私はシンデレラになれなかった成れの果て
目に映る世界は、私にとって宝石が至るところに散りばめられているようだった。
きらびやかな照明が令嬢や子息を照らし、別々の楽器の音色は重奏によってその場に見合う優雅さを醸し出す。
令嬢を際立たせる色とりどりなドレスは見るものを楽しませ、人々が談笑し合う姿はどの方も上品だった。
一年前の私からしたら、想像もつかなかったものだ。
まるでシンデレラの世界のよう。
母と貧しく暮らしていたころの平民だったころが、セピア色だったと思ってしまうぐらい、この夜会は様々な色で満ちていた。
「ミル」
とろけるような甘さを含む声が、私の愛称を呼ぶ。
そして私の手を下からすくい上げ、ホールへと誘った。
歩く度に揺れる絹のような滑らかで光沢のある金髪、透き通る紫苑色の瞳は王族の証だ。
誘われるまま歩き出してしまいそうになるのをぐっと堪える。
そして私はカトレーナ様に視線を送った。
口元は微笑んでいるが、目は一切笑っていない。
冷徹な瞳だ。
だが、カトレーナ様は王子様の誘いに乗ることを許してくれるようだった。
私を見る目が少しだけ横にずれたことから理解した。
同時に、これが私に許された最後の時間だということも。
「……分かっています」
「ミル、どうかしたのかい?」
「なんでもありません、ウィル様。エスコートよろしくお願いしますね」
「ああ、任せてくれ」
ホールへ向かう途中、視線とひそひそと交わされる噂から注目されていることが分かった。
だがそれだけだ。
すれ違いざまにドレスの裾を踏まれたり、陰口を叩かれることはない。
「今日はいつも以上に可愛らしい装いだな。君にとてもよく似合っている」
「ありがとうございます。ウィル様は今夜も輝いて見えますね」
「はは。ミルはいつも私のことをそう表現するな」
「だって、眩しいぐらいですもん」
「毎回そう思っていたらこれから先は大変だぞ。私達は恋人で、そして夫婦となるのだから」
その言葉に私はニコリと笑って過ごした。
ズキリと心が痛む。
あぁ、ウィル様。
どうか許して下さい。
愛を語り合い、共に生きようと誓いあったことを反故にしてしまうことを。
話をしながら、ゆったりとしたテンポの曲を踊る。
ウィル様との特訓のお陰で、この曲ならばリードなしでも見られる踊りとなった。
アドリブのターンでも、ウィル様相手なら出来る。
ふわりとドレスが舞う。
これはこれで楽しいが、ずっと目線を合わせていたのが外れてしまう。
最初は目が合うのも恥ずかしがっていたのが、ずっと合わせていたいだなんて。
いつからこんなに欲張りになってしまっていたのだろう。
だが紫苑の瞳は私を落ち着かせてくれるのだ。
そしてここにいていいと、私の居場所を示してくれる。
なんて心地がいい、幸せな時間なのだろう。
許すなら、いつまでも続いていて欲しい。
だけどそれはウィル様が与えてくれているからその時間がある。
私がそれに甘えるのはもう終わり。
曲が変わった。
ゆったりとしたテンポなのは変わりはない。
きっとウィル様がそう手配してくれたのだろう。
私が踊りやすい曲で共に踊る為に。
だけど私はその好意を踏みにじる。
「ごめんなさい」と言って、包み込むように握ってくれていた手を離した。
「どうしたんだい? 体調がすぐれないなら休憩を―――」
「大丈夫です、ウィル様。いいえ、ウィルレーシェ様」
私は一歩、二歩と後ろへと下がって立つ。
ウィル様は困惑していた。
それもそうだろう。
ダンスが始まっている中、目立つホールの真ん中で立ち止まっているのだから。
「ミル、話があるならここではなく、別の場所にしよう」
「ここがいいです。ここじゃなきゃ、駄目なんです」
私は軽く膝と頭を曲げ、臣下の礼をとる。
お腹と目にぐっと力を入れ、そして顔をあげた。
「お優しいウィルレーシュ様、今日までお気遣いありがとうございます。元平民にも関わらず、戸惑っている私に手を差し伸べて下さいました。
……ですが本日は卒業の祝いの席。ウィルレーシュ様のお手を借りることなく、私はもう一人でも平気です。ですから私のような者ではなく、お好きな方をエスコートして下さい」
例えば、そう。
カトレーナ様のような自身に相応しいお方と。
何か言おうとするウィル様だが、私はにっこりと笑い阻止する。
きっと、今までで一番よく笑えているはず。
今日の為に鏡の前で何回も何回も練習したのだから。
そして一礼し、私は舞台の中心から立ち去る。
これでいい。
うまく出来たはずだ。
奥歯を噛み締め、漏れ出てきてしまいそうな気持ちを抑える。
それは完全に退場してからだ。
後ろから誰かが追いかけてくる気配がする。
見なくても誰かなんて分かる。
そしてその後の展開も。
私は後ろ髪引かれて、ちらりと見た。見てしまった。
カトレーナ様がウィル様に話しかける姿を。
やっぱりお似合いだ。
ウィル様の隣は、美し咲く大輪の花の方が相応しい。
私は歩く速さを早めた。
見たことで後悔することは分かっていた。
なのに振り返ってしまうのは、未練があるからだ。
「潔く身を引いたことは、称賛するわ」
ウィル様と同じ空間にいることは出来なくて、扉から会場を出ようとしたときに声をかけられる。
伯爵家の令嬢だ。
カトレーナ様と親しくしている方である。
陰口を言うことはなく、直接私に物言ってくださる貴重な一人だった。
射通すような瞳は、真っ直ぐに私と向き合ってくれているようで好感がもてた。
元平民の私なので、まともに相手をしてくれる貴族はごくわずかだ。
彼女はその貴族の中の一人。
彼女は私のことを快く思っていないので無理だが、友達となりたい。
そう思える方だ。
「……そう見えたなら良かったです」
彼女は扇で顔の半分を隠していて表情は分かりにくい。
だけど目の辺りだけで表情を読み取れることができた。
私が笑おうとして、失敗してしまったからだろう。
きっと同情してくれたのだ。
「酷い顔ね。そうさせるようにしたのは、私達のせいでもあるのだけれど」
「……これでウィル様の幸せに繋がりますよね」
「そうね。よくやったと思うわ。ただ、未だあのお方の愛称で呼んでいるのは良くないけれど」
「気をつけなさい」という言葉は、心配して言った言葉に聞こえた。
込み上げていた涙はまだ耐えれそうだった。
帰るのには速い時間だった。
迎えの馬車はまだ来ない。
歩いて帰ってしまおうかと思ったが、私はこれでも貴族の一員となったのだ。
その意識をもってやめた。
貴族は縛りが多い。
元平民としては未動きが取れないと感じる日々だ。
私はあてもなく歩いた。
卒業式として当てがわれた会場は、学園が貸し切ったものだ。
学園が所有しているものではない。
あっという間に道に迷ってしまった。
だが耳を済ませると、楽器が奏でる音が聞こえる。
いざとなったら、その方向に行けばいいだろう。
そんなことをぼんやりと思いながら歩き、たどり着いた場所は庭園だった。
建物から囲われてある庭園だが、月の光は届いていた。
私はその光に照らされた大輪の花に誘われた。
花が泣いているように見えたのだ。
月の光で青く発色しているのが涙を連奏とさせた。
「……私と同じ」
だが私にはその花のような美しさはない。
花弁を触り、流れるように茎に触った。
チクリとし、「痛っ」と反射的に声が出る。
花には棘があるようだった。
気付かずに触ってしまうなんて、知ってはいたがなんて馬鹿なのだろう。
プクリと小さな玉の血が出た。
舐め取ってしまいそうになったのをハンカチで拭いた。
傷は思ってさた以上に深かったが、ハンカチで抑えていると出血は止まった。
「ミルっ」
聞こえてはならない声がした。
幻覚だと思いたい。
だけどそれは聴覚だけでなく、視覚からもそうではなかった。
「ウィルさ―――ウィルレーシュ様。なぜここにいるのですかっ」
カトレーナ様はどうしたのか。
卒業生ではないとはいえ、王子様が抜け出してはよかったのか。
なぜという言葉が頭をいっぱいに埋め尽くす。
そんな中、ここにウィル様はいてはいけない。
ただそれだけは私の頭は理解していた。
「なぜって、そんなのすぐに分かることだろう! どうしてあんなことを、あのときあの場所で言ったんだ!」
「それ、は……」
「きっと誰かに言わされたのだろうっ。カトレーナか? あいつにそう言うようにと脅されたのか?」
「いいえ。いいえ、ウィルレーシュ様。私が心からそう望んで言ったのです」
作り笑顔を貼り付ける。
本心だ。
本心からの言葉だ。
ウィル様は信じたくないのか、「嘘だ!」と言って私の腕を掴んで引き寄せた。
そのまま縋るようなキスをされる。
引き寄せられたときに、私が出した小さな悲鳴は口内を侵入する舌によってかき消された。
いつもは優しく私を気遣ってくれるようななキスだったのに。
これは息をするのも苦しい。
口から息をさせてくれなくて、「ふ……ぅん」と出したこともない声が自分から出る。
苦しくて苦しくて堪らなく、ぎゅうっとウィル様の服を掴んだところで、ようやくキスからは解放された。
そして正気に戻り拘束する力が弱まった瞬間、「っいや!」と私はウィル様を突き飛ばした。
こんなキスしたくなかった。
貴方とのキスにこんな感情を抱きたくなかったという気持ちは、暖かい貴方のぬくもりを今は私を苦しめるだけのものになっていた。
冷めた風が私達の間を通り抜ける。
築き上げた私とウィル様の関係が、ボロボロと崩れ始めるきっかけだった。
「ミルは私のことが嫌いになってしまったのか?」
ウィル様を悲しそうな顔にさせたいのではない。
だがホールでのことは、あなたの未来を想ってのことなのだ。
私はそのことが無駄になってしまうことを恐れて「違う」と否定できなかった。
胸が張り裂けそうだった。
「まだ戻れる。ミル、お願いだ。以前のように好きだと言ってくれ。それだけで私は君の為に何かをしてあげれる」
「……いいえ」
「言うだけでいいんだ。他は何も言わなくていい」
「できません。その必要がないからです」
「じゃあなんでっ……。なんで、君はそんなに泣きそうなんだ!」
指摘されてしまうと我慢できなかった。
ポロポロと涙が溢れ出る。
止まれと願っても、逆に溢れ出るばかりだった。
痛ましそうな表情をして、ウィル様が涙を拭う。
それでも涙は止まらない。
「だめ、だめなんです。私は貴方といっしょにはいられない。誰も望んでいないのです。貴方の未来の為にもならない……!」
学園に通う人々は言った。
王子を誑かす、薄汚い平民が。
お前なんか、王子の隣にふさわしくない。
カトレーナ様も言った。
教養もマナーも足りていない。
そんなあなたはウィルレーシュ様の助けとならない。
王様も、王妃も言った。
貴方があの子の隣に立てば見劣りする。
このままではあの子が皇太子になる未来がなくなってしまう。
ウィル様といっしょにいることは、まるで物語のシンデレラになったかのようだった。
母にせがんでよく読んでもらった物語。
誰かに虐められていた訳ではない。
けれど突然貴族になって、学園に入れられ。
本物の王子様が話しかけてくれて、私は彼の人柄が好きになって。
王子様はその想いに応えてくれて、両思いになり恋人となった。
顔も知らない魔法使いが、私に魔法をかけてくれたのだと思った。
シンデレラの魔法だ。
王子様と結ばれる魔法。
だがそれは大きな代償が必要だった。
私が代償を背負う類ではない。
王子様の価値を低くさせてしまうものだ。
私がウィル様の隣に立てば、否応なく低くさせてしまう。
そんなの私には耐えられなかった。
自分の為だけに、そんな身勝手なことはしてはならない。
ましてや周りの人達皆、反対しているから尚更だ。
魔法の代償は高かった。
そしてひとときの夢を見られただけでも、私には過ぎたものだった。
だからカトレーナ様の助けを得て、私は最後の物語の終盤の舞台に立った。
用意されたセリフは、全てがそうではないが大体の問題は解決する。
そうして私の物語は終わりとなるのだ。
だから決して物語が続くことはない。
「ウィル様、今度こそ終わりにしましょう? 貴方は本物の王子様で、私はシンデレラになれなかった成れの果て。私のようなものに構う戯れは、身を滅ぼします」
灰を被る以上に汚れてしまっている私は、触れるだけでいつだって眩しくてきらきらしているウィル様を汚してしまう。
ウィル様はそんなことないと言いたげなだが、その前に私は貴方を遠ざける言葉を放つ。
「貴方は私の王子様ではなかったのです。私だけの王子様ではなかった」
もう貴方から温情さえいらない。
虚しくなるだけなのだ。
私は王子という立場を突きつけた。
ウィル様はついには泣きそうになって顔を歪めた。
私はいつの間にか止まっていた涙が、一つまたこぼれ落ちた。
出合いは平民と貴族の違いを知った、学園入学初日。
このまま私はやっていけるのかと不安に暮れていたとき、ウィル様は手を差し伸べてくれた。
それからは何度も何度も私を助けてくれた。
そして今日も。
ウィル様は私を救う為に、私に手を差し伸ばすことはしなかった。
ウィル様は最後にキスをすることを願った。
良い思い出を飾りたいのだと、先程強引なことをしてしまった謝罪と共に。
一瞬だが長く感じられた触れるだけのキスは、きっと酸っぱい味がしただろう。
涙で濡らした唇は、最後の最後に甘い思い出を作ることはさせてくれなかった。