7.終わらない夜の終わり 2
風邪ひきました。熱はないのですが、軽い吐き気が延々続いています。キモチワルイ。。。。
2
背後から放たれた力に、蒼炎は手元を狂わせた。氷玉の首を狙ったはずの刃は、大きく宙をないだ。
「何の真似だ、雪雅」
何とか再生を終えた雪雅は立ち上がった。
「無様に過ぎる。これが当主に挑む者の振る舞いか。何という卑怯な戦いをする」
「そのほうごときに指図される覚えはない」
蒼炎は片手を上げて炎を放った。まともに受けた雪雅は、もんどりうって倒れた。片腕が塵に変わる。
「力なき者が賢しらに何を言うか。そこで寝ているが良い。氷玉を滅ぼした後に成敗してくれる」
嘲笑を頬に浮かべると氷玉に向き直る。
「おのが愚かさを悔いるが良いわ、氷玉。そのほうの薄汚い情婦は、わが配下にくれてやる。喜ぶが良い」
氷玉の目に、怒りがともった。蒼炎が刃をふりかぶる。その時空間が揺らぎ、青雅がその場に現れて叫んだ。
「姫君は白の閣下が取り戻されました。遠慮はなさいますな、銀月の君!」
「裏切ったか、青雅!」
怒りの表情になった蒼炎が、青雅に炎を放つ。これを真空の盾で消滅させると青雅は空間を渡り、雪雅の側に現れた。
「土壇場での心変わりか、准男爵」
「信念に従ったまでだ、騎士の」
その時、重い音が響いた。体の底に響く音だった。はっとなった二人がそちらを見やる。蒼炎もまた。
音が続く。次第に大きさを増してゆく。重みに負けて崩れ、砕けるような音と共に。グロフは本能的に危険を察知し、全身の毛を逆立てながら後ずさった。
床がえぐれ、亀裂が走った。三人の貴族は慌てて身を守ろうとした。堅牢な岩でできた城の床が、見る影もなくひび割れ、へこみ、えぐれてゆく……手足をなくして横たわる、一人の男を中心にして。
衣服はとうにぼろ屑と化しており、彼は何も身にまとってはいなかった。今、芸術品のように美しい体には、新たな手足が作られつつあった。凄まじい速さで骨が生まれ、肉が生じ、神経が、血管がつながってゆく。新たな皮膚がそれらを覆い、完全な手足を手に入れた男はゆっくりと立ち上がった。
月牙伯爵は何もしなかった。
ただ、蒼炎を見つめた。その真紅の瞳で。
それだけで五百を過ぎた闇魔族の貴族は、内からはじけた。悲鳴を上げる暇もなく骨が粉々になり、首や手足がちぎれ飛び、……そして全てが塵に変わった。
青雅と雪雅は声もなく、この幕切れを見つめた。蒼炎の最後はあまりにもあっけなかった。圧倒的な力の差。
伯爵は黙ってたたずんでいる。
「お見事です、銀月の君。やはり、あなた以上に当主に相応しい方はいない……」
雪雅が立ち上がった。氷玉の前に進み出ようとする。青雅はしかし、彼の腕をつかんでそれを止めた。まだだ。まだ、何か起こる。
彼の危惧は正しかった。轟音と共に床が砕け、凄まじい圧力が放たれたからだ。二人は膝をついた。氷玉の力が無差別に周囲を攻撃しているのだと気づくまでには、少しかかった。
「わが、きみ……っ」
グロフは全身にかかる重みに耐えかねて膝をつき、うめくように言った。
「おしずまり、くださ……っ」
氷玉の体の内から、力が熱のように放射されている。大気が渦巻き、荒れ狂う。青白い光に包まれる彼が笑うのを、青雅たちは聞いた。床が崩れる。いや、違う。溶けている。氷玉の力に耐えかねて、岩が泥のように形を崩し、溶けてゆく。
「我を忘れておられる。男爵は何をされたのだ?」
青雅が言った。雪雅が答える。
「あの戦いでは無理もない。誇り高い閣下には、いかほどの怒りであった事か」
「閣下をお止め下さい、貴族のかたっ」
グロフが向こうから叫んだ。
「このままでは、閣下のお命が……っ」
「これを止めろと? 無茶を言う」
そう言った雪雅は顔を強張らせた。光と熱に包まれる氷玉の腕が、指から塵に変わってゆくのを見た為だ。氷玉はしかし、それでも笑っていた。放たれる力が衰える気配はなく、周囲の床や壁、天井が次々と溶けてゆく。
「閣下の指が、塵に……」
「力に酔って制御がきかぬのだ。このままでは月牙は当主を失う」
青雅は雪雅の腕をつかむと引っ張って立たせた。グロフが床に倒れながら叫ぶ。
「白、男爵をお呼び下さいっ、あの方ならば、以前にもっ」
「前にも同じ事が?」
「先代、さまに、挑まれた時に……っ」
青雅は厳しい顔になり、雪雅の方を見た。
「わたしが呼んで来る。ここを頼めるか」
「長くはもたんぞ」
「魔力のある者を駆り出して使え。そこの半獣! 扉を開いて力のある者を呼び集めろ。わたしが戻るまでもたせろ!」
青雅はそう言うと、道を開いて空間を移動した。残された雪雅は自身の魔力を練り上げると、決死の覚悟で月牙伯爵の力を押さえ込みにかかった。
* * *
ユーラの家に駆け込んだ青雅は、礼を取るのももどかしい様子で叫んだ。
「閣下! すぐにいらして下さい。銀月の君が危うくおなりです!」
紫忌が顔色を変えた。
「兄上に何があった?」
「力の暴走です。我を忘れておいでで、止まりません。半獣の者が、閣下には以前、銀月の君を止めた事があると……」
「あれと同じ状態に? 叔父君は」
「すでに滅びました。お急ぎ下さい、このままでは当主は滅びてしまわれます!」
「氷玉に、何があったの」
ガイリスに支えられていたユーラがこの時、声をかけた。青雅は答えた。
「力を使いすぎたのです。われらには力に酔う所がございます。大抵は熱がさめれば止まるのですが、強い力をお持ちの方には、自身が滅びる事になっても止まらない事がございます。閣下にはよほどお腹立ちの事があったらしく……、我を忘れておいでで。このままではお体が崩壊します」
「おれが行っても止まるかどうか。前回は運が良かったが。下手をすると兄上と心中……そうしたらやっぱりおれが稚児だったって、叔母君辺りが吹聴して回るんだろうなあ」
嫌そうに紫忌が言った。
「で、お嬢ちゃんはどうするよ」
「わたし?」
「来るか? すごい危険だけど。戦の原因になったのはあんただし、兄上が今死にかけてるのもあんたのせいなんだから」
厭味な口調で紫忌は言った。半ば八つ当たりだった。制御を失った闇魔族に近づきたがる者はいない。彼としても、少女が来ると言うはずがないと見越しての言葉だった。
「ま、断ってもそれはそれで……」
「行くわ」
即座にそう言った少女に、紫忌は逆に驚いた。
「ご主人さま、危険です」
顔色を変えたガイリスが止める。紫忌も言った。
「すごく危険だって、わかってる?」
「氷玉とは約束をしているの」
少女の言葉に紫忌が眉を上げる。
「何の約束か尋ねていい?」
「具合が悪くなったら、薬を持っていくと言ったのよ。わたしは薬師ですもの」
きっぱりと言うと、少女は軟膏を入れた容器を袋に入れ、肩から下げた。伯爵の置いていったマントを抱え、青雅の所へ行くと「連れて行って」と言う。
紫忌は呆れた顔で彼女の行動を見ていたが、肩をすくめると言った。
「そうしてやれ、青雅。アルシナ、おまえは坊主と残れ。心配するな、坊主。お嬢ちゃんはちゃんと返すよ。おれの命がなくなってても、他の魔族が世話を焼きたがるはずだ」
それから彼は、眠るイリリアの方を見た。
「イリリアを頼むぞ、アルシナ」
そう言うと、青雅にうなずいて見せる。
一瞬の後、彼らの姿はその場から消えた。ガイリスはあるじの立っていた辺りを見つめ、立ち尽くした。