第1章-6 必要なのは対応力
「い、いらっしゃいませ~……」
何度も聞いたチャイムと共に、俺は緊張しながら接客の基本的な挨拶を伝わりやすいように言った。
現在は午後19時。俺たちが学校に行ってたのだから今日は平日であり、社会人にとっては大体が出勤日。そんな社会人にとってこの時間帯は帰宅ラッシュであり、一日の疲れを癒すための一式をここで揃える人も少なくはない。
だから、ここエイトテンもかなり盛況している。コンビニ初心者三人が加わった今、無事に営業できるのか不安がよぎる。
……ここまでで分かっていただけただろうか?
そう。リセマラ部は成立してから、たった2時間しか経ってないのに、俺らはもう体験入社しているんだ。
正確に言えば体験入社したのは1時間前。そこから接客の仕方、陳列の仕方を一通り教えてもらって今に至る。つまりは1時間で俺らの体験入社できるコンビニを一ノ瀬さんのおじいさんが用意したんだ。一ノ瀬グループやばすぎるだろ。
いきなり実践投入だが、体験入社なのでアルバイトよりかは仕事内容が簡単で、尚且つ一ノ瀬グループの指示か圧か、万が一の為に店長まで来てくれている。
お盆前の三平の店でも見たことがない人の波に圧倒されながら、俺は陳列棚に追加で届いたおにぎりを陳列していく。パッケージを間違えないように、間違えないように。
「エイトチキン揚げたてでーす。如何ですか?」
亀城さんが俺の知らない掛け声でお客さんに呼び掛ける。器量がよく透き通ったわかりやすい声で呼びかけることができる彼女は、元々物覚えがよかったらしく、初日から店側に頼られまくっている。
一方だ……。
「ねぇねぇ。これって積み上げたらだめなの? シャンパンタワーならぬ缶ビールタワーって映えない?」
「一ノ瀬さん……この店内は狭いのでそうすると商品の置く場所がありません。それに人の通りが多いのでお客様に崩れてきては怪我をさせる恐れがありますので……」
一ノ瀬さんは自由過ぎる。コンビニ自体ほとんど行ったことがない俺ですらそれは駄目だろうと思うことを平然と思いつく。子供の発想というよりかは自由人だ。
店長が対応に当たっているが、体験入社のいきさつを知っているからなのか、相手が自分よりも遥かに上の立場の人と繋がっていることに畏怖を感じながら対応している。
「触る神に祟りなしか。俺は俺の仕事をしよう」
おにぎりの配列を終え、次はその横にあるパスタを並べる。
その横から。
「うわっ。もうほとんど減ってる」
おにぎりの棚に人が殺到し、必死で並べたおにぎりが一気に無くなる。
田舎なら何日も残る品がわずか数十秒で消えていくのか。
これはパスタもすぐに無くなるかもしれない。田舎では食べる機会はもちろん見る機会も無いパスタを必死に並べる。ナポリタンはぎりわかるが、なんだへぺろんちーの、ぼんごれって。
「河西さんちょっといいですか!」
「はいっ⁉」
店員の人の叫びに何か粗相があったのか怯える。
「おにぎり足りなくなりそうだから、これにラベラーを使ってサーマル貼って貰えないかな?」
店員の人が掛け足で俺に指示を送る。
「ラベラー? サーマル?」
「済まないがよろしく! はい! 今行きます!」
「えぇっ⁉ ちょ、ちょっと!」
俺の疑問に答えることもなく、店員の人は未だ行列途切れぬレジに戻っていった。
「ま、待ってくれよ。これってどうやるんだ?」
聞いたことも無い用語と謎の器具を渡されて困惑する俺。
しかし、先程の店員の人は三列あるにも関わらず列が途切れる所か次々に人が押し寄せるレジにしがみつく始末で、一切離れられそうにない。
店長さんはと言うと。
「ねえねえ。このジャンボフランク使ってジャンボフランクタワー作ったら映えない?」
「一ノ瀬さん、そんなことしても売れなければ廃棄しなくちゃいけません。何より今はレンジもフル稼働なので作ることさえできません」
未だに一ノ瀬さんの相手をしていた。何かごめんなさい。俺が言うことじゃないと思いますけど本当にごめんなさい!
どうしようこうなったらスマホで。
「なんて言ったっけ?」
早速器具名忘れた! これじゃ調べることもできない! 何で都会はこんなに横文字が多いんだ!
「どうしましたか? 河西さん」
そこに正しく天の声が舞い降りる。
「亀城さん? どうしてここに?」
「玲音さんを止めに来たら河西さんが悶絶していたんで声をかけてみたんですけど、ご迷惑でしたか?」
「いえ! 全然!」
うわっ。俺ってそんなに悶絶してるように見えたの? 恥ずかしい。
「亀城さん、ラベラーってわかりますか?」
「ラベラー……ですか。名前は分かりませんが、どんなものですか?」
「これなんですけど」
俺は店員さんから貰った謎の機械を亀城さんに手渡す。
「あーっ。これ見たことがあります。恐らく賞味期限を付ける機械だと思います。そうですね……適当にここにでも」
亀城さんはその機械をおにぎり――の入った籠に近づけてみる。
カチン。
と言う音と共に亀城さんが離れる。そこには。
「本当だ! 付いてる!」
三平の店でもよく見かけた賞味期限のシールが貼られていた。バーコードが付いていない未だに手打ちレジの田舎でも最新の機械を投入している都会でもここは一緒なんだな。
「後は見本を見て貼り付けていくだけですね」
貼り付けた賞味期限のシールを剥がし、亀城さんが棚の方に手を伸ばす。
が、その手は止まる。
行先が、無い。
「ねぇ。おにぎりまだですか?」
「あっ! は、はい! 今すぐ! 河西さんそのおにぎり取ってください! 私が貼りますので!」
「分かった!」
おにぎりが陳列されていないことをどう見ても会社帰りの社会人とは思えない見てくれの若者から急かされ、亀城さんは俺に指示をする。店員さんの説明不足のせいではあるが、俺の引き受けた仕事なので、それに従い協力作業に移る。
「はい!」
「どうも!」
俺は摘まれたおにぎりから何個かを亀城さんに渡す。ガチャンガチャンと音が聞こえる。
「次は具が入ってない奴です!」
「賞味期限を変えますので少しお待ちを!」
ピッピッと何かを変える音がする。
「ください!」
「はい!」
「まっかせた!」
「次も!」
「了解!」
「そいじゃここ!」
「今度はこれ――ん?」
「付けました後は――え?」
俺と亀城さんが異変に気付いて疑問の声をあげる。
一人、多い?
「はいじゃあ次の人はこれですね!」
「え、えっと私はその横の奴を」
「食べてみたらこれも絶品だと思いますよ?」
「一ノ瀬さん⁉」
俺と亀城さんの連携に、いつの間にか一ノ瀬さんが加わっていることに、集中していた俺たちは気づくことが出来なかった。
そして事態は想定外の状態になっていた。
「はいはい! 次の方はこちら! 次はこれですね!」
「あの、その横にあるお弁当が欲しいんですけど……」
一ノ瀬さんがあらゆる人におにぎりをお勧め、いや、強制的に配り回っている
「玲音さん! 相手はお客様なんですから自分の意見を押し付けないでください! ごめんなさい! 今すぐどきます!」
亀城さんが一ノ瀬さんの首根っこを掴みその場を後にする。
「玲音さん! なんで相手に押し売りしてたんですか!」
「だめなの? よくお店で売れ行きのいい商品をお薦めされるからそれを真似しただけだよ?」
「それは高橋屋とかのデパートやシャンデルのような高級アクセサリーショップだからです! コンビニやスーパーではそんなことしないんです!」
亀城さんは一ノ瀬さんを叱りつける。一ノ瀬さんは普段行くお店でやっていることを真似したと言うが亀城さん曰く、それは普段一ノ瀬さんが行くお店がコンビニやスーパーと違うかららしい。先程の行いも含め、お嬢様の思考はかなりずれているのか。
「とりあえず。コンビニでは積極的な接客はいりません。基本的に受け身でいいんです」
「商売はそんなものですよね……」
亀城さんの説明に俺も納得する。客が納得しなければ品は売れない。どんなにでかい野菜ができても扱いづらかったり大味だったら無人駅でもないと売れはしない。
「うーんつまんないの」
「そう言わないでください。さぁまだ仕事がありますからやりますよ」
亀城さんが一ノ瀬さんのやる気を促す。
その後数分、一ノ瀬さんの無駄な意欲を抑えながら陳列をし終え、客の波が落ち着く。
「ありがとうございます。厳しい時間帯は終わりました。なので今からレジの方の練習を――」
「て、店長!」
エイトテンのトップのご子息にびくびくしながら、対応していた店長が束縛を解かれのびのびし始めた矢先だった。店員が慌ただしく近寄ってくる。
「どうしたんだ!」
「今日は金曜です! となると、これから定時が来ます!」
「しまった! そうだったか!」
店員が慌てる理由を聞いた店長も同様に騒然とする。
定時? どういう意味だ。
「店長さん今から何が?」
「すまない! これから忙しくなるんだ! 君たちにも頑張ってもらうことになるかもしれない!」
亀城さんの質問にも詳しく答えてくれず、初日勤務の俺たちを戦力にすると言い出した。
「一体何が起こるんだ? 定時って?」
「定時? 何か決まっていることが起こるんでしょうか? これだけ慌てるだけの何かが」
「ねぇねぇ」
俺と亀城さんが不安になる中で、一ノ瀬さんが何かを発見したらしく、俺たちに呼び掛ける。
「あっちからいっぱい人が出てくるよ」
一ノ瀬さんが指さす方向を俺たちも見る。
それが俺たちに絶望を与える。
一ノ瀬さんが指さしたのはそこそこ大きなビルの入り口。そこから仕事終わりであろう社員がぞろぞろと出てくる。
そこまではよく見る退社の光景だ。
問題は、その人たちがこちらに向かってやってきていることだ。
「まさか全員お客さんですか⁉」
「すっごい数ですね~」
「玲音さん! のんびり言ってられませんよ! 店長さん! 私にできることは⁉」
「あの人たちはレジが混むことになることも理解していますのですぐ食べれるものを買います! ホットスナック関係を今すぐ用意してください!」
「分かりました! このフライヤーで揚げるんですね! 玲音さんは陳列! 河西さんはそこにある肉まんとかを温めてください!」
店長から簡単な指示を亀城さんが受け、そこから俺と一ノ瀬さんに亀城さんが支持をする。
「温めるってこれ?」
「そうです! 大勢の顧客が来ることを想定しているのか大型レンジが備え付けられているのでそれを使っていっぱい温めてください!」
何でそんなに理解しているのか分からないが、レジと補充で忙しい店長さんや店員の人たちに声をかけにくいこの状況で色々聞ける人が近場にいるのは嬉しいことだ。
えっとこれが冷凍の肉まんたちと。形と色が別々で分かりやすいけど、別々に温めるとしよう。で、ここのレンジに。
「な、何だこれ! 何で温める以外にもいっぱいボタンがあるんだ⁉」
「ワット数と種類だけですから! 説明書を見ればどこに押せばいいかすぐにわかりますから」
「こんなにあるんですよ⁉ テレビのチャンネルより多いじゃないですか!」
「いえいえ多くありませんからね! CS、BSを含めたらテレビより少ないですからね」
「亀城さん! ここは日本です! 日本のチャンネルと比べたら多いんです!」
「私今日本のこと言いましたよ⁉」
テレビのチャンネルと言ったら日テレ、地方テレビ、民放の三つしかないんですよ! そんなローマ字チャンネル何て無いんだから!
「ねえねえ。ここに入れたらこれ温まらない?」
「おでんの中にアメリカンドッグ何か入れないでください! 衣がとろけちゃいますから!」
「これとこれか? 何だこの音⁉ なぜ動かない⁉ コマンドみたいなのがあるのか⁉」
「あ、そうか! なら衣が付いていないこの鳥を入れちゃえば」
「――――いい加減にしなさい‼」
その後俺と玲音さんは挨拶のみの仕事を請け負うことになった。
この修羅場は(後にわかったこれは、大手企業の月一回ある金曜日のノー残業デーで社員が一斉に同時退社したから起こる恒例行事)午後21時近くまで続いた。