくれなかったのか? 研究者に届く訳はなかったが、これまでの試験前に設けられた自主練期間には何度も考えたことがあった。
だが、それで急遽、無属性魔法の詠唱が発見されたとして今のアランには到底、それを暗記して使用段階まで持っていける実力はない。そんな中で現状が好転するわけもなく、気が付けば試験前日となってしまった。
習得を諦めて、馬鹿にされる覚悟で明日、学校へ向かうことも考えたが、それは自らのプライドが許さなかった。今後も、魔法が使えないままでは学校へいる意味がない。元素魔法ができない中でその習得を目指しているのに何一つ掴めないのであればこれまでしてきた意義を疑うほかなくなる。アランの中で諦めるという手段は何一つとして存在していなかった。
だが、気持ちとは裏腹に現状はその意向にはついて行かない。
「うっ・・ッ!」
突如、視界に入ってきた光にアランは目を覆う。周囲を覆っていた木々から光の線が出来上がり、長く続いた薄暗い早朝は終わりを迎える。気が付けばもう、人々が動き出す時分になっていた。
こうなっては仕方がない。人々がここへ顔を出す恐れがあることからアランは先ほど手放した木剣を拾い上げ、急いで自らが住む家へと向かった。
残された時分は短い。迫られる決断の時はもう間近に迫っていた。
家に戻るも剣宿しが未完成だったこともあり中々落ち着かず、正午の昼食を済ませたのちにアランは人に見つからない場所を求め、学会の学舎裏に来ていた。
文様の掘りが入った灰色の石壁が横にそびえ、向かいは木漏れ日の差す河原が長々と続く狭路。試合などを行う分には狭く堪ったものではないが自主練習にはこれで十分の広さだった。
逆に、広いと人に見られる可能性すらあり、施設内では試験を行う生徒に見つかる可能性も否定はできない。そのため、初めから学舎内で練習場所を探すというつもりはアランには毛頭なかった。
エレメントの被害を考え、出会い頭の可能性がある角を避けつつ、アランは適当な場所でしゃがみ込む。そして、持ってきていたバッグから薄布でくるまれた木剣を取り出し、周囲の人影を確認する。
だが、自分以外のひと気はなく、聞こえるのはそばに流れる川のせせらぎのみ。それを確認したアランは木剣の持ち手を強く握りエレメントを流し始めた。
シュゥゥーー!!
剣の持ち手に白い光が集まりだし、音を立てて光の粒が剣の周囲を舞い始める。剣宿しの前段階。周囲から微量のエレメントを手繰り寄せ、それを手元に集中させる。
徐々に集まりだした光は数秒で臨界点を迎える。持ち手を透過していた光はれっきとした光源と同等の光を放ち、それを確認すると、手元のみに集中していたエレメントをアランは剣全体に移動させ始めた。
―慎重に、慎重に
これまでの失敗のパターンを何度も思い返し、力の調整に細心の注意を払いながらアランは手元のエレメントを剣先へ移動させていく。
しかし、剣身への移動が進むにつれ、粒となって離散していくエレメントは量を増していく。放射点からの距離が長くなるにつれ、操作は徐々に効かなくなり、宿すエレメント量も目に見えて減っていき・・
シュッ!!
次の瞬間、先ほどまで持ち手と剣身を包んでいたエレメントの光は嫌な断絶音と共に一瞬で消失した。今回はエレメントを注がない時間が長かったのだろうか? 暴発こそしなかったものの、木剣を纏っていたエレメントは消失し、その様子は剣宿しの失敗を告げていた。
「はぁーッ」
大きく息を吐いて嘆きたい気持ちを落ち着かせ、アランは力なくその場に座り込んだ。
また失敗だった。朝とは違う失敗の仕方だったが、これも過去に既に経験している失敗のパターン。決してこれが初めての経験ではなかった。
思い返すことに嫌気がさし、空を見た。空は雲一つない快晴。そんな青空を数秒仰ぎ見たのち、再び先ほどエレメントを注いでいた木剣に視線を落とす。
「また失敗かぁー!」
自棄になり背後の石壁に寄りかかりながら諦めたように弱音を吐く。
テストが告げられたのは一週間前だった。だが、それまでの間にはいくつもの実習時間があり、その地点で学会の所属生徒たちの現状を嫌でも見る機会はあった。同期として入学した人々は同一の学年に入れられるのだが、結果は最悪。同期の中で実習を踏まえて剣宿しを成功できなかったのはアランただ一人だった。
それは周囲が優秀だからでも、周囲の生徒がアランの学習の邪魔をしたわけでもない。同期は皆、適応元素ごとにエレメントを留める詠唱を上級魔導士と呼ばれる軍に属する現役の魔導士から直々に教わっており、それを自らのものとしていたからだった。
だが、それは当然、六元素のみで無属性魔法はそれに該当しない。上級魔導士には何度も掛け合ったが、やはり解明されていない以上、教えられないとだけ告げられそれっきり。それでいて、テストは他の魔導士と同様に実施するため、事実上、試験で失態を曝せと言われているようなものだった。
しかし、そうなるだろうという予兆は学校の実習中にもアランは少なからず感じていた。
この学校に入った当時から実習で自分を担当する上級魔導士は誰もが、自ら伝えずとも自分の名前を理解していた。学校を運営する学園長から自らの送った戸籍を聞いたのかは分からなかったが、ともかく誰もが存在を理解しており、校内の上級魔導士でアランを知らない人は誰一人としていなかったのだ。
彼らはアランに会うたびに、誰しもが学校へ来た理由を尋ねてきた。「なんで、ここへ入ろうと思ったの?」「親戚に軍の魔導士がいた?」初めの会話は常にそれで、初めは動揺したが、二、三人とも続いてくれば段々慣れてきて、今では普通に応じられるようにはなってきていた。
その質問をする理由は初めこそは分からなかったが、時を経て考えた今なら何となく察せる。
「どうして、六元素の魔法が使えないのにここへ入学してきたのか?」
遠まわしだが、彼らが聞きたかったのは恐らく、そういうことだろう。適性元素がないということは日常的に使える元素は限りなく少ない。それを魔法の修練を長く積んでいる彼らが知らないわけはないだろう。そして、そんな状況に置かれる生徒が学校に現れたとなれば、その理由を尋ねたいという気持ちは湧いて必然なのかもしれない。
だがそれと同時に、彼らはアランを軽蔑していた。魔法が才能によって使用限界がある以上、魔法が使えないのであれば、魔法に携わらないで生活することも決して不可能ではない。なのに、どうして魔法を学ぼうと思うのか、どうして自ら茨の道へ踏み出そうとしているのかが彼らには疑問だったのだろう。そのせいか、どの六元素も持ちえないアランに対し、彼らが六元素の代替えとなる魔法技術を率先して提供することは一切なかった。
そうした軽蔑が招いた結果がこの惨状である。アランには元素を留める詠唱もそれに代わる魔法技術も持ちえないまま、今に至る。
「やっぱり、才能ないんだよな」
自らの現状と対応を思い返し、つぶやきと共にため息をこぼす。
代替えの魔法を教えてくれなかったことは学内にいる間にも薄々感じてはいた。しかし、それを直に問い詰めるわけにもいかず、当然、テストを棄権するとも言えなかった。魔法を用いる適合者でもないのに、この学会に所属している不信感をぬぐい切れなかった結果なのだろう。こればかりは否定しようにも、魔法に対する誠意を示せなかったことを後悔するしかなかった。
「って、言ってもどうしようもねーよな」
しかし、そんな現状であろうとも、ずっとこうしているわけにはいかない。ゆっくりと地面に手を付け、アランは立ち上がろうと伸ばしていた足を曲げる。
こうして悩んでいたとしても決してテストがなくなるわけではない。時間は刻刻と過ぎていく以上、落ち込んでいる暇は一時たりとも存在しない。できることは試験直前まで剣宿しを成功する術を思いつくために足掻くしかなかった。
「まあ、もう少し考えてみますか」
そう告げて完全に立ち上がり、握り続けていた木剣に視線を移そうとした、その時だった。
「ヒュッ」
どこから発されたのか? それすら理解できないほど遥か彼方。突如として表れた目視できないほど微細な光線が一瞬にしてアランの脳天を貫く。
「――――がぁッ!!」
突如としてアランを襲った、焼けるような痛み。あまりの激痛に起き上がろうとしていた彼の体は両手を地面について崩れ落ちる。当然、遥か彼方から光線で射抜かれたことなどアランは知りもしない。突然の事態に驚きと痛みが入り交じり、貫かれた脳の痛みに苦しむだけ。
光線は地面を透過したのか着弾した地面には焼けたような跡はない。しかし、突然の事態でそれすらも把握できないアランは突如襲った激痛にただ悶えることしかできない。
「は・・ッ! は・・ッ!!」
両側のこめかみとそれらを繋いだ脳の中心あたりに焼けるような熱を感じる。恐らくそこが痛みの根源だろう。だが、分かっていてもアランにはそれをどうすることもできない。
正直、自分で解決したい問題だったが、こればかりは他人に頼らなくては死んでしまう。ただ助けを呼ぼうと、息を吸って大きな声を出そうとする。
「――ッ?!」
しかし、声帯を潰されたわけでもないのに一切の声が出ない。そんな中でも痛みは次第に増していき、やがて凍傷になったかのように四肢の感覚さえも無くなっていった。
―どうなってんだよ、これ。
突然訪れた命の危機に際し、未だ頭痛の原因に対する疑問とその痛みは交互に入れ替わり、この事態への把握へと意識を向けている。これまで人体に変化を及ぼすような事態を招く予兆などは特になかった。それなのにどうしてこうなったのかアランには見当もつかない。そんな事態にただ困惑しつつ、痛みとの格闘を続けていた。
突如発生した痛みに苦しみ始めてから一分ほどが経過した。しかし、痛みは一切収まることなく、アランの脳を焼き続ける。痛みは限界を超過しており、目を開いても視界は赤く染まり始めていた。
「俺、死ぬのか?」
ふと、今まで考えることを避けてきた最悪の結末を反射的に口走った。しかし、今のアランの容態はその考えを真っ向から否定できる状態ではない。
激痛のあまり視覚は失われ、四肢の感覚はない。声も出すことは出来ず、周囲に人はいない。激痛で意識を手放したら二度と目覚めることはないだろう。
だが、アランを襲う頭痛は意識を手放さまいとする意志とは反対にその収束を知らない。むしろ先ほどより強くなった可能性すらあり、このままでは意識を手放すのも時間の問題だった。
―こんなことで命を落とすのか。
痛みへの抵抗を続ける中、自らの死因を考えて乾いた笑いが出た。
ここまで自分は何をしてきただろうか? この状態を鑑みて助からないとするならば、やり残してきたことはあるだろうか?
自らの死が迫る中でも何故かこれまでの自分に対しての冷静な疑問が湧いてくる。それほどに今の自分に満足していなかったのだろうか。痛みは変わらないがその疑問に至った直後、少しだけ後悔の思いが募るのを感じた。
―これまで、一度も満足して魔法を使えなかった。
昔から憧れていた六元素魔法は自分とは正反対の位置に置かれた存在で、それを昔からアランは蚊帳の外で眺めていることしかできなかった。
使用を試みた六元素魔法はどれも自らを拒絶するように空気中へと消滅し、適性がないというだけでそれを周囲から叱責される毎日。慣れたわけではなかったが、今まで碌な日々を送ってこなかったと瀕死の現在でもそれを痛感する。
誰からも望まれなかったわけではなかったが、それと同じくらい、アランは誰かから求められた存在でもなかった。そう考えれば、死ぬことによる損害はさほどないのかもしれない。
進行する頭痛の中、まともな思考はできず、朦朧とする意識も途切れかけ。そんな中、自らの死を受け入れた直後、これまで耐えてきた意識をついに手放した。赤く染まっていた視界は瞼を閉じる間もなく暗転し、ついにアランは意識を手放した。
「どこだ、ここ?」
どれくらい意識を失っていたのだろうか? 命を落としたと思っていたアランはなぜか意識を取り戻した。
目を開けた先は高くそびえる天井。どうやら仰向けで倒れているようで、現状把握もかねて首を振る程度に周囲を見渡す。
外壁は学校同様の石造りの荒い加工で手に届く範囲に窓はない。外壁にも天井にも周囲を照らす松明の存在はなく、唯一の光源は空間上部に一定距離で設置されている縦長の窓。それが上空から線を下ろすように月光が差し込んでおり、薄暗いこの空間をかろうじて目視できるほどにまで照らし出していた。
「ここは一体?」
つぶやきと共に倒れている体を寝そべりながらそっと動かし、どれほど動くのかを確認する。しかし、先ほどのような視覚が赤く染まるわけでもなく、はたまた四肢の感覚がないわけでもない。気絶前に苦しんでいた痛みは嘘のように消え去っていた。
「どういうことだよ・・」
先ほどまで死を覚悟していたのが嘘のように体には何の異常もなく、手をついて立ち上がる分にも何の苦労もなく両足で立つことができた。手足などを軽く動かし、今まで通り動くことを確認した後改めてアランは周囲を見渡す。
倒れていた場所は小屋一つが丸々入っても少し余るほど広々とした空間が広がっており、倒れていた場所のすぐそばに何故か練習で用いていた木剣が布包みと共に置かれていた。それをそっと持ち上げて観察した後、その存在にいくつもの疑問が浮かんでくる。
―どうして、剣が・・
何者かが転移魔法で移動させたのであれば意図して体と一緒に転移させるのはどうしても考えにくい。何の目的をもって剣までここへ寄越したのだろうか? やまない疑問は浮かび続けるが、考えてもその真相は分からない。改めてアランは部屋の状態を確認すべく改めて周囲を見渡した。
辺りに目立つ設置物はなく、ただ広い地面が広がるのみ。ただ、唯一部屋の特徴として目視できなかった足側の正面に大きな壁画が平らにされた石壁に対して直に描かれていた。
向かい合う2つの生き物に対し、その両端にそれと反対の向きに体が向いた2つの生き物。それが広い壁一面の中心に描かれており、それを囲むように赤く太い筆跡によって描かれた多くのゆらゆらとした線が取り囲んでいる。
生き物に関しては一定の太さを保つ線のみで描かれており、示している詳細は分からなかった。だが、かろうじて足が4足目視でき、どうやら四足動物を描いている壁画のようだった。
だが、それ以外の情報はない。絵がこの建物に関係する可能性も無くはなかったが、今のアランにはそれを読み取る力はなく、どうすることもできない。今できる唯一の事、それは恐らく、この建物から早く脱出することだけだろう。そう確信するや否や、アランは改めて部屋の出口を探し始めた。
どうやらここは建物の一室のようだった。右手前にはドアも挟まない出入り口が口を開けており、何度見渡してもそこしか出入りできそうな場所はない。その部屋の出口に向けて足を向け、アランは倒れていた絵画の部屋を後にした。
出口を探し求めて十分ほどが経過した。
部屋を出てからというものアランはいくつもの広々とした部屋に突き当たり、通路と部屋を交互に出入りしていた。
この建物は不思議な構造をしており、廊下の先に突き当たった代り映えのない広々とした部屋には必ず二つの出口が設けられていた。そして、それ以外の出入り口はなく、その出入り口も出たらすぐに一直線の廊下が続いていた。次の部屋を迎えるまで廊下には脇道もなく、時折、階段に突き当たることもあったがそれすら湾曲せずにまっすぐに続いている。その様子は訪れた部屋が常に同じ形で存在する構造からも感じていた違和感をより際立たせており、それが、この建物の異様さを物語っていた。
登り階段のため引き返そうにも、最初に目覚めた部屋は周囲を見渡しても一つしか出口は存在しなかった。そのため、入り口から遠ざかるとはいえ、登り階段を理由に来た道を引き返すことはできなかった。
「にしてもどれだけ広いんだよ」
ここまで休みなく歩き続けてきたアランはさすがに疲労が溜まり、3回ほど階段を上り終えた次の部屋でついに腰を下ろした。部屋と廊下はかなりの長さがあり、少なくともこれまでに学校の外周以上の長さを歩いてきた気がする。学校の外周も決して短くはなく、体力保持のため、数日前に走った際にはたしか数十分ほどはかかった。そう考えると、もう部屋を出てからそれほど立つのだろう。
しかし、この広さをもってしてもここまで誰一人として建物内で人の姿を見て来なかった。ここは人が住むような場所ではないのだろうか? 確かに部屋との間が一本道で、目的の部屋へたどり着くのが困難なこの場所に住み着くとなれば相当な苦労を強いられるだろう。自分が住むとしてもこんな場所には決して住みたくはない。
だが、そんな冗談とは裏腹にアランにはこの建物についてある一つの仮説が浮かんでいた。それは確証もない突拍子の考え。しかし、そうでなくてはこの事象を説明できないことからだいぶ現実味を帯びてきた気がしていた。いや、むしろこうでなくては今の現状を説明することはできないだろう。
それは、この建物自体が魔法で作られているということ。何者かが、何かの理由をもってこの場所へ呼び寄せ、ここまで誘導していたのではないかということだった。
ここへ来る道中でも常に考えていたが、もし、この建物が実在するのであれば、建物の構造上、常に廊下と部屋が続いていることから、縦に長く続く建物になる。昔はおろか、魔法と魔導士が存在する今の建築技術ですらそんな奇怪な建物を作り出すことは不可能に近いだろう。
しかし、魔法であれば、そういった構造を持つ建物を作り出すのも難しくはない。闇元素を得意とする魔導士の中には視覚に影響を与え、幻覚を見せることが可能な者もいる、と学会での講義で聞いたことがある。それを踏まえても、実力さえあれば、これほどの規模の幻覚を見せることも決して不可能ではない。
なのだが、その仮説の真偽を確かめることは困難を極めていた。外壁は石造りで建物の内部にいるアランが外に出る術は存在しない。そのため、仮説の真偽に関わらず、出口を見つけなければ建物から出ることは限りなく不可能に近いことには変わりなかった。
「まあ、進むしかねーか」
元素魔法すら使えない今のアランがここを出ることはどうあがいても不可能だった。それが可能であれば今頃、剣宿しの練習などせずにのんびりと試験を待ちわびていただろう。今でも元素魔法を一切持ちえず、剣宿しの練習をしていたがためにここへ呼びだされたのだ。使えていたら今頃こんな事態になどなっていない。
そう思う中、長きにわたり腰を下ろしていたアランは立ち上がって次の扉へ向けて足を踏み出す。そう思った時だった。
「ヒュン!!」
何の前触れもなく、視界を横切るように白い影がアランの前を高速で通り過ぎる。
「な・・ッ!」
急いでその物体の後を視線が追い、やがて数メートル先で地面を4足で疾走する生き物の姿が目に入った。
しかし、顔を上げるのが遅く、アランがその生物を視界に捉えた直後、その影はこれから向かおうとしていた扉をすり抜け、その先へと姿を消してしまった。
「何だあれ。狐? いや、耳の長さ的に狼か?」
一瞬だけ捉えた白い体毛をなびかせ、疾駆する姿。その光景を改めて思い返し、先ほどの生物の正体を考察する。突然のことで気はかなり動転しているが、ここで初めての生物との対面だった。少なくともここへいるのが自分だけではないということは僅かに今のアランを安心させた。
「というより、今の奴。壁すり抜けてったよな?」
改めて思い返せば、これも屋敷の構造と同様、不可解な話だ。いくら魔法で作られている可能性があるとはいえ、先ほどまで越えてきた部屋の扉は確かな実体を持っていた。そんなはずはと思ったアランは、先ほどの生物が透過していった扉の前へ行きそっと側面に手を触れる。
―触れた。
ここまでに触れてきた扉と何一つ変わらない肌ざわり。そして、どんなに力を込めても、その重く厚い木板は依然とした重量感で居座り続けている。やはり、本来であればこれを通り抜けることは不可能なのだ。
では、どうしてあの生き物はこの扉を簡単に透過していったのだろう?
白い生物に対する疑問は現れてからというもの尽きることがない。そして、その正体を突き止めるというこの建物を探索する一つの目的もできた。これで変わり映えのない探索にも少しは意義が出てくるかもしれない。
そう頭の片隅で感じつつ、アランは触れていた扉から手を放し、側端にある取っ手に手をかけて扉を引いた。まっすぐな廊下を駆けて行ったのであれば、もう姿は見えなくなっているだろう。
「えっ!」
しかし、今まで通りの長い廊下を想像していたアランは視線に捉えた光景に絶句する。
扉の開いた先は廊下ではなかった。いや、今回の部屋が偶然、最後の廊下の果てに置かれたものだったのかもしれない。だが、どちらにせよ、ここは先ほどまでの長い廊下とは訳が違っていた。
目の前に広がっていたのはこれまで通って来たどの部屋よりも大きな規模をもつ広間だった。構造は先ほどまで訪れていた正方形の部屋同等に手に届くところに窓はない。石壁に天井近くの側面に一定間隔で縦窓が配置されたシンプルな造りの大広間。
しかし、先ほどまでの部屋とは唯一、異なっているのが天井。中央付近には円形の穴があり地面に向けて月光が降り注いでいる。それを白い曇りガラスで蓋をしており、今まで訪れた部屋の中でここが最も明るい場所だった。
「こんな部屋あったのかよ」
天窓を注視していたアランは部屋の存在に驚きつつ、改めて周囲を見渡す。
広々とした部屋の奥には不規則に天井から吊るされているちぎれた鎖、そしてそれを繋ぎ止めていたと思われる鉄の檻がそれぞれ四つほど置かれている。恐らくそこには何かが存在しており、それが脱走したのだろうか? 何か入っていたのだとすれば一体何が入っていたのだろうか? まだ探索を開始していないにも関わらず、この部屋に対する疑問は次々と湧いてくる。
これまでの部屋と比較しても、この部屋の異質感は常軌を逸していた。この部屋だけ特別な何かがあることはその様子が示しており、あの生物がここへ向かったのにも何か理由があるのだろう。
檻の所在がつかめない以上、何かが潜んでいる可能性も十分に存在していた。しかし、このまま止まっているわけにもいかず、消えていったあの生物の正体も未だ掴めていなかった。そんな事実を踏まえつつ、周囲の音に敏感になりながら、アランは広間の探索を開始した。
この部屋にある物体は檻ただ一つ、そして、その周囲を回って分かったことも同様にたった一つだった。
目視した時から存在を確認していた四つの檻。それが閉じ込めていたものは色のついた結晶だった。一つは灰、一つは白、一つは黄金色に輝く正四面体の結晶が閉じ込められており、もう一つは結晶自体が存在していなかった。そればかりか、檻の鉄格子は内部で爆発があったかのように大きく変形をしており、脱走を企てた何かがその檻を破壊した痕跡が見て取れた。
それだけではない、見て回った檻はどれも横一直線に切断線が引かれており、少し動かせば檻が分離できる状態になっていた。まるで、鋭利な刃物によって一瞬にして切断されたようにして奇麗に鉄格子を真っ二つにしていたのだ。
まるで、空の檻から脱走した何かが他の檻の破壊を企てたかのように、
「くっ!」
しかし、檻を見て様々な仮説が浮かんでいた思考は、突如として鳴り響いた轟音によって遮られる。音の鳴り先は先ほど入ってきた入口。檻に集中していた視点を急いで切り替え、アランはその原因に向けて視線を向けた。
「――ッ!!」
遅れて視線を向けた途端、驚きのあまり視線が硬直した。あまりにもその状況を疑うような光景が扉の前で繰り広げられており、その現実にアランは言葉を失う。
そして、同時に先ほど鳴り響いた轟音の正体にも理解が追い付いた。轟音の正体は雷だった。鼓膜を直接鳴らすようなあの音は効きなれており、特段、珍しいものでもない。ここが室内だということを考慮しなければ、音だけで理解することもできたかもしれない。
しかし、それを当てなくとも答えは目の前に存在していた。
白い毛先には静電気を高電圧にしたかのような白いプラズマが迸り、戦意むき出しの牙が発光によって僅かに見え隠れしている。その様子はまるで、雷の化身。あらゆる生命を破壊しつくさんばかりの様子でそれは佇んでいた。
4本足で立つ身の上部には数数多、そして長短幾つもの刃がうっすらとだが見え隠れしている。その刃はゆらゆらと漂っているが、その矛先は間違いなく自分。まるでここを訪れたアランの存在を亡き者にするかのようにそれは放電しながら主と共に自分を見据えている。
「雷剣狼・・」
現実が受け入れられない中、アランは小さくその名前を口にする。
幻と呼ばれ、基本となる六元素に属さない雷魔法。あるところに存在する伝説のオオカミはそれを自らと従える武器すべてに宿し戦うとされている。
しかし、それはあくまで物語上で語り継がれる架空の存在。今まで出会った人々は昔の作り話だと口を揃えて言い、その存在を肯定するものはいなかった。しかし今、アランの目の前に現れている生き物は間違いなくその神話に出てくる生物の特徴をすべて捉えている。
「なんで、こんなところにいるんだよ」
状況を整理し、帯電する狼を見つめる。
意識を失って飛ばされた屋敷。そして、そこで待っていた悲劇の対峙。これを運命のいたずらと言わずしてなんと言おう。
人々が幻想と呼ぶ、強大な戦闘力を持つ狼。それに出会ったのが上級魔導士でもなければ、王国直属の兵士でもない。元素魔法一つさえ持ちえないただの落ちこぼれなのだから。
雷剣狼と呼んだ狼は注視するアランの視線をまっすぐに受け止め、その間に終始緊迫した空気が流れ続ける。視線を切った瞬間襲ってくることは概ね想定でき、例え、抵抗できずに殺される可能性があってもこの場で逃げ出すわけにはいかない。相手は自分に明確な殺意を向けている以上、その手段が愚行になることは火を見るよりも明らかだった。
しかし、視線を切らさないとはいえ、いつまでも狼が待ってくれるわけではない。
「アウゥゥーーーー!!」
剣を構えてもなお、向かってこないアランに痺れを切らしたのか、雷剣狼は遠吠えを部屋一帯に響かせる。その後、上部に浮かぶ長短さまざまな剣すべてを実体化させ、その中から短めの剣がわずかに上昇する。その後、狙いを定めるようにして揺れている矛先が停止し、アラン目がけてまっすぐに向かってきた。
その数、目視できる範囲で四本。それぞれが四方異なる方向から放たれ、軌道こそ異なるものの、全ての剣はアランに向けて放たれていた。
「ヤバイ!」
アランが今立つ位置はいくつもの檻が置かれた間。避けるにしても、圧倒的に広さが足りない。咄嗟に遮蔽物を探し、先ほどまで観察していた檻の物陰に隠れ、軌道からの回避を試みる。
「ガ・・ッ!!」
鈍い音を響かせて、放たれた短剣の全ては立っていた背後の壁に勢いよくめり込んだ。
それを見た瞬間、それが幻覚はなく実態があることにアランの理解が及ぶ。放たれた雷剣は建物の作り出しているような幻覚ではなく、どうやら実体を持つ本物のようだった。
しかし、どうやら剣の軌道は直進しかできないのか、物陰へ向けて軌道を変更することはなかった。定めた場所へ複数本の刃が向かうのであれば、当たれば間違いなく致命傷になりかねない。だが、避けるだけなら決して不可能ではないだろう。魔法の修練にかける時間が少ない分、アランには日ごろからつけている体力には多少の自信があった。
そう思いいたるや否や、アランは雷剣狼が動くよりも先に物陰から飛び出し、剣の放射を誘うべく、広間の中央近くへと向かって行った。
「グウゥゥ」
仕留めそこなったことを出現により再確認したのか、雷剣浪は再び、全ての剣を出現させて臨戦態勢に入る。その様子を確認した後、アランは浮かぶ剣の数を素早く確認し始めた。
飛び出したのはいいが他にも攻撃方法がある可能性は十分に存在する。しかし、それを誘発しないことには解決方法が探れない。そして、出現した全武器の中から起こりうる攻撃の予測を立てることも一つの打開策になるかもしれない。
当初見た時には長い剣と短い剣しか確認できなかったがよく見れば多くの種類の剣が剣宿し状態で存在していた。刀身が湾曲した長剣に柄の沿ったサーベル、中にはここらじゃ見ない片刃の細剣も剣宿しの状態で漂っており、当然、それらは一貫して同じ投擲攻撃だけを行える武器種ではない。
そう思い至った直後、雷剣狼はアランに向けて僅かに嘶き、上空に出現させた剣を一斉に消滅させた。
―何か来る・・
先ほどの攻撃の際、雷剣浪が攻撃前に出現させていた剣宿しの剣を全てしまっていたのをアランは見過ごさなかった。それが出ていては攻撃ができないのかは分からなかったが少なくとも、それが攻撃のサインであることは間違いないだろう。その予測はどうやら当たっていたようで、数秒後、アランの周囲を取り囲むように3本の剣が出現し、全方向から剣先を向けられた。
「ヤバ・・ッ!」
前方からくるものだとばかり思っていたアランは背後にも剣が現れたことに驚きつつ、自らを囲んでいる剣を瞬時に確認する。
前方1つ、後方2つに向けられた剣先は綺麗な正三角形を描くように規則正しい間隔で出現しており、避ける先を一瞬戸惑った。剣の角度を理解しなければ投擲軌道から外れることは困難を極める。その上、向けられた剣二本は背後に出現しているため、今の位置からは正確な剣先が見えていなかった。
しかし、その問題は即座に解決された。アランは剣が放たれる直前で重心を左方向へ持っていき、そのまま横へ移動した。
―ヒュン!
高速で放たれる剣が空を切る音が聞こえる真横でアランは剣を交わし、それらの向かう先を目で追った。剣の突き刺さったのは前方2か所と立っていた場所の直線状にそびえる壁。アランを剣の出現場所からアランを結んだ直線状にそれらの剣は突き刺さっていた。
「やっぱりな」
内心、攻撃をかわせたことに安堵しつつ、アランは次の攻撃に備え、雷剣狼と視線を合わせ続ける。
今思えばかなりの賭けだった気もするが、初めの攻撃は同様、先ほどの攻撃も直進でくることをアランは放射前に予測していた。剣宿しをした複数の剣を一度に動かすこと自体、かなり高度な技術を求められ、あのような攻撃では複雑な詠唱を構築できないと踏んでの判断だった。
しかし、予測は的中。現れた位置から一直線にアランを捉えた雷剣はものすごい速さで石壁に向かって行き、その軌道から逸れたアランには傷一つ付いていなかった。
「あれは・・」
外壁に突き刺さった剣を見つめ、檻前で交わした剣の行方を見やる。先ほど剣宿しの状態で放たれ、外壁に突き刺さった剣。それらは攻撃によって雷剣狼の元を離れて以降は通常の鉄剣に戻っており、発されていた黄色い光は失われていた。
「だろうな」
その様子を見た直後、攻撃を通して感じていた違和感は今の攻撃を経て、確信へと変わった。
恐らく雷剣狼が用いることができる剣には限界がある。数多用いる剣が上空にストックとして備えていようとも、発した剣を回収することはどうやら不可能なようだった。そのため、雷剣狼が持ちえる剣を全て放出さることが出来ればまだ、アランにも逃走の活路が見出される可能性が残されていた。
「放射させるだけなら、近寄らない限りは同じ行動をしてくるか?」
まだ二回しか攻撃をされたことはないが、剣による攻撃が直進しかしないのであれば物理的攻撃の可能性のある近接に持ち込まれない限りはまだ、勝機はある。そう思い立ったアランは視線を切らさずに僅かに後退しつつ、次の攻撃に備える。
しかし、その移動を察知したのか雷剣浪はアランが後ずさる中で僅かに顔を上げ、上空に黄色い球体を作り始めた。
「な・・ッ!!」
突如示された元素攻撃の予兆に、アランは身震いする。雷元素で作られた球体、雷球とでもいうべきなのだろうか。それは雷剣狼が魔力を送り続けるため、今でもその規模を拡大し続けている。
―剣を放つ攻撃からすぐに攻撃方法を変えた。知性があるのか?
どんなに攻撃を外したとはいえ、二回で攻撃方法を変えるなど、よほど魔法を熟練する上級魔導士でもない限りは普通行うような行為ではない。攻撃の方法を多く兼ね備えていない限りは、どの魔法生物であっても同じ攻撃をしばらく続けるのが定石だ。雷剣浪はどれほどの魔法を有しているのだろうか?
そう思う傍ら、構成した球体は成長を続け、やがて雷剣浪の体ほどの大きさになっていた。これを交わすのはどう考えてもできない。そう思い至った直後、
「あっ・・」
後ずさりしていた足がその場で止まり、向けていた視線が硬直する。目の前で構築され続けていた巨大な球体は上空で三つの小球体に分裂し、それぞれが雷剣狼の上空で異様な静けさを保ちながら浮遊し始めた。
それは極限まで引き絞られた弓であり、いつ爆発するか分からない爆弾。雷剣狼の意思次第でその球体はいつ放たれてもおかしくはない。最大の警鐘を鳴らしながらアランは一時たりとも視線を逸らすことなく、その様子を注視し続ける。
ーブゥン!
何の予兆もなくその第一球は放たれた。剣とは自由が異なるためか、動きは少しばかり遅いが、当然、歩いて避けられるほどの速度ではない。ゆっくりと近づいてくる雷球は微音も立てず直進してくる。
「ちょ・・・ッ」
不意打ちのごとく突然、攻撃を放たれたアランは慌てて右へ走りだし、回避を試みる。先ほどのような遠吠えもなく、攻撃の予兆は感じられない。今までにあった攻撃の予兆はこの攻撃では一切感じられなかった。
しかし、次の瞬間。直進する雷球の着弾を待たずして、雷剣狼は移動した先に向け、二球目の雷球を放った。移動の勢いは衰えず、思いがけない攻撃に対し、移動した先の体は思うように動かない。
「・・ッ!!」
直前に発された雷球は先ほど立っていたルートを通りながら真横を通過していく。しかし、その次の攻撃が迫っている中でも、その様子はアランの視界に入らない。移動した勢いを生かしつつ、連続して右へ数メートル体を移動した。その時だった、
「えっ?」
移動した先で確認した時には雷剣狼の真上には雷球の姿はなかった。そして、軌道上にもその姿は見当たらない。
―どこだ?
姿を探すのに数秒の時が経過する。二回目に放った雷球はもうすぐに先ほどの立っていた場所を通過する。その姿を視界に捉える中、アランは焦るように上下左右、あらゆる方向を見てその行方を探す。しかし、どこにもその姿は見つからない。
「一体どこに・・」
あまりの時間、その姿を確認できないアランの横を二球目の雷球は何食わぬ様子で通り過ぎる。しかし、それを待ってしても三球目の姿は確認できない。
―浮遊している過程で消滅したのか?
隠していたにしろ、その時間が長すぎる。初めに分裂した際に見間違えたのだろうか? いや、確かに三つに分裂していたはずなのだが・・
「な・・ッ!!」
しかし、それは見間違いではなかった。
突如として、姿を隠していた雷球は数メートル手前に現れ、アランに狙いを定めて向かってくる。速度は同じ、しかし、この距離まで詰められては回避のしようがない。
「がぁぁーーーー!!」
苦し紛れに横へ飛ぼうとしたアランの足首に雷球は直撃した。勢いよく地面へ衝突し、数メートルほど横向きで地面を転がる。
「――ッ!!」
床の不均等な段差に体中を打ち付けつつ、転がる最中も常に激痛が全身を襲う。足首の痛みもあり、ようやく止まった後も、あまりの痛みから即座に、雷剣狼の姿を確認することができない。
―痛い。
ここまで一切攻撃を受けていなかったこともあり、足首の痛みは増幅されたように確かな熱をもっている。魔法を直接受けたことはこれまでに何度かあったが、それらとは次元が違う。冷たい石造りの床に接していることも相まって、全身から血の気が引いていき、置かれている状況に絶望の影を落としていく。
足首をやられただけなのに全身に力が入らない。体中に雷のエレメントが入り込んでいるせいだろうか? 足首以外の全身が痙攣し、体を動かそうにも感覚がものすごく鈍くなっていた。このままでは・・
そう至った直後、不気味なまでに静かな足音を響かせて何かが近づいてくる気配を悟った。
「コツ、コツ、コツ」
徐々に近づいてくる足音。足をやられて動けないことをいいことに、強者の余裕を漂わせながら雷剣狼は倒れたアランに向けて静かに歩みを進めている。
―頼む、動いてくれ!
麻痺によって動作を封じられた足を抑え、アランは脳内で必死に訴える。先ほどの集中砲火を浴びれば確実に命を落とすことは間違いない。次こそは足だけでなくあれは全身を狙ってくるのはもはや必然であり、アランは必死に麻痺との格闘を続ける。しかし、それでも一向に体は反応しない。
「あぁ」
足音の先を見つめアランは諦めの吐息をこぼす。雷剣狼は数メートル先に静止しており先ほどまで解いていた帯電状態を再び復活させていた。
その様子はまさに殺意の権現。先ほどまで殺すのを煩わせた怒りが立ち姿からもひしひしと感じられ、横たわるアランを静かなまなざしで見つめている。
―終わった。
この距離まで詰められては抵抗などできるはずがない。
現に麻痺している足は感覚がなく、正常に立つことすら困難。仮に足が動作可能だとしても起き上がるまでの隙を突かれてやられる。魔法を放とうにも・・実践的な魔法は使えた試しがない。
あらゆる状況を鑑みても最適解は見いだせず、絶望だけがアランの精神を覆いつくしていく。打開策が見いだせない以上、アランが今できることは死を覚悟するほかにない。直前まで保とうとしていた気持ちは今となっては跡形もなく崩れ落ちていた。
雷魔法が幻と言われる理由。それは雷魔法が従来の魔法学には存在しなかった魔法。すなわち、混合魔法と呼ばれる六元素から後天的に派生した魔法に属しているためだった。
従来の適性により見出される元素はどんなに複数の適性を用いていたとしても、六元素以外の魔法適性を示すことはない。それは現在の魔法学でも共通の認識となっており、それを認知していない魔導士はほぼ存在しない。そのため、現在も特例こそあるものの、それらを黙認して六元素以外の魔法は存在しないというのがノーガリアの魔導士における共通の認識となっていた。
しかし、魔法発達以前に記録されていた書物などにおいては六元素以外の魔法に関する記述が綴られていることも少なくはない。書物という幾枚もの紙を束ねて作られた記録媒体は現在においては大半が詠唱におけるスペルなどを記すための記録装置として用いられているが、かつての用途はそれだけではなかった。
書物は魔法学が発見された三百年前よりさらに以前から記録装置として機能しており、王宮をはじめ、図書館等の多くの書物を保有する建物でもそれらの痕跡を見ることができる。以前住んでいた地域の図書館でアランはその存在を王国に伝わる伝説として知った。
それらに記されている内容は王国が魔法を発見した過程、それらに携わった偉人など歴史的に見ても価値のある代物ばかりだが、魔法を用いれば、それら書物の複製は詠唱一つで難なく可能となっている。そのため、多くの地域にそれらが出回り、王国内の人間でなくともそれらを見ることはできるのだ。
その中で雷魔法、そして雷剣狼の存在が記されていたのは神話と呼ぶべき内容が記述されたおとぎ話の一説だった。
随分前に見た本であり、内容ははっきりと覚えていない。
しかし、鮮明に覚えているのは王家に属し、王位継承権を持った双子の魔導士が王に魅入られるために、お互いが新種の魔法を研究したこと。
そして双子の兄が水、風魔法を5:5の合成によって雷魔法を、弟が火:土魔法を7:3の合成によって煙魔法を見出したが、王に献上する手前で王は倒れ、二人の魔導士は王権をかけて戦争を起こし、決着は付かなかったこと。
その後、それらを止めた英雄が現れ、彼に加担した国民から国を追放された二人は自らの過ちを償うべく、生み出したエレメント全てを狼の形に変え、地下洞窟に封印したということだった。
物語の最後は「封印した狼の二匹は雷剣狼、灰煙狼と呼ばれ、後世に語り継がれた」という記述だが、学会でその存在を尋ねても「知らない」と答える魔導士が大半だ。そのため、アランの中でもこの物語の記憶は半ば消えかけていた。しかし、その内容はともかく、そこで記された狼の名前だけは深く印象に残っており、今でも鮮明に覚えている。
だが、それらが語られていたのはあくまでおとぎ話。そんな狼が実在するなどこれまで誰も考えたことはなかっただろう。敵意がにじみ出る視線を浴びながらアランは静かにその存在へと顔を向ける。
考え込んでいた間も雷剣狼は常にアランを静視しているが、佇まいからもそれが最大の警戒を表しているのは明らか。逃がすつもりはない、そう告げるように倒れるアランの数メートル手前から常に視線を送り続けている。
にらみ合いを始めてから数分が経過した。全身の容態は一向に変化なく、どこかを動かそうとも微動だにしない。まるで全身が金縛りにあったかのように、どこかを動かそうにも体中が石のように固まり、体を傾けることすら困難な状態だった。
そんな状況下でも絶望的な状況は一向に変わらず、雷剣狼とのにらみ合いは未だ、続いていている。精神が摩耗する中、毛並みが発光し、帯電する姿は一向に変化無し。その様子を見るうちに戦意もそがれ、やがて打開策を考えることすら難しくなってきた。
―何を考えてる?
精神疲労が限界を迎える中、アランは雷剣狼の様子に違和感を覚える。もう、倒れる自分は瀕死も同然、対する雷剣狼は一切の傷すら負わずにそこに佇んだまま。攻撃することが目的なのであれば息の根を止めるのが先決なはずだ。
しかし、雷剣狼は倒れてから数分が経過しても一向に向かってくる気配はない。倒れている様子を眺めながらその動きを観察しているだけ。こうなっては、まだ攻撃されて息の根を止められた方がまだ楽になれたかもしれない。
そう思う中でも、絶望的な状況下で対峙する気持ちはそう長くはもたない。いつかは息の根を止められる。その惨状を想像しただけで全身の血が引いていき、死の恐怖がその精神を蝕んでいく。
だが、動けないのでは、それも仕方がない。現状を否応ながらも受け入れ、死を覚悟したアランは雷剣狼から目を背けようとした、その時だった。
「何をしにここへ来た?」
低く、野太い声が空間一帯にこだまする。思わぬ発声にアランは動きが制限された中で首を精一杯動かし、その声の発信源を探して部屋中を見渡す。
しかし、この空間にいるのは雷剣狼とアランのみ。それ以外の存在の姿はどこにもない。目視できないだけ可能性も捨てきれず、アランはしばらくの間、部屋の隅々まで目を凝らし続けた。
だが、その様子を見かねたのか再び、その声は発される。
「何が目的だ? 何故、ここへ入り込めたのだ?」
それは誰かが発したものではない。問いかけにより、ようやく理解が及んだアランは静かに先ほど背けていた視線を元に戻す。
問いかけていたのは新たな乱入者ではない。それは紛れもなく、目の前に佇む狼から発されていた声に他ならなかった。
現実を疑う事象の連続でアランは言葉を失い放心状態。迷い込んでから今までも驚きの連続だったが、今回は訳が違う。
物語の狼は実在しており、人の用いる言語が理解できる。そんな現実紛いな事実を受け入れられるわけがない。反射的に開いた口は中々塞がらず、呆然としたまま、頭上から向けられる視線を一直線に受け続ける。
人以外で言葉を話せる生物が存在するなど誰が想像しただろうか? 否、そんなものは従来であれば存在せず、普段は想像する機会すらないだろう。
語られた話では雷剣狼という狼は魔導士が作り出したある種の魔法生物であり、意識の有無についての記述はなかった。確かに、物語内では生物の常識からは逸脱した存在だが、まさか言語を用いるなど・・
放心状態で問いかけられたことすら忘れ、アランは目の前に突きつけられた多くの疑問と格闘を続ける。
「決断を迫られた同胞は自ら封印の道を選んだ。その空間に何故、魔導士がいるのだ?」
しかし、その様子を感じ取ったのか、雷剣狼は僅かに顔を上げ、再び脳内に語り掛けてくる。その言葉に慌てて考えていた疑問を投げだし、再び逸らしていた視線を元に戻して口を開く。
生死の手綱は相手に握られており、問いかけの返答を拒めば、きっと数秒後の命はない。
「俺も知らない。激しい頭痛がして、気が付いたらここにいた」
ありのままの事実を口にする。しかし、その答えが気に入らなかったのだろう。低く喉を鳴らすと再び雷剣狼は呼び掛ける。
「嘘をつくな。ここ数年で魔導士の魔法技術は驚くほどに飛躍した。記憶を操作した先代が知ればさぞ、喜ぶだろう」
―記憶を操作? 先代?
知りえない言葉がいくつも語られ、言葉を否定されたことなど忘れ、雷剣狼の言葉に耳を傾け続ける。
しかし、嘘と言われた事実は何一つとしてかわらない。答えないのを確認した雷剣狼は再び問いかける。
「どのようにしてここへ入った? 如何様な魔法を用いたのだ?」
「魔法?」
普段であれば自分に向けてめったに口にされない言葉に対し、アランはあえて無知を装う。しかし、実際に用いることが困難な以上、その反応は全くの嘘ではない。
すると、その言葉を聞いて僅かに牙を見せた後、再び、アランに問いかける。
「魔法を知らない? この国でそんな者がいるわけ無かろう」
「いや、知らないことはない。けど・・」
先ほどの無知を訂正し、アランは垂れ下がるようにして上を向いた手に火のエレメントを集め始めた。従来であれば、霧状のエレメントは形を形成し始め、詠唱可能段階である炎の形に変化するのだが、適性のないアランの場合はそうなることは確実にない。手の上で漂い始めたエレメントはその中央で集約される手前で火花を散らせ、やがて僅かな破裂音と共にエレメントは空気中に四散してしまった。
それをアランは六元素すべてのエレメントで試し、そして失敗した。生まれてもとより、六元素における適性が一つもない身だ。当然、こうなることは何度も自分で試し、嫌というほど経験してきた。この結果はアランにとってはもう見慣れた光景に過ぎなかった。
するとその様子を見た雷剣狼は一瞬、細い目を見開いた後、僅かに眉を上げた。
「何も発動できないだと?」
きっと、雷剣狼が知る中で、このような存在は珍しいのだろう。初めてのものを見るような目でアランの魔法が失敗に終わる様を眺めながら言葉を口にする。
「無属性魔法なら一応使える。ただ、実用的な魔法は俺には一切、使えない」
説明するまでもない現状を雷剣狼に伝えたのち、アランは小さくため息をこぼす。学会内でも何度も話していたことだったが、まさかここに来てまで話すことになるとは考えてもみなかった。
しかし、それを聞いた雷剣狼は僅かに口を開けると、部屋中に響くような高らかな笑い声を上げたのち、再びアランに向き直った。
「まさか、こんな魔導士がここへ迷い込んでいたとはな」
軽蔑したのだろうか? いくら雷魔法を用いる生物とは言え、魔法を持ちえないことを人外からも笑われた事実にアランは怒りを通り越して呆れていた。まともに魔法を使えないということは彼らのいる世界であっても、そういう扱いなのだろう。その事実にただただため息をこぼすことしかできない。
しかし、一通り笑い終えた雷剣狼は、周囲を移動しながら倒れているアランの全身を見て回り、再び元の位置へと戻ってきたのと同時に口を開いた。
「魔法が使えないお前は、何故、私と戦おうと思った?」
状況を理解し、この空間へ入り込める魔導士ではないことを雷剣狼は理解したのだろうか? 現状を踏まえてか、先ほどの問いを再度、追求してくる様子はなかった。
「何故って、戦わなければそのまま殺されていただろ? 俺だって無駄死にはしたくないんだよ」
「ほう」
アランの言葉に一瞬雷剣浪に顎が上がる。この出会い自体、雷剣狼にとってもかなり珍しい事態なのだろう。魔法を使えない魔導士の言葉を数秒かけて、かみ砕いた様子で雷剣狼は再度、言葉を続ける。
「普通の魔導士ならそう考えるだろう。だが、それは魔法を使えないとしても、その意思は変わらないのか?」
「・・・・」
疑問交じりにこの質問をするということは、まともな交戦方法を持ちえずに戦うことを雷剣浪が理解できなかったのだろう。確かにその考えはアラン自身も半ば理解していた。
実際、魔導士は格上の相手と交戦した際には、まずはその場からの脱出を試みることが先決だ。敵の動きがどうであれ、自分が対等に渡り合えない以上、魔導士はその場にいても一切の意味がない。その上、命さえ落とさなければ、魔導士としての生命が終わるわけではないことから、まずはその場からの撤退を図ることは戦術の基本。今思えば、魔法が使えない中で抗戦を強いるなど自殺行為に等しい判断だったのかもしれない。
だが、あの場面でアランはそうしなかった。雷剣狼の疑問をしっかりと受け入れながら、言葉に応じる。
「変わらない」
従来であれば、その場からの逃走を考え、撤退をする場面だった。しかし、あの場面でその選択肢をする手段はアランには残されてはいなかったと今になっても思う。
「魔法が使えないからこそ、戦うしかない。まともな魔法が使えない人間は逃亡の有無すら選べないんだよ」
この屋敷は退路が絶たれた閉鎖空間であり、この部屋が屋敷を繋ぐ最後の部屋だった。その上、魔法が使えないアランには部屋を脱出する術は何一つとして持ちえていない。魔法が使えれば逃走の判断もできたのかもしれないが、丸腰で部屋から逃げたとして、生身の体で追い付かれることは目に見えている。そう考えれば、初めて雷剣狼を見た時からアランに逃走という手段は無くなっていたのかもしれない。
すると、その言葉を聞いた雷剣狼は若干顔を下げて硬直した後、再び顔を上げた。
「ふっ、面白いやつだ。お前のような魔導士は久しぶりだよ。数えてはいないが、もう数十年は会っていないだろう」
何かの感傷に浸っているのだろうか? アランの言葉に驚きを示した雷剣狼は一直線にアランを見据える。
その見つめる目は水晶のように透き通る水色。外見のとは見違えるような発色のコントラストに思わず視線が吸い寄せられるような感覚に陥る。
「・・」
無言で注がれる視線は何を考えているのだろう? 告げた十年前の魔導士のことを思い出しているのか、はたまた、全く違う思索をしているのか? ただ向けられる視線だけではその意図をつかむことはできない。
すると、数秒して向けられた視線を切った雷剣狼は再び口を僅かに開く。
「お前はこの屋敷から出る方法を知っているか?」
「え? いや、俺は何にも」
何せ、ここへ来た原因すら解明できていないのだ。出る手段を問われたところで、そんな境遇のアランがそれを知るはずはない。
「というより、そもそも、ここにいたお前なら出る方法くらい知っているんだろ?」
壊された檻の状態やここへ入り込んでいたことを警戒したことからも、この屋敷にいたのは雷剣狼で間違いないだろう。それなのにどうしてアランにその手段を尋ねるのだろうか?
しかし、その疑問など一切気にせずにアランの後方へ向けて雷剣狼は静かに移動を始める。
「おい!」
話していた相手が倒れたままその場を去ろうとする雷剣狼向け慌てて声を上げる。先ほどまで戦っていたことをもう忘れてしまったのだろうか? 声を上げるも体が動けないアランは当然、その姿を追うことができない。声をかけてもすぐには振り返らない雷剣狼に対しアランは大声で呼びかけようとしたその時、
「そうだった。まだ、拘束を解いていなかったな」
そう、一言告げたのち、雷剣狼は一瞬で上空に青く放電する雷球を作り出した。それに向けて僅かに上を向き、顔を雷球の間近まで接近させる。すると、途端に青い雷球は空中で弾け、今まで覆っていた全身のしびれが跡形もなく消えてなくなった。それを神経が認知すると同時、アランの四肢は再び、自由を取り戻した。
「おおーっ!」
痺れから解き放たれた途端、感動のあまり声が出た。常に寝そべりながら話を聞いていたアランはその態勢からの解放に慌てて手足を伸縮させる。体は間違いなく、いつも通りの動きができるようになっていた。
「動けるようになったらついてこい。私はここを出る」
「はぁ・・って、はあぁーー?!」
体が自由に動くようになったのもつかの間、思いがけない言葉がアランの耳を貫く。釣られかけた返答を慌てて抑え込み、驚きの声が漏れだす。
「いや、お前がこの屋敷の主じゃねーのか?」
「断じて、違う。私や同胞はここに閉じ込められた存在に過ぎない。この屋敷を作り出したのは別の何かだ」
思いがけない真実を告げられ、アランはこれまでの雷剣狼との戦闘と会話を思い返す。この部屋の檻を確かめた直後、雷剣浪との戦闘になり、アランは倒れた。その様子を殺すわけでもなく、ただ見つめ、その素性をひたすらに観察し続けた・・
「あっ!」
ここまで遡り、ようやくアランは事の顛末を理解した。
元々、雷剣狼はこの屋敷の主ではなく、逃走者だったのだ。先ほど見つめていた空の檻。あれは恐らく、雷剣浪が自力で打ち破った檻なのだろう。その証拠に、その檻に触れた直後、臨戦状態の雷剣狼は入り口付近に現れた。あの時のアランを雷剣狼はこの屋敷に閉じ込めた犯人だと錯覚したのだろう。
「お前、俺を監守か何かだと思っていたのか?」
「ああ、そうだ」
歩く足を止めず、前方を見る中で雷剣狼は背後のアランに向けて口を開く。やはり、現れて唐突に攻撃したのはただの思い違いだったのだ。
「このあたりで十分だ」
しかし、そんな思惑など当然、雷剣浪は微塵も感じ取れない。壁に向かう雷剣狼は扉を横目に数メートル歩いた先にある壁の数メートル前で制止する。
そこで壁面の様子を確認した後、壁から適度に離れた立ち位置を見定める。そして、周辺で数歩位置を調整したのち、雷剣狼は静かに開いていた目を閉ざした。
『視、剣、霹靂。数多ある剣、わが身の力となれ』
「な・・ッ!」
目を閉じた直後、雷剣狼の言葉がアランの脳内に響き渡る。この文字列、ただの独り言ではない。ここまで何度もこういった式句は聞いており、文字列自体は特段、珍しいものではない。だが、雷剣狼がそれを用いることをこれまで一切、想定してこなかった。
式句から見ても間違いない。雷剣狼が唱えていたのは魔法に特定の変化をもたらす詠唱だった。
―魔法を使うだけじゃねーのかよ。
先ほどの戦いで見せた投擲にせよ、雷剣浪がこれまで行ってきた戦闘は基本的に現象変化を用いた攻撃はしてこなかった。手を抜いていたのかは定かではないが、少なくとも、詠唱による魔法には雷剣狼がまだ見せていない力が秘められていることは間違いない。
すると、詠唱を終えた直後、鼓膜を大きく揺るがすような轟音と共に眩い閃光が目の前で炸裂する。
「く・・ッ!」
目の前で起こった現象を理解する前にアランは遅れて目を覆った。白い閃光の輝きは一瞬で長く継続はしない。しかし、光を失った直後に見開いた景色は想像とは全くかけ離れたものだった。
「なんだよ? これ」
数秒が経過し、目が慣れてきたアランは捉えた景色を再び見て、言葉をこぼす。先ほどの音と光は恐らく、出会ったとき同様、雷剣狼が放った雷だろう。しかし、問題はそこではない。その雷が直撃した壁には小さな穴が開き、そこから壁面の内部空間が少しだけ顔を見せていた。
そこには想定される壁面の内部空間が空洞のように透過しており、内部はまるで、水槽を眺めているかのよう。その場所には個体としての壁は存在せず、壁面の輪郭のみが線として格子状に描かれ、開けた穴を遮るように一本の白い線が入っていた。
しかし、それも刹那の情景。攻撃によって開けられた穴は数秒で収縮をはじめ、内部をさらけ出してから瞬く間に元の壁へと修復されてしまった。
「やはりな」
「やはりじゃねーだろ! お前、こうなること分かってて、ここを出るとか言ってんのか?!」
想像通りとでも言うような余裕の反応を示す雷剣狼にアランは叫び紛いの返答を返す。
先ほどの雷剣狼の放った魔法は確かに先ほど受けた雷球をはるかに凌駕する威力で壁面へ衝突した。しかし、その威力を持ってしても壁には多少の傷を与えるのみで、その損傷すら瞬く間に修復しまう。これほどの壁をどうやって破るというのだろうか?
すると、修復を確認した雷剣狼は数秒の沈黙を経たのち、今度はアランへ向けて口を開いた。
「魔導士、その剣で壁面を切りつけてみてくれ」
「えっ?」
突発的に告げられた提案にアランは反射的に疑問の声を上げる。この剣は木製、そして壁面は間違いなく石壁。威力は先ほどの雷元素魔法の足元にも及ばず、切りつけた瞬間に弾かれるのは目に見えている。
「いや、これ木剣だぞ。切りつけた瞬間、弾かれるに決まってんだろ」
「魔力で作られた壁は材質までは模倣できない。それに、私も出る方法はいくつか心当たりがある。心配するな」
「いや、そう言われてもな」
まだ不安要素が拭えないアランは先ほど修復を終えた壁面へ視線を再度、移動させる。
材質は違うと雷剣狼は言ったが見た目はどこからどう見ても石でできた壁そのもの。それを切り裂けるという光景が今のアランには微塵も想像できない。
しかし、そう分かっていても試さない理由にはならない。弾かれるのであれば想定通りであり、違う脱出手段を模索するだけだ。ここから出るのに手段を選んでいる暇はないだろう。こじつけのような理由を無理やり納得させ、アランは正面に剣を構える。
「フ・・ッ!」
縦に構えた剣を右肩頭上へ移動させ、一振り。いつもの素振りでやっている剣の降り方であり、これまで毎朝、狂ったように続けてきた動き。それを壁面へ向けて一直線に振り下ろした。
「スッ!」
すると、振り下ろした剣先が迎えるのは激しい衝突ではなく、呑み込まれるような吸着感。壁面にめり込むように剣は刃先から呑み込まれていき、切り出しから数十センチ剣が入ったところで剣の勢いは次第にゆっくりとなる。その地点から切断した断面が剣にまとわりつくような感覚がより強くなった。
「こん・・にゃろッ!」
しかし、振り下ろした勢いはそんなことで止まりはしない。
壁面の抵抗を手元に力を入れて無理やり押し付け、再度、剣に勢いをつけて切断を続ける。そして、軌跡がようやく1メートルを超えた辺りで急遽抵抗が力を失い始め・・
「――ッら!」
弱った抵抗を好機と見たアランは、全身に力を込めて一直線に剣を振り切る。壁面の抵抗こそあったが、軌道は綺麗な一直線を描いており、その切断面からは先ほども見えた黒い空間のより広い範囲があらわになる。
「やはり、対魔法防壁か。私達を想定しての拘束装置だったのだろうが、物理攻撃にはこれほどまでに弱かったとはな」
「対魔法防壁?」
全身を使い、僅かに疲弊する当事者をよそに、知らない言葉によって話を進めようとする雷剣狼に対してアランは質問を挟む。
防壁という概念があることは知っていたが、それは物理的な壁を用いるのではなく、直接的な魔法の貫通を防ぐ壁を生み出す魔法だったはず。しかし、この壁は間違いなく、実体があり、切りつけた手ごたえも存在していた。それすらも防壁と呼ぶのだろうか?
すると、そんな疑問を察知した雷剣狼は壁からアランへと視線を移し、再び口を開く。
「魔法のみに対し、高度な耐性を持つ防壁だ。一般的な魔導士では術式の構築すら不可能だが・・」
話す途中で言葉を止め、雷剣狼は塞がりつつある亀裂を見つめ再び沈黙が訪れる。しかし、塞がっていく壁面を見てもその返答を待っている余裕はない。その理由を問いただすべく、アランは考え込んでいある雷剣狼に向け、口を開く。
「その口ぶり、前にこれを見たことがあるのか?」
問いかけてから、しばらく答えはなかった。しかし、言葉のみは聞いていたようで、問いかけに数秒遅れて雷剣路は返答のため再度、口を開く。
「あの時はこのような壁ではなかったがな」
一言答えたのち、再び黙り込む雷剣狼。躊躇いでもあるのかその続きの言葉を雷剣狼は中々、口にしようとしない。
「あの時?」
恐らく答えないだろうと、先んじてアランはその沈黙の真核に触れる。恐らく、かつての雷剣狼はこの防壁を一度、見ている。その正体が何なのかは分からないが、それを伝えることを雷剣狼は躊躇しているのだろう。
しかし、問いかけた答えは間も開けずに雷剣狼自らの口から告げられた。
「ここへ来る前、ある魔導士にこれを使われ、私はここへ来た」
「な・・ッ!!」
思ってもみなかった答えに言葉が止まる。これまで考えていた空間の考察が細い糸が絡まるように交錯していく。
神話で語られる雷剣狼は合成魔力を封じ込めるために地下へ封印されていた狼とされていた。そのため雷剣狼がいたことを考えても、先ほどまでアランはこの場所を地下洞窟と認識していたのだ。
しかし、その雷剣狼の言葉を聞いた上ではその考えを改めなくてはならない。
雷剣狼は防壁を見たのをここへ来る前と告げた。封印されたままなのであれば、外の世界には足を踏み入れることは到底、できるはずないだろう。
「お前、今までどこに・・」
いたんだ? そう尋ねようとしたが、これまで口数の少なかった雷剣狼は突如として口を開きアランへ向けて問いかけた。
「先ほどの亀裂が感染に修復されかけている。あれが治りきらないうちに早くあれを破壊するぞ」
「えっ?!」
急な問いかけに対し、アランは雷剣狼が向く亀裂の方向へ、慌てて視線を移した。
先ほどの雷剣狼の攻撃と比べると壁の修復速度は遅くなっていた。物理攻撃に弱いといった雷剣狼の言葉を聞いた限りでも、恐らく剣で攻撃を与えた方が、大きな損傷を与えられるのは間違いなさそうだ。
しかし、それでも分断された壁は今も元の形に戻るべく、形を変形させながら断面をうねらせながら膨張と収縮を繰り返している。放っておけば元の形に戻るのも時間の問題だろう。
「でも、どうすんだよ? また俺が切り裂いても壁は元の形に修復されるんだろ?」
眼前の様子を見てもなお、同じような攻撃をするほどアランの行動は打算的ではない。しかし、それを理解したところで到底、解決の糸口になるわけではならず、アランは提案をした雷剣狼にそっと目配せをする。
すると、その言葉をすでに想定していたのだろう。二度ほど顔を壁面に向けたのち、雷剣狼はその問いに応じる。
「あの亀裂とは違う角度にもう一度切り込みを入れてくれ。それを確認した後、私がその内部空間に向けて魔法を放つ」
「お、おう・・」
事前に決めていたような即座の作戦の提案にアランはおどおどした口調で応じる。
突発的な提案だったが、示された課題は絶対不可能と言い切れるほど無謀ではない。むしろこの現状を打破する手段としてはそれ以上ない試みだろう。
今にも閉じようとする壁面へ向け、アランは走って目の前にたどり着くと、今度は剣を体の右横に持っていきそっと狙いを定めた。
「ッーーらぁ!!」
先ほどの斬撃で壁面の性質は理解しており、今回は接触時から強力に剣を打ち付けた。やはり、先ほどは木剣であることに躊躇いがあったのか、今回は急速な勢いの衰えはない。壁面をゆっくりと切断する剣身は瞬く間に横一文字の綺麗な軌跡を描き出した。
「これならいけるか?」
満足げに雷剣浪へと視線を向け、アランは魔法発動の不可を尋ねる。
指示を出した張本人は周囲から魔力を集め、全身の毛色を黄色く発色させている。どうやら宣言通り、雷剣狼は到着してから亀裂を作るまでの間に魔法を放つ準備が整ったようだった。
しかし、その顔は中々すぐれず、返答はおろか言葉に対する反応すら帰ってこない。だが、その答えは、雷剣狼の見据える壁面へ視線を戻した瞬間に理解が及んだ。
―あっ・・
視線の先に見据えていたのは先ほど壁面に作り出した横なぎの亀裂。しかし、その亀裂を生み出している間に、以前切り裂いた縦の亀裂は跡形もなく修復されていた。雷剣狼が言葉を返せなかったのは恐らくそれが原因だろう。
「くっ・・ッ!」
しかし、そんなことで立ち止まるわけにはいかない。勢いのあまり左へ放りだしていた剣身を手元に手繰り寄せ、流れるように右肩へ剣を持っていき、縦に一振り。
「ザッ!」
横凪で切り裂いた時同様、渾身の一振りで二度目の斬撃を放つ。数秒の間こそあれ、実質的には壁に向けての二連撃。全身の力が僅かに弱まるのを握力の低下から僅かに感じ取れる。
「おい!!」
しかし、そんな壁面と対峙している中、突如として背後から、声がかけられる。主は当然、魔法の準備を進める雷剣浪だろう。
「これは空打ちでいい。今はその場から撤退しろ!!」
思いがけない行動に背後から雷剣狼の叫ぶ声が聞こえる。続けて壁に斬撃を放ったのだ。返ってくる反応としては当然だろう。
次の機会を待ってでも壁に変化が訪れるわけではない。それはアラン自身も理解したうえで行動し、この斬撃も決して何かの変化を予期して放ったものではなかった。
だが、アランが危惧していたのは間を開けた際に現存する魔法の発動可能な回数だった。
先ほどの雷剣狼の様子を見た限りでは、一度の攻撃に多大な魔力を消費する魔法であるのは間違いない。もちろん一度の攻撃で壁面を破壊できれば杞憂に越したことはないが、攻撃しているのは強大な魔力耐性を持つ防壁。一発目の魔法攻撃を見ても簡単に破壊できる保証はどこにもなかった。
そのために魔法の使用回数を少しでも減らし、雷剣狼の魔力を温存させる。それがこの現状打破に関与できないアランが唯一できる手段だった。
「うっ・・ッーーらぁ!」
これで三回目ともなればさすがに壁面の硬度には慣れ、壁面への入刀と同時、数秒の間も空けることなく縦に一線を描き出す。これで縦横の十字に切り込みが入り、先ほどの雷剣狼の指示通り、壁面には二つの切り込みが出来上がった。
もうここへいる必要は無くなり、攻撃の可能性を加味して、慌てて右へ避けつつ、雷剣浪へ向けて声を発しようとした直後、
「汝らに命ず・・」
声に引き寄せられるように背後の雷剣狼へ視線を向ける。撤退の指示をした後、切り込みが入ったことを確認したのだろう。雷剣狼はどうやら魔法の発動自体は中断しなかったらしい。先ほどの詠唱だけの発動とは到底思えない重圧を漂わせ式句を口にしていく。
「われらを隔てる壁を破り、雷の意思のもとにその力を示せ」
すると、詠唱と同時に上空で形成されていた剣宿しの剣が一斉に輝きを放ちだし、数本の剣先が僅かに上昇した。それはまるで対面した際に放たれた投擲と同じ動作。しかし、今回はその数が目視で数えられないほどの反応を示している。
―まさか・・な?
攻撃の予兆を経て反射的にその魔法像が瞬時にアランの脳内に浮かぶ。しかし、思い至ったその事象を否定しかけた直後、それらの否定を打ち消すように雷剣狼は静かにその魔法名を唱和する。
「雷魔法 第五章 ライトニング・ミリオンスロー」
言葉に呼応するように上空で僅かに動作した剣は、瞬間的にまるで光線のような一筋の光となった。それは到底、目で追える速さではなく、気が付けば轟音を立てて白い線が見え隠れする空間へ向けて数本の刃が剣先を突き立てて刺さっていた。
「マジかよ・・」
刹那、あまりの光景にアランはそれ以外の言葉を失う。
投擲という意味では何度も見てきた雷剣狼の攻撃。しかし、今の速さは対峙した時に見せたそれとはまったくの別物であり、投擲の威力は光線のような破壊力を持っている。
速さ、攻撃力、内臓魔力、それらの何をとっても、これまで避けてきた投擲全てはこれの足元にも及ばない。恐らく、これが雷剣狼の本来持つ雷魔法の形なのだろう。その証拠に突き刺さった五本の剣からは発光と同時にいくつもの入り乱れた線を空中に描き出している。
「帯電してるのか?」
「ああ」
何気なく呟いた一言に雷剣狼は余裕がないのか短い言葉で応じる。使用できないアランは知りえるはずもないが、これこそが剣宿し本来の性質なのだろう。発光する剣先からは多量の電気を迸らせ、剣は突き刺さった壁面に向けて離れてもなお、直進を続けていた。
しかし、直進し続けた数秒後、今まで拮抗状態だった剣先は小さな破裂音が鳴り響くと同時、するりと壁面へ呑み込まれるかのように視覚から姿を消した。
「あ!」
呑み込まれた数秒後、遅れるようにして今まで突き刺さていた無数の剣によって閉ざされていた壁面が一斉に閉じられる。先ほどの光景を見ていなければ、攻撃を始める以前の状態への逆戻り。五本もの剣を取り込んでもその姿は依然として変化はない。
「あれでも無理なのか・・」
呑み込まれては壁を貫通したとして、アラン達がここから出ることは到底叶わない。剣宿しの一斉放射でさえも対魔法防壁の魔法相殺力は破れなかったということだろう。先ほどの壮絶な光景がいまだ忘れられないアランはその事実に壁面を見つめた視線を横目にうなだれる。
「魔法付随 破壊」
そんなさ中、雷剣狼は続けて言葉を口にする。その言葉に落としていた視線を不意に上げ、雷剣狼を見たのちに再び、先ほどまで眺めていた壁面に視線を戻した。
雷剣狼が口にした言葉を経ても、壁面の様子に特出した変化は見られない。しかし、それは唱えたほんの数秒の出来事。何の前触れもなく鈍い音が一帯に響き渡り、剣の埋まった壁の壁面が内部から押し出されると同時、形を保てなくなった壁の瓦礫が落下と共に空中へ消えていく。まるで内部で爆発物が起爆したかのように、剣を埋めた堅固な壁面はその形を徐々に崩壊させていった。
「なっ!!」
何が起こったのかが分からず、状態の変化に驚きの反応を一声。あまりの状況の変化に戦慄すると同時、それ以外の言葉が出てこない。この急展開に先ほどの詠唱が絡んでいることは間違いなかったが、これほどの変化を及ぼせるとは思いもしなかった。
壁面は先ほどの崩壊をトリガーとして、壁は内部に潜む空間の姿を徐々に露わにしていった。壁面の輪郭に沿って不気味な細く白い線が格子状に組まれ、その内部にはどこまでも広がる純黒に染まった空間が顔をのぞかせている。それは明らかに誰かが生み出した人工的な創造物で自然的にこれらの壁が生まれることは絶対にありえない。
そんな故意に作られたことを感じさせるその壁面だったが、爆発を経た後では奥の壁面まで貫通しており姿を留めるのも風前の灯火。先ほどの衝撃で壁面と外とを遮るものは何もなくなっていた。
「あっ・・」
しかし、状態を確認していたのもつかの間、壁面は術式の崩壊を告げるように、貫通した壁面以外に引かれた格子を残し、空中に残された白い線は跡形もなく消滅した。先ほど急速に修復をしていた壁面の再生力は白い線と共に消滅したようでいくら待ってもこれ以上、壁が修復される様子は見られなかった。
「おい、これって?」
「ああ、これでようやく出られる」
尋ねたアランに先駆け、雷剣狼は先んじて自らが開けた壁面の穴へ向けて足を進める。それに数歩遅れて、何もなかったかのように歩く雷剣狼の後ろをアランは追った。
壁面に空いた穴に到達した後にその大きさを改めて確認する。穴の開いた高さは1メートルほど。何の不自由もなく通り抜ける雷剣狼に対し、後に続くアランは背丈が明らかに足りない。屈みながら通過する中、壁面内部に広がる黒い空間の姿が目に入ったが、それらに触れないようにしつつ、アランは前進する。遅れても雷剣狼の姿は見失わないように気を配りながら、数メートルにわたって続く壁面を通り抜けた。
「やっっと、出れたーーーー!!」
壁面を抜けて、橙色の光が照らす草木の上に立ちつつ、アランは両手を伸ばして大声を上げる。
どれほど屋敷の中を彷徨ったのかは覚えていないが、外界へ踏み出した時にはすでに白い日の光が一帯を照らし始めていた。太陽の高さや吹き付けて来る風の温度から考えてもあれが夕日とは到底考えにくい。そう、彷徨っている間に夜が過ぎ去っていたのだった。
「おい、目の前に差している光、あれ朝日だよな?」
「ああ、そうだろうな」
確認も兼ねえての問いかけに対し、雷剣狼はその言葉を肯定する。雷剣狼から見てもあれはやはり朝日なのだから間違いないのだろう。しかし、それが事実であるとすれば体感時間を振り返っても今のアランはどうしても納得ができなかった。
「いや、俺がここに来る前、外は昼下がりだったんだぞ! あの場所と外では時間が違うのか?」
「そうだろうな。従来、外界との隔たりを持たせる結界は、魔力が充満する内部とそれらの影響を受けない外部とで時間の流れが異なるものだ」
外界との時差を言及するアランに対し、雷剣狼は静かにその疑問に応じる。その声はもうすでにそれら知識を経ているように躊躇することなく語られ、これが初めての経験という訳ではないのだろう。それでも僅かに首をかしげるアランに対し、雷剣狼は再び言葉を続ける。
「魔力もとい、それによって顕現される魔法には未だ、未知の性質が多い。それらには少なからず自然の摂理に背き、生命の知的感覚にも影響を及ぼすこともあるのだよ」
「お、おう・・」
続けて説明を聞き、より難解な説明をされたアランはせっかくの言葉を無碍にしないよう慌てて返答を返す。恐らく、雷剣狼が言う外部との時差は、結界内部の魔力によって知覚にズレが生じているために起こっているということだろう。いや、それ以外の意味もあるのかもじれないが、今はそればかりに気を取られている暇はない。
「って、そうじゃねーんだよ! おい、お前さっき壁を爆破する時にエンチャントって言ったよな。魔法構築後の詠唱なんて可能なのか?」
壁が崩壊した衝撃で壁を通過するまで全く聞けなかったが、魔法詠唱に続けて後発で唱えられた詠唱。魔導士による講義や図書館などでも後発に発動する詠唱など、一切、聞いたことがない。
詠唱は基本、魔法の初めに唱えるもので魔法が構築段階に入ればそれらの干渉が一気に難しくなると聞いたことがある。そもそも魔力によって魔法を構築してから、それに続けて術式を唱えてはそれらの術式を崩壊させることに他ならないはず。
そう思ったアランは再び口を開こうとしたがそれを咄嗟に雷剣狼が口をはさんだ。
「エンチャントはそもそも詠唱ではない。お前は勘違いをしているようだが、壁の破壊に用いたデストラクションも決して詠唱によって術式を後付けした現象ではない」
「んん?」
事象を湾曲することが可能な詠唱でないと雷剣浪本人の口から告げられ、これまでの常識が塗り替えられていくアランの思考はますます混乱を極める。しかし、そんな様子など見向きもせず雷剣狼は言葉を続けた。
「魔法には構成する魔力本体が持つ使用元素以外に使用する術式に内在する潜在属性というものが付いている。それを特定の式句によって引き出すことができる文言、それがエンチャントだ。こればかりは私より魔法学者たちに直接聞いた方が早いだろう」
「ああ、そうするよ。ここまでの説明だけで俺の頭は限界みたいだ・・」
考えすぎて徐々に頭痛が出始めた頭部をわざとらしく抑え、アランは言葉を返す。これ以上は雷剣浪から直接、聞く必要はないだろう。そもそも、アランがここまでに学んでこなかった魔法技術は多く、学園に戻ってからでもその詳細を聞いてみよう。きっと次の授業でも聞く機会は・・
「ん? 学園?」
しかし、そこでアランの思考が停止する。ここへ来る前の記憶が瞬間的にフラッシュバックされ、それと同時にこの建物に来る前に掲げていた本来の目的をアランは反射的に思い出す。
ここへ来たのは魔法試験に行われる剣宿しの練習のため。そして、それが失敗したところでアランの記憶は途絶えていた。
「あーーーー!!」
突然突き付けられた現実に対するショックと同時、これまでにあった剣宿しを練習する機会を失った焦燥感が入交り、アランは瞬間的な大声で発狂する。
「どうした、急に叫びだして? お前と会ってから私は二回も叫びを聞いた気がするのだが・・」
「いや、確かに二回目の叫びなのは認めるよ! でも、それとは叫びの種類が違うだろー!!」
わざとと思えるほどの冷静に反応を返す雷剣浪に対し、アランは反射的に言葉を返す。しかし、状況はそれに答えるだけでは到底、解決するわけはない。ただでさえ完成に至らず、より練習の回数を積まなければならない剣宿しがこんな建物で彷徨っている間にその練習時間が消滅してしまったのだ。
「練習をしていた次の日、つまり今日に剣宿しを習得するつもりだったんだよ」
「ほう」
剣宿しという言葉に雷剣狼の顔が僅かに上がる。しかし、現状の解決に意識を割くアランにそんな表情の変化などは全く見えていない。
練習に励んでいた際には笑われに行くのは自分として許さないと心では思っていたが、こうなってはどうしようもなかった。このままでは、寝ずに学校へ向かったとしても到底できるとは考えにくい。しかし、もともと元素適性がない身だ。いくら試行回数を積んだところでできない可能性の方が圧倒的に高いのは明らか。そう割り切って学校へ行くのも仕方ないのかもしれない。
「まあ、せいぜい笑われてくるよ。どうせ魔力適性も何もないんだ。俺にできる剣宿しの元素は一つもないだろうしな」
「おい、魔導士」
剣宿しの感性を諦めて、雷剣狼に別れを告げようとした直後、その雷剣狼の口が唐突に開かれた。その声に背けていた視線を慌てて戻し、アランは再び雷剣狼を見つめる。
「これを持ってみろ」
「えっ?」
何の前触れもなく、目の前に向けられたのは突如、顕現した様子で空中に横向きで浮遊する剣宿しの剣。丁度、肩から掛けていた木剣と同じほどの刃渡り、そして剣身をした長剣だった。当然、剣は剣宿し状態であり、それを目の前に差し出されたことにアランは動揺が隠せない。
「私の剣は少し特殊な構造をしている。雷元素が体に流れることを心配しているのならそれは杞憂だ。とにかくその剣を持ってみろ」
「あ、あぁ」
疑問の意味を捉え違えているのか、躊躇しているアランを見て雷剣狼は剣の説明を始めた。しかし、再び剣を持つことを促されたことからも、とりあえず持てということなのだろう。その言葉に従い、アランは宙に浮いた黄色く発光する剣をそっと手に取った。
「――ッ!!」
剣の持ち手を握った途端、突如として浮遊が解かれ、剣身の重みが一気に手に伝わってくる。同じ長さでも今まで持っていた木剣の二倍ほどの重量はありそうな長剣。落ちてゆく持ち手をアランの咄嗟の判断によって両手で抑えて受け止める。しかし、日ごろから剣を握っていることもあり、かろうじて握って振るうことは可能だった。
「その剣で剣宿しをしてみろ。流す元素は何でもいい。いつもお前が行っている方法で大丈夫だ」
「え? あぁ」
言葉の直後に、手に持った剣の光は消滅し、そこから透き通るような刀身を持つ鉄剣が姿を現す。手渡された長剣は元々持っていた剣とほぼ同じ剣幅。そのため確実に、剣宿しができないというわけではなかったが、元素適性がないのに可能などということが果たしてあり得るのだろうか? 今まで見てきた剣宿しの失敗を思い返し、一瞬アランの手が固まる。
しかし、今の元素適性がないというのは六元素に現れる適性がないというだけ。一抹の不安こそあれ、試してみる価値は十分にあるだろう。空いた右手を剣身に添えて、アランは今まで幾度も試した剣宿しの発動を試みた。
「剣宿し」
始動の句をつぶやき、アランは右手からいつも用いている無属性のエレメントを流し始める。徐々に持ち手と柄の間から白い光があふれだし、それが少しずつ剣身へと注がれていく。注いだエレメントは剣身に入ると途端に無属性エレメントの白色から本来の雷元素が持つ鮮明な黄色へと変化する。
ここまではいつも通り、剣身に到達する前のエレメントは比較的安定して流れていく。しかし、ここからが剣宿しが抱える最も難解な問題だった。
持ち手から剣身へと流れる過程。いつもならここでエレメントの流出が始まり、魔力の入れすぎ、もしくは入れなさすぎで剣宿しは失敗に終わってしまうのだ。しかし、入れていく中でアランは今までとは違う違和感をどことなく感じ取ることができた。
いつもであれば剣身に向かって行くエレメントはうまくいっても中ごろで流出が始まり、剣先まで到達することなく魔力が切れてしまう。しかし、この剣に魔力を注ぐ中で空気中に流出していくエレメントは微塵も目視できない。見えない中で流出している可能性も考えたが、そうだとしてもエレメントが剣身に向かう速度が通常よりも明らかに早い。そんなことを考えているうちに、エレメントは注ぎ始めてから数秒のうちに剣身まで到達し・・
バチ! バチバチ!!
剣身に一通りの魔力を注ぎ終えた直後、発行する黄色いエレメントに反して白いプラズマが迸った。空気中にいくつもの白い線を迸らせつつ、剣の周囲に帯電するプラズマはやがて方向を変えてアランの腕にその細い線を伸ばしていく。
「ちょ! おい!!」
しかし、それが起こったのも刹那の出来事。反応できた時にはもうすでに剣を持つ腕にたどり着いていた。
「――ッ! えっ?」
プラズマの着弾にショック死を覚悟していたが着地後の激痛は何故か感じない。慌てて身構えた反射的に取り出した手をゆっくりと下し、その様子を静かに眺める。
バチバチバチ!!
剣宿しをした白剣の剣身を取り巻くように閃光のようなプラズマが空中に弾けながら帯電している。この姿が先ほどの戦闘で雷剣狼が顕現させた剣宿しの形なのだろう。構成段階での黄色いエレメントは剣宿しによりその色は白く変化し、その光が剣全体を取り巻いていた。
「完成したようだな」
「あぁ、だけど、どうして?」
遠くから見つめるだけだった雷剣狼は帯電が収まり剣宿しの完成を見届けたのち、アランに近づきながら言葉をこぼす。しかし、今までの経験からこの結果が、アランは未だ信じられずにいた。
元素適性がないため、それに伴う元素の幕を作り出すことは今のアランにはできない。それは学会での実践を通しても分かりきっており、そのためにここまで剣宿しの困難さを痛感してきたのだった。
しかし、今手に握っている剣は紛れもなく剣宿し状態。白い剣全体に白いプラズマを迸らせ、眩しいほどにその剣身を発光させている。その状態は今まで見るだけだった剣宿しの完成形そのものだった。
すると、その疑問の声に呼応するように雷剣狼は驚いた反応を見届けたのちに一呼吸おいて口を開いた。
「先ほども言ったが、その剣は少し特殊な性質を有している。今お前は雷以外のエレメントをこの剣に注いだな?」
「あぁ、そうだ」
雷剣狼の告げる問いかけに対し、アランは嘘偽りなくそのままの答えを返す。すると、雷剣狼はその言葉を聞いて僅かに頷きを返すと、再び話を続けた。
「この剣には注いだ如何様なエレメントであっても雷魔法に変換する性質がある。それゆえ、今のお前は雷以外のエレメントで剣宿しが出来ているのだよ」
「エレメントの変換?! 剣だけでそんなことできるのか?」
衝撃のカミングアウトにアランは反射的に大声で反応を返す。元素魔法は基本、六元素それぞれが異なる魔法として存在しており、従来の魔法学ではそれらの干渉は不可能と言われていたはずだ。
合成魔法など例外的な魔法は多少の魔法間の属性面などでの接続があることから干渉は可能だが、そんなことは聞いたことすらない。魔法構成以前の魔力の干渉はともかく、変換などはここまで魔法を学んできたアランも一切、聞いたことがなかった。
「魔導士は雷魔法が合成魔法ということは知っているか?」
「あぁ、聞いたことがある程度だけどな」
魔力変換について思考を巡らせる中、突如、雷剣狼からの問いかけに対し、アランはこれまで触れてきた図書館での知識に思考を切り替える。
図書館などで見られる雷魔法に関する文献は特段、物語などの限定的な話だけには留まらなかった。そもそも、学会で魔法に関する知見を学ぶ上で魔法に関する詠唱方法などを記す書物は基本的に学会では所蔵していない。そのため、自力で図書館や王国に手続きを出して持ち寄りの許可を申請する必要があるのだが、その持ち寄る書物の中には六元素以外の魔法が記されている場合が多くあった。
それらの項目自体は講義の合間などにアランはよく目に通す機会が多くあった。そういった文献は一見難読そうに見えるものも多かったが、上級魔導士ほどの知見を有していなくともそれらの内容は簡潔に記されている。そのため、今のアランの魔法知見でも十分すぎるほどに分かりやすい文献が多く、それらの書物に部分的にみられる雷魔法の記述は概ねこのような記載だった気がする。
六元素魔法には中間の属性がないのか、その研究の過程で発現したのが雷魔法と煙魔法という二つの合成魔法だった。
神話に登場する雷と煙魔法の発生過程は明確にわかっており、魔法史としてそれを研究する魔法研究者もいる。そして彼らの見解も魔法発現の過程と史実における整合性が取れているとしている。
そして、それぞれの合成魔法は風と水、火と土を均等な割合でエレメントを合成することによって生成事態は可能だが、それらを魔法の発現形態に変化させるのは魔力の調節維持の観点からも困難を極めること。
そのため、発見された二大合成魔法を実際に実用段階まで極めたのは雷魔法が一人、そして煙魔法も僅か二人だけだった。
雷魔法などの合成魔法の記述は図書館の所蔵が足りないせいか、部分的な頻出のみしかなく、合成魔法であること以外は明確な記述は見られなかった。しかし、これだけでも雷剣狼の問の答えには十分になるだろう。
すると、長い間、雷魔法に思考を巡らせるアランの様子を感じ取ったのだろう。雷剣狼は少し視線を落としながら再び口を開いた。
「魔導士達の時代では雷魔法は不安定な魔力とされているのではないか?」
「あのよ、質問されてる最中に悪いんだが、いい加減、魔導士って呼び方止めてくれよ」
ここまで一緒にいて未だこの世に多くいる魔導士の名前で呼ばれていることにいい加減どことない距離を感じたアランは思考を中断して雷剣浪に問いかける。
しかし、雷剣狼は問いかけに対しても言葉を止めたばかりで、僅かに首を横に傾けるだけ。その意図が分からない様子でアランに視線を向ける。
「おれにもしっかりとしたアランって名前があるんだよ。お前から見れば確かに魔導士かもしれないが、それじゃ、他の魔導士と識別がつかないだろ?」
「私はよっぽどのことがない限り、人前に姿を現さない。その上、今、名前を口にするまで私はお前の名前すら知らなかったぞ?」
「えっ?」
咄嗟の雷剣狼の返事にアランは慌ててこれまで交わしてきた会話を思い返す。
出会った直後に戦闘が始まり、雷に打たれて倒れながら意思疎通を図り、壁を崩壊させた上で今交わしているこの会話。考え直しても、アランが自らの名前を口にした機械は一度たりともなかった。
「確かにそうだったな・・」
そもそも、普段から人との距離を置くアランにとって自ら名前を口にする機会は殆どと言っていいほどない。そんな中、人にすらそれを咎める機会がないのにましてや、雷剣狼に名前を訂正させることができないことは目に見えている事実だった。
「自分から口にしないのに分かるわけなかろう? だが、ようやくお前の名前を知ることができたのだ」
しかし、アランの心情とは裏腹に少なからず名前を聞いたことに関する反応が返ってくる。その意向にアランはほんの少し落とした視線を慌てて元に戻す。
「その剣はアランに渡そう。魔法が使えずとも、雷剣を扱えるほどの魔力は有しているようだからな」
告げた直後にアランの手から剣が数センチ浮き上がり、一瞬、強い光を帯びて剣身が視界から消失する。しかし、その数秒後、光が収まり姿を現した剣と共に、同じ白い容姿に包まれた鞘を纏った上で再び姿を現した。
「えっ?!」
思いがけない言葉と目の前の光景に数秒の間、その姿を呆然と見つめていたが、剣が手元に下りてきてはそれも見ているわけにもいかない。呆然とした意識を再び引き戻し、鞘に包まれて厚みを帯びた剣身を余裕の無い様子で受け止める。
「この剣に魔力を宿せる人間は度々見てきたが、戦闘魔法が発動できない人間はお前が初めてだ。これが扱えればいくらかはマシになるだろう」
「でも、これって・・」
上手く抱え損ね、厚みを帯びた剣を不安定に抱えるアランは、落とさないよう、慎重な動作で持ち方を変えつつその受け取りに疑問の声を返す。
持つ手より僅かに長い柄と木剣より十センチほど長く伸びた剣身。間違いなく戦闘の際に雷剣狼が上空に顕現させていた剣の一本であり、その容姿はさほど肩にかけている雷剣と遜色ない長剣。雷剣狼が雷剣と呼ぶ貴重な一本をなぜ、託すなどと・・
「お前が顕現させた剣の一本なんだろ? 渡すんなら六元素を使えない俺より、他にも候補はいるんじゃないのか?」
これまで交わしてきた雷剣狼との会話から察するに、この建物で出会う以前にも雷剣狼は何人かの魔導士との交友はあった。魔導士である以上、何かしらの魔法を持ちえることは殆ど確定しており、彼らに剣を委ねた方が幾分かは有効に使えるのではないだろうか?
先ほど説明を聞いた限りでは、剣宿しをした雷剣は宿した魔力すべてを剣身が元々持つ雷元素に変換させる力を持っているようだった。しかし、アランは無属性魔法の変換でしか使用用途がないが、従来の魔導士であればその用途は魔力変換だけに留まることはないだろう。
この剣を従来の魔導士が持てば、元素の種類を選ぶことなく、その両手から同じ元素を放出するだけで、剣と自前の魔法元素という異なる二つ魔力の変換が可能。つまり、適性元素が一つでもあれば、意図せずに二つの元素を操れるということだ。
それが安易に想像できる以上、アラン以外に存在する多くの魔導士の方が剣を貰うにふさわしいことは間違いないはずだ。
しかし、それを告げても雷剣狼は軽く牙を見せ、一瞬、地面に視線をちらつかせるだけ。続く言葉がないのを確認すると、再び口を開いて言葉を返した。
「渡すといった理由、聞いていたのか? 私は戦闘魔法を持ちえないお前だから渡そうと思ったのだよ」
「何でだよ? 俺は簡単な元素魔法すら発動できないんだぞ? こんな俺に託すより、有用に扱える魔導士は山のようにいるだろ?」
何不思議なく言葉を返した雷剣狼に未だ疑問が拭えずにアランはその意図を探る。だが、その言葉に雷剣狼もしばし口を噤み、二人の間に数秒の沈黙が訪れた。中々帰ってこない言葉にそもそも話を聞いていたのかすら分からず、アランが口を挟もうとした直後、僅かに口を開いた雷剣狼は言葉を返した。
「私は俗世の魔導士達と殆ど関わらない。だが、巡りあわせか、旅をする中で時々、お前のように魔法習得が困難な魔導士に出会う。そして彼らにも雷魔法を施してきた」
かつてを思い出すように雷剣狼は僅かに視線を落として、言葉を続ける。
「魔法というものは生まれ以てその能力の限界が定められている。それを少しでも伸ばすことができる私にはそれが使命なのかもしれんな」
「使命・・」
使用困難な雷魔法の譲渡、それが雷剣狼の宿命とでも言いたいのだろうか? いや、違う。そうでなければ、そもそも、こんな出会いは起こりえない。
遠くて2キロほど離れた場所に生家がある生徒も所属する今の学会でさえ、魔法適性がない生徒はアランただ一人だけ。これほどの広域の生徒が所属する学会でさえ、適性がない魔導士はアランの他に誰一人として存在しないのだ。
そんなある意味、稀有な存在が目の前に現れていることからも、偶然とは到底断言できないのは事実だろう。
「この雷剣はお前の木剣に合わせた形を選んだ。振って違和感はないか?」
「あぁ、むしろ重さがある分、元の剣より振りやすい」
雷剣狼は渡した剣の感想を求めるが、手ごたえだけなら、十分以上だった。
元々、魔法が使えないと自覚して以来、練習の大半を素振りに割いていたこともあり、特に手に負担がかかることもなく、十分に振るうことが可能だった。若干、剣身の重量が増加しており、対人では軽い方が振りやすいかもしれないが、対魔法生物なら、これくらいの重さでも全く困ることはないだろう。
「ならよかった」
いつの間にか顔を上げていた雷剣狼は静かに頷きを返した後、出現させていた数本の雷剣を消失させ、アランに対し半身を向けた。
「私は再び旅に戻る。どうやら、同胞もここには退屈していたようだからな」
「ん? 同胞?」
突如、口にした聞き覚えのない存在に対し、アランは疑問の声がこぼれた。いや、聞いた覚えはあった。確か、空間の主だと勘違いしていた時に・・
―カラララァン!!
しかし、先ほど出てきた建物から響き渡る金属の共鳴音にその思考は中断される。いくつもの武器が地面に接触したかのような質量をもった鉄の落下音。それがいくつも重なり合い部屋全体に反響している音が穴から聞こえてきた。
「なっ、今度は何なんだよ!」
現状の実態がつかめず、音に動揺を示すアランに対し、雷剣狼はその光景を静かに見つめる。そして、次の瞬間・・
―ヒュン
雷剣狼が屋敷に開けた小さな穴からものすごい速度で様々な発色をする光の玉が現れた。確認できる限りで配色は灰色、白色、山吹色。瞬時に三つほど現れた光球は眼下に見据える森林を低空で滑空した後、分離してそれぞれが異なる山脈へ向けて消えていった。
「檻を観察していたということはお前も先ほど見たのだろう? 檻の中に入っていた結晶を」
「あ、あぁ」
音が鳴り響いてから起こり続けた事象に理解が追い付かず、アランは一言返して数秒は思考を整理するべく口を噤んだ。
結晶ということは飛んでいった光は檻の中身。そして、先ほどの音は、その話を踏まえると壊された檻で間違いないだろう。そこまで思考が至った直後、アランは再び口を開いた。
「今、飛んでいった光がお前の同胞なのか」
「あぁ、そうだ。ここに閉じ込められる前までは私たちは違う場所にいたのだがな。閉じこめられてからは、皆、同じ場所に囚われていたのだ」
整理した結果を報告したものの、それを受け取る雷剣狼の表情は優れない。やはり、建物に閉じ込めた人物の存在が気になるのだろう。決して出会うことがないであろう四つの檻が一つの空間に集められた理由についても、なぜ一つの場所に集められたのかは脱出できた今でも謎のままだ。
しかし、そんな心配も瞬時に切り替えた雷剣狼の言葉が遮った。
「しばし間が空いたが、今度こそお別れだ。雷魔法は託したが、それを扱うのはお前次第だ。自分なりの答えを見つけろ」
「あぁ」
端的な返答をしたものの、急遽渡された剣を見つめたまま、アランは口を閉ざし続ける。
今まで元素を扱いたいと考えたことは術式構築の修練を積む中で何度もあった。しかし、この剣はそれら修練で培われずとも、自らの意思とは無関係に雷を起こせる剣。適性とは関係なしに魔法が使用できる雷剣を、人は決して、正当な力だと認めないだろう。
「使い方は自分で考えるしかないんだな」
「あぁ、そうだ。私も全ての雷魔法を使えるわけではない。お前が扱う意思に雷剣は呼応するだろう」
呟きに言葉を付け加えるアランに雷剣狼は満足そうに一瞬、顔を正面から見据えた後、その答えを待たずして背後の崖の下へ姿を消した。慌てて駆け寄ったが、数メートル先の崖下を除いた時にはすでに残っていたのは土埃だけ。今まで長く話をしてきたが、姿を消すのは本当に一瞬の出来事だった。
「分かったよ」
姿は消えてもその言葉により固まった決心は全く変わらない。誰もいない崖に向けて伝えるつもりだった言葉をそっと呟いて再び、広大に広がる目の前の森林を見つめる。
どこまでも続くその森にはどことなく見覚えがあった。恐らく、今住んでいる家の近くであることは間違いなく、今が朝だとしても家に着いてから出直す時間は十分にあるだろう。
「練習はそれからだ。今日は大変な一日になりそうだな」
今帰ったところで寝る時間は限りなく少ない。だが、このままでは体が持たないのも事実で最低でも仮眠程度は取る必要がある。剣宿しはそこからできる限りものにしていきたい。
「やってやるよ!」
雷剣狼から貰った力、それを何としても試験までに使いこなす必要がある。できるかはかなり怪しかったが、その手段を与えてくれた以上、何もないアランはただそれをやるしかない。その気持ちを胸に、自らを鼓舞したアランは崖から身を翻して崖下への道を探しに向かった。
その背後に残された穴が開いた先の建物。不気味にそびえるその建造物はアランの姿が消えた後、徐々に姿がぼやけ始める。
それはまるで蜃気楼。本来は存在しえないものが存在していたかのように建物の姿は徐々に透過していき、数秒も経たぬうちにその姿は跡形もなく消失してしまった。