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永き夜の大陸 〜光の姫 闇の王〜  作者: ゆずはらしの
第二章 廃村の少女
3/22

2.廃村の少女 1

現代では「ミストレス」には、あまり良い意味はありませんが、もともとは、自立した女性への敬称みたいなものでした。


 アリエンテス大陸には、多くの種族が暮らしている。


 頂点に立つものは闇魔族。貴族の位を持つ魔族である。


 その下に、彼らに従う低位の魔族や半獣族の戦士たちがおり、魔獣や妖獣が後に続く。


 人は、最も弱き者である。荒野には『魔狩人まかりびと』と呼ばれる武族の血を引く者や、各地を放浪する『わたびと』がいるが、大抵の人族は集落を作り、彼らを支配する魔族に貢ぎ物をする事で生き延びている。



  月牙(げつが)伯爵領、灰魔樫(はいまがし)の森近くの廃村。


 かつてレサンの村と呼ばれていたこの場所は、七十年ほど前に打ち捨てられた。森が勢力を増して拡大した時に、人が住める場所ではなくなってしまったのである。


 以来、土地は瘴気しょうきに侵され、作物は立ち枯れ、魔獣や妖獣が日中でも跋扈ばっこする所となっていた。


 少女がそこで暮らすようになったのは、三年ほど前からである。


 レサンの村に最も近いエニ村に、やせっぽちの少女が同い年ぐらいの少年と年老いたロバを連れてやって来た時は、物乞いの子どもにしか見えなかった。ぼろをまとった少女は泥とほこりにまみれており、性別すら判別しがたい状態だった。


 少年も似たり寄ったりで、どこからか流れてきた孤児だろうと皆、思った。彼女たちが廃村に向かった時にはさすがに何人かが引き止めたが、あまり熱意は込めていなかった。自分たちの生活も苦しかったからだ。


 少女は引き止めた村人に礼を述べると食料を少し分けてほしいと頼み、代金代わりに幾ばくかの薬草を置いていった。そうして彼女たちはレサンの村に向かい、村の家屋の一つを居と定めると、そこで寝起きしながら畑仕事を始めた。



 初めは誰も、気づかなかった。森からやって来る瘴気が減り、魔獣の襲撃が減った事に。



 一巡月が過ぎるころ、エニ村の人々は、日々が暮らしやすくなっている事に気づいた。そうして廃村の方へ歩いていった少女たちの事を思い出した。


 もう死体になっているのではないか。


 そう思いつつ様子を見に行ったエニ村の青年はそこで、驚くべき光景を目にした。



 花が咲いている。



 妖気漂う森の側、村の周辺にはいつも、いじけたような植物しか生えなかった。村が捨てられる前からここではしなびたような作物が育つのがやっとで、花はわずかに顔を見せては、すぐに枯れた。


 土地は何百年もの間、耕しても耕しても荒れていた。


 それなのに今、村には花が満ちていた。溢れんばかりの緑と共に。


 やわらかな色合いの花々は、野に良くあるものばかりだったが、ここに生えるはずのないものだった。


 大気には、かぐわしい香りが満ちている。周囲を見回した青年は、畑を耕す少年と、ぼろをまとった少女を見た。以前見た時よりも、こざっぱりとしていた。


 彼女たちがまだ生きていた事に驚きつつ安堵した青年は少女に近寄り、やせこけてはいるものの、その顔だちが整っている事に気がついた。泥や埃を落とした彼女は、着ているものこそ粗末だったが、その瞳は星のように輝いていた。何の用かと少女が尋ねるまで彼は、ぼんやりと彼女を見つめていた。


 我に返った青年はどもりつつ、村の様子を手で示し、これはどういう事かと尋ねた。



「水をまいて、草が育つようにしただけです」



 少女は答えた。その声がやわらかで言葉づかいも上品である事に、青年は今さらながらに気づいた。彼女の答には満足しなかったが、早々に退散した。恐ろしかったのである。



 他の村人はこの話を聞いて驚き怪しみ、一人、また一人と様子をうかがいにやって来た。


 最初は男たちだった。花と緑に包まれた村に目を見張り、少女とふた言、三言言葉を交わした後、持参したパンやチーズのかけらを渡して帰って行く。


 女たちは最初気味悪がったが、男たちから話を聞くにつれ、好奇心に負けてのぞきに来るようになった。その内に大胆になって食べ物や古着を持参し、ちょくちょく訪れるようになった。その頃には、森からの瘴気がほとんどやって来なくなっていたのだ。


 村々では作物が良く実るようになり、魔獣や妖獣が人の血肉を求めてうろつく事も減った。


 また人々は村を何度か訪れる内に、少年と少女が対等の間柄ではない事に気づいた。少年は少女に対して常にていねいな態度で接し、彼女を守るかのように、いつもひっそりと側にいた。


 その様子からこの少女は、高貴な身分の方々に重んじられていたまじない師ではないかとの噂が立った。尋ねられた少女は自分は呪い師ではないと告げた。ただ怪我人や病人の手当てはできると言い、村人の相談に乗るようになった。しかし自分の出自に関しては何も話さなかった。



 やがてレサンの村に腕の良い薬師くすしがいると、少女の事が近隣の村々で噂されるようになった。高貴な家の出らしい、とも。


 怪我人や病人は少女の元を訪れるようになり、彼らは治療費代わりに食料や、ちょっとした品を置いてゆくようになった。


 少女は運び込まれた人々を献身的に世話し、少年も手伝った。少年の少女を敬う様子から、村人も自然とそれにならうようになった。


 彼女はそうして『レサンのミストレス』、あるいは『薬師のミストレス』と呼ばれるようになった。




  1




 吹く風が何かささやいた気がして、少女は畑仕事の手を止めた。



『誇りを忘れるのではないよ』



 どこからか懐かしい声がした。



『われらは〈癒し手〉の末裔(すえ)。治療のわざを持つ全ての者は〈癒し手〉につながる。心を開き、世界を愛し、人々を守護する。それがわれらの在り方……』



 これはジーナの言葉だった。そう少女は思った。母をなくした自分を厳しく、そして愛情深く育ててくれた老女。なぜ今、風がこの言葉をささやくのだろう。



ご主人さま(ミストレス)!」



 自分を呼ぶ声にはっとなり、少女はそちらを向いた。西に沈みつつある太陽が、世界をやわらかな色で染めている。少女の(はしばみ)色の瞳も、夕日を浴びて金緑に輝いていた。


 まだ浅い春の風が、栗色の髪を数本吹き上げる。


 十三、四にしか見えない彼女ではあるが、手足はすんなりと伸びており、意識せずに行う仕種は舞のように美しい。顔だちも古典的で優雅だった。


 しかしひどくやせており、それが本来の美しさを人の目から隠していた。


 視線を巡らせた先で、少年が手を振っている。少女の側で護衛の真似事をし、仕事を手伝ってくれている彼は、淡い金髪に金色がかった褐色の目をし、なりに似合わぬ強い膂力りょりょくと素早さを持っていた。


 その瞳孔は縦に長い。


 彼は人族ではなく、半獣族だった。旅の途中で少女は傷ついて死にかけている少年を見つけて介抱したのだが、傷が癒えた後、彼はそのまま少女にくっついてきたのである。



「ガイリス」



 名を呼ぶと、駆け寄ってきた少年は、うれしそうににっこりした。



「もう夕方ですよ。家に入りましょう。道具をこちらへ。片づけます」


「境界線の強化がまだなの。今日は村の人が来ていたから、昼間にできなくて。ねえ、でもガイリス。わたしの事はユーラでかまわないと、いつも言っているでしょう?」



 少年は首を振った。



「あなたはおれの、あるじです。呼び捨てにするなど許されません」


「わたしは確かに、あなたの命を助けたけれど。そこまで恩義に感じなくても良いのよ」



 少年は悲痛な顔になった。



「おれみたいな出来損ないは、いりませんか? でもお仕えしたいんです。お側に置いてほしい」



 彼の姿はほとんど人と変わらなかった。違っているのは目だけである。その分能力は低いと彼は以前、少女に告げた。


 人間からかけ離れた姿であればあるほど、半獣族は強いのだと言う。失敗作と見なされた彼は、傷を負って倒れた時、そのまま放置された。ユーラはその話を覚えていた。



「あなたには感謝しているわ。本当よ」



 少女は静かに言った。少年が顔を上げる。


「いつも色々と手伝ってくれる。困った時には助けてくれる。あなたがいなければ、途方に暮れていた事が何度もあったわ……側にいてくれる事、うれしいの。本当よ」



 少年はぱっと顔を輝かせた。



「おれ、役に立ってますか」


「ええ、とてもね」


「側にいても良いんですか」


「もちろんよ。他に行きたい所があるのなら別だけれど……」


「あなたの側以外に、行きたい所なんてありません」


「では、側にいてちょうだい」


「はい」



 少年は誇らしげな顔でうなずいた。少女は続けた。



「ただね。あなたがわたしをミストレス(※貴族ではない、自立した女性への敬称)と呼ぶもので、他の人もみんなそう呼ぶようになってしまったの。


 それならミストレス・ユーラと呼んでくれれば良いのに、あなたはそうしないでしょう。今ではだれもわたしを名前で呼ばないわ」


「人ごときにあなたを呼び捨てさせるなど、おれがさせません」



 きっとした顔になって言う少年に、少女は困った顔になった。



「人の場合、名前を呼び合うのは親しみの現れなんだけど」


「半獣の民でもそうです。ですが、あるじの名を呼び捨てる者はいません」



 少年はきっぱりと言った。何を言っても撤回はしてもらえそうにないとわかり、少女は小さくため息をついた。



「灯をもらえるかしら? 境界まで行くから……もう暗くなってしまったわね」



 話している内に辺りは薄暗くなっていた。空には星が瞬き出している。話題を変えてそう言うと、少年はすぐに松明を持ってきた。



「おれもご一緒しましょうか?」


「大丈夫よ。強化をするだけだから。家で待っていてちょうだい」



 少年はそれでもついて行きたいという顔をしたが、少女が力を使う時、それを見られるのを嫌がる事を知っていた為、渋々ながらにうなずいた。



「夕食を作っておきます。何かあったらおれを呼んで下さい。すぐ行きますから」


「わかっているわ」


「本当に呼んで下さいね?」



 そう念を押す。少女はうなずいてから、松明を受け取った。





 少年と別れると、くすぶりながら燃える松明を持って、ユーラは歩き出した。村外れに向かって。


 森と村との境界線にあたる所には、石が置いてある。はるか昔のレサンの村の住人が置いたものだが、それは今も、森から村を隔てる目印となっていた。



『誇りを失うのではないよ』



 ジーナの言葉を思い出す。



『われら『渡り人』は、〈癒し手〉の末裔(すえ)。聖なるエリザの心とわざを継ぐ者』



 懐かしい、幌馬車で移動する日々。愛する家族。女長老であるジーナは、少女に繰り返しそう語った。


 町や村を旅して回る渡り人は、そのほとんどが、己を〈癒し手〉の末裔だと名乗る。それが彼らを支える誇りなのだ。聖エリザが馬車に乗り、各地を移動したとの伝説がある為だろう。


 今も偉業の数々が語られる、伝説の聖女。彼女には闇魔族の王ですら、膝を折ったと言う。



(最後の流れを汲む者は役立たずだけれど)



 自嘲気味に、少女は思った。自分は何とか日々を生き延びている。だがそれだけだ。誇りなど、どこにもない。家族をなくした時に、全て失ってしまった……。


 石の側まで来ると、ユーラは松明を地面に差した。目を閉じる。



 力を、感じた。



 耳に聞こえないやわらかな音律。目に見えない輝く鎖。音と言葉が刻まれた大気が、石を中心にして広がる。張り巡らされたそれは、森からやってくる魔獣や妖獣たちを、村に立ち入らせない為のものだった。


 少女がこの村に着いた時にまず行ったのが、これだった。力の境界線を形作ること。


 森から吹きつける瘴気が土を毒し、ここでは植物がほとんど育たなかったのである。彼女はそれを見て取ると、瘴気を遮り、土をなだめ、時間をかけて力を取り戻させてやった。


 大地はそれで緑を芽吹かせ、花も咲きそろったのである。


 だが境界線が破られれば、これらは元に戻ってしまう。それがわかっているので彼女は、定期的に力の鎖を強める作業を行っていた。


 石の前で胸に手を当てると、ユーラは一つの旋律を口ずさみ始めた。



 大気に、音が刻まれる。



 旋律は鎖を生み、鎖は輪を描いて空間をつなぎ、そこに不可視の壁を作りだした。きらめく光が歌から生まれ、はじける。少女の唇から音がこぼれ落ちるたびに、それは鎖となり、力となって村を護る壁となった。


 影響はそれだけではなかった。少女の歌が始まると同時に、周辺の土から緑が現れ、花々が現れた。また森の方でも、異変が起きていた。ねじくれた木々の枝がゆるやかに揺れ、その形を変えてゆく。正常な形へと。


 少女の周辺には、光が集まり始めていた。星の輝きにも似た静謐な光。透明に輝くそれは少女の周囲に集い、次第にその輝きを強めた。歌い続ける彼女の肌は光に染まってほのかに輝き、髪は金色に輝いた。


 やがてユーラは歌を終えた。静寂が戻ると共に、光もゆっくりと引いていった。足元も見えないほどの闇が、一気に押し寄せる。けれども光を呼ぶ歌を歌った事で、彼女の心には平安があった。


 薬師の少女は一つ息をつくと、家に戻ろうとして松明の方を振り向いた。そして何かがいる事に気づいて、動きを止めた。




 漆黒の闇が、炎の向こうに立っていた。




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