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前編 彼女の理由

刺殺表現があるので、苦手な方はご注意ください。

 こうするしかなかった。

 だって、こうでもしないと貴方はわたしを見てくれないから。


「きゃ――――ッ!!!」


 彼を取り巻いていた令嬢たちが悲鳴を上げる。

 その中で、透き通るような金髪が揺らぎ、朱を振り撒きながら地に伏した音だけが耳に響いた。


「誰か、誰かぁ!!!早く来てぇえ!」


 騒ぎ立てる周りの有象無象など目に入らず、ただひたすら彼を見下ろす。わたしの手にした短剣で刺された胸から口から血を流し倒れる彼を。


 ゴ――ン……ゴ――ン…………


 0時を告げる鐘の音が頭を揺さぶる。


 こうするしかなかった。

 だって、こうでもしないと貴方はわたしを見てくれないから。

 でも、こんなことしたくはなかった。

 こんなことがしたいんじゃなかった。

 ただ、わたしを見て欲しかっただけなのに。


 胸を刺したその瞬間、貴方はわたしを見て笑ったから、わたしはこうするほかなかった。


 ドタバタと辺りが騒がしくなる。ガチャガチャと甲冑を鳴らす騎士が周りを取り囲む。

 けれど、そんなことどうだっていい。

 ねえ、何故貴方は笑ったの?

 不敵な笑み。それは嘲り?侮蔑?わたしがこんなことするなんて思いもしなかった驚き?

 血溜まりの中で事切れた彼は答えない。

 本当は答えなんてどうだっていいの。何であれ、貴方はわたしに笑い掛けた。それだけで十分幸せだわ。

 貴方の笑顔に応えたくて、わたしも笑って見せようとしたけれど、彼の瞳はもうわたしを映さなかった。


 ゴ――ン……ゴ――ン…………


 わたしを責め立てるような大きな大きな音。


 ああ、どうして。

 彼の目に映りたいなど思ってしまったのだろう。そんな夢を見なければ、こんなことをする必要もなかったのに。


「公爵令嬢、大人しくしてください」


 罪人を捕らえようとする騎士の手が伸びる。でも捕まるわけにはいかない。

 もう二度と、彼の目に映ることのないこの世界などいらないのだから。

 手にした短剣で自身の首を撫でると、世界が朱に染まり、閉じた。




 ◆




 煌びやかな宮殿、豪華絢爛な夜会、……色とりどりに着飾った令嬢たち。

 鳥の囀りとは程遠い、欲を隠しきれない甘い声の中心にいるのは、その中の誰よりも輝く人物。同じ人間とは思えないような整った(かんばせ)と近寄りがたい高貴な雰囲気を纏った天上のお人、王太子殿下。

 透けるような金糸の御髪(おぐし)に薄い朱色の瞳を持つ彼は、その美貌と身分で多くの令嬢を虜にした。そしてお優しい彼はそんな彼女たちを無下にはせず、分け隔てなく愛した。

 彼は彼を愛する者に殊更優しかった。


「ねえ、殿下。また公爵令嬢が睨んでらっしゃいますわよ」

「おお怖い。わたくしたちが邪魔なのではないかしら。嫌だわ、何かされたりしたらどうしましょう」

「心配ないよ。彼女が君たちに手を出すようなことはないさ。彼女は僕に興味が無いからね」

「あら、でもあの方は殿下の婚約者でしょう?」

「形だけのね」


 肩をすくめて答えた彼を慰めるように、周りの令嬢がしなをつくって彼に寄り添う。その彼女たちの肩を抱いて、殿下は会場の奥へ足を向けた。

 わたしに一目もくれることなく。


 わたしは彼の婚約者。顧みられることのない婚約者。彼はわたしを望んではいなかった。

 けれど、政略で組まれた婚約は互いの気持ちがどうであろうと解消されることはない。

 でも平気よ、わたし。彼が言った通り、彼のことなんてなんとも思っていない。

 彼が誰と遊ぼうが、どんな令嬢にも優しかろうが、わたしにだけ優しくなかろうが、わたしのことを見もしなかろうが、傷つく気持ちなんて何もないもの。


「まるで人形のようね」

「あの令嬢が相手では、殿下が目移りするのも仕方ないな」

「彼女が笑ったところを見たことあるか?」

「笑うどころか、表情を変えたところを見たことがない!」

「お茶会でもそうですわよ。あの方、無表情でほとんど喋らなくて、本当に人形が座ってるのかと思いましたのよ!」

「真っ赤な髪に赤黒い目で睨んでくるお人形なんて恐ろしくて仕方ありませんわ。でも、彼女がどんなに無作法でも、わたくしたちは何も言えないのよね」

「ヴェンレッド公爵家に逆らえるやつなんかいないさ。王家さえも逆らえないんだからな。さながら王太子は生贄だ」

「違いない」


 ひそひそと、わたしを遠巻きに囁く人たちもいつものこと。わたしのことを恐ろしいと言いながら口を噤むこともなく、不躾な視線を隠そうともしない。


 ……帰ろう。

 別に有象無象の声も視線も気になりはしないけれど、この場所はあまり居心地の良い場所ではない。王宮で催される夜会に王太子の婚約者であるわたしが出席しないわけにはいかなかったが、その役目はとうに果たしたのだ。ここに長居する理由は何もなかった。

 もうすぐ日が変わる。

 何事も起こらない内に早くここを去ろう。


「待ってください」


 踵を返したわたしの背後で可愛らしい声が会場に響き渡った。


「待ってください、殿下!殿下はあの方に騙されているのです!あの方が何もしないなんてことありません!」


 会場の中心でそう声を荒げたのは、彼を取り巻いていた令嬢の内の一人だった。ピンクのふわふわと可愛らしいドレスを着た若いご令嬢。何度か彼の傍にいるのを見たことがある。

 その令嬢に呼び止められる形で奥へ向かっていた彼が戻ってくる。令嬢に向けられた瞳が、チラリ、とわたしの方を向いた気がした。


「……彼女が君に何かをしたというのか?」

「そうです!」


 彼の周囲から人が離れ、彼とわたしの間には誰もいなくなった。広いホールの中、距離を物ともせず向き合う形に、まるでわたしたちだけになったような感覚に陥る。

 その中でピンクのドレスの彼女が彼にしなだれかかった。恐ろしさを(こら)えるように彼の胸に縋りついている。

 わたしが彼女に何をするというの?そんなことなんの意味もないのに。

 ジッと彼女を見つめると、怯んだのか顔を青くしていたが、それでも気丈にわたしを睨みつけてきた。


「ヴェンレッド公爵令嬢!貴女、先程あたしのこと突き飛ばしたでしょう?!それも階段の上で!」

「……突き飛ばした?一体なんのことでしょう……」

「とぼけないで!階段ですれ違いざまにぶつかってきたじゃない!!」


 ああ、そういえば。

 ダンスから逃げてみようとホールを出て辺りを彷徨(うろつ)いている際に、うっかり一人の令嬢とぶつかってしまったのだった。それが彼女だったのだろう。少し触れた程度だし、相手もさっさと行ってしまったから、はっきりとは思い出せないが確かに階段の近くでのことだった。


「それだけじゃありません!」


 黙り込んだわたしに気をよくしたのか、ピンクのドレスの令嬢は言い募る。


「睨んでくるのはいつものことですし、ぶつかってきたのも今日だけじゃありません!ワインを掛けようとしたこともあったでしょう?!小さな嫌がらせばかりなら我慢できても、階段から突き落とされそうになっては黙っていられません!」


 わたしに指を突きつけ、まくし立てる彼女の顔には涙が浮かんでいる。まるで非道な行いに耐え続けた悲劇のヒロインを演じているように。

 彼の隣に立ち、人々の注目を集め、主役にでもなったつもりなのかしら。

 不快感が顔に出ていたのだろう。「ヒッ」と言って彼女が顔を青くし、彼に身を寄せた。

 その態度に顔をしかめてしまいそうになったわたしを、彼の朱色の瞳が捉えた。隣の彼女に身体を向けたまま、目だけでこちらを見る。

 それだけでわたしの身体は、石のように固く強張ってしまうのだ。


「………………ぶつかってしまったことは謝ります。申し訳ございませんでした。ですが……決して、貴女に危害を加えようと思ってのことではありません。睨んでいるつもりもないのです。……勘違いさせてしまったことはお詫び申し上げます」


 なんとか声を絞り出し、彼の目から逃れる為に深々と礼をとる。ちゃんと言えただろうか、彼の気に障らなかっただろうか。お気に入りの令嬢を傷つけたと誤解されたことで彼の反感を買ってやしないだろうか。


「……ふ、ざけないで!」


 上げられずにいる頭に怒りを滲ませた声が降った。


「ふざけないで!そんなの信じられるわけないでしょ?!殊勝な態度を取ろうと騙されないわよ!魔女の末裔、国逆の一族のくせに!」


 瞬間、会場中が息を呑んだのが分かった。


 国中の者が知っていながら誰もが口を噤んでいる事実、ヴェンレッド公爵家はかつて国に牙を剥いた魔女の子孫であるということ。

 類稀なる魔力を持っていたその女は、その力で当時の王を脅し、危害を加え、果ては王位も命も奪ったのだと言われている。その魔女の蛮行を止めるために、次の王は彼女の夫に公爵位を与えた。それがヴェンレッド公爵家の起こりだと。


 意味のない魔女の癇癪だと言われているけれど、実際には謀略により領地と爵位を奪われた男の為に、その犯人であり愚かで横暴だった王に罪を償わせようとしていただけだ。与えられた爵位も領地も正当な持ち主に返っただけにすぎない。

 当時のことを正確に知る者は少なく、魔女の行いは我が公爵家にとっては誇るべきことなのもあり、誤解を含む噂ではあってもわざわざそれを訂正する者はいなかった。

 だから魔女の血を引くヴェンレッド公爵家を、王家は今も尚恐れているのだと人々は噂するのだ。

 そして、殿下の婚約者にわたしが選ばれたのはその魔女に瓜二つだから、と。


「殿下を脅して婚約者になりはしたものの、彼に振り向いてもらえなくて焦ったんでしょ?殿下の周りの女全員に嫌がらせする気?あたしの次は誰?」

「わたしにそんなつもりは……!」

「あたしたちを排除すれば相手されると思ったのかしら?無理矢理婚約したくせに、心まで得ようとするなんて、魔女様は強欲なのね!」

「わたし、は!」

「そこまでだ」


 静かな、けれど有無を言わせぬ圧を持った声だった。その声に気圧されわたしたちが黙り込むと、会場は水を打ったように静まりかえっていた。


「公爵令嬢との婚約は私が望んでのことだ。決して脅されてのことではないよ。それとも君は、私が脅しに屈するような男だと思っているのか?」


 令嬢の頬を指で撫で、自分の方へ向かせた殿下は、わたしの目の前で優しく甘い雰囲気を纏って彼女を宥めた。朱色が、令嬢に向かって細められる。


「思いません……」


 とろけるような甘い声音に、瞳に、令嬢が陶然と答える。周りの令嬢からも恋しげな溜息が漏れた。

 まるで、わたしのことなど眼中にないとでも言うようなこの茶番に痛む胸を必死に押し殺す。わたしはただ拳を握りしめ、耐え忍ぶことしかできない。

 目を逸らしてはダメだ。そんな無様な真似を晒しては公爵家の名折れだ。こんな扱い、わたしにとっては何でもない。


「彼女は大切な婚約者だからね。あまり突っ掛からないでやってくれ。……彼女が君たちに何かをするようなことは絶対に無い」


 取り残されたように微動だにできずにいた私を朱色が捉えた。青褪めていたかもしれない顔を見られてしまったことに動揺し、目を逸らせない。

 滅多に向けられることのない朱色の瞳は、わたしの心の奥の奥まで見透かすようだ。全て暴いたとしても、貴方は応える気なんて、ないくせに…………


「……殿下は騙されているんだわ!!」


 突然、ギッと敵意を剥き出しにした目で睨んだ令嬢が声を荒げた。とても長い時間に感じられた瞳の邂逅を引き裂くような声に驚き、同時に少しだけ安堵してしまう。


「貴女が彼を騙しているんでしょ!魔法を……呪いを掛けたに違いないんだわ!!そうやって彼を縛り付けて、いい気になって……!わたしたちのことだって見下してるんでしょ?!この化け物……!!!」


 殿下を押し除け、ガツガツとヒールを鳴らして彼女がわたしに詰め寄り胸ぐらを掴んだ。鬼の形相で詰め寄る彼女には騒めく周囲の様子も目に入っていないようだ。誰かが騎士を呼んでいるというのに。

 身の危険を感じ、思わず懐に手が伸びた時だった。


「令嬢」


 よく通る綺麗な低音が耳に響く。


「それ以上の手出しは許さないよ」


 カツリ、と冷たい靴音を鳴らして殿下がすぐ傍に来ていた。わたしの胸ぐらを掴む令嬢の手を絡め取り、彼女を後ろから抱き寄せた。わたしの、目の前で。

 けれど、わたしから引き離されて、殿下の腕の中にいるというのに、それでも彼女の気は削がれないようだった。


「殿下……!この女を庇うのですか?こんな……この後に及んで顔色一つ変えないような気味の悪い女を?なぜです……!?!」

「さっき言ったばかりだけどね。君は聞きたいことしか聞かないようだ。()()()()()()()()に危害を加えることは許さないよ」


 ああ、またそんなことを言って。

 彼女の耳元に唇を寄せ、囁く殿下の姿を見たくなくてとうとう目を伏せてしまった。睦言を吐くように溢れる吐息を聞くまいとしていた耳に、大きく息を呑んだ声が届く。そして、伏せた視界の隅で令嬢が去っていった。

 急にどうしたのだろうか、なんて思う間もなく。


「君のそのお守りはまだとっておきなさい。使う相手は彼女じゃないだろう」


 間近で落とされた声に息が詰まり身体が強張る。けれど、懐に隠したお守りに触れていた手に、彼が手を伸ばす気配がして咄嗟に身をよじった。


「……たす、けていただいて……ありがとうございます、殿下」

「……君も災難だったね。彼女があんなに血気盛んなお転婆だったとは知らなかったな。彼女は君に嫉妬していたんだろうね」


 嫉妬?わたしが婚約者だから?このままいけば彼と結婚するから?

 そんなものになんの意味があるというのだろう。


「わたしに嫉妬なんて、見当違いだわ……」


 彼の顔を見ないように下を向いたまま、ポツリと呟いた小さな声は彼に届いてしまったらしい。


「ああ。嫉妬しているのは君の方か」


 クッと喉の奥で笑いながら、彼は嘲るように言った。その突き放すような声音に血の気が引いてしまう。

 そんなことあるわけない。悋気りんきなんてするわけがない。そんな迷惑な感情、わたしが抱くはずがないわ!


「……わた、しは別に、なんとも思っていません……!」

「ふうん?」


 彼の貼り付けた笑顔がつまらなさそうに歪んだ。ああ、また。そんな顔で見ないで。


「君も強情だな。まあいいさ、何度だって付き合うよ」


 顔を寄せ、囁かれた耳元が焼けるように熱い。

 またそんなことを言ってわたしを煽る。応えてくれる気なんて更々ない癖に、貴方は期待させるようなことばかりする。嘲り突き放しつまらなそうにしながら戯れにわたしに優しくする。

 何故そんなことをするの?これでは、わたし、また──…………!


 スッと、掛かっていた影がわたしから離れた。


「待っ──……!!」


 上げた視線の先で、踵を返してわたしの元から去っていく彼を他の令嬢たちが迎えた。寄り添う彼女たちの肩を抱き、今度こそ彼は会場を去って行った。一度もわたしを振り返ることも、そんな素振りを見せることもなく。


「でん、か……」


 何度も見た彼の背中が、とうとう視界から消えてしまう。

 行ってしまった。

 また、わたしだけ残して。

 耳に灼き付く声だけ残して。

 胸の底で焦げ付く想いを戯れに焚き付けて。

 あの朱色の瞳はもうわたしに向けられることはないのだ。


 ────いやだ。

 いやだ、嫌、イヤ!!!

 嫌なの、本当は一人残されるのも、彼が他の女と遊ぶのも、肩を抱くのも声を掛けるのも笑顔を向けるのも全部全部、全部イヤ!!!!

 わたしだけを見てわたしだけに笑いかけてわたしだけに甘く囁いて、婚約者だから仕方なくじゃない、わたしだけを想って!!!


 手元のお守りをドレスの上から握りしめる。


 イヤ、

 ──わたしだけを見て。

 だめよ、

 ──わたしのものになって。


 今度こそはそうしないようにと思っていたのに。


 ああ、もうすぐ、日が変わる。









「きゃ――――ッ!!!」「誰か、誰かぁ!!!早く来てぇえ!」


 令嬢の引き裂くような悲鳴、飛び散る朱色、生温かなものが手を伝っていく。

 眼前で倒れる焦がれた人。わたしの短剣(お守り)で胸を突かれ息絶えていく貴方。

 有象無象なんてどうでもいいの。貴方を取り巻くものなんて興味はないの。ただただ、祈るように貴方だけを見つめていた。


 わたしに殺される王太子殿下その人を。


 顔合わせの日に恋をした。一目で彼のことが気に入った。婚約者になれたことがどうしようもなく嬉しかった。でも、貴方はそんなわたしに釘を刺した。

 縛られたくないと、形だけの婚約だと、心を得られると思うな、と。

 だからわたしは自分の気持ちに蓋をした。

 わたしの執着は、きっと貴方を困らせる。

 わたしは魔女に似ている。

 見た目だけじゃない。ヴェンレッド公爵家の魔女の血は、強い執着の血。

 魔女が愛した男の為に国を相手にした時、男は夫でも恋人でもなかった。ただの魔女の一方的な想い。二人に関わりはあったけれど、相手の方が当時魔女を愛していたのかは定かではない。爵位授与の際、国から提示された条件が二人の婚姻であった、それだけなのだ。

 見返りなんて求めなかった、ただの愛による自己犠牲?それとも凶行による愛の押し付け?それは本当に愛だったの?


 金の髪を散らばせて貴方が固い床に倒れている。朱色の血溜まりの中、眠るように。

 なぜそんな顔をするの?どうしてそんな顔を見せるの?

 貴方を諦めようと何度も思った。何度も逃げ出そうとした。こんな気持ち、さっさと手放してしまいたかった。でもダメだった。

 気持ちを捨てようとする度に、貴方がわたしを絡め取るから、わたしは貴方を諦めることができなかった。どう足掻こうと貴方への執着をやめられなかった。


 この気持ちは恋でも愛でもない。こんな、貴方を傷付けることしかできない気持ちが、そんな綺麗な気持ちなわけがないわ。

 これは執着。貴方の命を奪う魔女の執着。

 ごめんなさい、殿下。わたしやっぱりこうすることしかできなかったわ。

 わたしを見て、わたしのものになって、わたしにその笑顔を見せて。

 倒れるその瞬間、貴方が見たこともないくらい綺麗な笑顔を浮かべるから。今までわたしに向けたことのない嬉しそうな顔をするから。

 わたしはこうするしかなかった。

 何度だって貴方のその笑顔を向けてもらう為に、わたしは自分の手で貴方の命を奪う。


 ゴ――ン……ゴ――ン…………


 0時を告げる鐘の音が響き渡る。もう日が変わる。


 甲冑を鳴らし、屈強な騎士たちが足音を響かせわたしに迫る。


 ごめんなさい、殿下。わたしこんなことがしたかったわけじゃないの。

 時折掠める金糸も、戯れに交差する朱色も、しなやかな熱い指先も、薄く弧を描く唇も、逞しくもすらりとしたお身体も、胸を焦がす体温も全部全部わたしのものになればいいと思う気持ちをずっとずっと押し殺した。

 押し殺して押し殺して心の奥深くに沈めて仕舞った筈だった。それに限界があるなんて知らなかったの。


 正義を執行する男たちの手がわたしを掴む前に、彼の命を奪った短剣を自分に向ける。


 逃げたい。やめたい。もうこんなことしたくない。

 貴方を諦められたらどんなにいいか。


 祈るように短剣を振るう。

 次は、次こそは。


 ああ、でも、きっと、次もわたし──…………






 そしてまた。

 世界が閉じて、開く。



後編は28日20時更新予定です。

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