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8.夜明け前

蒼炎そうえんが倒されたと?」



 氷刃ひょうじん男爵蒼華(そうか)黒珊瑚くろさんごの城で報告を受け、眉をひそめた。



「役立たずめ。ここまで場を整えてやったと言うに」


「御方さまには、ご助力なさらずともよろしかったのですか」



 そう言った騎士に目をやると、氷魅ひょうみの姫は赤い唇を歪めた。



「たわけた事を。あの愚かな兄に一族当主を名乗らせるなど、このわたくしが許すはずもない。頃合いを見て当主を弑逆しいぎゃくしたと糾弾きゅうだんし、滅ぼすつもりであったわ。したが〈癒し手〉が現れたとなると……」



 頬に白い繊手せんしゅを当て、蒼華は物思いにふけるような顔になった。



「氷玉。あれの強運は認めよう。ひざまずいた相手が〈癒し手〉とあっては、迂闊うかつに動けぬ。こうなってはあの人族どもの腑抜ふぬけぶりが、口惜くちおしい限り。姫をわが元に留め置けたならば、有利に事が運べたものを」


「御方さまを御不快にさせたあの者どもには、既に追手を放っております。じきに片がつきましょう」


「あれもその者どものように、片づけられれば良いのだがな。まあ良い。しばらくは、あの忌み子に当主を名乗らせてやろう」



 冷たい笑みを浮かべると蒼華は言った。



「しばらくの間はな」



 彼女に従う騎士たちが、礼を取る。



「真に月牙げつが当主に相応しきは、御方さまのみにございます」




*  *  *




 ちりちりと肌を焦がす感覚に、夜明けが近いと氷玉ひぎょくは感じた。肌は青白さを取り戻している。闇魔族の肌だ。戦の処理はほぼ終わった。叔父である蒼炎は滅び、自分は当主の地位を確かなものとした。


 蒼華もしばらくは、おとなしくしているだろう。


 氷玉は城内を歩いた。少女の姿を求めて。彼女はどこにいるのだろう。




 そうして彼は、少女を見つけた。淡く輝く地下の庭園で、彼女は咲き乱れる月光花を眺めていた。



「やはり、この花はそなたに似合うな」



 声をかけると振り向いた。栗色の髪、はしばみ色の瞳。小さな〈癒し手〉の姫。その手と足に包帯が巻かれているのを見て、氷玉の心に痛みが走った。〈癒し手〉の力は、力を使う本人にはあまり効果がないのだ。彼も、青雅せいがも、周囲にいた半獣族たちもみな癒されたと言うのに、彼女の手足には火傷が残った。


 自分が傷つけたのだ、と彼は思った。この大切な存在を。



「またそんな顔をしているの。大した事はないと言ったでしょう?」



 少女は包帯を見て顔を曇らせた伯爵を見上げ、言った。



「随分楽になったのよ。氷や水を出してもらって冷やしたし。ちょうど軟膏を持ってきていたから、それをぬったわ。それに〈歌〉で痛みが和らげられたから……」


「だが、そなたは傷ついた」


「すぐに治るわ。本当よ」



 微笑んだ彼女の顔に何かが加わった気がして、氷玉はまばたいた。何だろう。今までよりも穏やかだ。それでいて強く、美しくなったようだ。


 つぼみが、開こうとしているかのよう……。



「それより、じきに夜明けよ。眠らなくとも良いの?」



 少女の言葉に、彼女に見とれていた氷玉は我に返って答えた。



「そなたに礼を言いたかった」



 少女はゆるゆると首を振った。



「お礼を言わなければならないのは、わたしの方。あなたに助けてもらったもの」


「わたしがそなたを?」


「あなたを助ける事で、わたしも助けられたの。ずっと苦しかった。今も苦しい。でも大丈夫だとわかったの。あの時に。苦しみも、悲しみも、憎しみも。そのままで良い。そのままで、……光はそこにあって全てを包むわ」



 氷玉はまばたいた。彼女の言う事が良くわからなかった。



「良くわからぬが」



 そう言うと、少女は微笑んだ。清々しいとさえ言える笑みに、氷玉はどきりとした。



「わからなくとも良いのよ。でもわたし……、あなたにお礼を言いたいの。ありがとう、氷玉。あなたが助かって良かった。生きていてくれて」



 何という皮肉だろう、と彼は思った。死を願う歪んだ種族に、彼女は生きろと願う。だが、それでも。



「それがそなたの願いであれば、叶えずにはおられまいよ」



 氷玉は静かに言った。滅びへの渇望かつぼうは変わらずある。やって来る太陽の気配は今や、針のように全身を刺していた。


 彼はあの時、滅びてしまいたかった。生きている限り続く夜を、終わらせてしまいたかったのだ。そうであれば、どれほど幸福だっただろう。


 だが彼女は願った。彼が生きて在る事を。そうであるなら、彼女の願いを叶えないわけにはゆかない。


 残酷にして優しいその願いを。



「何だかつらそうだわ。大丈夫、氷玉?」


「大丈夫だ。だがそろそろ眠りに入らねばならぬ。次の夜までわたしは、世界を失う」


「闇魔族は、眠りの事をそう言うの? 世界を失う、と」


「事実そうであるゆえな。……そなたの軟膏はまだあるのか」


「ああ、ええ。少し残っているわ。あなたの為に持ってきたのに、全然役に立たなくて。わたしの役に立ったなんて変よね。家に戻ればまだあるし、当分は大丈夫」



 彼女の手になるもの。彼女の作った品。不意に氷玉は、欲しいと思った。何でも良い。彼女の手の触れたものが。



「もらえぬだろうか」



 そう言うと、少女は不思議そうな顔をした。



「かまわないけれど……どうするの」


「わたしが世界を失う間、側に置いておきたい」



 それだけで、眠りも苦痛ではなくなるだろう。


 少女は何か言いたげな顔をしたが、何も言わずに肩から下げた袋をさぐり、軟膏を入れた小さな壺を袋から取り出した。それを差し出す。包帯で覆われた指が痛々しく、氷玉はなるべく少女の指に触れないように気をつけながら、礼を言って受け取った。



「感謝する。この礼に、何か贈りたいのだが。欲しいものはあるか?」


「一つ……あるのだけれど」



 ためらいがちに、少女は言った。



「何だ」



 何度かためらった後、顔を上げ、思い切るように少女は言った。



薔薇ばらが欲しいの。赤い薔薇が。一本で良いわ。もしあれば、いただけないかしら」



 氷玉は驚いた顔になった。



「見るのがつらいのではなかったか」


「ええ。でも……今ならまっすぐ、正面から見る事ができる気がするの。だから。見なければいけないの、わたし。そうしたら……それができたら。色々な事が動き出すような気がするわ。ずっと止まっていたもの。わたしの中で冷えて固くこごり、ずっと……氷のようになって溶けなかったものが」




 その表情に見とれる。その誇り高さが愛しい。繊細せんさいで、しなやかな強さを持つ彼の小さな花。



「では次に会う時には、最高の薔薇を贈ろう。そなたのように強く、美しい赤い薔薇を」


「ユーレイリアよ」



 少女が言った。



「わたしの名前。本当は、ユーレイリアと言うの」



 心臓が、はねた。



「名を……わたしに」



 呆然として言うと、少女は不安げな顔になった。



「闇魔族は名前を呼び合う事はないと聞いたけれど。これは礼儀から外れているかしら? ガイリスにも色々教えてもらったけれど、良くわからなかったの。でも確か、初めて会った時にはわたし、ユーラと名乗ったから」


「ああ。だが、あれは……」



 氷玉は何と言うべきか、惑った。彼から名を明かし、明かされた者がその名を受け入れるという意味で、変則的ではあるがあの時の会話は契約の形になっていた。少女が主人であり、氷玉が従うと言う。


 だが、今のこれは。



「なぜ、わたしに名を明かす?」



 混乱しながら言うと、「なぜかしら」と少女は笑った。



「あなたには知っておいて欲しいと思ったの。軟膏の足しぐらいにはなるかな、とも思って。あなたが眠っている間、ずっと側にはいてあげられない。でもわたしの名前を覚えていたら、寂しくないでしょう?」



 激しい独占欲が沸き起こり、氷玉は息が詰まりそうになった。抱きしめたい。自分だけのものにしたい

。彼女の名を呼んで。


 名を、呼んで……。



 手を伸ばし、壊れ物を扱うかのように少女に触れる。そのまま彼女を腕の中に捕らえると、氷玉は彼女の肩に頭をもたせかけた。



「氷玉? 気分が悪いの?」



 驚いて硬直した少女だが、彼が震えているのに気づくとそう言った。腕にそっと触れる感触がした。



「そなたは無防備すぎる、わが姫よ」



 そのままの姿勢で彼は言った。



「われらは魔力を持つ種族。名を捕らえ、相手を縛る。そのような者相手に直接名を告げるなど、危険極まりない」



 呼びたい。呼ぶ事で縛りたい。告げられた名を使って、彼女を支配してしまいたい。



「あなたはそんな事はしないわ」



 そんな声が聞こえ、氷玉は微かに笑った。自分の胸の内を彼女が知れば、どんな顔をするか。



「わたしとて揺れる事はあるのだぞ。頼むゆえ、わたしを増長ぞうちょうさせる真似はひかえて欲しい。名を告げてはならぬ。わたしにも、他のどの貴族にも。あまりにも危険すぎる」



 顔を上げないまま、彼は言った。ささやくように。



「さもないとわたしは、そなたの名を知った相手を一人ずつ、殺さねばならなくなる。わたし自身も含めた全てを」




*  *  *




 月牙げつが伯爵領はくしゃくりょうに新たなる聖者――〈癒し手〉が現れたという知らせは、ほどなくして大陸中に広まった。


 彼女の名は、ユーレイリア。


 やがて各地から、薬師くすしや医師が彼女の元に集まるようになる。彼らは村を作り、共に生活し、知識と知恵を、技術を磨き、そうして再び大陸中に散って行った。




 後にこの時代は、〈夜明けの兆し〉と呼ばれるようになる。


 それは闇魔族の衰退が始まった時代。


 人が世界に向けて新たな一歩を踏み出す、兆しが現れた時代であった。



     〈了〉



終わりました。


長々とお付き合い、ありがとうございました。感想などいただけると励みになりますので、どうぞよろしく!


以下に、この小説を書く際に参考にした文献をあげておきます。絶版のものもありますが、興味がおありでしたら、図書館などで探してみて下さい。


参考/

ジョン・キーツ(John Keats)「夜鳴鶯の賦(Ode to a Nightingale)」

「ハーブの写真図鑑」日本ヴォーグ社

「ファラオの秘薬・古代エジプト植物史」リズ・マニカ著・八坂書房

「図説イギリス手作りの生活誌・伝統ある道具と暮らし」

ジョン・セイモア著・東洋書林

「メッセゲ氏の薬草療法」モーリス・メッセゲ著・自然の友社  他


それではみなさま、メリークリスマス! あんどハッピーニューイヤー! 良いお年をお迎え下さい(^o^)/

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