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永き夜の大陸 〜光の姫 闇の王〜  作者: ゆずはらしの
第七章 終わらない夜の終わり
17/22

7.終わらない夜の終わり 1

長くなってしまいました…すみません。ついでにピンチの人がピンチのままです。

 かつて聖エリザはながき夜の大陸に、夜明けをもたらそうとした。その頃、大陸には〈癒し手〉が数多くいた。中でも卓越たくえつした能力を持っていたのが彼女だった。金の髪と緑の瞳の〈癒し手〉。彼女には、闇王ですらひざまずいたと言う。



 しかし彼女の死により、全ては水泡すいほうに帰した。



 その時以来〈癒し手〉の数は減り、滅多に現れなくなった。長い時が過ぎて、迫害を受け続ける治療師たちは、彼女を自らの守護者と仰ぐようになった。人ではなく魔でもないと言われた〈癒し手〉はしかし、傷ついた者を救う点で、治療師たちには己が同類のように思えたのだ。


 彼女の子孫と称する流れの民たちも、彼女の物語を伝え続けた。そうしていつしか〈癒し手〉は聖者であるとの信仰が人族の間に生まれた。彼らはまた、〈夜明けを呼ぶ者〉と呼ばれるようにもなっていった。



 彼女がなぜ死んだのかは伝わっていない。



 それは今より、二千年ほど昔の事だと言われている。




  1




 荷車の振動が止まった。うろたえ騒ぐ男たちの声がし、突然それが消える。しばらくしてめきめきとふたをこじ開ける音がし、ユーラは外気が入ってくるのに気づいた。



「おいたわしい。ご無事ですか」



 優しげな声がして、ユーラはまばたいた。しかし暗くて何も見えない。良くわからない内にひつぎから出され、さるぐつわが外され、縄が切られた。殴られた頬に、冷たい指が触れるのを感じる。



「何があったわけ?」



 聞き覚えのある声と、松明の明かり。



「ローク」



 炎に照らされた彼を見上げ、ユーラはつぶやいた。続いて自分が誰かの腕に抱えられている事に気づく。銀の髪、白い肌、赤い瞳。月牙伯爵に良く似た美しい少年。



「闇魔族……?」


「立てますか」



 穏やかに問われ、ユーラはうなずいた。これは誰だろうという疑問が沸いたが、すぐにはっとなって周囲を見回す。



「わたしをさらった人たちは?」



 紫忌しきが答えた。



「闇魔族がいきなり出て来たんで、逃げた。妙な気配させてたけどな」


「あれは半獣封じの香です。感覚を鈍らせる」



 青雅せいがの言葉に紫忌は「ふん」と言った。



「香ね。道理で鼻がむずむずしたわけだ。で? 何でさらわれたりしたの」


「わたしを、誰かに渡すと言っていたわ。貴族に頼まれたって……あの、ありがとうございました。どなたかは存じませんが」



 ユーラは青雅にそう言ってから、紫忌の方を向いた。



「村に戻らないと。妖獣が暴れて」


「イリリアたちはどうした? あの二人が妖獣ごときに遅れを取るはずはないんだが」



 気がせいていた彼女は、彼がイリリアの名を知っている事を疑問に思わず答えた。



「戦っているわ。イリリアが傷を負って……それにガイリスが……わたしをかばって」


 顔を歪め、泣きそうな顔になった少女に青雅が言った。



「おかわいそうに。すぐに参りましょう。わたしがお運びいたします。そのようなお顔をなさらないで」


「おまえ、尻尾があったら振ってそうだぞ。とりあえず、村に行ってみましょうか」



 彼は青雅に合図した。うなずくと青雅は魔力で道を開き、二人を連れ、レサンの村へと一気に〈転移〉した。




 三人が空間を飛び越えて現れた先は、正しくレサンの村の入り口だった。炎はまだ、あちこちで上がっている。均衡きんこうを崩したユーラはよろめいたが、青雅が手を伸ばして支えてくれたので倒れずにすんだ。



「なんだあ? 妙なモンが……何でみんな、こっちに逃げて来ないんだ」



 うごめいている緑の蔦と、右往左往している村人を見て、紫忌が言った。



「封じの結界が張ってあります」



 青雅が言い、手を伸ばした。ぱしん、という音と共に、何かがはじけた。同時にそれまであった、見えない壁に似た圧力が霧散した。



「そりゃ逃げられないわな。にしても二人とも、えらくぬるい戦い方してるな」



 紫忌は半獣族の二人が、村人を避けて戦っているのを見てつぶやいた。村人が邪魔でアルシナは頭にきているようだが、イリリアは襲われそうになった村人をていねいに助けている。恐慌きょうこうに陥っている村人の方は、助けられたとも思わずに悲鳴を上げているのだが。



「お嬢ちゃん、あの二人に何か言った?」


「人は傷つけないでって……」


「なるほど。律儀りちぎに命令を守ってるわけだ。ここは加勢してやるべきかね」



 つぶやくと紫忌は、青雅に目をやった。「頼める?」と言うと、青雅は一礼し、手のひらを村に向けた。そこから光が生じ、いくつもの筋となって撃ち出される。それは正確に全ての触手をとらえ、一気に焼き尽くした。




 ユーラは二人にはほとんど注意を払っていなかった。村の中に駆け込むと、ガイリスを探して周囲を見回す。


村人たちは、突然現れた光が化け物を一掃いっそうした事が信じられず、呆然としていた。すると誰かが「闇魔族だ!」と叫んだ。


 紫忌と青雅はユーラの後を追ってゆっくりと進んでいたが、この言葉に足を止めた。煤にまみれた村人たちを見回す。人々は疲れ果ててへたり込み、もはや逃げ出す元気もない。しかし現れた闇魔族に、恐怖にかられているのは見て取れた。そこへイリリアとアルシナがやって来て、膝をつく。



「申し訳ありません、閣下。お手をわずらわせてしまいまして」



 イリリアの言葉に村人は慌てふためいた。「まさか、伯爵さま?」という声が上がる。



「あー、違う違う。伯爵じゃなくて、弟の方。何でばらすかなー、イリリアは」



 紫忌はため息まじりに言った。村人がどよめき、「はく男爵閣下」や「伯爵さまの弟君の」という声が上がった。紫忌は手を上げて彼らを静めると、声を高くして言った。



「そういう訳だから、おまえら、お家に帰んなさい。罰を下したりはしないから。なんか派手に壊したみたいだけどー……」



 そこで彼は言葉を止めた。村人が自分を見ていない事に気づいたのだ。彼らの視線は青雅の方に向かっていた。



 はかなげな美少年。



 あー、そっか。という顔になった紫忌は、にやりとすると青雅の方を手で示した。



「……ここにおいでの白男爵閣下が、不問に処すと言っておられるから!」



 いきなり身代わりにされた青雅は、この言葉を聞いて目をいた。





 倒れているガイリスを見つけたユーラは、そちらに駆け寄った。彼はひどい有り様だった。顔には血の気がなく、腹には穴が開いている。腕も足もずたずただ。


 ひざまずき、そっと頬に触れると、少年はうっすらと目を開いた。



「ぶじで……」


「わたしは平気。しっかりして」


「すみませ……、おれ、よわくて」


「わたしを守ってくれたじゃない」



 ユーラは彼の髪をなでた。



「あなたはわたしを守ってくれたわ。だからわたしは無事よ。ありがとう、ガイリス」


「おれ、やくに、たちました……?」


「ええ。とっても」



 そう言うと少年は微笑んだ。



「火は、もう消えたんですか。暗くて……」



 彼は何かを探すかのように、ずたずたになった腕を動かした。ユーラはその手を握った。少年はほっとしたような顔になった。



「家に……帰りましょう、ご主人さま」


「そうね」



 ユーラの目から、涙があふれて落ちた。熱い雫がガイリスの頬にかかる。



「泣いておられるのですか……?」


「大丈夫よ」



 声が震えそうになるのをこらえ、ユーラは答えた。



「わたしは大丈夫、だから」





*  *  *




 蒼炎そうえんは光の鏡を再び小さな球にすると、それを消した。勝ち誇った顔で言う。



「娘の命が惜しくば、甘んじて制裁を受けよ。そのほうには攻撃も防御も許さぬ」



 氷玉ひぎょくは何も言わない。蒼炎を見据えている。その目には、静かに怒りが燃えていた。



「閣下……それは。当主に挑むにしては、あまりに卑怯」



 ようやく声帯が復活した雪雅は、崩れかけた体を何とか起こして言った。



「卑怯? 何がだ。この者は、始祖の力を手に入れたと豪語ごうごしたのだぞ。ならば耐えるであろうよ。よしんば耐えられなかったとしても。この者の最後には相応しかろう。新たな当主に成敗されるのだからな!」



 蒼炎はそう言うと、炎を放った。氷玉は防御もせず、その炎を受けた。衝撃で二、三歩後ずさる。マントや服が焦げ、肌と髪が焼けた。しかし闇魔族としての再生能力がすぐに働き、焼け焦げた肌は青白さを取り戻す。髪も銀に戻る。


 蒼炎は次々と炎を放った。それは氷玉を痛めつけたが、彼は反撃も防御もしなかった。眉をひそめ、黙ってそれらの力を受ける。



「まこと腑抜ふぬけたか。人族ごときの為に」



 蒼炎は炎を放つ手を止めると、青白く燃えるやいばを宙からつかみとった。力を固めた刃を片手に氷玉に近寄ると、無造作に刃を振るう。氷玉の表情が歪んだ。


 右腕が、切り落とされて床に転がる。



「声も上げぬか」



 床に落ちた腕がちりと化して消える。それと同時に血の流れる体から、新たな肉や骨が現れて腕の形を取り始める。蒼炎は刃を振るった。今度は左腕が切り落とされた。



「ここまでされても反撃せぬか」



 再生中の氷玉の両腕を、蒼炎は切り落とした。次に両足を切る。ごとり、と音を立てて氷玉の胴が床に落ちる。まとっていた衣服はこの頃には全て焼け焦げ、跡形もなかった。手足を失った体はしかし、またもや再生を始めていた。



「苦しかろう。われらはこの程度では死ねぬ種族。肉体は際限なく再生を続けるが、苦痛がないわけではないゆえな」



 蒼炎は氷玉を足蹴にして仰向かせると、髪をつかんで顔を上げさせ、首筋に刃を当てた。煙が上がり、青い炎が肌を焼く。



「この世に生まれ出た事自体が間違いだったのだ、おまえなぞ」



 勝ち誇ったように言った蒼炎に、氷玉は侮蔑ぶべつのまなざしを向けた。



しちを取り、手足をもがねば戦う事もできぬ臆病者おくびょうもの。そのほうごときが何をののしろうと、何の傷にもならぬわ」



 蒼炎はあざ笑った。



「『名無し』ごときが何を言う」


「わたしの名には価値がある。姫が、ほめてくれたのだから」



 氷玉は口の端を上げて笑った。



「姫は、わたしの名を聞いてこう言った。綺麗な名だと。そのほうに認められずとも、父にも母にも認められずとも。それが何だ。姫の言葉こそがわたしに価値を与える」



 蒼炎はやいばひらめかせると、再生を終えようとした氷玉の両腕を切り落とし、足を切り落とした。それから改めて、刃を構える。



「一族の名誉をおとしめるれ者が。こうまで腑抜ふぬけておるとは思わなんだ。その首、今落としてやるゆえ感謝するが良い」



 そう言うと蒼炎は、刃を振り上げた。




*  *  *




 歌が、その場に響いた。



 村人たちが顔を上げる。どこから聞こえてくるのだろうと言いたげに。イリリアとアルシナが、息を飲む。


 紫忌は聞こえてきた声に、肌が泡立あわだつ感覚を覚えた。魅了されると共に反感を覚え、恐怖や畏怖と共に安らぎを感じる。これは人の声だ。魔術ではない。そのはずなのに……何なのだ、これは?


 大気が淡く、金色に輝く。光が集まって、一人の少女の元に集う。少女は横たわる少年の上にかがみ込み、額と胸に手を置いていた。栗色の髪が集まる光に触れて輝き、淡く金色に染まる。彼女が唇を動かすたびに、喉かられる音が輝きと、力を呼び寄せる。



「〈夜明けを呼ぶ者〉……姫君は〈癒し手〉だったのか」



 呆然と青雅がつぶやく。紫忌は尋ねた。



「〈癒し手〉? 何だそれは」


「人に似て人にあらず、魔族に似て魔族にあらず。しかしあらゆる魔族はこの存在に従い、半獣族もまた逆らう事ができない……銀月の君がひざまずいたわけがわかりました」



 そう言うと、青雅は地面に片膝をついた。少女に向かって頭を垂れる。




 紫忌はユーラの方を見た。その目が見開かれる。彼女が触れている少年の傷が、見る間にふさがってゆく。少女が歌うたび、金色の光を集めるたびに。少年の頬には今や、赤みがさしていた。


 やがて唐突とうとつに、少女は歌いやめた。輝きが薄れ、髪が栗色に戻る。同時に彼女は青ざめて、少年の上に首を垂れた。


 村人たちは声もなく見つめている。


 皮膚の泡立つ感覚がまだ残っていたものの、紫忌は意を決すると少女の側に歩み寄った。膝をついて少年を見ると、手足の傷は赤い線になり、腹の傷はまだあったものの、致命傷ではなくなっていた。少年には意識はないようだが、彼の胸は規則正しく上下していた。



「坊主は生きているようだな……お嬢ちゃんは、〈癒し手〉とやらなのかい」



 ユーラはゆっくりと首を振った。



「わたしは資格を失ってしまった」



 細い声で言うと、顔を上げる。その瞳が緑の光を放つのを、紫忌は見た気がした。もう一度見直すと、彼女の瞳はいつも通りのはしばみ色だった。疲れ果て、苦しげな顔をしている。



「こいつは助かるみたいじゃない」


「ここまでが……精一杯」



 青ざめた顔でそう言うと、ユーラは目を閉じてうつむいた。



「この子を運んでくれる、ローク? 家に帰りたいと言っていたの」



 紫忌は答えず、ユーラを見つめた。



「〈癒し手〉というのは何なんだい。お嬢ちゃんの能力は、一体何なんだ?」


「わたしはただの薬師くすしよ」



 つぶやくように言う。代わって答えたのは青雅だった。



「全てのものを、本来あるべき姿に戻す。〈癒し手〉とは、そうした力の持ち主です」



「なぜ……ひざまずいているの」



 ユーラは彼が、膝をついているのに初めて気づいた。青雅は頭を垂れると答えた。



「敬意を表するべき方に、相応の礼を取っております」



 村人たちはざわめいた。闇魔族が少女に対して礼を取る、その姿に驚愕きょうがくしていた。この少女は何者なのだという顔になる。視線には怯えが込められていた。やはり人間ではなく魔のたぐいのものだったのかと。



「立って下さい……闇魔族の方。わたしはただの娘に過ぎません」



 そこでユーラは目まいを覚え、額に手を当てた。紫忌が支えようと言うように手を伸ばしかけ、それを途中でやめて言った。



「具合悪そうだな。家に戻った方が良くないか」


「平気よ。少し、疲れただけ……」


「どうぞ家にお戻り下さい。その少年も運ばせましょう」



 ユーラに言われた通り、立ち上がった青雅が気づかわしげに言った。



「姫君を家にお連れしなさい」



 紫忌に向かって言うと、彼は笑みらしきものを浮かべてから、青雅に向かって礼を取って見せた。青雅は眉をしかめたが、村人の手前、平静を装った。次にイリリアに向かって「あの少年を」と言う。了解したイリリアが、ガイリスを抱えてユーラの家に運び込む。



「人族の者は去りなさい。姫君に負担をかけるのではない。みな家に戻るように」



 青雅がそう言うと、村人たちはみな、泡を食った表情で頭を下げた。



「その前に。姫君の物を盗んだ奴は返せ」



 アルシナが言う。この言葉に村人たちは、地面に放り出した食料を慌てて探し始めた。





 紫忌に支えられて家に戻ったユーラは、イリリアが抱えてきたガイリスに顔を向けた。



「呼吸はしっかりしていますわ」



 イリリアが安心させるように言う。ユーラは彼が寝床にしている藁布団わらぶとんを示した。



「暖炉の側に寝かせてあげて。暖かくしてやりたいの」



 イリリアはすぐに言われた通りにした。



「〈癒し手〉ってのは、傷を治す魔力を持ってるのか? あの歌が呪文か何かなのか」



 紫忌の言葉にユーラは息をついた。



「わたしは〈癒し手〉ではないわ……もう」



 少女は足を引きずるようにして歩き、椅子に腰かけた。



「かつては〈癒し手〉と呼ばれた。〈癒し手〉だったのだと思うわ。でも今は……」


「資格を失った? さっきそう言ったけど」


「歌えないの」



 ユーラはささやくように言った。



「歌えないのよ。家族を亡くしてから」


「家族?」



「わたしは……、憎んでしまったから。わたしの家族を殺すように命じた者を」


「それは普通、当然の反応じゃないの?」


「そうね。でも〈癒し手〉には致命的。憎しみにとらわれた〈癒し手〉は、資格を失う。わたしの歌は閉じてしまったわ」


「閉じる?」


「力を使えなくなったの。ガイリスには必死だったから、何とか使えたけれど。他の人には多分、無理……」



 良くわからなかった。紫忌は眉をひそめた。魔力に関する事は得意ではない。イリリアに目をやって「そういうもの?」と尋ねると、彼女は困った顔になった。



「わたくしにはわかりかねます。力の系統自体がまるで違っております」


「系統って、どんな」



 紫忌の言葉に答えたのは、外から入ってきた青雅だった。



「われらの力は〈歪める〉事から生まれますが、姫君のお力は〈正しく在らせる〉事から生まれるのです。それゆえに自然で、強力なのですよ。失礼いたします、姫君」



 青雅はユーラに一礼した。



「村人は戻りました。よろしければ御前おんまえを辞したいのですが」


「あなたは……」



 ユーラの言葉に紫忌が答えた。



「伯爵の弟君の白男爵閣下。似てるでしょ」



 青雅は非難めいた視線を紫忌に送った。ユーラの表情が和らぎ、「ああ」と言った。



「そうね。良く似ている……お礼の言葉が遅れてしまってごめんなさい。助けてくれてありがとうございました、白男爵。よろしければまたおいで下さい。歓迎いたします」



 椅子から立ち上がると、少女は言った。青雅は複雑な顔をしたが、すぐに頭を下げた。



「その『兄』の事で、急ぎ行かねばなりません。姫君がご無事であった事を伝えねば」


「おれは残るよ。早く行ってくれ」



 紫忌が言うのに青雅はうなずいた。



「それでは失礼を」



 そう言うと、一礼してから外に出る。



「氷玉に、何かあったのかしら」



 青雅を見送ったユーラは言った。アルシナが扉を閉める。紫忌は持っている自分の武器を、確認するかのように手に取った。



「戦になってる」



 少女の顔が強張った。



「戦?」


「反乱が起きた。月牙伯爵は配下の貴族に、当主たる資格がないと非難をされた。反乱を起こした貴族はその上に、お嬢ちゃんを人質にして戦を有利に運ぼうと考えた」


「それで……わたしをさらおうと」


「だが取り返した。これで閣下も心置きなく反撃できるだろう。後は……兄上の治世を脅かすものを、取り除くだけだ」



 彼の口調に不穏ふおんなものを感じたとしても、ユーラにはそれと気づくだけの時間はなかった。ひゅっと何かが風を切る音がし、次の瞬間、衝撃と共に視界が回った。



「なぜ」



 押し殺した声で紫忌が言う。ユーラは自分が床に倒れている事に気づいた。誰かに突き飛ばされたのだと、遅まきながら気づく。顔を上げると、目の前にイリリアがいた。こちらに背を向け、両手を広げている。彼女の前には紫忌が立ち、抜き身の剣を手にしていた。



「閣下に、罪をおかさせるわけには」



 イリリアが言った。



「なぜ反撃はんげきしなかった。おまえの実力なら」



「あなたに牙をむく事など、できません、わが君」



 彼女の声音こわねは優しかった。愛を告げるかのように。言い終わると共に体がかしぎ、どうと倒れる。



「イリリア!」



 少女は叫んで立ち上がり、そちらに駆け寄ろうとした。しかし背後から伸びてきた手が、その動きを止めた。



「こちらへ」



 意識を取り戻したガイリスが、そこにいた。ふらつきながらも少女を自分の背後にかばおうとする。青ざめた顔の中、目に敵意の光があった。視線の先には紫忌がいる。



「どういう事です、白男爵」



 この言葉にユーラは驚き、紫忌の方を見た。



「白男爵? だって男爵はさっき……、ローク? どういう事なの」



 剣から血がしたたって床に落ちる。誰の血だろうと少女は思い、はっとなった。倒れたイリリアの姿は、ガイリスの影になって見えない。だが彼女の周囲に、赤いものが広がってゆくのが見えた。


 紫忌はイリリアを見下ろした後、表情を消した顔で二人に目をやった。



「人の血を引く闇魔族が、あんな純粋な貴族の姿をしていると思うか?」



 そう言うと、彼は剣を振って血を落とした。ユーラは呆然と紫忌を見つめた。



「わたしを斬ろうとしたの……どうして」


「おまえは兄上を破滅させる。反乱が起きたのは兄上がおまえに膝を折った為だ。人族ごときに従う当主を、闇魔族は誰も認めない。


 それだけではない。おまえは兄上の弱みとなった。兄上の首を取ろうとする者は、おまえをまず狙うだろう。兄上は、この大陸を千年も統治するはずだった……おまえごときに滅ぼされるなど、あって良いはずがない」



 良く知っていると思っていた男が、別人に見えた。冷静に語る紫忌は、ユーラが知る気の良い男ではなかった。重さを感じるほどの威圧感。明白な殺意。単なる人族の傭兵ではあり得ない、その気配。


 魔族の持つ、力の。



「邪魔が入ったが、今度こそ仕留しとめさせてもらう。どけ、小僧」


「いやです」



 ガイリスは体を震わせた。彼にとって、魔族に逆らう事は本能に背く事である。当然、苦痛も恐怖もある。しかし彼は、動こうとしなかった。そこにアルシナが割って入る。



「おまえもおれに逆らうか、アルシナ」



 彼女は膝をつくと頭を垂れた。



「閣下に逆らう事などできない。ですがこのまま見ている事もできません。お斬り下さい。さもなければわたしは姫君をかばいます……イリリアのように」



 紫忌の顔が歪み、怒りの表情になった。



「おれがイリリアを斬りたくて斬ったと思うのか。この五十年、従ってくれた者を。この上……おまえを斬れと?」



 アルシナは何も言わない。黙って頭を垂れている。紫忌の手に力が籠もり、彼は剣を振り上げた。力任せに床に突き立てる。彼はそのまま剣の柄に体を預けるようにすると、首を垂れ、動かなくなった。


 ユーラはそこで、ガイリスの腕に手をかけた。



「どいて、ガイリス」


「ご主人さま?」


「どきなさい。患者がいるわ。イリリアはまだ生きているの?」



 紫忌は、のろりと首を動かしてユーラを見た。返事を待たずに、ユーラは倒れる女性の側に行くと、ひざまずいた。彼女の体は大きく斜めに斬られていたが、触手のようなものが骨や肉をつなごうとして、血の中でうごめいていた。しかしその動きは、次第に緩慢かんまんになってゆく。



「助かりません。心臓をやられています」



 アルシナが言った。ユーラは手を差し伸べようとした。その手をガイリスがつかむ。



「危険です。共生きょうせいしている妖獣が」


「共生?」


「おれたちは妖獣や魔獣と共生するんです。そいつらは今、本能に戻っている。戦いの中で納得して死んだならともかく、この状況では触れると危険です」


「助けられるか」



 紫忌は床から剣を引き抜くと、ユーラに突きつけた。



「その小僧にしたように。イリリアを救えるか。できるのならやってくれ」


「剣をひきなさい、白男爵。言われなくても助けるつもりよ。邪魔だからさがっていて」



 厳しい表情で少女が言った。アルシナに目を向ける。



「心臓が無事なら、回復できる?」


「わかりません。ですが、多分……」


「では、心臓を元に戻してみるわ」



 少女は自分の胸に手を当てた。疲れているのはわかっていたが、できる限りの事をするつもりだった。



「慈悲深き〈癒し手〉の神よ、聖なる手のエリザよ……力をお貸し下さい」



 つぶやくと目を閉じ、息を整える。喉の奥から旋律を紡ぎ出し、音で力を形作り、光を呼び寄せ始めた。

  


 うつわになる。


 力の器に。そうして光の通る道になる。やってくる光に魂をゆだね、祝福をもたらす道具となる。

 歌は、そこへ至る道。



 輝く光が彼方から来るのが見えた。それはユーラを目指してやって来ると、少女の内にとどまった。髪がほのかに金色に輝き、瞳の色が淡くなる。唇は歌を紡ぎ続け、少女は光を傷ついたイリリアに向けて放とうとした。


 そこで、苦痛が響く。突然黒い歪みが胸の内より噴き出し、少女は音を外した。



「……っ」



 どろどろとした憎しみが、胸の内から噴き上がってくる。それが歌を、光を追い払う。



(だめ。呼ばないと。イリリアを助けないと……)



 赤い薔薇ばら。焼け焦げた体。愛していた者たちの無残な姿。


 心臓が引き裂かれる。悲しみに。痛みに。眼の前に現れる、あの光景。



(いや。見たくない)



 歌うたびに現れる記憶。



(歌わなければ)



 手を伸ばしてくる闇魔族。わきあがる真っ黒な憎悪。あの男さえいなければ。



(……いや!)




 歌が途切れた。光は失せ、体の奥から噴き出す憎しみを外に出すまいと、少女は歯を食いしばった。髪と瞳の色が元に戻る。彼女はよろめいた。倒れる所をガイリスが支える。



「ご主人さま!」



 震えながら、ユーラは目を閉じ、ガイリスにしがみついた。苦しい。怖い。苦しい。



 ……苦しい……。



 荒い呼吸がようやく収まると、少女は目を開けた。自分を支える少年に問う。



「ガイリス」


「はい」


「イリリアは……? どうなったの」



 少年は何か言いかけ、ためらうような顔になってそれをやめた。不安を覚えたユーラは何とか一人で立つと、彼女の方を向いた。


 そこには薄く光るまゆがあった。半ば透けているので中が見える。体を丸め、目を閉じたイリリアがいる。意識はないようだ。彼女の体からは水晶のきらめきを放つ蔦がしげり、猫に似た白い魔獣と巨大な蛇の魔獣が寄り添っていた。彼らの体の半分は、イリリアの中に溶け込んでいる。



「これは……、」


「イリリアと融合ゆうごうした妖獣と魔獣たちです。分離しかけている」



 アルシナが答えた。ユーラはうなだれた。



「わたし……、うまくやれなかったのね」


「命は助かりました。心臓は再生した」


「イリリアが元の状態に戻るように、歌ったつもりだった……でも途中で途切れて」



 疲労が重くのしかかり、彼女はよろめいた。ガイリスが少女を支える。



「ご主人さま。彼女は繭の中で眠っているだけです。意識を取り戻せば元に戻ります」


「それは本当か」



 ガイリスの言葉にそれまで黙っていた紫忌が問う。アルシナがそれに答えた。



「おそらく。姫君は『元に戻る』ようにされたとおっしゃいました。融合がそれで、ほどけてしまったのでしょう。意識が戻れば、再融合は可能です」


「戻らなかったら?」


「このままです。『成り損ない』になる。それでも閣下、彼女には生き残る機会が与えられました」



 アルシナの言葉に紫忌は、息をついた。



「そうだな……」



 ユーラはうなだれた。彼女は歌いきる事ができなかった自分を責めていた。歌は途切れた。光は途中で押しやられた。己の内から生じた憎しみが、イリリアを助ける力を阻んでしまった。


 歌えない。歌い続ける事ができない。



(どうしたら、良いの)



 あの男を思い出す。力を使おうとするたびに。恐怖と悲しみ、恐ろしいまでの憎悪ぞうおが噴き出して、力の器になる事ができない。こんな自分には、〈癒し手〉としての資格はもはやない……。


 その時、突然扉が開いた。闇が疾風のように駆け込み、青雅の姿に変わる。



「閣下! すぐにいらして下さい。銀月の君が危うくおなりです!」


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