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プロローグ

あらすじにも記載したようにpixivからの転載作品です。

かつて執筆していた原案に最低限の修正を加えた上で投稿をさせていただきました。

少しでも興味を持ってもらえれば幸いです。

プロローグ


 君は才能について考えたことはあるだろうか?


 生まれつき持っている能力、特徴といったところが誰もが思い浮かべる才能のイメージかもしれない。常人では持ちえない能力、それを努力無くして所持している状態を人々が「才能がある」と認識しているのはもはや周知の事実だろう。


 例えば、足の速さ。

 生まれ持つ運動神経は誰もが異なる個性の一つであり、足の速い人もいれば足の遅い人もいる。足が人一倍速ければそれはまさに才能と呼ぶにふさわしい能力であり、個性なのではないだろうか?


 例えば、頭の良さ。

 これも人によって異なる能力であり、様々な規則、事象を即座に頭に入れ、それを用いることは決して誰もができるわけではない。特定の指標以上の知識習得、及び、その引用が可能であれば、それは一般人にはない能力であることは間違いないだろう。


「それらは生まれもった能力ではなく、努力した結果なのではないか?」


 そう思う人もいるかもしれないが「努力」も立派な才能と呼ぶにふさわしい能力だ。

 常人以上の修練によって能力を得ることは誰しもができる容易なことではない。能力がない事を諦め、努力を諦めることは特段珍しい事ではなく、生まれ持った才能の領域に努力のみで到達できる人はほんの一握り。努力は決して誰もができるものではなく努力する才能のある人が可能にできる能力の一つと言えるだろう。


 だが、天才という言葉があるようにそれらは誰しも平等に与えられるものではない。才能はそれを示すための基準となる多くの人々が存在してこそなしえるものであり、その才能の影にはそれを持ちえない多くの人々がいる。そして、その才能を持ちえない一般的な人々もまた、自分にしかない別の能力を持ち得ていてもおかしくはない。


 運動が人一番得意だが、聞いたことを覚えているのが苦手。反対に運動は苦手だが聞いたことを覚えるのは人一倍得意という二人の子供がいたとしよう。

 二人の子供は互いに特出した才能を有しているが、互いが得意でない技能で能力勝負を挑んだ場合、才能外の技能を要求された子供はただの凡人、もしくはそれ以下にまで成り下がる。これは至極当然の結果であり、試さなくとも何の不思議もないだろう。


 しかし、能力勝負の形式を変えれば、それらの立場は逆転し、多くの人々は子供の持つその才能を知覚することができる。こうした比べる能力を変えることによってそれらの才能は明らかになっていくのだ。


 だが、能力の比較をするにあたり、それら一切の才能を持ちえない可能性があるのも事実だ。

「成長したら目覚めるのではないか?」

 そんな期待をしている人々もいるかもしれない。確かに、その可能性はないとは言い切れない。成長するに従いに発揮していく晩成的な潜在能力は無数にあり、時を経てそれらを自覚することは、特段、珍しい事ではないはずだ。


 しかし、それは同時にそういった才能でさえも発見されずに人生の中でそれが永遠となってしまう可能性も秘めているということ。


 成長しても優れた能力、特技は何もない。

 そのような人生を歩む者が存在したとしても決しておかしくはないだろう。努力をしても成果が出ないともなれば、才能の有無はある意味、残酷な能力の指標とも言える。



 そんな世界には才能の一つとして超常現象を人工的に作り出せる魔法という概念が存在する。火、水、土、風の基本元素に相殺関係がある光、闇元素の計六元素が存在し、それらは章というグレードによって強さが規定されている。


 章の数が上がれば上がるほど強力な超常現象を引き起こすことが可能で、持ち得る元素には生まれつき「適正」というものが存在する。適正は生まれてから10歳の誕生日を迎えるまでの間に自然と手の甲に現れる痣によって決定され、発現までの期間が早ければ早いほど、その元素への適性は高い。

 一つの点から複数の線が伸びていれば火元素、縦に長い線が入っていれば水元素、短く太い線が入っていれば土元素、横に長い線が入っていれば風元素。そして、痣が白く変色したら光元素で反対に黒く変色したら闇元素への適性があると世間一般的には言われている。しかし、それ以外の痣が出現する例外も当然、多数確認されている。


 それらは基本、線によって決定されるが、その線の数が多ければ多いほど魔力保有量が多い傾向があり、複数の痣が同時に出現した場合は、現れた二つ以上の元素に適性があるといわれている。そのため、仮に火の元素を用いる魔導士がいたとしても、この世に存在する全ての火元素を扱う魔導士が同じ威力の火元素しか扱えないというわけではない。


 しかし、多くの魔法は寿命という限界がある以上、習得の練度はどうしても後天的努力より生まれつき持つ才能による比重が大きい。そのため、生まれてもとより才能がなくては魔法を使うことすらできずに生涯を終える可能性もある。すなわち、才能を持たない者はその概念を用いることすらできないのだ。


 そんな魔法が存在する世界で一人、藁をまいた大木に向けて木剣を切りつけ、剣の修練に励む少年がいた。

 彼は一歳までの間に元素の適性を示す痣が現れないという極めて稀有な存在だった。線の数や適性元素に違いこそあれど、多くの人々は少なからず何かしらの魔法適性を持っている中、彼は一切の痣が出現せず、今に至るまで六元素の魔法を一つも使用することが出来なかった。


 珍しいことはもとより、皆が常識として使えていた六元素魔法を使えないという理由から彼は周囲から蔑みの目で見られる日々を長く送ってきた。「お前には何の才能もない」「魔法の欠陥」などと才能がない事を批判された時もあり、酷い時には「何のために生まれてきたの?」と存在自体を否定されたこともあった。


 だが、魔法を使用できるのが当たり前の中、元素魔法を使えないということは魔法を使う上で大きく影響していることを彼は他の誰よりも自覚していた。

「追い付かなければ認められない」

 生まれつきの才能でさえも周囲からは許容されず、人でないような扱いもされてきた彼にとって魔法を使うことは生きるよりも重要なことだった。そんな後天的に覚えることが困難とされている魔法。その修練に人一倍励む少年は今日も剣を振り続けていた。

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